死を選んだ農民は、壁にチョークで「原発さえなかったら」と書いた
*写真 避難区域の牛。 死にかかっています。週刊文春より参考のために引用させていただきました。
明日から再開する予定でしたが、やはりあまりにも哀しいこの記事を無視できなくなりました。
相馬の酪農家、原発災害苦に自殺か
相馬市玉野で13日までに、50代の酪農業男性が死亡しているのが見つかった。関係者によると、遺体が見つかった状態などから自殺とみられるという。遺体のそばの黒板には「原発がなければ」と書かれていたという。立谷秀清市長は同日、「当市において原発関連の犠牲者が出たことは誠に残念。海外に渡った2人の子どもが心配です」と文書でコメントした。
同市や関係者の話などによると、男性は11日に見つかったとみられる。男性の妻と子ども2人は妻が出身の海外に避難しているという。男性も一時、渡航していた。同市によると、同市玉野地区は一時、原乳の出荷規制などがかかっていた。
(2011年6月14日 福島民友ニュース)
この背景には、いうまでもなく東電福島第1原発の事故にあります。下の切り抜きでも取り上げた飯館村の畜産農家は7割が廃業に追い込まれると見られています。
そして避難地域にはいまなお大量の家畜が放棄されたままになって餓死を待つか、家保による安楽死を待っている状況です。
日本政府と東電は放射性物質の拡散を3月12日の早期に知りながら適格な避難をさせなかったばかりか、原発がメルトダウンしている危険な状況であることも隠蔽し続けました。
まさに犯罪的行為です。そして3月中旬の早い段階でこのことを地元自治体や、住民に知らせれば対処の方法も違ってきたであろうに、「事故を小規模に見せたい」がための政府のミーイズムで「放射性物質の外部流出はない」と言い張ってきました。
こうして一時を争う重要な時期に2カ月間近い時間が無為に消費されて、今度は「警戒区域に設定するからさっさと出て行け」です。
避難民は自分の預金通帳すら持ち出せなかった人も出ました。まして牛、豚のような大型家畜は置いてこざるをえませんでした。
あるものは柵を放って家畜を逃がし、あるものは立ち入り禁止のロープをくぐるようにして自分の家畜に飼料を届けました。
しかし、それには自ずと限界があります。
JAは日本農業の主力部隊として懸命に牛の移動をしました。NPOも放射線の危険を知りながら現地で活躍しました。
この間、政府はなにをしていたのか!農水省はなにをしていたのか!鹿野大臣はなにをしていたのか!
薬殺だけが手段だったとはぜったいに言わせない。
さて、今回の悲劇的事件のもうひとつの背景には、フィリピン妻があります。私の村もそうですが、農村には外国人妻が多く入っています。
それは農村の恒常的嫁不足があるからです。習慣の違う農村に入ってきた外国人妻は苦労しながらも、よく働き、よく笑い、たくさんの子供を産み、そして村に溶け込んでいきました。
しかし、それが今回の原発事故でフィリピン政府が自国民保護のために帰国命令を出したのです。
多くのフィリピン妻は日本国籍を取得していません。配偶者ビザだけで日本で暮らしています。日本国籍を取得するためには、5年間結婚生活をせねばならないからです。
これは政府としても非常に多いとされる偽装結婚を防止するためのやむを得ざる措置でした。
となると、今回はどうなったのでしょうか。フィリピン妻はフィリピン国籍なので自国政府の退去命令に背くわけにはいきません。もし背いたら「日本人でもフィリピン人でもない」といういちばん不安定な地位になってしまうからです。
やむなく子供を抱いてフィリピンに帰った彼女たちを、今度はフィリピン政府は「日本には安全となるまで返すことは出来ない、出国ビザを停止する」と言ってきました。
この事件のフィリピン妻も幼い子供を抱えて帰国しましたが、「もう戻れなくなりました。助けて下さい」という悲鳴にも似たメールを出します。
もらった夫たちは驚きあわて、フィリピン現地に飛んだそうです。「オレが迎えにいって一緒に帰ろう」。
しかし、フィリピン政府は態度を変えず、現地日本大使館は「日本政府は介入できない」とあっさりと手を引いてしまいました。
子供だけは日本国籍がありますから夫との帰国を許されましたが、乳飲み子を母親から離すことができるでしょうか。
そして親子、夫婦の別離。家庭の崩壊。
このような中で悲嘆のあまり自殺を選んだ農民は、壁にチョークで「原発さえなかったら」と書き残して自殺したのです。
それまでささやかではあっても順調に育ったブランド牛があり、親からの開墾の農地も整ってきた、妻が来た、子供が生まれた、この子を後継者にしたい・・・こんな人としての最低限の喜びと誇りを殺したのはすべて原発です。
そして無能で非情な日本政府です。
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飯舘の畜産農家、7割廃業へ…牛と避難する人も
東京電力福島第一原子力発電所の事故で、全域が計画的避難区域に指定された福島県飯舘村で、畜産農家の7割以上が家畜を処分して廃業に追い込まれる可能性が高まっている。
だが、避難区域の指定が解除されるめどが立たないなかでも、高級和牛ブランド「飯舘牛」の繁殖牛を連れて避難したり、
村内にとどまって飼育を続けたりする農家もあり、関係者は畜産を続ける農家に何とか飯舘牛を守ってほしいと期待をつないでいる。
村産業振興課によると、村内では原発事故前、約220戸の畜産農家が2300頭近い肉牛を育てていた。
しかし、避難の決定後、牛を連れて行けない農家は牛を競りにかけて売却せざるを得なくなり、そのまま廃業する意向を示した農家が7割以上に上った。
そのなかで、雌牛15頭を育てている同村伊丹沢の山田長清さん(60)は、若くて血統の良い4頭を連れて福島市内に移り、畜産を続けることを決めた。
村内の知り合いの畜産農家はほとんどが廃業を決めたが、山田さんは「十数世代かけて交配を重ねた繁殖牛は自分の生きがい。血筋を絶やすわけにはいかない」と語る。
25年ほど前、村が「飯舘牛」ブランドを売り出し始め、山田さんも優秀な血統の導入に取り組んだ。
「飯舘牛の名にふさわしい、村でもトップクラスの繁殖牛に育て上げた」と自負する。
(読売新聞)
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悲しいニュースです。本当に、原発さえなければ、事故さえ起らなければ、究極、電源喪失が起こらなくて冷却さえ順調にすすんでいれば、無くならなくて良かった命が多すぎます。
こんな悲しいニュースとは、対照的に、2ちゃんねる上では、埼玉に避難した双葉町民のモンスターぶりが俎上にあがっています。私には、事の真偽はわかりませんが、それも原発の罪なのでしょう。
投稿: 一宮崎人 | 2011年6月15日 (水) 12時44分
人それぞれに事情は違いますが、スタートは震災と原発事故です。
震災は防ぎようが無かったかも知れません。
原発事故も想像を超える津波までは天災としても、その後の対応は人災に区分されると思います。
情報を提供する側が、隠蔽していたとすれば、その責任を免れる事は出来ませんし、けじめをつけるのが筋であります。
権力闘争や、党内分裂しているノー天気な議員は全て入れ替えて、次回の選挙では全てを新人にした方が良いかも知れません。(極端ですが・・・)
テレビを見ていて感じています。
どんな思考回路なのか頭を割って見てみたいです。
投稿: 北海道 | 2011年6月15日 (水) 16時23分
これはなんともやりきれないです。
国も東電もなにをやっているんだ…。
我が県でも農家の嫁不足対策として、80年代~90年代にフィリピン・韓国・中国からたくさんやってきました。
中にはブローカー仲介の偽装結婚→首都圏に逃走したり、村に馴染めず帰国する者もいますが、大抵の方は明るく働いてます。
今回の方もそうだったのに、原発事故が全てを奪いました。
投稿: 山形 | 2011年6月15日 (水) 20時16分
政治家いらない
国民が立ち上がらないと
投稿: 茨城北部住み | 2011年6月16日 (木) 18時20分
このニュースの実情を教えてくださりありがとうございます。今回の震災と原発事故で国と東電は何をしているんだ、政治家や国に自分の命を任せることはできない、自分と家族は自分自身で守らなくてならない、と強く思いました。これからもブログ読ませていただきます。
投稿: geiger_fay | 2011年6月22日 (水) 23時54分