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2011年7月 2日 (土)

チェルノブイリ原発事故の避難実態

014
昨日の私の記事におけるチェルノブイリの避難措置について記述の行き過ぎをご指摘頂きました。私の記述にはいきすぎた単純化があり、事実を正しく伝えておりませんでした。

ご教示頂きました田口様には心から感謝いたします。

福島第1原発事故におけるわが国政府の対応はお粗末そのものでしたが、それとチェルノブイリ原発事故対応を過大評価することはまったく別の問題でした。

指摘を受け入れて、改めてチェルノブイリの避難状況について詳述いたします。

 

さて、1986年4月26日、ウクライナにあるチェルノブイリ原発4号炉で原子炉の暴走による重大事故があったことはどなたもご存じだと思います。

この事故はECCM(緊急炉心冷却装置)が切られた状態での安全試験を行ったために、炉心が暴走を開始しても冷却ができない状態になりました。

そして午前1時24分、原子炉制御を回復させようとする試みのすべてが失敗し大爆発を起こしました。

チェルノブイリ原発は、福島第1原発と違い原子炉を収納する分厚い格納容器がなく、爆発は直ちに環境中に放射性物質を大量に吐き出すことになりました。

この事故により10日間にわたって放出された放射性物質は2エクサベクレル、広島型原爆の500個分に相当します。

この爆発で、放射性希ガスであるキセノン133、クリプトン85は原子炉内の100%が放出されました。

他の希ガスとしてはヨウ素131が20%、テルル132が15%、セシウム134、137がそれぞれ10、13%放出されました。

揮発性ガス以外の放射性核種の中にはストロンチウム89、90がそれぞれ4%プルトニウム238、239、240、241、242が3%放出されています。

今回の福島第1原発事故もそうですが、ストロンチウムやプルトニウムが検出されたということは、燃料棒自体が融解していることを示すなによりもの証拠です。

また致命的な中性子であるナトリウム24が検出されなかったのは不幸中の幸いでした。

しかし、この事故現場の放射線量は地獄というしかない線量に達していました。

この地獄の中で隣接する3号炉に延焼することを防いだ消防士たちはマスクも防護服もない状況でこの地獄の釜の中に送り込まれました。

死亡した28名中17名が急性放射線障害でした。

今回の福島においても政府は意味のない爆発直後の原子炉上空からのヘリによる冷却水投下や、ぎりぎりまで接近しての放水などを自衛隊員やレスキューに命じています。

人類的災厄をくい止めようとする隊員たちの尊い犠牲的精神に感謝すると同時に、これを平然と命じた政府中枢に対して強い憤りを覚えます。

それはさておき、チェルノブイリにおいて政府対策委員会は、3㌔離れたプリピャチ市が事故直後の26日時点で、既にソ連国家放射線防護委員会の定めた緊急避難基準であるガンマー線外部被曝25㍉シーベルト/hを超えると判断しました。

この200ミリシーベルトというとてつもない線量は年単位の積算量ではなく、まさにその時点の毎時であることにご注目ください。

当時政府のプリピャチ市放射線量は既に500ミリシーベルト/hに達することを示していました。

5月12日には500ミリシーベルトを避難基準として(ただし妊婦と14歳以下の子供は100ミリシーベルト)避難を一部開始しました。

10日後の5月22日には100ミリシーベルトを新たな避難基準とし、全住民4万5千名の避難措置が取られました。

脱出作戦にはバス1200台が投入され、27日午後2時から開始され、5時に終了しました。

この時、市民が緊急摂取したのがヨウ化カリウム錠剤でした。これは希ガスであるヨウ素の体内吸収に対して効果を上げたとされています。(*効果がなかったという説もあります。)

ソ連国防省中央陸軍医療部門は、生物物理学研究所の助けを借りて(線量計の不足のため)250名の軍医を現地に派遣して医療活動と避難民の検査をしています。

そのとき検診したのが1万3千名で、後に生物物理学研究所は10㎞圏内の村の15万人を検診し、5月後半にはウクライナ15万名の子供の甲状腺の放射能測定をしました。

結果、パブロフスキーの報告書によれば、村落部では避難が完了するまでに最高で750ミリシーベルトの被曝があったとされています。

つまり、プリピャチ市の避難はスムースになされたが、その陰で同じ10㎞圏内であるトルスティ・レス、チストゴロフカ、コパチなどの村落部の避難が遅れたために高い放射線を浴びてしまったようです。

また、ウクライナの隣のベラルーシ側での被曝状況もひどく、ホイニキ郡、プラーギン村の18歳未満の子供たちの甲状腺線量は、実に3.2と2.2グレイにも上り、これはプリピャチ市の同年齢の子供の平均線量0.44グレイ、大人0.15グレイを大きく上回りました。

10㎞圏内のミルクの出荷が停止されなかったために2次災害も引き起こしています。昨日の記事で出荷停止という誤りがありましたので訂正します。

パブロフスキーはこのような避難の遅れと避難基準の拡大を強く批判しています。

この事故直後の市内の避難活動のみが注目されますが、事故後100ミリシーベルト/h圏に多くの住民が取り残されていたことを忘れてはなりません。彼らが避難し終えたのは4週間後でした。

事故後、被曝限界の基準が見直され、翌87年になって30ミリシーベルト/年、そして2年後に25ミリシーベルト/年となりました。

5ミリシーベルト/年になったのは、事故後4年。そして救済法が成立したのが事故後6年後のソ連が崩壊した後の1992年でした。

             ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

ロシアにおける法的取り組みと影響研究の概要 

 

イーゴリ・A・リャプツェフ,今中哲二
ロシア科学アカデミー・エコロジー進化問題研究所(ロシア),京都大学原子炉実験所

http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/saigai/Ryb95-J.html

 

 

1(略)

 

2.ロシアのチェルノブイリ関連法令

 

被曝量限度に関する規制

 

 19864月から5月にかけて,ソ連政府事故対策委員会とソ連保健省は,チェルノブイリ事故を終息させ人々を防護するためにさまざまな活動を行なった.人々の放射線被曝を減らすための最初の決定は,空間放射線量が25ミリレントゲン/時を越えている地域(チェルノブイリ原発周辺の半径ほぼ10km圏)の住民を避難させることであった.ついで,半径30km5ミリレントゲン/時の地域からの避難が行なわれた.

 

 この時期のソ連政府の決定のうち,以下を記しておく. 

  • 1986512日,ソ連放射線防護委員会(NCRP)は,住民の被曝限度を年間500ミリシーベルトに決定した.ただし,妊婦と14歳以下の子供は年間100ミリシーベルト.
  •  

  • 1986522日,被曝量限度は全住民に対し年間100ミリシーベルトに決定.

 

  • 1987年,NCRPは放射線安全規則(NRS-76/87)を採択.その規則によれば,放射線事故の際の住民の被曝量限度は,ソ連保健省が設定する.チェルノブイリ事故による1987年の限度は30ミリシーベルト,1988年と1989年に対しては25ミリシーベルトとされた.

 

 1990425日のソ連最高会議決議No.1452-1,「チェルノブイリ原発事故の影響および関連する問題を克服するための総合計画」,ならびに1990630日のソ連閣僚会議政令No.645によって,チェルノブイリ事故による放射能汚染地域での“生活概念”が策定された.その目的は,チェルノブイリ事故によってもたらされるであろう健康影響と損害とに関連し,その害的影響を最大限に軽減するための対策についての原則と基準を定めることであった.

 その基本的な原則と基準は以下のようなものである.

 

     

  1. 放射能汚染地域に居住している住民,または一定期間以上かつて居住していた住民は,その損害に対する法的な補償と,社会的および医療の問題で保護される権利を有する.
  2.  

  3. 防護対策の必要性,その内容と規模,また損害補償について決定する際の基本的な基準は,放射能汚染にともなう被曝量である.
  4.  

  5. (自然放射線レベルを越える)年間の被曝量(実効線量当量)が1ミリシーベルト(0.1レム)を越えなければ,その被曝は容認され,チェルノブイリ事故による放射能汚染に対し何らの防護対策もとる必要はない.
  6.  

  7. 定められた基準値と社会経済的状況を考慮しながら,汚染地域の居住区から移住を実施することが必要である.
  8.  

  9. 放射能に対する防護のほか,つぎのような対策が必要である.

 

     

  • 弱者に対する特別な配慮を含む医療サービスの改善,サナトリウムや保養地での療養.
  •  

  • 微量元素やビタミンを含む,十分な栄養補給
  •  

  • 社会的精神的な緊張を和らげる対策
  1. 汚染地域に居住している人々は,その土地に住み続けるか又は他の場所に移住するかについて,汚染状況,被曝量,起こりうる危険性についての客観的な情報を提供され,自ら判断する権利を有する.

 

 以上のような“概念”に基づいて,ソ連の法律「チェルノブイリ原発事故による被災者の社会的保護について」が立案され,1991年5月採択された.この法律により,チェルノブイリ事故処理作業従事者(リクビダートル),避難・移住した住民,および汚染地域に居住している住民の権利が確立された.

 

 ソ連の崩壊により,チェルノブイリ事故の影響に立ち向かう課題は,ロシア連邦に引き継がれた.ロシア連邦では,事故被災者への放射能防護,社会的保護,およびリハビリテーションに関する“概念”が立案され,事故の影響に対する一連の具体的な対策が定められている.汚染地域とは,年間の被曝量が1ミリシーベルトを越える可能性のある地域である.その汚染地域は以下のようなゾーンに区分されている.

 

     

  • 無人ゾーン1986年と1987年に住民が避難した地域(ブリャンスク州の一部).
  •  

  • 移住ゾーン:住民の年間被曝量が5ミリシーベルトを越える可能性のある地域(セシウム137汚染が555kBq/m2以上).
  •  

  • 移住権利のある居住ゾーン:年間被曝量が1ミリシーベルト以上の地域(セシウム137汚染が185555kBq/m2).
  •  

  • 社会経済的な特典のある居住ゾーン:年間被曝量が1ミリシーベルトを越えない地域(セシウム137汚染が37185kBq/m2).

 

 上記の概念では,短期的に50ミリシーベルトまたは長期的に70ミリシーベルトを越える被曝をうけた人を“特別被曝者”,またチェルノブイリ事故と病気との関連が証明されている病人を“特別被災者”と定義している.これらの人々はすべて,国家被曝疫学登録に登録されている.

 

 すべての特別被曝者と特別被災者を対象に,医療支援とリハビリテーションのプログラムが実施されている.とりわけ,特別被災者と,特別被曝者のなかの弱者グループに注意が払われている.医療支援とリハビリテーションには,被曝をうけた人々のガンへの抵抗性を高めたり,放射線以外の害的要因の影響を和らげる対策が含まれている.また,汚染地域に住んでいる人々に対し,ストレスを緩和するための精神的な支援やリハビリテーションの対策も含まれている.被曝の影響に関する知識を普及させ,放射能の状況に関する的確な情報を提供するといった,汚染地域に精神的支援サービスを確立するための努力が払われている

 ロシア連邦では,上記の概念に沿って法律「チェルノブイリ原発事故による放射線被災者の社会的保護について」が採択され,その後1995612日に,ロシア連邦・ドゥーマ(ロシア連邦議会)が修正を加えた.

 

食品,飲料水,空気の放射能レベルの規制

 

 チェルノブイリ事故が起きる以前においては,食品,飲料水,空気に対する放射能の許容濃度は,「放射線安全規則(NRS-76)」ならびに「放射性物質および放射線源に関わる作業衛生基準(PSR-72/80)」に基づいていた.これらの規則を遵守することは,ソ連のすべての企業,機関,団体の義務であった.しかしながら,チェルノブイリ事故が起きると,広大な地域において規則を遵守することが不可能になった.198653日,ソ連放射線防護委員会(NCRP)は,飲料水と食品中の放射性ヨウ素に対し,3.7kBq/kg,lという暫定基準を設定した.1986530日,ソ連保健省はセシウム137とセシウム134に対する基準を追加した.これらの基準値は,事故後の最初の1年間の内部被曝量が50ミリシーベルトを越えないように設定されたものであった.

 

 またソ連保健省は198657日,地面,車,衣服,皮フ等の表面汚染に関する暫定基準を設定し,その後19861026日にその基準値は引き下げられた.

 

 内部被曝量を引き下げるため,1988年に食品と飲料水中のセシウム137に関する暫定許容濃度(TAL-88)が設定され,1991年にはTAL-91に変更された.1994年にはTAL-94が導入された(表1).食品と飲料水中の許容レベルは徐々に引き下げられ,TAL-94では多くのヨーロッパ諸国や米国と同等のレベルになっている.

 

 

表1 食品中のセシウムとストロンチウムに関する暫定許容レベル(TAL-94)

 一方,1987年に新しい「放射線安全規則(NRS-76/87)」と「放射性物質および放射線源に関わる作業衛生基準(PSR-72/87)」が決定された.これらの規則では放射線被曝の人体影響についてより明確な基準が設定された.チェルノブイリ事故影響に対処した経験を含め,施設や環境での放射線管理や予防措置に関してそれまでの経験から得られた知識が新しい規則に反映された.PSR-72/87はソ連全体に適用され,その崩壊後は,最近までロシアにおいて適用された.現在それらの規則の改訂作業が進められており,近い将来ロシア全土に適用される新しい規則となるであろう.

 

 被曝量を制限し汚染地域住民や種々の活動に携わっている人々に対する放射能の取り込みを減らすため,上述の法律や規則に加えて,多くの規則,勧告,原則が制定されている.たとえば,「環境中への放射能放出をともなう事故時に人々を防護するための手引き」,「チェルノブイリ原発周辺30kmにおける放射線安全手引き」,「森林における放射能汚染と放射線安全に関する暫定規則」,「放射能汚染地域における農業・産業活動に関する勧告」,「放射能汚染地域における人々諸活動に関する勧告」などなどである.

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それはさておき、チェルノブイリにおいて政府対策委員会は、3㌔離れたプリピャチ市が事故直後の26日時点で、既にソ連国家放射線防護委員会の定めた緊急避難基準であるガンマー線外部被曝25㍉シーベルト/hを超えると判断しました。

この200ミリシーベルトというとてつもない線量は年単位の積算量ではなく、まさにその時点の毎時であることにご注目ください。

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