広島は原爆投下から1年半で蘇った。がんばれ、東北!
広島の原爆投下後に、人は70年間住めないと言った物理学の権威がいたそうです。というと、2015年までダメというわけですから、今も広島は無人の荒野というわけです。
もちろん私たちはこの間違いを知っています。今の広島は、つい最近も葬式で行ってきましたが、中国地方一の大都市です。
広島は、原爆投下から2カ月後の10月には既に仮設住宅が立ち始めています。
同じく10月には市電が運行を再開しました。あの広島名物のゴトゴト走る可愛い路面電車です。
11月に恵比寿神社が再建されて復興祈願祭が執り行われ、人々の気持ちを明るくさせました。
翌46年1月には、広島復興局が開設され、行政と一丸となった復興が本格化します。原爆投下からわずか5カ月後のことです。
そして4月には復興都市計画が策定されました。ものすごい速度で復興を果たしていたのがわかります。ほんとうに広島の人たちはエネルギッシュです。
同じ4月には都市ガスが再開しました。都市インフラの復旧がすごい勢いですすんでいることが分かります。
46年の水道の復旧率が、なんと7割です。人口は46年末のデータで、15万人にも達しました。
人類史上最悪の核攻撃からわずか1年半たらずで、広島市は蘇ったのです。これを広島市民と私たち日本人は誇りに思うべきです。
私たち日本人は核に勝ったのです。
この勝利は、広島市民の復興へのエネルギーと、それを支援した国民の力でした。
さて、東北の被災地にボランティアへ行った友人がこう漏らしていました。まるでゴーストタウンみたいだった、と。
東北は復興が遅れています。正直、私もこんなに遅れるとは思っていませんでした。東北には、まるで虫食いのように無人地帯が拡がっています。
会社そのものがなくなったために、多くの人が地元を離れました。雇用を勢いづけるはずの復興需要も弱々しい状況です。
学校の多くが再建不可能で、福島県の小学生1万3千人が県外へ疎開しました。
牧畜はセシウム禍で大きな被害を受け、復活が危ぶまれています。農業の基幹のコメも同様です。
福島の避難地域を二度と立ち入ることができないようにしろ、との声もあります。なんの除染活動もしないうちから鉄条網を張ろうというわけです。
この鉄条網は、日本人の心の中にあります。被災地を「放射能が怖い」と忌避する私たちの心の中にあります。
私たちは広島の復興という誇るべきモデルを持っています。わずか1年たらずで広島を復興させた姿を思い出しませんか。
今、3月11日に誓った「絆」という言葉は半年もたたずに急速に色あせて、真夏の空に消えようとしています。
8月15日を前に、そうあってはならないと、私は心に強く誓いました。
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コメント
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東北の太平洋側ばかり中央メディアは伝えますが、茨城県も大変な被害だったでしょう。
がんばれ茨城県!
投稿: 山形 | 2011年8月14日 (日) 08時31分
今の時代と比べて、圧倒的に物資、人員、食糧が不足していた終戦直後の広島で、脅威のスピードで復興を遂げたことに驚きを覚えます。凄まじいまでの日本人のエネルギーだったのでしょう。広島に限らず、終戦直後には、日本中の都市が大規模な空襲で甚大な被害を受けていたはずです。それらの都市を、我々の先代は、全て復興していった訳ですから、その努力と頑張りには、心からの感謝しかありません。それらの先達の努力があったからこそ、今の日本が有る事を、今この時期に思うことは重要かもしれません。
無神論者や仏教徒でない人にとっては、お盆のこの時期は、何の意味も無いのかもしれませんが、先祖を敬い供養すると言う行為は、何も仏教だけの特別な行為ではないと思います。
自分が存在するのは、過去から連綿と続くDNAの継承があるからに違いないからです。
今の自分をこうして存在させてくれている、祖先や先達に感謝し、その功績を讃え、その御霊の安らかなる事を祈ること、それが、たまたま日本では、このお盆の時期ではないのでしょうか?
そして、過去を振り返ることによって、これからの自分の未来を今一度考える。そんな事ができるのも、このお盆のこの時期ならではと思います。
どなたか、私の事を危険な思想の持ち主のように言われていましたが、私に言わせれば、○か×か、イチかゼロか、白か黒か、ありかなしかのオールORナッシング的な思想のほうが余程狂気です。
自分と異質なものは全て排除する的な、一種の魔女狩り的思想を感じてしまいます。
元来、日本人は寛容な国民ではなかったのでしょうか?宗教にしても、技術的なものにしても、良いと思われるものは、上手く吸収し、自分のものにしていった(サルまねと揶揄されたこともありますが)。そのようにして今日の繁栄を築いてきたはずなのに、その事を今、忘れかけているのではないでしょうか?
放射能に恐怖する気持ちは、誰も同じです。そのことに対して、何の異論もありません。しかし、このブログでも取り上げられていますが、正しく恐怖すべきではないでしょうか?低放射線量による健康被害に対する医学的見解は統一されていないようですが、生物学的に考えて、私は閾値があると思っています。
生き物の体は、複雑で、それこそ○か×かでは判断できない、非常に興味深い機能を有しています。そうでなければ、自然界から四六時中放射線を浴びながら、現代の人間が、これほど生き延びられないはずです。
話が逸れてしまいました。すみません。
明日の終戦の日を前にして、今一度、日本人がどのように終戦の焼け野原から復興していったのかを考えることは、これからの東日本の復興を進めていく上で、一つの指標となるかもしれませんね。
投稿: 一宮崎人 | 2011年8月14日 (日) 12時12分
今年から、米トレーサビリティが、始まるようですが、牛トレサと異なり、事業者には、情報が、わかっても、消費者には、情報が、あまり解らない制度のようです。
農水の米トレサの担当者に聞いても、まったく危機感もなにもなく、震災以前に決まったことを、やるだけと言う返事でした。
事業者間の産地情報で、産地県名と米の品種を、事業者間で、伝えるのが、目的らしく、いわゆる米の偽装があった場合に、官僚が、調査しやすくするだけの目的で、消費者と、生産者の相互信頼関係を築くようなデーターには、ならないみたいです。結局、消費者向け表示は、JAS法の今までどおりらしいです。(もっとも、今までは、最終段階で、空欄の商品も多かったですが)
せっかくの制度が、消費拡大とか、安全安心に結びつく制度に、見直すことは、出来ないのでしょうかねえ?
農水は、まったく、そんな気は、ないようですが。。もともと、農林水産業を振興する省庁なのに、まったくその気がないので、がっかりでした。
投稿: りぼん。 | 2011年8月14日 (日) 15時00分
内容は全然違いますが、昨年の口蹄疫で、川南町を中心に酪農・畜産が壊滅しました。発生原因や初発がどうだったかはいまだに「これ」と言うものは示されていません。しかし、年齢など条件が整わない方を除き徐々に畜産復活の動きが有るように聞いています。
当時、再興はとてもとても考えられない状況だったと推察しますが、力強い動きがある事を聞き嬉しく思っています。少しでも応援した一人として自分の事の様に嬉しいです。
今回の震災や原発事故でも、これまで想像できない被害(地域や人々)が発生しましたし、原発事故による被害(風評被害も含めて)の収束も先が見えない状況が継続しています。
さらに原発関連では、これからの農林漁業の経営にも暗い影を落としている現状にあります。一宮崎様が仰る通り、お盆をきっかけに、被害者の供養と共にこれからの復興に向けて一歩歩みだす・・・そんなお盆であって欲しいと願っています。
被災地と遠く離れた地域に住む私ですが、これからも見続け、応援していきたいと改めて考えている所です。
誰かのコメントに遠く離れた地域にすみ、安全な所にいて・・・と有りましたが、たまたま運が良く直接的な被害が無かっただけで、どこで発生したか判らないし、今日・明日に自分が被害者になるかも知れません。
この地震国日本に住む以上逃げようが有りません。
平成15年の十勝沖の時も、何故ここが(自分が)被害を受けなければなら無いのか???と思ったことも有りましたが、現実を直視し、今何をしなければならないか・・を考え行動しました。
皆同じ国に住む国民です。いがみ合う事より復興を目指して歩き出すお盆明けになるよう願っています。
投稿: 北海道 | 2011年8月14日 (日) 15時04分
りぼん様。たぶん農水省は、セシウムが検出された米が、他地域に流されて他県米として流通したり、混入することを恐れているのでしょう。
それでなくとも米は産地偽装の常習犯ですから。
しかし、こういう官僚のコントロールだけ見ているトレサは時代遅れですね。ほんとうのトレサは有機JASのように、畑あるいは種から作付け⇒栽培管理⇒収穫⇒流通まで一貫してガラス貼りにするものです。
官僚統制のためのトレサという発想そのものが古くさいのです。いかなる工程も末端の消費者、流通が閲覧できて検証可能でなけれもばなりません。
投稿: 管理人 | 2011年8月14日 (日) 18時06分