避けられた悲劇 避難地域の放棄された牛たち
ある畜産農家のご夫婦の後を追ったのですが、見ている私も胸が潰れるような内容でした。
このご夫婦は、家に帰ると真っ先に向かったのはわが家ではなく、畜舎でした。
牛をそのままにして避難せざるを得なかった畜舎です。畜舎に向かうと彼らの前に一頭の牛がふらりと横切りました。痩せこけていますが生きています。
奥さんは泣きながらその牛の名を呼び、叫びました。
「ごめんね、ごめんね!」
そして畜舎へ。
私は今までこんな無残な光景を見たことがありません。白骨となった牛が土に帰ることも出来ずコンクリートの上に並んでいました。
餓死した死体にご夫婦は花を手向け、手を合わせました。背中が涙で震えていました。
これは原子力災害の悲劇という前に、避けられた悲劇でした。人間の手で回避できたことです。
原発の是か非かという以前の問題です。人の心の問題です。
これらの見捨てられて、無残な死を迎えた多くの牛や豚、トリ、犬や猫は、充分に避難が可能でした。
しかし、現実にはどうだったでしょうか?
政府は避難民にたった一粒の安定ヨウ素剤すら配布しませんでした。おそらくは今後、避難民の中に子供を中心にして多数の甲状腺障害が生じることでしょう。
人さえ救えない政府は、家畜などは眼中にありませんでした。一切を見殺しにしました。ただの一台のトラックも現地に派遣しませんでした。
いや、その検討ひとつしませんでした。すべて見殺しにしました。
チェルノブイリですら大量のトラックで避難させたというのに。
多くの家畜はつながれたまま水も餌も途切れて、衰弱して死んでいきました。
毎朝、彼らに新鮮な餌をやり、藁を取り替え、ブラシをかけて優しい声をかける飼い主は戻ってきませんでした。
彼らは主人を待ちわびて、待ちわびて、そして死んだのです。
人の心を持たない冷血な菅内閣はあと数日で消えますが、私はこの悲劇を忘れることはないでしょう。
なぜなら、それは心のあり方ひとつで避けられた悲劇だったからです。だからこそ私は許せません。
■写真 北浦の湖のほとりのレンコン畑。私の村は全国有数のれんこんの産地です。美しいハスの花が咲いて、いよいよすらりとしたレンコンとなっていきます。晩秋から最高のレンコンを楽しめます。
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コメント
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私も見ていて心が震えました。
「逃げられなかったんだね…。ごめんね、ごめんね…」と、涙を流しながら牛の亡骸に花を手向ける姿が忘れられません。
そして、情報は錯綜しているようですが、ベントは失敗もしくは遅すぎて水素爆発に至りました。
菅内閣は震災対応を自画自賛して自己満足して退陣。そして、もう一人の大罪人である海江田が小沢&鳩山グループの数の論理で有力候補に(まるで昔の自民党の派閥政治そのものではないか!)。
私は絶対に忘れないし、許せない。
地元の鹿野道彦農相などはとても推せませんが、昨日から内閣の呪縛から解き放たれたのか、話し方や目付きが久々に「戦闘モード」になってました。
口は軽いが芯のある前原か、数の暴力で海江田なのかに絞られたようですね。
注視しています。
どのみち菅の尻拭い(敗戦処理)内閣で、弱体化必死でしょうが。
求む、賛否両論あれど10年前の小泉のようなゴリ押しのできる指導力あるリーダー!
ニュース記事で、広島型原爆対比でセシウム168倍というセンセーショナルな数字が独り歩きしてますね。
だから、だから原爆投下とチェルノブイリと福島を(何でも核だからと)一緒くたにするなと!
昨夜話したコンビニの兄ちゃんも呆れてました。
出てきたデータでは他の核種に比べセシウムと初期のヨウ素の多さがやたら強調されています。
それこそ爆発のシステムの違いからのものでしょう。
当面の敵はセシウムです。
せめて事故1週間後までにでも安定ヨウ素製剤を配って子供に飲ませていれば…政府は「備蓄はたっぷりある」と言いながら配布もせずに、この間にスピーディーのデータを隠し20キロ圏内の外は安全だと言い続けました。
内閣の海江田(と枝野)の責任でしょう。
たっぷりとヨウ素被曝させたうえで、飯舘や南相馬内陸部、伊達市霊山などを避難地域に指定。何をやっていたのか(怒)
そして、この国の政治は何処へ向かうのか、復興は第一に優先されるべきことで当然全力投入が必要ですが、被災地でも仮設入居の問題など様々な歪みが出てきてます。
被災地選出の民主党議員は「大手ゼネコンを入れると、地元業者が下請けになって実入りが少なくて困る」などと言い出す始末。
だったら福島第一の建設にもあたった大手の利益を極少化(タダとは言わん)して地元に回せ!として動くことが政治主導ではないのか。
そして国家の根幹たる国防。必要な政策と主張ができる人材はいるのか!?
追伸
今年も茨城のレンコンを楽しみにしてますよ!
煮物に入れても良し、豆板醤でピリ辛シャキシャキ炒めにしても良しです。
投稿: 山形 | 2011年8月27日 (土) 11時07分
私が理解できないのは、何故連れ出せなかった家畜を安楽死させなかったかという事です。何か法律的な問題でもあったのでしょうか。
安楽死の方法は射殺です。その面にかけては専門家の自衛隊員があんなに多数居たのですから、不可能ではありません。苦しんでいる家畜を射殺せよとの声が湧き上がって来なかったのが本当に不思議でした。
投稿: 利根 | 2011年8月27日 (土) 11時46分
>これは原子力災害の悲劇という前に、避けられた悲劇でした。人間の手で回避できたことです。
あの時は人間が避難するだけで精一杯だったと思いますが、暫く落ち着いてから牛や豚を纏めて避難させたとしても、その間にたっぷり放射線を浴びた動物の肉は利用可能なのですか? そうでなければ経済動物には放棄か安楽死かのオプションしかないような気がしますが・・・
それに関連して分らないのは原発の直ぐ周囲の植物の事です。 例えば原発敷地にはかなり多くの杉の木が生えていますがあれはやがて枯れるのでしょうか。 植物といえども生き物です。 人間が防護服無しに立ち入ると確実に死ぬような雰囲気の中では植物といえども死ぬのではないでしょうか。 原爆が落とされた頃、広島では今後200年は草も木も生えないだろうなどと言われていました。
投稿: 利根 | 2011年8月27日 (土) 12時10分
胸を打つ映像でした。疾病や事故等でやむなく殺処分されたのでなく、一番痛ましい餓死であることが悔やまれます。政治の無策を感じます。
ただ、もしトラックの大編隊を組んで、家畜を移動する計画があったとしても、管理人様が以前書かれた「放射能の壁」が大きく立ちはだかったのではと危惧します。
僅か数ベクレルの放射性物質が付着した松でさえ拒否する国民が居る国です。
どれほどの放射性物質が付着しているか分からない家畜を、どうぞどうぞ我が牧場に、わが県にと言う所がいかほどあったかです。
安楽死の選択支はあったかと思いますが、それも、やはり人的に問題ありかと。
昨年の宮崎口蹄疫の際にも話題にのぼりましたが、自衛隊による射殺。これは、おそらく、英国における過去の事例をもとに述べられているものと推察しますが、英国の事例でも、軍が射殺したのは、豚までです。それ以上の大動物(牛)は、射殺は無理です。
やはり、一頭一頭、薬殺するしかありません。
ましてや、災害派遣された自衛隊員に動物の銃殺をさせたら、自衛隊員の精神にも何らかの影響を与えるのは必至です。
次善の策とは思いませんが、やはり、牛舎から解き放ち、自力で餌を食べて、何とか生き延びてもらうしかないのかもしれません。
そして、ある程度の落ち着いた状態になった時に、どこか一か所に集めて飼養するのが良いのではないかと考えます。
一時期、そのような試みの話題もニュースに流れていましたが、最近は、めっきり聞かなくなりました。
投稿: 一宮崎人 | 2011年8月27日 (土) 13時58分
射殺による安楽死は世界的に肯定されていると思います。
例えば先進的畜産地帯である南米では口蹄疫の対策としての射殺をRifle Sanitarioと呼んでいます。 「衛生的見地からするライフル」とでも言うのでしょうか。
西部劇などではカウボーイは動けなくなった馬を置いていく時は頭部に一発を撃ち込みます。
日本人がこのような射殺を忌避するのは戦争放棄などから来る後遺症で止むを得ない面があるのでしょうが、今回のように何の対策も無く家畜を餓死させるようなことをすれば寧ろ外国から軽蔑されるでしょう。
自衛隊にとっても良い事です。 自衛隊はこれまでたった一人の人間も殺した事が無い賞賛すべき軍隊です。 然し彼らの本分は一旦緩急有った時に火器を用いて命のやり取りをする事です。 せめてこのような正当な目的で大型動物を射撃できるならそれを実行するのは有益な経験だと思います。これで士気が下がるような軍隊は何の役にもたちません。
投稿: 利根 | 2011年8月27日 (土) 15時55分
外国の口蹄疫処置の際の射殺は、埋却地に動物を入れての、いわゆる虐殺スタイルです。
また、牛を苦痛を与えずに射殺するには、近距離から一頭ずつ頭部を正確に射撃する必要があるでしょう。
牛舎内で乱射するのは、牛にとっても行う人間にとっても危険です。
簡単に射殺と言われるが、実際の手技を考えた場合、豚までなら何とか可能ではあるかと思いますが、牛はかなりリスクが高くなります。
諸外国で軍隊が出動するのは、人員の絶対数を確保するのが目的です。
殺処分にかかる人員は、さほど必要とされません。
その手技になれた獣医師2,3人もいれば、かなりの頭数を処理することは可能です。
問題は、その遺体の処理や必要機材の調達に人手が要るということです。
牛を銃殺しただけで、精神に破たんをきたすような軍隊は要らないですか。
牛や動物の死に一番直面しているはずの獣医師でさえ、あの宮崎口蹄疫の処分に参加して、PTSDのような症状を出した人もいるのですよ。
自衛隊は全くの動物に関しては全くの素人ですよ。
その人間が、何の表情も感情もなく、淡々と銃殺を繰り返していたら、私はそちらに恐怖を感じますが?
投稿: 一宮崎人 | 2011年8月27日 (土) 16時38分
利根様。
>私が理解できないのは、何故連れ出せなかった家畜を安楽死させなかったかという事です。何か法律的な問題でもあったのでしょうか。
この様な疑問を持たれることは理解できますが、
ここではやはり、なぜ家畜を避難させることが出来なかったのかということを、もっと考えるべきではないかと思います。
「人間が避難するだけで精一杯だった」という言葉で片付けるののは問題ですよ。チェルノブイリではできたのですから、日本政府や自衛隊は残念ですが、この点に関してはソ連よりも劣っていたと思います。
私はなぜ自衛隊の力を借りて救出しなかったのか、ずっと疑問に思っていました。
放射能汚染下での訓練不足でしょうか?
そうだとしたら、核攻撃や核事故による大惨事において、自衛隊は市民を救出できるのでしょうか?
家畜の救出は貴重な訓練になったと思います。
少なくとも、射殺練習よりはずっと必要じゃないですか?
なぜ家畜を見捨てたか! 政府が家畜の命を大したものではないと捉えていたことにつきると思います。そもそも、救出をしようともしなかった事の方が、まずもって外国から軽蔑されるでしょう。
投稿: 南の島 | 2011年8月27日 (土) 17時50分
http://ex-skf-jp.blogspot.com/2011/08/blog-post_25.html
国立環境研究所によるヨウ素131、セシウム137積算沈降量シミュレーション
多少の間違い、乱暴な地図ながら、早く知らせた、、という意味では早川地図を評価します。
投稿: 転載 | 2011年8月27日 (土) 19時01分