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« 茨城大学の専門家をお招きして、地域農地の放射線量測定と除染研修の集まりを開催します! | トップページ | ある方への手紙 »

2011年8月 5日 (金)

最低でも2年間は、日本の農業者は放射能測定は「品質保証の一部」だと考えたほうがいい

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Wさんやめぐさんのコメントを興味深く拝見しました。コメント欄に書こうと思ったのですが、ちょっと狭すぎるので、こちらでお話していきたいと思います。 

おっしゃることは理解できます。 

違っていたらごめんなさい。Wさんはたぶん現在のセシウム汚染が検出されるかもしれない、国内産の米がいっそう外国産の輸入攻勢を強めるだろうということを危惧なさっているのだと思います。 

めぐさんも同様に、「牛肉に関し基準量を超えた食べ物が流通に乗って消費者に売られてしまったという負の実績が出来てしまった以上、今後は大丈夫だからというアナウンスを信じろというのが難しい」とお考えになっています。 

温度差があるのですね。温度差という表現は誰が作ったのかわからない便利な表現ですが、今の都市の消費者の皆さんと私たち地方の農業者との関係を言い表しています。 

決定的に対立するとか、相手を認めないというのではなく、しかしお互いに「ちょっと違うんじゃない」とぼんやり思っているという関係です。 

都市に住む消費者の人たちは、農業が放射性物質で汚染された藁から全国の牛肉に飛び火したことによって、日本農業全体に対する不信感が増幅されているような気がします。 

一方私たち農業者には、どういったらいいのかな・・・、「なんでオレたちばかりをバッシングするんだ。オレたちはなにも悪いことなどしていないぞ」という不条理感が根強くあります。 

お互いに自分の家族の健康と生活が背後にありますから、そう簡単に「はい、そうですか」というわけにはいきません。 

私はこう考えています。 

結論から言えば、私はこれからの最低でも2年間は、日本の農業者は放射能測定は「品質保証の一部」だと考えたほうがいいと思っています。 

なぜ2年間かといえば、それはセシウム134の半減期が2年間だからです。同じセシウムでも137は30年間です。よくセシウムは30年が半減期という頭がありますが,、134のほうははるかに半減期が短いのです。 

私の地域の実測値では、たとえばセシウム134が35bq、セシウム137が37bqというようにほとんど同じレベルの量が出ています。セシウム線量はこの両方の合計で見ます。 

ということはセシウム134に限っていえば、2年間で半分、4年間でそのまた半分ですから、最初の4分の1にまで減少していくことになりますね。 

ちなみに放射性ヨウ素は半減期が8日ていどですから、とうに消滅しています。

仮に分かりやすくセシウム134とセシウム137の合計が100bqだとした場合、2年後には75bq、4年後には62.5bqにまで下がっていきます。

これに除染活動が加われば、そうとうにまで提言することは間違いありません。

現在、私たちがやっている除染実験では、セシウム合計が980bqという線量が、深耕ロータリーとゼオライトなどの投入によって66bqと14.8%まで劇的に下がることがわかっています。

私の考えが正しいとすれば、正しく除染さえすればですが、2年間で10%ていどにまでセシウムの土壌線量を落とすことは可能です。

というわけで、私は農業者は放射能を恐れる必要はないと思っています。正しく恐れて、正しく対応すればいいだけの話です。

しかし、国民の大部分がそうであるように、いやある意味それ以上に、農業者は放射能を恐れています。ただ、あまり過大に考えると自分の畑の上を歩くことすら出来ないので、あまり考えないようにしているだけです。

特に、3月から4月中旬までの放射能雲(プルーム)の飛散による作物や牧草、藁の外部被曝の恐怖は、農業者の骨身に徹しました。

そのことによって、猛烈な不買、忌避などのバッシングに遭遇したからです。農家には自殺者や離農した者もいます。

いまでも私たち農業者を、「社会に放射能の毒をバラ撒いた」とテロリスト呼ばわりする人が絶えません。

そしてとうとう、畜産の王者である牛肉、農産物の女王であるコメにまで放射能の恐怖は襲いかかっています。

消費者の方にはあまりピンとこないかもしれませんが、牛肉とコメは私たち日本農民のプライドの象徴なのです。日本の百姓はおいしい米を腹一杯食べて、とろけそうな牛肉を食べたいの一心でここまでやってきたようなもんですから(笑)。

ここで初めに戻ります。農業者の皆さん、牛肉と米にきたら腹をくくりましょう。本丸まで放射能という不倶戴天の敵の手は伸びてきたんだから。

もう逃げないで、正面から対応するきゃないですよ。放射能測定を「品質保証の一部」と考えましょう。

ただ作物だけではなく、それが育っている土壌や水まで農家がしっかりと放射能防護の管理をしなきゃダメってことですよ。

そして農地の放射線ばかりで はなく、地域全体の土壌放射線量を市民と一緒に計っていきましょう。共同で除染活動ができれば最高です。

まずは互いに情報を交換していきませんか。その積み重ねの中で、互いの不信感をなくしていくしかありません。

かつて、私たちはただ「信じてくれ」の一本槍で失敗しました。もう同じ轍は踏みません。消費者にとっても農民にとっても敵はひとつ。放射能っていう悪魔なんですから。

■写真  あじさいの上に半透明なクモがちょこんと乗っているのが分かりますか。クリックすると大きくなります。あじさいももう終わりですね。

          ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

 

■茨城県放射能実地測定の集い

❶茨城大学教員3名を講師として農地放射線量測定します。

➋空間線量と土壌線量測定の実測方法の実地研修

➌農地の測定

➍除染の講習

➎まとめと座学

❻場所 茨城県行方市 

❼日時未定ですが8月中旬から下旬の大学夏休み期間中に予定しています。

❽土壌サンプルをお持ちいただければ、測定致します。

茨城県、千葉県農業者、市民の皆さん、ぜひご参加下さい。

参加資格は問いません。農家を問わず消費者の方も遠慮なくお越し下さい。

このブログのプロフィール欄に私のメルアドがありますので、ご一報下さい。詳細が決定次第メールでご連絡いたします。

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原子力事故」カテゴリの記事

コメント

ついにここまで覚悟しなければならない状態になりましたね。
BSE時は、個体識別と全頭検査によって信頼を得る事が出来ました。
その後、食品偽装や中国野菜の問題、食中毒問題など大小様々な事象によって、食品に対する信頼が失墜しましたが、そのたびに様々な検査やその結果の公表・開示を行う事によって、時間の差はあれ安心して国産農畜産物を消費して頂きました。
ただ、これら事象は農業者が故意的に起こしたものではなく、出荷後色々な段階で多種多様な事業者が、主に利益追求を目的として発生させたものです。
今回の放射線問題についても、農業者の責任は全くありません。しかし、生産物が販売され消費されてはじめて収入を得る産業である事、播種や畜産の場合人工授精から出荷まで、長い期間が掛かる事、時間がかかればそれだけ放射性物質と接触する機会が多くなる事等などを勘案すると、内容は違えどBSEの様に全検査と検査結果の公表及び基準以上のものの出荷自粛(停止)を実行しない限り、消費者の信頼回復は不可能と思っています。(ただ、その基準があやふや??)
待っていても誰も手を差し伸べてくれません。政府や東電に正当な要求をしながら、同時に自主的な取り組みを行って行く必要があります。農業団体も力を結集する時だと思います。

都会に住んでいると、牛には、牧草なり、わらなり、第1胃に必要で、濃厚飼料だけでは、育たないと言う事も、解らないし、米だって、水を入れたり、抜いたりする時期だって、わかりません。もちろん、種もみが、ものすごい勢いで、品種改良(BL米)されていることなど、わからないのです。
さつまいも掘りに、幼稚園児と母親を連れていって、園児は、行く前に、紙芝居などで、さつまいものことを、教えてあるので、まだ、良いのですが、母親が、土の中に芋があることや、苗に、複数の芋がついていることなども、まったく知らない時代になりました。
温度差と言うか、都市部の生活には、農水畜産業の姿がまったくないのですから、農業を理解するのは、かなり困難なのだと思います。

農家が当たり前と思うことが、大都会では、理解不能なのです。まず、土付きの野菜を見ることはありませんし。。

そういう流通段階で、みえなくしている農業の実態から、勉強しないと、何ベクレルだから、問題ないというような発想は、都会の消費者には、理解不能でしょう。

個人的に、1番心配なのは、灌漑用水が、降雨によって、いつまでも、セシウム汚染している可能性があることです。どうしても、山に降ったセシウムが、田畑に下りてくるのに、タイムラグがあるように、思えます。

ベラルーシでも、1年遅れで、汚染ピークが来た場所もあるやに聞いていますので、しばらくは、放射性微粒子の検査は、必要に思います。

都会だけでなく、田舎でも農家と農家で無い人達の間には、溝ができている気がします。

口蹄疫の際、埋却場所を探すのに、苦労した話ありましたが、実際、例えば、家畜の糞尿や堆肥、それにつくハエ、または家畜の泣き声等等、昔の日本なら、お互い様で、どこか許されていた部分が、今は全く駄目です。糞尿やハエは、一発で苦情の対象でしょうし、家畜の泣き声もまたしかりでしょう。

結局、実際、自分が飼育したり栽培したりしない限り、どのような事があるのかは理解できないのではにでしょうか?理解出来ないから、こちらが普通に思えることが、あちらには普通でない。今の世の中、なんだかそんな感じがします。

私は「都市の消費者」と「地方の農業者」という切り口は、この放射能汚染問題を考える上であまり重要視していません。なぜなら「地方の農業者」といっても、彼らが口に運ぶ食物(農作物に限らず海産物なども)の多くについては「地方の農業者」自身が消費者だからです。

有り体に言えば、地方の農業者が消費者として自分の目が届かない農作物や海産物を口にする際、現在の状況下で政府や自治体、或いは農業団体や漁業団体のアナウンスを信じて口にするのか?という疑問です。

もちろん「食べるよ」という方はいらっしゃるでしょう。しかしそうでない農業者や漁業者も当然いる。私は、売る米については農薬を使うけれども自家消費分については使わない、あるいは農薬使用を抑えるという農家を直接知っています。
もちろんこれを「いい、悪い」の問題として提起したいわけではなく、それが資本主義・自由主義下で「自分たちを守る」という現実ではないか、ということです。

めぐさん。ポッポしない。ここのコメント欄は談話室ですから。それとあまり切り口上になると、あなたの真意が伝わりませんよ。おだやか~に。

先日のすごい剣幕で突っ込んで来た人の時にも思いましたが、田舎はゆっくり時間が流れているもんで、都市の人のように敏感ではありません。そこのところをお許しください。

で、「農業団体が出している情報を信じられるのか」とのことですが、私にはなんとも言えません。
それはあなたとその生産団体との「距離」によるからです。

私には個人の生産物をやりとりしている消費者たちがいますが、放射能のことなど聞いてきません。それはもう20年もやっているからでしょうかね。私がヤバイものを出すはずがないってていどの信用関係はあります。

あなたが「売る米については農薬を使うけれども自家消費分については使わない」と言った百姓をご存じだそうですが、その人はそのていどにしか消費者との「距離」を考えていなかったのです。

「資本主義は自由主義」ですか。そうですか・・・。そうかな。私はそう思わないけど。
資本主義は真逆に「信用」の世界ですよ。好き勝手にやっていいという放任経済じゃありません。

お互いに「信用」をなくしたらアウトです。ですから、「オレの家族にやる作物には農薬は使わないが、出荷用には使う」という農家はなにか勘違いしているのです。

おっと、別に農薬は昨今は低毒性ですからそれ自体うんぬんではなく、自分の家族に禁じたものを消費者に売るという二重規範が問題なのです。

自分がイヤなら売るな、バ~カ。私ならそれでお終いですね。そういう人もいるでしょうね、というだけです。それで農業を一般化しないでくださいね。

だ・か・ら、いっしょに調べようって言っているつもりなんですが。どうしてわかってもらえないんだろう。

ポッポしてないっす!(笑)

「資本主義・自由主義」との私の記述は「資本主義は自由主義だ」という意味でなく、「資本主義で自由主義だから」という意味です。

また、自由主義が自由放任とも思ってません。

自家消費用の米をより多くの手間ヒマかけて無農薬や低農薬で作り、売却用の米については様々なコストを計算した上でルールに基づいて低毒性の農薬で作るのは「『自由放任経済だから』認められる」のでなく、資本主義で自由主義の下なら認められるその人の選択、という趣旨です。

もちろん「素敵なこと」じゃないですし、大々的に公表したりはしません。しかし「自分たちは無農薬、低農薬の米を食べたいけど売る場合はコストの問題、収益の問題があってルールに則った農薬を使わざるを得ない」という選択は「放任なら認められるけどね」というレベルの問題とは思いません。

またそれで農家を一般化しているわけでもなく、消費者からは区別がつかないということを指摘しているのですが。
特定の農家と取引している消費者も当然いらっしゃるわけですが、経済的負担も小さくありません。

地域や産物にもよりますが、栽培マニュアルがあったりします。
害虫の一斉防除等で農薬を散布を義務付けることもあります。
そのような理由で、出荷するために農薬を散布せざるを得ない農家がいると思います。
しかし、使用できる農薬や回数などが近年はもの凄く指導されています。

私のところでは、サトウキビがその典型です。
小さい黒糖工場で製糖をしている農家には、無農薬栽培にこだわるところもありますが、99%のサトウキビを受け入れる大規模ザラメ製糖工場用のキビには害虫の防除を強要されます。
キビ代から強制的に天引きされた金に補助金を上乗せして、スミチオン等を農家に配布します。

低毒性とか言いますが、散布後は気分が悪くなります。わたしは、こっそり一斉防除をボイコットしたりしていたのですが、チンチバックという害虫がキビに付くと緑色のキビの葉が黄色くなり、周りの人にバレてしまいます。散布量が足らなかったと、とぼけて誤魔化していました。

そんなことも一因で、キビをやめて牛専業になりました。

私は農業団体にいる人間ですが、大丈夫でない物を「大丈夫だ」とか、安全でない物を「安全だ」とアナウンスする事は有り得ません。

そのような事をしたら命取りになりますし、マスコミに徹底的に叩かれる前に、消費者を裏切る事になるからです。一旦失った信頼は取り戻す事は困難だし、仮に取り戻せるとしても、気の遠くなるくらいの時間がかかる事を知っているからです。

自家消費分は無農薬で・・・と言う農業者は、めぐ様が直接聞いた訳ですから確かに存在するのでしょう。
でもそんな農業者を知っているからと言って、ほとんどの農業者もそうだと一方的に決め付けるのは、あまりにも世間を狭く見ています。もっと視野を広げてください。物事は片方ではなく多角的に見て判断して下さい。
目だって一つでは無く二つ有るのですから・・・

それと、めぐ様が仰る通り、我々も一消費者の立場でもありますが、スーパーのトレイに貼ってあるラベルや、ポップを信用し食品を買って食べていますよ。
加工品は判りませんが、少なくとも生鮮品は国産を買っています。
原発事故に関する国や東電の情報隠匿や情報提供の遅さは私も感じていますが、それと同等に農林漁業団体を見ないで下さい。

めぐ様は誰の言う事なら信じられるのか?
自分と、その自家用米の無農薬農家だけを信じる人なのでしょうか????
広い世の中・・そんな人も一人や二人居ても不思議ではないですね。

北海道様

この記事の第四パラグラフにある通り、負の実績を作ってしまった以上アナウンスを信じるのは難しい、というのが私の意見です。
従って、広い世の中私だけが信じないのであれば、北海道様は今後についてご心配されることはないですね。

流通に乗せて消費者が買ったということは、「安全だとアナウンスした」ということなのです。何も何月何日、記者会見で農業団体の責任者が安全宣言をした、というのだけがアナウンスではありません。

管理人様、北海道様共に私の「自家消費分は無農薬で・・・」という記述をご覧になって私がそういう農家を非難していると誤解されたようですが、上のコメントに書いた通り違います。
別の例で言えば、自分が経営するレストランでは水道水を出すけれど自分や家族はミネラル・ウォーターを飲むのと同じです。

めぐさん、なんか話が噛み合ってないような。

流通に乗った物なら安全だとアナウンスしたようなもの。それは同感です。
私は地方都市に住む消費者でありながら、クルマで5分も走ると広大な田園地帯が広がり、両隣は専業農家という環境です。

無農薬有機栽培というものは、管理人さんが散々苦労してこられたように大変ハードルが高いのです。
だからといって、自家用作物だけが有機栽培なんてところは、それこそ自家用にしか作ってないド田舎以外では稀です。

また、農薬に関しては80年代から輸入果物や穀物の燻蒸処理(倉庫丸ごと殺虫剤を噴射して処理します)が、当時から消費者団体は危険だから廃止しろと圧力をかけていました。
しかし、止めてしまうと思わぬ害虫を国内に持ち込んでしまい、かつての地中海ミバエのようなパニックと莫大な駆除費用がかかる恐れがあるのです。
それとも、得体の知れない毒性の強い農薬が度々検出されている中国産野菜を選びますか?「毒菜」とまでよばれてますが。
日本から中国等へのブランド米輸出の際も、同様に燻蒸処理が義務付けられています。

また、あなたはカリフォルニアのレモンやオレンジは食べませんか?
私の知り合いではレモンの皮はしっかり剥かないと絶対食べないヤツもいましたが…あれなんか表面はワックス処理されていて、クレンザーで相当念入りにタワシで洗わないと取れませんよ。生鮮果物じゃない加工品のジュースでも農薬の危険は変わりません。

そして20数年たった今も、農薬禍の報告はないですし、日本人の平均余命は伸び続けています。

但し、放射性物質に関してはβ崩壊して減衰するまで長いことかかりますから、除染と監視は必要でしょう。

だから敏感な消費者さんこそが、農業者と一緒に研究をやっていこうという話なのです。

キツく感じる表現だったらごめんなさいね。

山形さん

ありがとうございます。

話が噛み合っていないのは事実で、それは私の指摘はもともと「売る米にだけ農薬を使うのはけしからん」とか「農薬を使うのは命の危険がある」というものではないからです。

また「守る」というのも単に「命の危険から守る」ということだけを想定しているわけでなく、「無農薬・低農薬の米を自分の家族や親戚には食べさせたい」「でも全てをその通りにするのは収益上無理だから売却用はルールを守った農薬使用でいくしかない」という「落とし所」(自分の気持ちを実現して守りつつ経営を守ること)が、資本主義であり且つ自由主義の下では許される現実だ、という指摘なのです。

「守る」という言葉で「命の危険」のみを連想されたなら、それは私の言葉足らずが原因です。


私が最後に書いたコメントで、レストランのオーナーと家族はミネラル・ウォーターを飲むけど店では水道水を出す、という例を記述しました。

水道水は危険ではないですが、オーナーから「私と家族はミネラル・ウォーターしか飲まないんですよね」と言われれば、客は「商売だから仕方ないけどね」とは思いつつも「いい気分」はしません。「じゃあ、もうこの店には来ないよ」って人もいるかもしれません。
だからオーナーもわざわざ言いません。でもオーナーが高い金を出してミネラル・ウォーターを買って飲み、店では費用対効果を考えて水道水を出しても倫理的に非難されるわけではなく、資本主義であり且つ自由主義の下では許される現実です。


もともと管理人様の、「都市の消費者」「田舎の農業者」という切り口を重要視していませんということを私は申し述べました。その理由が「田舎の農業者」も多くの食べ物については一消費者だから、消費者対農業者という対立構造を想定して「温度差」で説明することは適切なアプローチではないと思うからです。

その上で、農業者が一消費者として自分の目が届かない農作物や海産物を購入し口にする際、「自分たちが作った物は安全だが、私の目が届かないところで生産された物は不安だから放射能は安全だとアナウンスされた食物でも食べません、買いません」という農業者がいたとしてもそれを非難したいわけではなく、資本主義で且つ自由主義の下では自分たちを守るという選択として許されはするし、私はむしろ自然だとさえ思います。

その上で、非難はしませんが、一消費者としては自分の目が届かないところで生産された物は不安だから食べませんというなら、その農業者が生産した物は大丈夫だから信じて欲しいと言われても信じる義理も、その農業者が生産した物を大丈夫だと信じる合理的理由も見当たりません。

まして農業団体で働いておられる北海道様のように、私の「負の実績がある以上アナウンスされても信じることは難しい」という意見に対し、「安全でない物を『安全だ』とアナウンスする事はあり得ません」と牛肉汚染問題がそもそもなかったようなご主張がなされるので、ますます信じられません。

「私が誰を信じないか」という問題が「私が誰を信じるのか」という問題に差し替えられ、一人か二人の特殊な人間に分類されましたが、私一人か二人の問題であるらしいので、それなら北海道様には何もご心配されることはない、ということです。


山形さんのコメントはキツくないですよ。
というのは、私がこのコメントに最初に書きましたように、私は農薬を使うことそのものを否定しているわけではないからです。

放射能の問題に戻しますと、そもそもの古米の相場が急騰したというニュースのように、古米を買う、東北・関東以外の米を買う、味は落ちても輸入米を買う、パスタを食べるなど、個人としてはさまざまな対応策があります。古米も東北関東以外の米も輸入米もパスタも、農薬は使われているでしょう。それでいいんです。

山形さんには申し訳ないのですが、今回のやり取りを通じていろいろ学びましたので、ご一緒に研究をするというのは出来ません。

山形さん、どうもありがとうございました。

誰も信じられないのであれば、自分で検査なり精査なりして、自分の食べ物を調達すれば良いだけのことですね。
放射能の事について言えば、今回の原発事故以前では、食肉に対する検査は、左程と言うか、殆どなされていなかったのではにかと思います。
野菜に関しては、かなり厳しく検査されていたから、初期のホウレンソウなどの問題が出たのではないでしょうか?
北海道様が言われた、安全なものしか流通に乗らないと言うのは、恐らく、ポジティブリストを意識されての発言ではないかと推察します。
安全(規制値以内)な農作物しか出荷できませんから、流通に乗っていると言うことは、その作物が規制値以内(安全)であると認識しても、何ら非難されることではないと思います。

牛肉のセシウム汚染は、その供給源のワラの問題と、検査機序の不作為により発生したものであり、それが、安全とアナウンスしながら安全ではなかったので
信じることが出来ないと言うのはいかがなものでしょうか?

絶対的な安全・安心を求めるなら、自分で田植えをし野菜を育て、家畜を飼い、漁に出られる事をすすめます。自分で作り育てたモノなら、誰を信じることもなく安全・安心を具現化出来るはずです。

そうしても尚且つ、放射性物質検査を行わなければ、安全・安心が得られないのが、今の日本ではありませんか?

一宮崎人様

内容的に私の立場を前提としているコメントと思われますので記述します。

私は「誰も信じられない」とは書いておりません。

北海道様により「私が誰を信じられないか」の問題が「私が誰を信じるか」の問題に差し替えられたと記述しましたが、一宮崎人様にも分かって頂けず驚いております。

私が信じるのは、私が信じないと判断した以外の人、組織、制度、考え、アナウンスなどです。
管理人様が仰っていたように、信頼関係を前提として物を買って食べています。その上で信頼できないと思ったものを順次外していきます。

信頼できないと一度は思ったものについて、自分の思い違いが原因である場合もあるでしょう、あるいは信頼できないと判断した対象が信頼回復手段を講じたことにより信頼できると判断が変わることもあるでしょう。

「私が信頼できないもの」と「私が信頼できるもの」は言葉の上では表裏一体ですがそれは表面的な捉え方なのです。

なぜなら、繰り返しになりますが「食品として売られているものを信頼して買う」という大前提があって生活してきたわけです。
買い物をする際いちいちゼロから「信頼できる、できない」を判断して買うわけではありません。
従って外したもの以外はその時点では信頼できる、ということになります。

付言すれば、私は山形様を信頼しております。
なぜなら「アナウンス」の意味についてご同意頂いたからです。

牛肉汚染問題について「いかがなものでしょうか」と指摘され、その結果として「絶対的な安全を求めるなら」と論理展開されていますが、「私が何を基準に何を信頼しないか」の問題は私の選択ですし、だからといって「誰も信じない」というわけではないことはこのコメントに記載した通りです。

南相馬市の肥育農家の行為は、許される行為ではありません。例の預託制度があるにせよ、飼料が不足していたにせよ、放射性Csを含むと明らかに分かるものを牛に与え、出荷した行為、これは、許しがたい。
この農家の行為は、めぐさんご指摘に通り、信頼関係を失墜させる行為です。言い訳のしようがない。

しかし、宮城県の北部の稲ワラに放射性Csが含まれ、全国に広まってしまった問題は、また別でしょう。何故なら、あの時点で、宮城県の北部に放射能の影響が出ていることを疑う人がいたとは思えないからです。放射性物質を含むかどうかを理解して出荷したのなら上記と同じ行為ですが、私は、この問題は、不可抗力に近いと思いますね。あの当時、風は、北風や西風が多かったわけですし。
別に、安全だとアナウンスしている認識はないにせよ、今までどおりやっていただけでしょうから。この業者を責めることは出来ないと思います。

今、何ができるかと言えば、無論、信頼回復ですが、ではどうしたら信頼回復が出来るのか、言葉尻を突くのではなく、もっと、消費者と生産者が建設的な意見を交換することが早道ではないでしょうか。
今、行われようとしている全頭検査ですが、これを行えば、たとえ出荷停止になっている県産の牛肉でも出荷できるようになるのかどうか、消費者はそれを信頼回復されたと解釈してくれるのかどうか。

私は、和牛繁殖農家ですが、このまま、牛肉の消費が落ち込めば、近い将来、外国産の牛肉に押され、二度と立ち直れなくなることを危惧します。ご存知だとは思いますが、一度、廃業すると、肉用牛に関しての再開は、極めて困難な道なのです。
風評被害は人の心が作り出すものです。人の気持ち次第で、我々の生業は、吹っ飛んでしまう極めて脆弱なものなのです。

管理人様

ご回答ありがとうございます。
お返事遅くなりましたが、私は親の教育もあってか、国産品至上主義者(笑)といっていいほど、子供のころからなるべく国産品を買ってきたものです。

だから正直なところ、放射能の被害により、国産品の生産者の方達が打撃を受け、輸入品に気おされるようなことがあってはまずいと危機感を抱いています。

しかし見ているとどうも今回、政府の対応に疑問が多すぎると感じられます。放射能汚染対策に消極的な上に、汚染藁や肥料を全国に流通させたり・・。(せめて全国に汚染を拡大するのはやめて欲しいのですけど・・。)

消費者も人事に思っていてはいけません。

健全な食品を自国で生産なくなった国がどんな大変な状況におかれるか、想像してみましょう。輸入品は防腐剤の使用が多い上に、生産過程もますます把握しにくいものです。そんなものを食べなくてはならない上に、食糧を得るのに外国の顔色をうかがわなくてはならなくなります。

政府があのていたらくである以上、国内の生産者と消費者に強い自覚と覚悟が必要になっているのだと思います。(かといって政府を甘やかしていいというわけではありません・笑)

すみません、もう少し説明が必要かと思うので追記します。

今回、放射能汚染に関して全責任は政府と東電のみにあると思います。

だから極度に故意の行為以外は、生産者も消費者も互いを非難しては、問題の解決を遅らせることにしかならないのではないでしょうか?

これほどの事態だから混乱した事も起きます。しかし「全責任は政府と東電のみにある」を忘れて、安易に当事者を非難する行為が双方ともに多すぎるような気がします。これが無用な軋轢を生み、事態をいっそう悪化させているように思います。

Cowboy@ebino様
W様

お二人のご指摘中に、私がそもそも取り上げたかった論点が出てきておりますので記述致します。

お二人とも農家の責任という観点から考えられています。
Cowboy@ebino様は南相馬市の肥育農家の問題と稲ワラの問題を分けて考察され、前者は農家が悪いが後者は不可抗力に近い、と分けていらっしゃいます。
W様は「全責任は東電と政府のみにある」とされています。


以下は私の考えです。

消費者の立場から言えば、肥育農家の問題と稲ワラの問題は同じ。「全責任は東電と政府のみにある」と考えても同じなのです。

近代国家は民事責任、刑事責任について「故意または過失がなければ責任を負わない」という原則を採用し行動の自由を保障しています。
しかし今回の放射能汚染問題の場合、消費者は農家の民事責任・刑事責任を追及しようというわけではありません。「不安なら買わない」、それだけのことです。

農家で生産されてから流通に乗って小売されるまでのプロセスには、プロが関わっています。農作物についてアマチュアである消費者は「プロが関わった上で今この店頭にある物」を信頼して買い、口に入れます。

放射能に汚染された可能性があるから不安だ、と思えば「その汚染に対する責任の所在がどこにあれ、不安だから買わない」ということなのです。「店頭に並ぶまでのどの段階で誰の責任で放射能汚染されたのか」は消費者には直接は関係ないことです。

農業者から見れば納得できないかもしれません。
しかし消費者が何を買うかは自由です。買わないからといって、農業者をバッシングしているわけでもなければ、農業者を非難しているわけでもありません(農家に故意・過失がある場合は非難する人もいるでしょうが、それは別問題)。農家に対し民事責任・刑事責任を追及しているわけでないのだから、故意・過失が農家にあるか否かという法的責任があるか否かを考察する際に必要なフィルターは必要ないのです。

例えば、腕のいい手術医が全く過失がないのに事故に遭遇して突然手が痺れるなどの後遺症が出るようになれば、患者はその医者の手術は受けません。医者にしてみれば自分に責任はないわけですが、手術は出来ません。
だからといって患者はその医師と対立しているわけではない。


消費者は顧客です。
顧客だから何でも言っていいわけではありませんが、店頭に並ぶまでの見えないプロセスに対して今までは「信頼して」買っていたわけです。
その信頼が崩れたから買いません、という選択に対し、「自分たちには責任がない」「消費者にバッシングされている」「消費者が生産者を非難している」と農業者が言っているのが現状だと認識しています。

W様は「生産者も消費者も互いを非難しては」とおっしゃいますが、少なくとも私は非難する意思は全くない。原発事故そのものについて農業者に責任はないことは明らかですからね。でも「非難しないから買います」という話でもない。

さて今後の問題ですが、農業者は自分の生産物を売る必要があるので放射能問題を調べたり様々なことをされると思いますが、消費者は「その農業者の生産物を買う義務」はありません。

農業者が①「消費者は農作物の見えないプロセスに信頼を置いて食べ物を買って食べるので、汚染の原因者が誰であろうと不安があれば買わないものだ」ということ②「消費者が買わない選択をしても、農業者をバッシングしているわけでないこと、そして③「農業者は自分の生産物を売る必要があるから放射能問題などに時間を割くとしても、消費者はその農業者以外の農業者の農作物を買うという選択肢がある」、これらの点を認識することなく、農業者と共に『本当の敵・放射能』と戦わないのは消費者が状況を正しく理解していないからだ、ということであるようだから将来の見通しは暗い。

めぐさん。ここは掲示板じゃないですよ。
今日の私の記事を読んでからまとめに入って下さいね。

なんかブログ主と無縁なところで延々とやってるな~という気分で私は見ています。

めぐさん。

いやいやいや、南相馬の肥育農家さんと宮城北部から岩手南部の稲藁のケースは全く違います。
あなたがどちらにお住まいか存じませんが、時期的な気候考えたらまさか栗原市周辺まで高濃度のフォールアウトなんて想像しませんって。
データが出てきたのはずいぶんと後のことですし(完全に政府が悪い)、あの辺は震度7~6強食らって長期間の全域停電。
家の中を片付けたり応急措置するので手一杯。
更に寒さと深刻な燃料不足。とても外の稲藁まで手が回らなかったでしょうし、農水省から餌に関する通達が出たのが3月19日でどのみち間に合いません。稲藁との明確な記載もありませんでした。
しかもインフラ壊滅状態で、どれだけ周知されたかも疑問。

このあたりは、こちらのブログのちょっと前のやりとりを見ていただければ分かると思いますので是非コメントをチェックして頂きたい。

私は南相馬の場合もむしろ同情的ですらあります。
預託システムで餌は預託元から供給される仕組みだった。しかも避難勧告地域外なら、目の前で飢えた牛に藁を与えても大した問題は無いだろうと思ったとしても不思議はありません。
出荷~流通にノーチェックで乗ってしまったことが残念です。やはり政府の動きが遅すぎました。


出荷されてお店に並んでいるものなら当然安全なはず(いわゆるアナウンスですね)だと、消費者は信じて購入するという点では同意致します。
今回の出来事でその信頼は大きく揺らいでしまいました。

ただ500ベクレル/Kgというなんだか大雑把な暫定基準ですが、ギリギリセーフの肉(実際、そんな表示はされませんが)でも私なら迷わず食べますが…。それはあくまで私個人の判断ですから、食べずに敬遠する方の気持ちも解りますからそれこそ自由です。
毎日バカ食いするわけでもなく、1キロで0.008μSv程度です。
ご心配な場合は、BSE騒動の時に構築された個体番号識別システムを利用したセシウム藁を食べたかもしれない牛の確認がネットでできます。心配ならご確認下さい。

むしろ福島の線量の高い地域の子供たちの呼吸器からの被曝が心配。
やはり子供は公園や野原を元気に駆け回れるようであってほしい。


青空様。
考えたくもないことですが、日本は完全に曲がり角に来てるんですね。
残念ながら、腹を据えるしか無さそうです。
この国難いや世界的な急激な変化をどうやって乗り切って行くのか、やはりそこに尽きます。

管理人様

掲示板でないので「まとめに入る」ということはありません。

私の考えへの誤解が多く、それらに対する説明に追われてコメントを重ねました。公開のサイトなので読む方が判断されるでしょう。

どうもありがとうございました。

誤解されたままではいけませんから・・・・
安全でないものを「安全だ」とアナウンスする事は有り得ません・・・と言いましたが、通常は生産履歴やポジティブリスト制度で、ガチガチの規制の中で生産出荷しています。
御指摘の、「流通に乗せたのだからアナウンスした事と同じ」と言う考え方までに及びませんでした。無知とはいえ結果として・・・
(消費者の方たちはそこまで考えるものなんだと今回勉強させてもらいました)
汚染牛肉問題を無かった事にする・・・と言う意図は全く有りません。

また、「私が誰を信じられないか」を「私が誰を信じるか」と問題の差し替えをしたとのご指摘ですが、差し替えの意図はありません。
一消費者であるめぐ様の意見は貴重です。
我々農業者が、消費者の信頼回復をするには、めぐ様の「誰を信じるか?」についての考えを聞く事は、今後の対応を検討する上で、必要と考えたからです。
業界外の人の意見(考え)は大変参考になります。
「誰を信じるか?と言うよりどんな事を行ったら信頼回復を図れるか?」と言った方が良かったかも知れません。
想いを文字にする事は中々難しいです。
ブログ主様のご指摘もありましたから、返答は不要です。

めぐさんとやら。君の言説は私の閾値に近づきつつある。90mSvくらいだ。

なにをいいたいのか私には分かりかねる。いろいろ言っているが要するに単に「消費者は危ないものを買わない。顧客である消費者を大事にしろ」というていどのことをペダンチックに言っているようにしか聞こえないんだがね。

君の言説は現実に対してなんの提案もない。私は今日(8月7日)それなりにしたつもりだ。

匿名で保護されているたぶんお若い君は、もっと自由に社会に提案できるのではないだろうか。
それをせずに農業をうんぬんして溜飲を下げているようにしか見えない。
今の農業くらい叩きやすく、反論できない社会的存在は他に東電くらいしかいないもんな。違うか?

ただ、私は「もの言う農家」だからね。そしてここに来ている常連さんもそうだ。

以後、同趣旨でこの日付のコメ欄に投稿しても無条件で削除するよ。だって、正直うっとおしいもん。みんな気がいいからつきあっているけどさ。

ただし、もう少し生産的ならおつきあいしますよ。

めぐ様

あまりにも遅レスすぎてもうご本人も読まれないかもしれませんが一応返答を。

「消費者が商品を自由に選ぶ権利がある」というご主張は、もっともです。

「放射能汚染の懸念がある商品を買わねばならない」という義務もない。そんなこと、当然です。

私が主張したいのは、「そこで終わるな。その先を考えろ」ということ。

放射の汚染された商品が買えないから、とただ放置していたら、商品が売れなくなった国内の生産者は弱ってしまいます。

今回の被害は空前の規模です。放置していたら日本産の農産物が危ない。あなたは極端な話、輸入品だけあれば、国産品が滅びてもよいとお考えなのですか?

どうしたら国産の商品を震災前と同様に無理せずに買えるようになるのか。

消費者の視点から生産者を支援できるアイデアを考えたり、具体的に支援したらどうか?ということなのです。

それは、国内の消費者の自衛のためでもあるのだ、と私は思います。

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