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2011年9月26日 (月)

福島に対して私たちがなにをできるのかを問おう。 福島からの重いコメント

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福島のta様から重いコメントをいただきました。欄外に転載いたします。ぜひお読みください。私は読みながら涙がにじんできました。読みやすくするために、適時改行いたしました。

私は谷津田に深い思い入れがあります。入植して初めて借りた田んぼも谷津田でしたし、初めて買った耕運機を、あまりの深田に壊してしまったのも谷津田でした。

田んぼの師匠から湧き水の場所を教えられたのも谷津田でした。この湧き水がなによりうまいことを知ったのも谷津田でした。、コナギと泥だらけで格闘したのも谷津田でした。

うだるような暑さの昼、泥だらけの手を湧き水で洗って、かぶりつくにぎり飯のうまさを知ったのも谷津田でした。

そこには、生き物が織りなす複雑精妙な世界がひろがっていることを知ったのも、谷津田でした。

そのような水と土とそこの生き物たちに拠って育まれた米は、実がしっかりと詰まり、輝くような照りがあり、世界でいちばん美味い米です。

私の農業人生の出発点のほとんどすべてがそこにあり、農業の喜びと苦しさを教えてくれた私の農の師匠でした。

しかし、今回の放射能事故で、もっとも大きな影響を受けたのが他ならぬこの谷津田でした。

谷津田は前回書いたとおり、周辺の山林から放射性物質の流入を受けやすく、いったん受けると滞留しやすい性格があります。

私の計測でも(*計測値は簡易測定のために公表できません。校正していないために誤差がありえます)、平坦な基盤整備した田んぼよりやや多めに出ています。

ホットスポットも平坦な場所より多く存在します。私はこの4月下旬に、今は返してしまったかつての私の谷津田を計測に行きました。

書きたくない数値でした。悔しさに体が震えました。

私は放射能を呪います。心底憎みます。原発を呪います。エネルギー政策といったレベルではなく、私の心が許せません。

政府を呪います。「なさざることの罪」を犯した無能な政府を憎みます。

今回の二本松の500bqの田んぼはまさにこのような谷津田で出ました。私がショックを受けたのは、「出た」ということそれ自体だけではなく、日本農業の隠された宝のような谷津田で出たという事実でした。

そしてその地域が、もっとも苦難の道を歩んできた土地であることを今回のコメントで改めて知りました。

放射能は、その土地のみならず、それまで汗を流してきた先祖の「時間」まで汚染したのです。

そしてその苦難故に、避難してきた浜通りの人たちを温かく迎え受け入れたのもその阿武隈山系の土地でした。

私たち日本人は今回の大震災で膨大な同胞を失いました。そして原発事故で、日本人の魂までを失いかかっています。

福島を助けようという声は弱く、福島を共に守ろうとする力はひ弱です。

国は復興を言いますが、福島や近隣県の放射能測定すらまともにしていません。実地測定すらしないで、なにがわかるのですか。ヘリで空から通り一遍測定しただけでてす。

除染は国が責任を持つといいながら、5000bq以下の土地に対してはなにひとつ政策を出していません。

当初福島に出された除染の予算はたったの5億でした。議員宿舎以下です。ふざけないで下さい。たった5億でなにができるのですか。

福島県民はほとんど独力で闘っています。私たち日本人は福島県を一人で闘わせてしまっています。

自分を恥じましょう。

そして「脱原発」などという今や誰でも言える毒にも薬にもならない免罪符を言う前に、なにが福島に対してできるのかを問いましょう。

            ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

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5000という線引きでダメならば4500かということになりますし、4500でダメならば、4000なのかということにもなります。今回の近傍で検知された4600よりも高い水田は市に存在しています。

作付けにゴーサインが出た4月上旬の時点で、主食である水稲は放射性物質の影響に関する研究データが多く、移行指数0.1は土壌による移行に差がないので、土壌のセシウムが5000以下なら安全側に余裕があるという説明でした。実際に現在までの検査結果で、3000Bqを超えていた地域の水田でもNDであったり、計測されてもごく少ない数値が多数です。正直今回の結果は・・・「えっ?ええっ??」という気持ちです。

感情論になりますが、今回の地域・阿武隈山系は、まさに里山の風景で・・・いわゆる中山間地域です。農業するのも大変な地域です。グライ土で排水が悪く圃場の整備も進んでいない地域です。

まさに谷津田です。生産性というよりも里山の生態系を楽しむことができる湿田といったイメージです。はさがけの自然乾燥をされる方も大勢います。

わずかな平地は田んぼ、自宅は崖の上なんていう地域です。私が子供のころは自宅の急な坂を稲藁を背負って登っていくお婆ちゃんがたくさんおられました。

子供のころは出稼ぎが多かったです。昭和55年の大雪を都心で心配していた大黒柱が何人いたことか・・・。

浜通りの方々の避難を最前線で支えた地域で、自宅を開放して何人もの人を受け入れていた人も大勢いました。

自身の車にガソリンが無くとも避難所にオニギリを握りに馳せ参じたヒトの住んでいる地域です。地元では「まめだんご」と呼称するツチグリ(きのこ)を、お味噌汁にして楽しむこともできなくなりました。恨み節になるので感情論はここまでにします。

こういった背景の地域で、綿々と行われてきた『例年通りの稲作』は通用しないということになりました。私個人としては、今回の突出した検査結果はイレギュラーなものだと思っています。

近くの水田は全然低い数値なんですから。本調査で結果は出るでしょう。良くも悪くも結果は出ます。でも『イレギュラーが含まれる』という事実だけで壊滅的なダメージです。

汚染はまだらであるから、一緒くたに『福島』とくくるヤツらは無知だという気持ちで今までいました。でもイザ私の身に降りかかった瞬間に『まだら=イレギュラーを回避できない』という構図に愕然としました。

管理人さんに反論とまではいきませんが、今日までの流れとして、役所の人が「近傍が4600Bqだから、今年は作付けしないでください。作付けしても500Bq/kgを超えてしまう可能性があります。」というのは不可能です。

結果として、~3000Bqの水田、それ以上であっても比例関係ではなく、これほどの高い数値は出ていないですから。正直、寝耳に水といいますか、何かの間違いではないのか?という気持ちです。

明日になったら「検査方法に問題があった」とか「試料採取に問題があった」という発表があるのではないかと思うくらい信じられません。でなければ風評を煽ることになりますけれど相当数のイレギュラーがあるということになってしまいます。

福島には安心を届けるアドバイザーがおられますが、我々が安心して生活し、我々が対外的に安全を発信するなんて無理です。例年通りに生活できないのに、安心するコトができましょうか?「生活に気をつけなければならない=なんらかの制限が加わる」という時点で安心なんてものはドコカへぶっ飛んでいきます。

私のような地域の人間が普段どおりの生活することで、福島県の、ひいては東日本の防波堤となっている気持ちで生活してきました。

子供のお友達も続々転校する中で、私達が逃げたら歯止めがきかなくなるという自負もありました。でももう心が折れそうです。

もう、脱原発でも原発推進でも何でもいいから、早く人とモノと金を全力投入してもらいたいです。でないと汚染の全容すらできないままになります。

■私からのひとこと。

「役所の人が近傍が4600Bqだから、今年は作付けしないでください。作付けしても00Bq/kgを超えてしまう可能性があります。というのは不可能です」

私はそうは思いません。4600bq出ていれば危機感をもたないほうがおかしいと思います。当時でも0.1の移行率という知見は知られていましたから。

行政がその段階で柔軟に対応していれば、今回の事態は防げたはずです。おそらく市行政はそのような「危ない地域」だと認めたくなかったのです。

認めることにより、農産物の風評が強まります。当時の4月は風評被害の真っ只中でしたから。

一方、当時、農民はまったく情報がない状況でした。行政が頼りでした。行政がゴーサインを出せばそれにすがりつくような気分でした。私の村もそうです。私もそうです。

だからこそ、行政はしっかりと農民を護るべきだったのです。将来の災厄に対して。


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原子力事故」カテゴリの記事

コメント

横浜で家庭菜園をやっています。1999年6月18日の志賀原発の臨界事故の経験者として、今回の福島第一原発事故に重大な関心を持っています。又、原発で家族を養ってきた者として、子供たちの将来に責任を感じています。
二本松市の阿武隈山中の谷津田の玄米の予備調査はサンプル採取日=9/12、 結果公表日 =9/23と11日間の間があります。通常1~3日で公表されていますから、充分な検証が行われたと思っています。玄米の汚染につてですが、学術的な玄米の移行係数は0.01であり、0.1ではありません。0.1は行政的な数値です。玄米の放射性セシウムの土壌からの汚染量は0.01×4600=46Bq/kg、残り454Bq/kgは、杉等の枯葉の落下によって稲の葉面に吸着したセシウムが吸収される葉面吸収と杉の林冠から降雨(林内雨)で林床に降下し、田の水に入り、稲が直接吸い込んだものと推定しています。川俣町の山木屋地区で行われた「森林内における放射性物質の移行調査」に具体的な数値があります。この報告書によれば充分に可能性があると思われます。詳細は、私のブログ「みまもりファームの栽培日記」を参照ください。勝手ながら、貴殿のブログに感激し、リンクさせてもらいました。お許しください。

放射線の知識も無いため、コメントは控えておりますが、放射線が検出された米の生産者が自ら命を絶つ事が無い様に願っております。
その為には、行政をはじめとして、周りの方々のフォローが重要だと思っています。
適当な言葉が見つかりません・・・

行政の発表する移行係数と学会の発表する物性値(学術的移行係数)があること自体、とても不思議ですね。
まさか、行政は、ご指摘のそういった樹冠からの放射性Csの移行などを考慮した係数を発表しているとも思えません。単に、10倍の安全率を掛けているんでしょうか。

あくまで主観ですが。

政府の初期対応はとにかく浜通り地方(30キロ圏)以外は大丈夫だと言って済ませようとしてたのでは?

膨大なインフラを持ち、離れている白河~郡山~二本松~福島といったメインラインは「大丈夫」ということにしたいがために。

早い時期から会津地方の牛乳や川魚からセシウム検出されていたのにもかかわらず、すでに作付許可を出した水田にはわずかな(都合のいい)希望を持って。
いざとなれば、役所は「基準」を盾に逃げられるし。

すでに中通りや会津の観光は壊滅状態です。
私は小学校の修学旅行は会津で芦の牧温泉宿泊でした。
中学の宿泊訓練では、猪苗代湖を見下ろす磐梯山青年の家でした。
沢山の素敵な思い出があります。

もう、悔しくてならない。

今、この二本松、阿武隈の中山間地域の方々は、とてつもない不安の中にいるでしょう。
米の検査が進み、思ったよりもセシウムの検出値が低く、不安の中での稲作がこれからは少し安心して行えると思っていたはずです。

私も農水省の移行係数0.1は安全率をかけ過ぎで、農業環境技術研究所の0.0026が実態に即していると思いました。そして、農水省が想定している以上に広い地域で、農業の復興はできると考えています。今でもです。
磯子の眠り猫様が色々なデータに基づき、不安のきっかけにもなる今回の数値について科学的に推定してくださるのは、非常に大事な事だと思います。
私たちの敵である放射能は目に見えず神出鬼没だからです。
今回の事態を受けて、農水省や福島県も本気を出して測定・検査を始めると思います。その測定・検査が、農家が身を守り、農畜産物への放射能の侵入を防ぐ方策に活用されていかねばなりません。

テーマとはかけ離れていますが

 先日、私の地元では小学校と小学校区民合同の運動会がありました。全校児童は30名程度の小さな学校ですが、今年も当たり前の様に秋空の下、行われました。
 本来であれば季節の違いこそあれ日本全国どこの地域でも見られ、子供たちの歓声が響き渡る。当たり前の光景であり、日常的な光景

何も心配することなく、日常を過ごしていけるありがたさ、ta様のコメントを呼んだ瞬間に改めて感じました。

ta様を含め、被災されたすべての方々に当たり前の日常を当たり前のように過ごす事の出来る日が一日も早く訪れる様切に願います。


玄米の移行係数は0.01、白米の移行係数は0.0026~0.0033です。
この違いは米糠にセシウムが集中するからです。
玄米500Bq/kgなら
白米195Bq/kg
籾がら228Bq/kg
米糠3605Bq/kg
稲ワラ3000Bq/kg
根31200Bq/kg
の放射性セシウムの汚染量になります。

磯子の眠り猫さん。
あなたが書き込んだていどの数値はとっくに知っているし、一部記事にもしています。
0.0026も農業環境技術研究所ものでしょうが、あの数値も現実の農地で実証されていない、いわば試験場の数値です。そんな程度はほとんどの私たち現地の農民は知っています。

この農水省と2桁も違う、かけ離れた二つの数値は現地を混乱させました。

しかし、現実に4600bq出た近辺で500bq出たという事実、つまり移行係数はかぎりなく農水省の公式数値である0.1にちかいのではないかということが私たちをおびえさせているのです。

実証されていない、つまり現実に福島で、あるいは茨城で実測した数値で見てください。

まずは現地の声を聞け。そしてなにができるのか自らに問え、と私が何度もいっているのに理解していただけていないのではないでしょうか。

お願いです。もう少し現地を見てください。数値の陰に隠れた農民の哀しみと怒りを理解してください。
あのような福島の重いコメントを読んで、いや読まなかったから、こんなに数値にだけこだわるのでしょうね。

涙を禁じえませんでした。先日バイクで走ってきた飯館村長泥地区の美しい谷戸の風景が目に浮かびました。どうか転載させてください。

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