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2011年10月 7日 (金)

放射線測定において、20ベクレル以下は「検出限界以下」なのが技術的現実だ

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昨日の記事は全編データだけでしたのでパスされた方も多いでしょう。しかし、。今後もできるだけ、放射能関連の一次資料を沢山収拾したいと思っています。
 
一次資料は、伝聞ではないことが条件です。そして簡易計測器ではなく、しかるべき公的機関、あるいは計測機関や大学で計測された数値が必須です。
 
このような地道な数値を拾い集めて、今何が起きているのか、どの範囲でなのかということを確定せねばなりません。
 
さもないと、徒に恐怖心のみを募らせて、福島県で作られた橋や花火まで恐怖することになります。
 
橋や花火はやがて人そのものへの差別に向かうでしょう。私はそれを恐れます。
 
さて、ある今週発売の週刊誌に川上未映子さんという女性作家がエッセイを書いています。
 
先日あった脱原発デモに参加したことを綴っているのとですが、その一節にこうあったのに引っかかってしまいました。彼女はこう書きます。
 
「依然として野菜から高濃度の放射性物質が検出されていた」。
えっ、と思ってしまいました。なんのことを書いてらっしゃるのですか?「野菜から依然として高濃度の放射性物質が検出」・・・?なにを根拠にそう言われるのでしょうか。いつの話です。
 
現在、いかなる県の野菜からも、「高濃度の放射性物質汚染」などは出ていません。
 
限定的にあるのは地衣類のシイタケなどだけです。3月4月ならともかく、そこまで状況は終息してきています。
 
なぜなら、東日本の野菜の放射能汚染の原因である空間線量が、0.02~0.08マイクロシーベルト/時にまで低下して安定しているからです。
 
福島県ですら、避難区域でこそ16マイクロシーベルト/時前後ですが、おおむね0.04~1.03マイクロシーベルトの範囲に収まっています。
 
このていどの空間線量では、野菜の外部被曝による汚染の移行は考えられません。
 
また、植物の内部被曝である土壌からの移行も、極小であることがこの間の経験で分かりました。
 
心配されていたイモも少なく、コメは特殊な条件でしか検出されませんでした。
 
特出して高い数値が出てしまった二本松市の米の500bqをして「高濃度の汚染」と呼ぶのかどうかは主観の問題としか言いようがありません。
この暫定規制値は私たち農家が決めたものではなく、政府が安全だと定めた数値であり、しかもドンピシャの数値ですから。
 
暫定規制値問題も何度も書いてきました。私や村の仲間のおおかたの意見は、「あんな高い数値は誤解の元だ。出ていないのだから下げてもらって結構」といったものです。
ところで、私がこう書くと、必ず消費者の方から「低線量被曝こそがもっとも危険だ」という声を頂戴します。
 
私には低線量被曝の危険を論じるに足る知見がありません。しかし、ひとつだけ指摘しておきます。
 
現在社民党などが、「東日本の全農産物にベクレル表示をしろ」と叫んでいます。馬鹿なことを言うものだと聞いています。
おそらくは、農産物が軒並み「検出限界以下」であることを怪しんでいるのではないでしょうか。
 
国会で除染の緊急の必要を訴えられた東大教授の児玉先生もいともかんたんに、流れ作業でベクレル表示ができる機械がすぐに登場する、といったことを月刊誌に書かれていました。
 
児玉先生の勇気と誠実さは疑うべくもないのですが、先生はあまり測定現場をご存じないようです。
 
私はとある放射線研究所の研究者に話を伺ったことがありました。それは私が20bq以下の「検出限界」に疑問を持って、さらなる精度を求めたためです。
 
その放射線研究所の専門家はこう答えました。
 
「なぜ、そこまでの計測数値が必要なのですか?20bq以下は測定誤差の範囲内ですよ。」
 
私が、「消費者が20bq以下の5~10bq以上の低線量被曝を恐れているからです」、と答えると、彼はこう続けました。
放射線は空間を浮遊する電気であって常に変化している 
「放射線測定は、石とかコンクリートのように体積がある塊を計測するものではありません。放射線は電荷をもったいわば電気です。しかも電線内部を流れているのではなく、空間を浮遊しています。ですからその時々で細かく変動します。」
ベクレルは極めて微量な単位であって、測定には高コストと長時間かかる。 
「そのような形がない放射線を、しかもベクレルという極めて小さな単位で計測するとなると、現在の放射線測定機器では最新のものを用いたとしても、相当な時間かかります。40分から数時間です。当然コストも極めて高くなります」
放射線測定には誤差が出る。低線量は誤差の範囲内である。 
「放射線測定の専門家なら100bq以下の測定には必ず誤差があると言うでしょう。誤差は20%といわれています。」
「これは放射線の性格上そうなるので、どんな高い測定器を使っても同様な誤差はありえます。」
放射線測定は「安全の確認」のためにあるのではなく、ホットスポットを見つけ出すスクリーニングの技術である。
「そもそも放射線測定の技術は、安全を保証するために出来たのではなく、逆にスクリーニングでホットスポットを見つけ出すための技術なのです。」
「スクリーニングというのは、ひとつの集団の中から、一定以上の放射線量を持つ危険なホットスポットを見つけ出す技術のことです。」
線量は依頼されれば計測できるが、測定誤差が一定範囲内でありえる。
「今、低線量被曝が問題になっているのは私も知っていますが、純粋に測定技術上の問題として20bq以下を求められても、現在の測定技術では測定誤差範囲内ですが、それでよろしければやります、としか言えないのです。」
流れ作業的にベクレル測定はできないことはないが、非常にラフなものになって低線量測定には向かない。
「流れ作業のラインにベクレル測定する機械はできますが、相応に粗いものになります。おそらくは100bq以下は検出限界以下となって、それ以上を弾き出すスクリーニングが可能なていどの装置でしょう。暫定規制値以上の農産物を見つけ出すスクリーニングには利用できます。」
これが放射線測定の現実です。この現実を理解した上で、低線量被曝問題を語らないと、おかしなことになります。
■写真 カラスウリの花とカタツムリの子

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原子力事故」カテゴリの記事

コメント

うわーこれって数値がどうであろうが怪しいものは避けるという消費者の行動が妥当だったってことじゃないですか。
もし低線量被爆を避けたいとなったら検査の結果にかかわらず怪しいと思われる産地のものを避けるしかない。
この先健康被害がでてくるとしたら可能性が高いのは3月中の数値が公表されていなかった時点での被爆によるものが多いだろうとは思えますが、低線量被爆が原因でないとは絶対に言い切れない。
そうなったときに汚染されていると思われる作物がさらに拒否されてくる可能性は怖いです。

おっしゃる意味がわかりません。私は低線量は測ること自体が難しいのだ、と書いただけです。

それと「消費者の行動が妥当」かどうかという価値判断とはまったく別な次元です。

低線量が怪しいと思う地域の農産物を避けようがどうしようが、それはその人の勝手です。つまり選択の自由です。

それが正しいかどうかは私には分かりかねます。

「汚染されていると思われる」という意味も分かりかねます。その「汚染}という基準はなにですか?暫定規制値ですか?それとも恣意的な「危ないからあぶない」という各自の主観ですか?

あるいは某学者の5とか10bqですか。もしそうなら
そんんな数値は測ること自体が困難だという専門家の話を伝えました。

繰り返しますが、東日本の農産物を食べたくないのならどうぞ勝手になさって下さい。それは個人の自由です。ただし、それが科学的な根拠があるかどうかは別な問題です。

ぽんたさん。

どちらにお住まいか存じませんが、輸入食品でも食べて凌いでおいて下さいな。
輸入規制値知ってるんですか?しかも税関の検査なんかそれこそザルですよ。

あまりに今日のテーマとズレてるようなので、もう止めときます。

どれだけ技術的な限界を説こうが、絶対的ゼロリスク信者の方々には、何の意味のないことなのですね。現実には、絶対的ゼロなどの存在はありえないのに。絶対と思われていた、光の速度さえ、もしかしたら違うかもしれないと言う発見がなされているのに。
低線量被ばくに関しては、さほど気にする必要は感じないのですが。
生物の進化の過程において、遺伝子の突然変異を引き起こしてきたのは、放射線であったのではないかと思います。そして、その変化で環境に適応したのもが生き残り、適応できないものは淘汰されてきた。その過程の中で、人は、ある程度の放射線に対する抵抗力を手にいれてきているのではないでしょうか?
そう考えないと、四六時中自然放射線を浴びながら、人類が、多大な影響を受けずに現代まで生き延びてきたのが説明できない気がするのですが。
閾値は存在する気が、私はします。

全く違う話題ですが・・・

平成24年度 農林水産予算概算要求の概要
http://www.maff.go.jp/j/budget/2012/
の中に、こんなのがありました。

58.鳥インフルエンザ、BSE、口蹄疫等の効率的なリスク低減技術の開発(PDF:348KB)
http://www.maff.go.jp/j/budget/2012/pdf/b58.pdf

管理人さんへ
かなり誤解があったようです。妥当というのは正しいではなくて理解できるということです。
汚染されていると思われるというのは各消費者がそう感じるという主観の話です。
貴方が「消費者が20bq以下の5~10bq以上の低線量被曝を恐れているからです」と書いていたのでそれを受けての話です。そういう消費者にとって検査によって安全であることが証明できない(0も10も誤差のうちと言ってしまっているように受け取れます)、つまり許容できる低い数字を出すことで低線量被爆の恐怖を取り除けないということは、産地そのものを拒否するしかなくなるということは非合理的ではないと言いたかったのです。低線量被爆の危険性を科学的に判断してどうこうという話ではなく、それを避けようとしたら産地ごと避けるしかないという態度に対して実際の検査結果による数値で安全性を示せばよいではないかという考えが通用しない状況は変わっていないということです。
例えるならば有機無農薬栽培をしているところの作物と慣行栽培の作物を比べて、どちらも検出以下の残留農薬しかないといったところで、慣行栽培で当該農薬を使っていると言う事実のみでその作物が拒否されることは全然おかしくないということです。
僕自身は東日本の生産物がここまで拒否されている現実を目の当たりにして(ちなみに西日本です)今後実際に放射線による健康被害が現れてきたときに(先日も福島の子供から甲状腺数値に異常というニュースがありましたが)、実際には低線量被爆の危険性自体は少ないでしょうが、それが社会的混乱をもたらすくらいの恐怖をさらに植え付ける可能性は十分あると感じています。
放射線測定によって安全であることの確認はできないと書かれていますが、実際そのように行動している(またはしたい)消費者は少なくないです。10はイヤだけど5ならなんとか許せる、とかね。そのような人たちに「茨城の農産物で放射能検出限界以下(すなわち安全)です」と示すことで買ってもらえることは大事ではないのですか。
ノイローゼ気味の人を沢山知っています。それにしてもそんな低線量被爆を怖がるようなのはおかしいんじゃないか勝手にしろと言ってわざと放射能で精神的に追い詰められている消費者をあざけるような態度はとても共感できないです。
自分は違いますが、もし東日本の農産物を食べたくない理由というのが、怖いから、ならばそれを解消する方法はあるはずだと思います。

誤差もあるのでしょうが、経費・時間がかかっても福島県の検査は20Bq/kg以下の数字を出しています。が、様々な理由から、全国的には20に横並びで揃えようとする感じがします。
技術・時間・コストなどの理由があるのでしょう。
それならそれで、きちんと政府は説明する必要があると思います。

この件と二本松の500Bq/kgの米に関して、興味深い河北新報社の記事がありました。
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/10/20111007t65007.htm
記事全体が注目すべき内容ですが、特に後半の
「農業環境技術研究所のデータによると、玄米中の放射性セシウム濃度は最高だった63年で、全国の平均値は11.5ベクレル。最高地点では20.4ベクレルだった。福島の濃度は、検出下限値の設定で変わるが、それでも平均で10~20ベクレル台。このことから、福島の玄米の汚染度は過去にわれわれが体験し、健康被害報告のなかった領域にとどまっていることを示している」は、冷静に考察してみる必要があると思います。以前、濱田様も同じ様な事を述べていましたよね。

核実験が如何に犯罪的であるかを示しているのかもしれませんし、私たちの癌の何%は核実験に起因していたかもしれません。しかし過去にも、私たちが放射性物質に汚染されていた中で生活していた事実にも気付き、今回の原発事故と比べて対処すべきでしょう。
放射能に関しては分からないことばかりなので、確かにこれ以下なら安全と言い切れません。でも、私のような田舎で暮らす者が思うには、20Bq/kgの食料中の放射性物質よりも、おそらく東京・大阪の汚い空気や水の方が、子供たちには深刻な被害をもたらしているような気がします。


南の島さん。
核実験の放射能問題はデータを出してかつて記事にしました。低線量の時期が60年代にかなり長期にあったことは事実です。

ただそれとガンのデータで有意な対照がありません。あったらお教えください。
まさにわたしは子供時代、いまどころではない「低線量被曝の時代」に幼児期-少年期を送ったわけで、個人的にも関心があります。

20bq以下も出せば出ます。ただその信頼性が低いということです。これは実際毎日測定している技術者なら皆そういうはずです。

あとは仮に出したとしても、信頼の確保になるかです。たとえば10bqと出てもそこまで低く数値を設定すると、何度か測ってみるとそれごとに違った数値が出てしまいます。

分解能が高い優秀な器械ほどそうで、一回ごとに違った数値を出します。すると今度はどれが正しいのかということになってしまいます。

5回計って平均を出すという手もありますが、現実に一回3万円(通常料金2万+特別料金1万)もかかる計測を1検体あたり5回計れというのは不可能です。

というわけで、わが国では20bqをもって「検出限界以下」と一種の取り決めをしているのです。

ご理解いただけましたでしょうか。
ポンタさんは大分お怒りのようですが、できることとできないことというのは、実際あるので、できないことまでやれと言われても私たち一民間人にはどうしようもありません。

核実験真っ盛りの60年代でも米は1ベクレル単位まで測定していました。当然試料を灰にしてゲルマニウム半導体検出器で何日も掛けて測定していたと思います。学術研究レベルならなんでも可能ですががALARA原則には「合理的に達成可能」という但し書きがあり、社会的、経済的要因が加味されれば意見が分かれるのは当たり前だと思います。

あとショウジョウバエに放射線を浴びせたり、ゲノムそのものを改変しても「新しい種」は生まれません。せいぜい奇形のショウジョウバエがでるくらいです。
「海のあさりの中にも人間の眼玉をつくるゲノムがある、しかしあさりに眼球ができるわけではない」(多田富雄)、「記号」は同じでも種によってはたらきが違う、まことに生命ははかり難し。だから放射線の影響を同定するのが難しいのです。

汚染が全くなかったとしても、
日本人は自然に含まれている放射性物質をセシウム137換算で80ベクレルくらい毎日食べている。
検出限界以下をコストと時間をかけて調べるのは無駄です。

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