年の瀬になると思い出す一杯。ヤンバルのオジィの沖縄そば
ほんとうに長い1年でした。こうして平穏な大晦日が迎えられるのが嘘のような気分すらします。改めてこの拙いブログをご支援いただきました皆様、そしてお越しいただきました皆様に心より感謝を申し上げます。
などと書いているとホウシャノウという文字が脳裏に明滅してしまいますので(苦笑)、かくてはならんと今日は沖縄の年越しそばのお話。
沖縄には、「沖縄そば」という面妖なものがあります。上の写真はわが家の沖縄そばですが、ご覧のとおり蕎麦粉などは耳掻き一杯も入っていません。
蕎麦はその気になればヤンバルでできそうなものですが、島内で「そば」といえば問答無用にこれです。これしかありません。すばともいいますが、私が居た時には「沖縄そば」とだらだら言う奴はいなかったな。
ただ、きっぱりと決意を眉間に込めて「スバくれ!」。これが島の男さぁ(←てなもんか)。
いわゆる日本そばは「黒そば」という気の毒な名前で呼ばれていて、ほぼまったく食べないのではないでしょうか。私が居た頃は日本そばの店は、那覇の松尾に一軒しかありませんでした。なんかカトマンズの日本食レストランという雰囲気。
ちなみにラーメン屋は太陽軒という店がただひとつでした。懐かしくて、ヤンバルから那覇に上京するたびに食べていました。今は増えたでしょうね。
沖縄そばは、麺はラーメン文化圏のものですが、出汁が日本そば文化圏、それも関西そばのものです。
腰のある平打ち麺にカツオだしのお汁、具にはカマボコ(カマブク)と三枚肉がデロンと乗ります。今日は写真に撮るので、見栄を張って3枚乗せてみました。普通は1枚で充分です。
そしてマストノットアイテムとしては、紅生姜とわけぎ。これがないなら食べないほうがましというものです。三枚肉はサイフの都合で入れなくとも、これは入れましょう。
写真右の瓶はヒバーチ粉です。原音忠実主義で言えばヒファーチ粉です。島胡椒のことで、八重山特産のペッパー類の一種らしいですが、風味はまぁ嗅いでみて下され。強烈エスニックです。
いわゆる私たちナイチャーが知っている胡椒とはまったく似ても似つきません。クセになります。実は私はこのヒーバチ粉を石垣島で知り、以後肌身離さず持ち歩いていた時期があります(←オーバー)。
八重山ローカルな香辛料で、本島ではまったく使いません。本島では島唐がらしことコーレーグースーを死ぬほどかけて大汗をかきながら食します。
要するに、鰹出汁の効いた塩味ベースのスープに、カンスイが入りうどん、それにラーメンのようなトッピングが乗る、というところでしょうが、説明すればするほど、まぁ現地で食べて下さいというしかない沖縄人のソールフードです。
この中華風と和風のフュージョンがいかにも沖縄風で、この島の歴史の両属性を象徴しています、な~んてつまらない講釈はさておき、私はこれをヤンバルの山奥から名護に出るたびに食べていました。
岸本食堂という、今や観光ガイドにも出て本土のネイネイまでがやって来るお店になってしまいましたが、当時から「輝け!ソーキそば発祥の店」として有名な存在でした。
あの小ぶりな丼からはみだうそうになる、というか現にはみ出している骨つきソーキ(アバラ肉)の層をかき分けるようにして食べるソーキそばは、お好きな方にはたまりませんが、本土のお客さんはだいたい食べ残すようです。見ただけで腹一杯になりそうですもんね。
ところでこの沖縄そばは、起源はやたら古いのだそうですが、戦前は小麦が島内で取れないために内地からの輸入で、そうそう庶民がめったに口に食べられるようなものではなかったそうです。
盛んになったのは戦後に米国が大量に持ち込んだ余剰小麦がガバガバあったからで、それに先島特産のカツオ節のだし汁をかけたわけです。
本来の沖縄そばの麺はカンスイを使わずに、ガジュマルの灰を使います。私の住んでいたヤンバルのオジィは車など持っていなかったために、そばは自分で打っていました。
一度だけ年の瀬にお相伴させていただいたことがあります。麺から打つのですが、カマドにある灰をかき集めてその上澄みを掬い出します。あれはイジュの枝だったような、ま、いいか。
そしてこの灰汁汁を入れながら小麦粉を打ちます。灰汁を練り込む以外はまったくうどんと一緒ですね。
練って寝かせ、伸ばして折り畳んで、ザクザクと切っていくわけです。いや太かったですね。ただでさえ太打ちの沖縄そばが、超々太打ちとなり侍り。
しかしオジィが根性を入れて打っただけあって、バラバラになることもなく(なったらスイトンだ)、えらく腰のすわった沖縄そばになりました。麺はヤンバルの樹の灰汁で染まってほのかな美しい黄色。
超々太打ちとあいまって、もはや見た目はほとんどカンピョウみたいでした。
これに朝からガリガリと私にかかせたカツオ節が参ったかというほど入ったカツオ節臭い、いやもとい、黒潮の香りも高い汁に、そこにオジィの汗がしみこんでいる(しまった。思い出してしまった)噛むと快くプチッと切れる麺がまた最高の沖縄そばでした。
具ですか。共同売店で買ったカマボコの切れ端が乗っていたような。ワケギはニラだったような。さすがニラは勘弁なので、どかして食べた記憶があります。紅生姜?そんなものはハナっからありません。
しかし、それまで食べてきた沖縄そばで、最高の一杯だったことは確かです。オジィが上機嫌で、ウサガミソーレと言って出してくれた年越しそば。親指が漬かっていたような気がしますが、年の瀬になると今でも思い出します。
皆様、来年が良い年でありますように祈念いたしております。来年こそ、この列島に住むすべての人が幸福で、支えあって暮らしていけますように!
■写真 沖縄そば。どんぶりもヤチムンです。島に住んでいた時にはディテールにはこだわらなかったのですが、離れると、つい。今夜も紅白を見ながら食べるとしましょう。
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