福島原発事故民間事故調の調査報告書 福島原発事故は人災だった
待ちに待った福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)の調査報告書が出されました。
既に去年暮れに出されている政府事故調の中間報告書は、事故原因の核心部分である政府中枢の危機管理対応にふれないで、技術的な失敗のみ列挙するという政治的圧力すら感じるような内容でした。
このまま政府事故調がこのトーン、つまり政権与党に配慮して臭いものに蓋の最終報告書を作りあげたのなら、この巨大原意発事故の真相は公式には永遠に葬られてしまいます。
それに歯止めをかけるようにして、民間から自由な立場で客観的に分析する事故報告書が出されたことは大いに歓迎できることです。
これで腰が引けた政府事故調も、これらの民間事故調の指摘を無視して最終報告書を作ることはできなくなりました。
3月12日以降の国家的非常事態において、官邸が「パニックと極度の情報不足」(報告書)に陥り、「テンパッた状態」(同)になったことが描かれています。
「今回の福島事故直後の官邸の初動対応は、危機の連続であった。制度的な想定を外れた展開の中で、専門知識・経験を欠いた少数の政治家が中心となり、次々と展開する危機に場当たり的な対応を続けた。決して洗練されていたとはいえない、むしろ、稚拙で泥縄的な危機管理であった。」(報告書)
この極度の混乱状況の中で、菅首相は理性が吹っ飛んだ半狂乱状態になっていたことも報告書に記されています。
首相は、一切の助言に対して「言い出したら聞かない」(報告書)状態となり、過剰な政治介入とスタンドプレーのみに奔走しました。
たとえば、12日ベント準備に全力を尽くしていた事故現場に突如「陣頭指揮」に行くと言い出し、官邸内部でも枝野官房長官など多くのスタッフが反対をしたにもかかわらず、首相は聞く耳をもたず強行しました。
当時東電は、ドライベントが大量の放射性物質を吐き出すことを承知しており、、10㎞圏内の避難完了後に実施する方針を固めていました。
これを首相は「なにをグズグズしているんだ」と激怒し、「陣頭指揮」(首相の国会答弁時の表現)に向かったのです。
一分一秒でも惜しい事故現場の修羅場に首相自らが乗り込むという前代未聞のパーフォーマンスを聞いた吉田所長はこう言ったそうです。
「私が総理の対応をしてどうするんですか。」(報告書)。
事故現場にヘリで乗り付けた首相は、武藤副社長をどなりつけ、わめき散らし、吉田所長の「決死隊を作ってでもやります」というひとことを聞いてやっとお引き取り願えたそうです。
このことについて、報告書はこう述べています。
「官邸の決定や経産相の命令、首相の要請がベントの早期実現に役立ったと認められる点はなかった。」(同)
また、冷却機能喪失、炉心融解に直接結びついた電源喪失に対して、官邸は東電の頭越しに40数台の電源車を送りましたが、GE製の特殊なコネクターのために使用ができないという信じられない大ポカを引き起しました。
これを報告書はこう述べています。
「官邸では福山副長官がその手配を中心的に担当し、どの道路が閉鎖されているかが分からないので、各方面から40数台の電源車を手配した。しかし、これらの電源車は事故対策にほとんど貢献しなかった。」
この報告書には書かれていないようですが、菅首相の思いついたヘリからの冷却水投下は、パイロットたちを危険におとしめただけでなんの効果も上がりませんでした。
これをテレビでみていた米国大使館内の「トモダチ作戦」本部は、「これが先進国のやることなのか」と唖然としたそうです。(ソース ケビン・メア「決断できない日本」)
また官僚組織は菅首相の強圧的、恫喝的とも言える指揮に恐怖し、まともな判断力を失って、ひたすら保身と責任転嫁のみに走ったことも分かりました。
たとえば、官僚はSPEEDIによる放射性物質の拡散状況を知りながら、それを官邸に形式的にFAXしたのみで、その情報の重要性は官邸の誰もが知らないという驚くべき状況だったようです。
私はこれを組織的隠匿だと考えていましたが、事態はもっと幼稚だったようです。
専門家として指揮を担うべき原子力安全委員会の斑目(まだらめ)春樹委員長もまた、菅首相に振り回されるような状態に陥りました。
「(菅首相の)強く自身の意見を主張する傾向が班目春樹原子力安全委員長や閣僚らの反論を躊躇させた。」
12日午後3時36分1号機建屋が水素爆発をしましたが、それに対しても斑目委員長は、「あー」と答えたきり頭を抱えて判断不能に陥る状態だったようです。
その後のドライベントの避難地域の設定に対しても、既定の3キロでは足りず、はるかに大きな避難地域を設定せねばならないにもかかわらず、それを失念しました。
斑目委員長は官邸にいたほぼ唯一の原子力専門家だったにかかわらず、事態の深刻さと首相による強ストレスのために判断停止状態でした。
菅首相は、12日5時55分に海水注入作業を進めていた事故現場に対して、突如「塩水だぞ。影響を考えたのか」と叫び、作業の中止を命じました。
この明らかに誤った首相の介入に対して、斑目委員長は専門家でありながらそれを制止できず、対策会議参加者全員で首相を落ち着かせるリハーサルまで行うというマンガのようなことを官邸はしていたのです。
それにしても、暴走する原子炉を前にして、本部長(首相)を落ち着かせるリハーサルにうつつを抜かすとはのんきな危機管理もあったものです。
斑目委員長は報告書の中でこう言っています。
「私としてはもっといろいろなことを伝えたかった。」、「菅首相の前で大きな声で元気よく言える人は、相当な心臓の持ち主」。
議事録を作らなかったのは、「首相に録音の許可をもらうことが怖くて言い出せなかった」との官僚の声もあります。(産経新聞3月1日)
まさに狂える王とそのしもべたちに国家存亡の非常事態は握られていたのです。
結局、このパニックの中でただひとり冷静さを失わなかった吉田所長が、官邸と東電本店の命令系統を無視して独自に海水注入作業を続行していたために事なきを得ました。
これについて報告書はこのように結論づけています。
「官邸の議論は結果的に影響を及ぼさなかったが、官邸の中断要請に従っていれば、作業が遅延していた可能性もある危険な状況であった。」
このように菅直人という異常な精神形質を持つ男が、事故対応の指揮のすべてを強引に掌握したために、本来行われるべき的確な権限委譲がなされずに、事故リスクをかえって拡大してしまいました。
報告書はこう書きます。
「少なくとも15日の対策統合本部設置までの間は、官邸による現場のアクシデント・マネジメントへの介入が事故対応として有効だった事例は少なく、ほとんどの場合、全く影響を与えていないか、無用な混乱やストレスにより状況を悪化させるリスクを高めていたものと考える。」
しかし、当時わが国はまさに破局の淵にいたことがよく分かります。ぞっとしたのは私ひとりではないでしょう。
報告書の全文がネット上で公開されておらず、市販までまたねばならないために入手できないでいますが、各種報道による要約を掲載します。
■民間事故調査委員会報告書 第3章「官邸における原子力災害への対応」の冒頭部分「概要」の要約
「結果的にみて、官邸の現場への介入が本当に原子力災害の拡大防止に役立ったかどうか明らかではなく、むしろ場面によっては無用の混乱と事故がさらに発展するリスクを高めた可能性も否定できない」(P74)
電源車の手配(11日夜)……官邸では福山副長官がその手配を中心的に担当し、どの道路が閉鎖されているかが分からないので、各方面から40数台の電源車を手配した。しかし、これらの電源車は事故対策にほとんど貢献しなかった。
1号機ベント(11日夜から12日早朝)……少なくとも官邸の決定や経産相の命令、首相の要請がベントの早期実現に役立ったと認められる点はなかった。
1号機への海水注入(12日夕方)……官邸の議論は結果的に影響を及ぼさなかったが、官邸の中断要請に従っていれば、作業が遅延していた可能性もある危険な状況であった。
3号機への注水変更(13日)……官邸で海水よりも淡水を優先する意見が出され、東京電力の部長から吉田所長にその旨が伝えられた。(中略)淡水への変更は、結局ほとんど状況改善につながらず、経路変更で無駄な作業員の被曝を生んだ可能性があり、官邸の指示が作業を遅延させたばかりでなく、原子炉注水操作失敗の危険性を高めた疑いがある。
その上で報告書は、こう結論しています。(P98)
「少なくとも15日の対策統合本部設置までの間は、官邸による現場のアクシデント・マネジメントへの介入が事故対応として有効だった事例は少なく、ほとんどの場合、全く影響を与えていないか、無用な混乱やストレスにより状況を悪化させるリスクを高めていたものと考える。」
「政府のトップが原子力災害の現場対応に介入することに伴うリスクについては、今回の福島原発事故の重い教訓として共有されるべきである。」
当時の官邸内の様子を表すこんなエピソードも紹介されています。(P111~)
「ある官邸中枢スタッフは、原発事故に関して菅首相が「全然俺のところに情報が来ないじゃないか」と苛立ちを表明する度に、関係省庁が大急ぎで説明資料を作成して説明に上がろうとするが、説明を開始してまもなく「事務的な長い説明はもういい」と追い出されるパターンの繰り返しであったと述べている。」
結論として、官邸の初動対応についてはこう書かれています。(P119)
「今回の福島事故直後の官邸の初動対応は、危機の連続であった。制度的な想定を外れた展開の中で、専門知識・経験を欠いた少数の政治家が中心となり、次々と展開する危機に場当たり的な対応を続けた。決して洗練されていたとはいえない、むしろ、稚拙で泥縄的な危機管理であった。」
さらに、最終章「福島第1原発事故の教訓—復元力をめざして」は、こうも記しています。(P393)
「官邸主導による過剰なほどの関与と介入は、マイクロマネジメントとの批判を浴びた。菅首相が、個別の事故管理(アクシデントマネジメント)にのめり込み、全体の危機管理(クライシスマネジメント)に十分注意を向けることがおろそかになったことは否めない。」
(以上 阿比留瑠比記者のブログより引用)
■<福島第1原発>官邸初動対応が混乱の要因 民間事故調報告
毎日新聞 2月27日
東京電力福島第1原発事故を調査してきた民間の「福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)」(北沢宏一委員長)は27日、菅直人首相(事故発生当時)ら官邸の初動対応を「無用な混乱やストレスにより状況を悪化させるリスクを高めた。場当たり的で、泥縄的な危機管理」と指摘する報告書をまとめた。官邸の指示が事故の拡大防止にほとんど貢献しなかったと総括。緊急事態の際の政府トップによる現場への介入を戒めた。
民間事故調は、科学者や法曹関係者ら6人の有識者が委員を務め、昨年の9月から調査していた。東電側は聴取を拒否した。
報告書によると、原発のすべての電源が失われた際、官邸主導で手配された電源車が、コードをつなげず現地で役に立たなかった。枝野幸男官房長官(同)は「東電への不信はそれぐらいから始まっている」と、事故当日から東電への不信感が政府側に生まれていたと証言。報告書はこうした不信感が、官邸の現場への介入の一因になったと分析した。
原子炉格納容器の圧力を下げるため気体を外に出す「ベント」が遅れたことについては、東電が現地の住民避難の完了を待っていたことや電源喪失が原因だったと指摘。「官邸の決定や経済産業相の命令、首相の要請がベントの早期実現に役立ったと認められる点はなかった」とした。
1号機への海水注入では、12日午後6時ごろの会議で、注入による再臨界の可能性を菅氏が「強い調子」で問いただし、再検討を指示していた。海水注入は既に午後7時4分に始まっており、第1原発の吉田昌郎所長(同)は官邸と東電本店の中断指示を無視し注入を続けた。
報告書は「官邸の中断要請に従っていれば、作業が遅延した可能性がある危険な状況だった」との見方を示した。同時に、吉田氏の行動についても「官邸及び東電本店の意向に明確に反する対応を現場が行ったことは、危機管理上の重大なリスクを含む問題」と批判した。
一方、菅氏が昨年3月15日に東電に「(福島第1原発からの)撤退なんてありえませんよ」と、第1原発にとどまるように強く求めたことについては、「結果的に東電に強い覚悟を迫った」と評価した。
また、菅氏の官邸での指揮に関し「強く自身の意見を主張する傾向」が班目(まだらめ)春樹原子力安全委員長や閣僚らの反論を「躊躇(ちゅうちょ)」させたとの認識も示した。さらに「トップリーダーの強い自己主張は、物事を決断し実行するための効果という正の面、関係者を萎縮させるなど心理的抑制効果という負の面があった」と言及した。【笈田直樹】
◇民間事故調報告書の骨子
・首相官邸の現場介入によって、1号機のベント(排気)などで無用の混乱を招き、事故の悪化リスクを高めた可能性。介入の背景は、マニュアルの想定不備や官邸の認識不足▽東電や保安院への不信感▽被害拡大の危機感▽菅直人前首相の政治手腕など
・01年の米同時多発テロを教訓にした新たな規制内容を未反映
・菅前首相は昨年3月22日、原子力委員会の近藤駿介委員長に「最悪シナリオ」の想定を依頼
・地震当時、原発構内の作業員は「この原発は終わった。東電は終わりだ」と顔面蒼白(そうはく)
・緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)の運用や結果の公表を巡り、文部科学省が原子力安全委員会に役割分担させるなど責任回避を念頭にした組織防衛的な兆候が散見
・航空機モニタリングで、文科省と防衛省の連携が不十分
■福島原発事故独立検証委員会とは
東京電力福島第1原発事故の原因などについて民間の立場で検証しようと、財団法人が設立した組織。通称・民間事故調。委員は元検事総長の但木敬一弁護士ら民間人6人。研究者や弁護士ら約30人から成るワーキンググループがあり、菅直人前首相ら政治家や官僚ら300人余りから意見を聴取した。原発事故をめぐっては政府、国会、日本原子力学会なども独自に調査している。法律に基づいて設置された国会の事故調は、証人喚問といった強い権限がある。
■福島第一 対応「場当たり的」 民間事故調が報告書
東京新聞 2012年2月28日
学者や元検事ら民間人でつくる「福島原発事故民間独立検証委員会」(民間事故調、北沢宏一委員長)は二十七日、報告書を公表した。菅直人前首相らから事情を聴き、東京電力福島第一原発の事故当時、政府内部が混乱していた状況を詳しくまとめた。問題点として、場当たり的な対応、規制当局の能力不足、縦割り行政の弊害などを指摘した。
報告書によると、1号機の原子炉内の蒸気を放出するベント実施前に、避難区域が三キロとされたことについて、班目(まだらめ)春樹原子力安全委員長は「(放射性物質を含む気体を直接放出する)ドライベントは失念していた。ドライベントの場合、避難は三キロでは足りない」と述べた。
1号機の水素爆発時、班目委員長は「あー」と頭を抱えるばかりだった。民間事故調の聴取に「水素爆発はないと首相に話していたので、水素爆発だと分かっても何も言えなかった」と答えた。
官邸の危機感が頂点に達したのは、2号機の状態が悪化した三月十四~十五日。東電の清水正孝社長(当時)から福島第一原発からの撤退を申し出る電話が枝野幸男官房長官(当時)らに何度もあり、「まだやれることはある」とする官邸と対立。菅前首相の東電乗り込みにつながった。
一方で枝野長官らは近藤駿介原子力委員長に、事故が深刻になった場合を想定した「最悪シナリオ」を作るよう依頼しシナリオは九月の菅前首相退任まで秘密にされた、としている。
民間事故調は、シンクタンク「日本再建イニシアティブ」(船橋洋一理事長)が主導し、委員六人と約三十人の作業グループが調査に当たった。政府関係者を中心に三百人に聴いたが、東電首脳への聴取はできず、事故調は「協力が得られなかった」としている。
■首相がベント指示、「米ではありえぬ」 元NRC委員長
朝日新聞 2012年2月27日
東京電力福島第一原発事故の原因を検証する国会の事故調査委員会は27日、参考人として米原子力規制委員会(NRC)のリチャード・メザーブ元委員長を招き、米国の安全規制や事故発生時の政府の対応などについて聴取した。
昨年の原発事故の際、原子炉から気体を出す「ベント」を、当時の菅直人首相が指示した。メザーブ氏はこれを念頭に「米国では考えられない。大統領が決めることではない」と明言。記者会見でも「米国では電力会社が決め、NRCが許可をする。日本の政治家のほうが知識があるのかもしれない」と皮肉った。
■福島原発事故独立検証委員会 (民間事故調)について
福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)は昨年3月11日に起こった東京電力・福島第一原子力発電所における事故の原因や被害の状況、事故の直接的な原因だけでなくその背景や構造的な問題点を、民間の純粋に独立した立場かつ国民の一人という目線で検証してきました。
政府や国会の事故調査委員会とは異なり、既存の組織や枠組みにとらわれない自由な立場を生かして、今なお避難を続ける10万人を超える被災者をはじめ、日本国民、世界の市民に向けた検証報告書を作成しました。
福島原発事故の原因や被害の経緯を包括的に検証した報告書の発表は、これが世界初となります。
民間事故調の半年にわたる検証作業では、菅直人前首相や海江田万里元経産相など事故対応時に政務中枢にいた政治家や事故収拾に当たった当事者、事情を詳しく知るキーパーソンへのヒアリングを通じて、事故の原因や被害拡大の経緯について調査を行いました。
検証委員会は高い専門知識と識見があり、今回の事故に強い関心を持つ科学者、法律家、エネルギーの専門家計6人で構成されています。委員長は、東京大学名誉教授で、昨年9月まで独立行政法人・科学技術振興機構理事長を務めた科学者の北澤宏一氏です。
・福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)
委員長 北澤 宏一 (前科学技術振興機構理事長)
委員 遠藤 哲也 (元国際原子力機関理事会議長)
委員 但木 敬一 (弁護士、森・濱田松本法律事務所、元検事総長)
委員 野中 郁次郎 (一橋大学名誉教授)
委員 藤井 眞理子 (東京大学先端科学技術研究センター教授)
委員 山地 憲治 (地球環境産業技術研究機構理事・研究所長)
(以上資料中の太字はすべて引用者です。)
最近のコメント