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2012年2月28日 (火)

昨日は湖の水源を遡行してみました


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昨日、つくばの大学の先生と学生さんたちで、霞ヶ浦と北浦の水源地を歩いてみました。 

と言っても、たった数キロの範囲内におさまってしまうんですが。 

霞ヶ浦の水源の特徴は、水源地の森と里山がついそこにあることです。私の村の水源の里山など、湖まで北浦へ2キロ、霞ヶ浦へ4キロといった所です。 

ですから、簡単に遡行できてしまいます。ありがたみがないほどです。 

行方(なめがた)台地の中央を貫く開拓道路から下って、里山に分け入り、いちばん奥の谷津田の最後の一枚が、実は湧き水で潤っていることを見せました。 

ここから湧き水が、最初の四畳半ていどの猫の額のような一枚に溜まり、太陽の温もりをもらいながら、下の田んぼに水を手渡し、やがて広い田んぼに豊かな水を張るのを眼で確かめました。 

またわが村には、江戸時代に作られた溜め池がいまでも沢山あり、全部に「天神池」などの名前があることも分かりました。 

その溜め池には鮒やなまずがいて、農家がたまにおかずに釣ることも。おおきなナマズがほんとうにいましたよ。 

この溜め池があるおかげで干ばつの夏にも耐えられるし、大水が来てもいったんそこで溜め込んで下に大水を出さないスゴイ仕組みであることも理解できました。 

この水は細い農業用水を経て、小川に注ぎ、そしてそれらがもっと大きな川になることも見ました。

そしてだんだん大きな川になるに従って、その周辺に広い田んぼや畑が現れます。 

面白かったのは、村の住人の私も驚きましたが、川の流れの向きです。

ある川は北浦へ注いでいるのるかので東向き。別の地域の川は西に流れて霞ヶ浦に注いでいるのです。 

つまり、狭い地域で東西逆に流れる川が2本あるという不思議です。

まぁ地形でそうなっているわけですが、「弐湖の国」と自称しているわが地域の奇観でしょうか。でも、これ、村の人間は案外気がついていないぞ。

そして最後は、里山の水が集まる美しい湖周辺に到着し、水鳥の遊ぶ姿を堪能してもらいました。

私も自分の村の散策はひさしぶりなので、たいへんに楽しい一日をすごさせていただきました。

■写真 初夏の里山です。いまはもっと冬枯れの風景。イヌフツグリの可憐な青い花が畦道に咲いていましたね。

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コメント

誠に久しぶりで恐縮です。いつも拝見しておるのですが、なかなか入っていけなくて…。今、私は美人の仲間と一緒に(どうだ!(。・w・。 ))ボランティアの真似事をやっております。

さて、私の故郷にも「天神池」あります。ちょっと藪の中の丘の上にありました。やはり溜池機能だったと思います。ガキのころはまるで秘境でしたね。今では絶滅危惧種の赤腹をしたイモリがごまんといて、そこは踏み外せば底なし沼だと言われておりました。夕方ごろになると、ガキ大将が当時のテレビ番組の「恐怖のミイラ」なんぞのハナシをしたりしまして、飛ぶように逃げて帰りましたよ。なにしろ、町からは遠いところで。その辺は小学校の遠足の通り道にもなっていました。

3年前、おふくろの(生きていれば今日で100歳の誕生日)の葬儀を終え焼き場に向かいましたら、そこが公園になっていましたよ。なんてことのない、車ですぐ通れるような。ちょっと一瞬考えてしまいました。でも、間違いなくあの「天神池」あたりでした。葬儀場のあたりもあたり一面田んぼだったのですがねぇ。天神池の役割があったはずです。

あいかわらず、私は「3丁目の夕日」調で恐縮です。では、また。緻密かつ痛快な論調と熱き血汐に期待しつつ。

十勝ではすっかり見なくなった「谷津田」風景です。
昔は見渡す限り田んぼが広がっていましたが、現在は減反政策で稲作はほとんどありません。

上京する時、飛行機から見る霞ヶ浦の上流はこんな景色なんですね。

十勝は積雪が60㎝以上あり春は遠い感じですが、もう直ぐ融雪時期となり写真の様に緑一杯になる事を夢見ながら過ごしています。
(写真がご当地の初夏と言うことは理解しています)
近頃「豪雪」の話がマスコミでも聞こえてきませんが、苦労されている人も多いのでしょうね。

なんとなく心休まる本日の写真でした。

余情半様。おひさしぶりです!かわらずの温かいお言葉に感謝します。
こちらのほうは3.11からすべてが変わってしまったようで、未だ渦の中でもがいています。
余情半様の「三丁目の夕日」がまぶしいほどです。ぜひまたお越し下さい。

北海道様。当地も薄化粧です。まったく豪雪のそちらとは及びもつかないのですが、車がそここで田んぼに落ちたりしています。お恥ずかしい。しかし、もうそこに春です!

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