「被災地瓦礫」の拒否運動は、「脱原発運動」に分断を持ち込みます
あすみさん。コメントありがとうございます。コメント欄は狭いのでこちらでお答えします。
まず、私は「因果応報」などという表現はまったく使っていません。言っていないことを批判されても困ります。
私が述べたのは、「100bq以下の被災地瓦礫の受け入れを拒否しているならば、自分たちの1000bq超の下水汚泥の将来はどうするのですか?」と言っているだけです。
また、もうひとつ私が言いたかった重要なことは、この反対運動をされている方たちが、「被災地瓦礫搬入拒否」の名で「脱原発運動」に大きな亀裂を持ち込んでいることです。
分断といってもいいでしょう。
私は茨城の「被曝地」の農業者です。しかも日中は土に触れています。私の衣類は土埃を吸収しているでしょう。私の手にも指にも付いています。
さて、こんな「汚染された土壌」の上で暮らし、生産する私をあなたはどう対応しますか?家に入れてくれますか。握手していただけますか? それとも白眼視しますか?
私たちはこの3.11以降1年間、毎日家族を守り、地域を守るために心を砕いてきました。
そのために3月の段階で測定器を購入し、計測してきました。震災の傷跡も生々しい自分の畑や住宅、地域などをです。子供たちの通学路も測りました。
この恐怖はお分かりですか。たぶんお分かりだと思います。今、あなた方が「被災地瓦礫」に怯えている心と根っこは一緒ですから。
政府の意図的な情報隠蔽により苦しんだのは、都市住民だけではありません。むしろ、野外活動を中心とせざるをえない私たち農業者だったのです。
情報の開示を求めたのも、私たち農業者が最初でした。東電抗議デモも私たちの仲間の農家が初めて行いました。
いうまでもなく、私は「脱原発」の立場です。それは農業者こそが最大の原発事故の被害者であるからです。
いや、もっと厳密にいえば、私たち以上に避難地域の生活と生産の根こそぎを奪われた人たちこそが最大の被害者だからです。
この最大の被害者たちを無視した「脱原発運動」とはなんなのでしょうか?
被曝したというだけで苦しみ「差別」されている地域が視野に入らない「脱原発運動」とはなんなのでしょうか?
陸前高田市は大文字焼きの薪の参加を拒否され、
一関の野菜を食べたら死ぬと言われ、
「毒を撒くテロリスト」とまで罵られ、
疎開した学校で「放射能が移る」と言われていじめられ、
婚約者から「奇形児が生まれる」と一方的に破談にされ、
避難した土地には職がなく、
福島県だけで数万人がいなくなる
・・・こんな人たちと一緒に闘わない「脱原発運動」とは一体なんでのです。
もっとも苦しむ人たちと共に歩まない「脱原発」とはなんなのですか!
もし、被災地瓦礫搬入に危惧をもつなら、行政に対して、地元ゴミと搬入ゴミを分けて処理し、相互に測定結果を常時モニタリングするなどの方法も提案できたはずです。
処分地におっしゃるような破断層があるのなら、別の場所を探せばいい。
対案なく、頭から「被災地瓦礫搬入阻止」を叫べば、あなた方の声はこだまして、私たち「被曝地」の人間の心にひとつの声としてこう伝わるでしょう。
「お前らなど来るな。お前らは怖い。お前らの住む地方は放射能汚染されているからだ」。
あなた方はそう言っているに等しいのです。
これは単なる無視ではなく拒否です。百歩譲って、無視されるのはいたしかたがないとしても、能動的に拒否されるとなると、それは「脱原発運動」が何者であるのかの根幹に関わることです。
私は放射能に怯えることはまったくあたりまえだと思います。しかし、ならばもっと脅威の中で生きてきた人々に対して想像力を持ってもいいのではないでしょうか。
涙をしてもいいのではないでしょうか。手を差し伸べてもいいのではないでしょうか。
そして単なる反対運動ではなく、もっとよりよい解決を探してもいいのではなかったのでしょうか。
残念ながら、私には説明会で叫ぶ人たちからはその姿勢をまったく感じなかったのです。
最後に、下図の早川由紀夫氏の作成した放射性物質飛散マップをご覧ください。宮古市はほぼ放射性物質飛散の影響下にありません。宮古市には放射能雲は通過していないのです。
だから福島第1原発との距離を神奈川と比較してみました。放射能雲の影響下にない以上、神奈川と宮古市とは距離による差があるのみです。
それもほぼ等距離距離でした。現在の環境放射線量もほぼ一緒です。反対運動をされている方々は、東北=放射能汚染地帯という先入観ににとらわれて見ているのです。
これでもなお、宮古市の瓦礫は危険であり、清浄な神奈川には持ち込ませない、とおっしゃるのでしょうか。
■写真、心の青空はかえってくるのでしょうか。
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コメント
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「因果応報」は私が言った事で、濱田様ではありません。昨日の記事に記載されているように、地表に降り注いだ放射線が最終的に下水処理後「汚泥(高濃度放射線)」になったとき、その受け入れ先を探さなければなりません。その時は今と逆の立場になります。と言いたかったのです。
きつい言葉だったかも知れませんが、内容は違えどいつかは自分がその立場になり得る事も認識してほしい・・と思い昨日コメントしました。
自分で出したゴミの焼却灰は降り注いでも我慢するが、他所から持ち込んだゴミの焼却灰は我慢できない・・・それが被災地(放射線は基準以下でも)の復興を妨げている大きな要因であるとしても・・・
悲しいですね!!
投稿: 北海道 | 2012年2月10日 (金) 08時25分
なんだか火葬場やゴミ処分場の建設問題で、
必要な物だけど近所に作られたら嫌だ!という、よくある話の延長というか超拡大版のような話です。
ちょうどこの記事へのあすみさんのコメントに対する私の考えは、入れ替わる感じで先程昨日の記事にコメントさせていただきました。
「因果応報」とは北海道さんが仰るとおり、ブログ主さんは言っておりません。
ちゃんと読みましょう。
投稿: 山形 | 2012年2月10日 (金) 08時43分
いつも読ませていただいております。勉強になります。
受け入れ表明している島田市へのバッシングはものすごいものがあります。明日は山本某氏と木下某氏が決起集会とか。またこの人らか・・と。
私も、記事の内容、同感です。思うに、純粋な気持ちで脱原発を願っている方は、瓦礫受入れ反対派のような過激派と手を切らないと、いつまでも誤解されたままでしょう。それは自主避難者とて同じだと思います。大勢の方が、すべて彼らと同じとみられるのも、気の毒だと思っています。
この早川氏の地図・・最初出た時はすごいと思いましたが、彼のあまりのひどい福島への侮辱発言に見方がかわりました。
今後もよろしくお願いします。
投稿: K | 2012年2月10日 (金) 19時42分
管理人様、掲示板的な話ですいません。
K様。
8月の暑い日の昼間に行われる花笠祭りの前日に「物産市」がありまして、もう17年も前ですが島田市がブース出店しておりました。
無料で振る舞われた冷茶の美味しかったこと!
私が飲んだことのある日本茶では一番です。
しかし、教科書で牧の原台地などは習っていたものの、焼津・藤枝・掛川などとと違い、島田市は当時知らずに、ハッピ姿のお姉さんに「島田市って何処?」なんて無神経な事を言っちゃいました。(お姉さんは、「牧の原大地のお茶所ですよ。」)
帰って地図広げて「おお、ここか!しかし、何故にマイナーなのかと」
あれ以来、島田市の隠れファンです。
静岡空港騒動は…正直生暖かい目で見てましたが。
山形空港の繁栄から衰退まで見てきてますから。
これが、同時期でワイドショーでは散々馬鹿にされていた茨城空港だと見方が違います。
あそこは首都防空の要の百里基地。
緊急時(有事)には誘導路を代用滑走路とするのは定石ですが、反対派の土地があって成田空港のように「ヘの字」に曲がってますから。
投稿: 山形 | 2012年2月11日 (土) 07時56分
http://minkara.carview.co.jp/mobile/0/0/0/userid/863031/blog/25326106/?guid=on
投稿: | 2012年2月13日 (月) 04時09分
名無し投稿の方へ。貼り付けコメントは大変に無礼です。今後は削除対象とします。
投稿: 管理人 | 2012年2月13日 (月) 06時25分