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2012年3月12日 (月)

今日から2年目に突入です!

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昨日、1年目の区切りを通過しました。 

昨日はなにか書くことが重くて、何度か書き直して、結局、マクラッチーさんの詩に替えました。 

あの詩は私の心情とは必ずしも一致しない部分があるのですが、少なくとも私などよりはるかに苦しんだ、命すら奪われた人たちがいた、そのことを一生忘れまい、と思いました。 

福島や宮城の子供の文章もいくつもスクラップしてあったのですが、書き写しているうちに涙が溢れて、とても最後までかないませんでした。 

鎮魂の1日でした。

どうして1年たってこんなにも泣けるのか不思議な思いでした。そして、私のようにだらしなく泣くこともせず、静かに合掌する東北の人々の姿を素晴らしいと思いました。 

さて、私にとっては、なんともやりきれない、なんとも耐えがたい、なんとも不毛な、なんとも忌ま忌ましい1年でした。一時は苦しみのあまり、生まれた街に戻ることすら考えたほどでした。 

帰農して30年、こんな弱気になったのは去年が初めてでした。今まで時間をかけて積み上げてきたことが根っこから覆され、なにを頼っていいのかわからなくなったのです。 

農業者にとって、土を汚されるということが生理的な苦痛ですらあることが分かりました。 

これは論理ではありません。科学的にどうだからではなく、我が身を故無く汚された、罪なくして痛めつけられたという気持ちです。 

そして自信を失いました。どうしたら放射能を除去したらいいのかわかりませんでした。 

降った放射性物質のみならず、周辺の森林から絶えず、長期間に渡って私の農場に汚染物質が流れ込む、そう思うと戦慄しました。

売り上げは去年の半分となり、今年の決算は大幅赤字転落となりました。農地を買い増しした借金が重くのしかかってきました。 

いかん、愚痴になりました。お許しを。 

このような中で三つ嬉しいことがありました。 

ひとつは、大きな支援を頂いたことです。多くの方からの励ましと支援の物資ほどありがたかったものはありませんでした。改めて心から感謝いたします。有り難うございました。 

二つめは、放射能は全能ではなく、最強ではないと分かったことです。放射能には天敵があることが科学的に立証されてきつつあります。 

粘土や腐植物質は電気的に、微生物や地虫は呑み込むことで、ゼオライトは物理的に、それぞれの場所で相互に補完し合いながら「共通の敵」である放射能と闘っていることがわかってきたことです。 

いがみ合い、罵り合い、苦しむ同胞すら差別する私たち人間と較べて、物言わぬ土中の者たちのなんとたくましいことでしょうか。 

私は「絆」という言葉を、土中の者たちによって教えられました。「絆」は調和の世界を取り戻すために、自分の立場で互いに足りないことをおぎない合いながら助け合うことです。 

三っつめは、地域の農業者とささやかな放射能と闘う芽を作れたことです。今までこのようなことがなければ語り合うこともままならなかった団体を超えたつながりが誕生しました。

そして地域の大学農学部との協同も生まれつつあります。研究者の人々は、私たちの経験則に言葉を与えました。科学的根拠を教えてくれました。

今後、できうるならば、福島の農業者ともゆるやかな連携ができればと考えています。

このように考えると、この1年は負けが6割で食い止められたのかな、と(笑)。

さて今日から2年目に入ります。私にとって2011年3月11日午後2時46分は、なにかの元年だったのかもしれません。

今日はいい天気です。お天道さまが真面目に働けと催促しています。

よし、いくぞ!

■写真 ちょっと時期は早いですが田植えの田んぼとたんぽぽ。一昨年の、まだ放射能に犯されずに無垢だった頃の写真です。

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コメント

三陸の被災地では未だに復興どころか復旧すら遅々として進んでいません。
特に交通インフラと漁業のサプライチェーンです。

瓦礫処理の問題も重くのし掛かっています。
通常の100年分ですよ。自分の自治体が発生源だったら自己処理できますか?

福島原発近くの瓦礫ではなく、遥かに北です。食品でもありません。
放射能リスクを訴える御仁には、是非ともそこを混同せずに協力してほしい。
心配なら計測すればいいことですし、我が県はやっています。
絶対ゼロリスクの信者には理解できないでしょうけど(去年の「送り火問題」のように)、現実に起こっていることを直視して頂きたい!
もとよりゼロベクレルの食品など存在しないことも含めて。

昨日は言葉少なくても構わないから・・と思いコメントを書いては削除、書いては削除を3回繰り返してしまい、結局コメントせず・・・となってしまいました。
書き出したら、色々な事が頭を駆け巡ってまとまらなくなった。。。と言うところです。
マスコミも大々的に震災から一年を伝えていますが、ほんの一部を除き復旧も復興も遅々として進んでいない状況が映し出されています。
大きな要因は「がれき処理」と「原発関連」ですが、
山形様もおっしゃる通り、放射線の影響が無い瓦礫でも受け入れ拒否の運動は、違和感を覚えます。
運動家は運動家の理由で活動をされていると思いますが、拒否する大きな理由は「ゼロリスク」と「国に対する信頼」の崩壊が大きな理由と考えています。

一年経過した所で立ち止まり、冷静に考える機会にもなればと思います。

管理人様にはこの一年いろいろとお世話になり且つお心遣いも賜り大変恐縮しております。本当にありがとうございました。

記事中の「よし、いくぞ!」の言葉を拝見し、安心しました。

「ゼロリスク」と「国に対する信頼」>>>

もっとも、誤解をされているのは、政府、大本営発表を垂れ流したマスコミが、消費者に不信感を与えてしまったことだと思います。ゼロリスクは、ありえないとか、3.11以前でも、放射性物質は、どこにでもあったのですが、3.11以降、福島原発により、この世に存在したかの報道合戦と、補正係数をかける、シーベルトと言う単位で、すべて、消費者に説明しようとした、政府とマスコミの責任は、大きいと思います。結局、シーベルト、グレイ、ベクレルと、すべてを公開しないかぎり、説明ができないのです。

現実、カリウム40の補正とか、自然放射線量補正とかがありますので、補正前の概略値なのか、補正後のシーベルト値なのかの説明もありませんしね。

乾土や湿土などの表記もありませんから、いくら数値を公開しても、理解できない数値を聞いて判断するより、西日本産や輸入品なら、ひとまず安心と言う意識があるのでしょう。安全のPRをしても、それが、安心のPRに、受け止めてもらえない、今の報道に、問題点を感じます。

http://www.aomori-hb.jp/ahb2_08_h07_term.html

組織荷重係数や放射線荷重係数

http://www.ies.or.jp/japanese/s_note_pdf/s19.pdf

実効線量


本来、がれきについては、普通の地元の可燃ごみを焼却していた、3.11以前から、数ベクレルの放射性物質は、多分、検出されていたように思います。つまり、もともと、ゼロでは、無かったのですね。

その辺から、政府が、情報公開を遅らせたり、誤魔化したりしたので、結局、消費者に不信感を持たれているのだと思えます。ダイオキシンのときも、同じ思いがあります。

昔は、田んぼで、藁を燃やしたりなど、あたり前だったんですが、現状、都会では、盆の送り火から、どんと焼きまで、何百年と続いた行事でさえ、反対されます。

管理人のおっしゃるように、絶対安全の証明というのは、非常に難しく、不可能に近いので、行事を止めざるをえない状況に追い込まれているのが、都会の実情でしょうね。

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