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2012年3月 8日 (木)

絶対正義の空気に「水を差す」ことの大事さ

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大昔のことですが、私の世代はベトナム反戦運動と70年安保闘争の渦にいやおうなく巻き込まれていました。 

当時17歳だった私も、気がついてみれば高校生でその流れに身を投じていました。その時のことはこのブログの過去ログのカテゴリー「青春ゲバゲバ」に少し書いてあります。 

私にとって決して思い出すのが楽しい記憶ではなく、むしろ封印してしまいたいような、消し去ってしまいたいような記憶ばかりでした。 

ですから、私の上のいわゆる団塊の世代が楽しげに全共闘運動を追憶するのを聞くと、強い嫌悪感すら感じたものです。 

それはさておき、その時代の「空気」を今でも思い出します。それは一切の批判を許さない「空気」でした。 

たとえば、安保を反対とするという「空気」が支配的になれば(現実に青年層においては圧倒的でしたが)、それに批判的なことを言うこと自体が封じられるといったかんじでした。 

たとえば、今でも思い出す光景があります。ある討論会でクラスメイトからこう問われました。

「私も安保は反対なのですが、しかし安保条約のどこの条項が問題なのでしょうか」。 

笑えることには、主催者側であった私たちの誰もがただの一回も安保の条文など見たことがなかったのでした(苦笑)。 

せいぜいが言えることは、「ベトナム侵略に加担しているのは安保があるんだからフンサイだ」、ていどの理論ともいえない理屈でした。 

しかしそのようなことは安保条項とは別な次元の話で、そのとき友人から聞かれているのは条項上どこを問題としているのか、ということなのです。

そのとき私が思ったのは、「条項なんてどうでもいいじゃないか。やっていることが正しいんだから。なんで運動が盛り上がっている時代状況に水を差すんだ」、というとまどいでした。 

当時の社会は「絶対正義」が支配しており、当時17歳の幼稚な私は「絶対正義」の信奉者でした。

その「絶対正義」が、社会の中で反論を許さない支配的な「空気」を醸成します。 

その信奉者にとっていちばん怖いのは反対されることではありません。ただの反対ならなんとでもレッテルを貼って無視できます。 

怖いのは、その「空気」に流されない冷静な眼です。ひとつひとつのことを自分の頭で考えて整理し、それを他の人と突き合わせながらより深い真実を知ることです。 

結論をあらかじめ決めないことです。他者の言論を切り捨てないことです。 

水を差されることに過度に臆病にならないことです。自分にとって不利なデータも尊重することです。 

さて、日本人にとって安保闘争だけが「絶対正義」の時代であったわけではありません。戦前戦時中にも日本社会は極度の「絶対正義」の熱に冒されました。 

当時、軍部が恐れていたのは社会主義者ではありませんでした。天皇制打倒を叫ぶ彼らはとうの昔に国民から乖離した存在になっていて、無力だったからです。 

軍部がもっとも恐れ、弾圧したのは自由主義者の一群でした。美濃部達吉、河合栄治郎などです。 

この自由主義者たちは冷静に戦争へ突入しようとする社会に水を差し続け、軍部を苛立たせ続けたのです。 

結果、彼らは徹底的な弾圧を受けました。彼らは国賊として大学を追われ、出版社は潰されました。 

そして今また、日本社会に「絶対正義」が生まれかかっています。それは脱原発運動です。 

この運動の体質は、一部でいかなる批判も受け付けないいものになりかかっています。

ゼロリスク、ゼロベクレルを求めるということは、それ以外のことを認めないことと同義語です。 それは「絶対正義」の立場です

低線量被曝の脅威に疑問を呈しただけで、東電の回し者呼ばわりされます。 

そして今や私は、執拗なストーカー行為すら受けるようになっています。(念のために言いますが、「首都圏のママ」さんのことではありません。) 

これが私の言う「空気」です。この「空気」は、一切の反論を許さず、自分を「絶対正義」の高みに置き、それに水を差す人間を悪者だと思っています。

今、脱原発を真剣に考えるのなら、その足の抜き方まで問われなければなりません。

あるいは、再稼働を言うのなら、耐震、防災はいうまでもないことで、原発周辺地域の線量測定や疾病調査もせねばなりません。

低線量被曝を恐れるのなら、疫学調査の結果をもっと集めて、それをしっかりと分析せねばなりません。

政府基準が甘いというのなら、それを裏付けているICRPの放射線防護基準や科学的根拠も検討せねばなりません。

福島の人々に避難を言うならば、ウクライナやベラルーシの避難の記録も知らねばなりません。

やるべきことは山積みしており、私たちはまだなにも分かっていないことを自覚すべきなのです。

それにも関わらず、絶対的な言い切りで「ゼロ」を叫ぶことは危険な傾向ではありませんか。

かつての高校生討論会で、「絶対正義」の信徒だった私たちに水を差したクラスメイトの言葉が今でも耳に残ります。

「僕も反対なのだが、なにがいけないのかもっと冷静に考えようよ」。

 

■写真 芽も膨らんで、最高気温も14度になりました。もう春!

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原子力事故」カテゴリの記事

コメント

「絶対正義」などというものは存在しない。してはならない。今でも国家レベルで貫いてるのは中国共産党くらいですかね。
あの時代の貴重な自体験を語って下さる方は少ないです。

私はその時代に産まれ、亡き母は時代の空気から私の将来を大変心配したそうですし、老いた父は空襲体験もあります。が、そのような中でノンポリを貫きました。

私に今できることはなんだろう?
毎日自問しています。
ミリタリー関連は趣味的に好きですが、ミギもヒダリも極端な活動家は嫌いです。

何がいけないか、きちんと、考える。は、大賛成です。

原発再稼動についても、個々の原発において、安全率を掛けた数値に合格しているストレステスト結果だから、大丈夫と、関西電力は、言いましたが、福島4号機は、停止中なのに、水素爆発したでしょ。プラントパイプライン連結構造が、コントロールできなかったから、4号機が、水素爆発した事実からして、原子力建屋の耐震、津波対策と、非常電源確保だけのチェックしかしていない、第1次ストレステストを、中身のわからない、政府に提出して、それだけで、再稼動可能と政府に判断させるのは、おかしいでしょ。と、言ったら、政府の指示したことには、答えているので、問題ないとの返事でした。
まあ、総合的なプラント評価なしに、プラント再稼動を、判断できる知見をもたない、政府にやらせること自体、おかしいでしょ?と、言っても、関西電力は、問題ないと、繰り返すばかり。。よくそんな危険な原発で、働きたいと思えるのが、実に不思議な会話でした。

自分も左翼ではありませんが、高校生でしたが、べ平連の会合には、参加したことは、あります。それは、マスコミ報道でなく、お互い、何を主張しているのが、自分で、確かめたかったからで、聞こえの良いスローガンだけに、左右されたくなかったからです。民青の言い分も、聞きに行きました。その中で、自分が理解できたことのみ、行動に移しました。

そういう意味では、水に溶けるイオン化セシウムと、無機物に固着したセシウムの放射能発生能力が同じでも、食物連鎖には、有機物に取り込まれることで、起きる訳だから、別なものと認識して、対策を、分けてみようとか、放射性物質の物性や特性に合わせて、対策しようと言う行動は、自分は、賛成です。

無機物に固着したセシウムは、それらを、低濃度なら1m以上の水や土で、覆えば、外部被曝は、ほとんどしないし、一般的に無機物に固着したセシウムは、イオン化セシウムのように、動植物に移行したり、食物連鎖で、短時間に濃縮したり、しにくいから、そこら辺も、区別して、対策するのが、1歩、前に進める方法のひとつと自分は、感じます。

西日本は、ほとんどPWRなので、再稼動に対する対策も、全く違うことですら、関西電力は、広報出来る能力がありません。それで、ストレステストが合格したから、再稼動できるなどと、思っている電力会社って、おかしいというか、政治主導だから、政府に丸投げする経営陣って、何なの?と、思います。大体、問題点は、自分達が、1番承知していて、それを国民に開示しない根性が、腐ってます。

こんにちは、いつもアップされるのを待ち遠しく、ブログを拝見させて戴いています。

セシウムをゼオライトが囲い込むといふ、新しい説には、目を開かされる思いで、自然の偉大な治癒能力に感動さえ覚えました。

そして日々、大地と格闘し、原発という動力には反対の立場でありながら、瓦礫処理に対する住民エゴとは一線を画す姿勢にも、共感を抱いております。

そして今回のエントリーでは、日本という風土がもたらす、全体主義的な空気について触れており、これも正しく自分が普段考えていた通りの意見で、思わず膝を叩いて、そうなんだよ、という気分でした。

そして自分の考えを云わせて貰えば、現在のゼロリスク派の方々の、思考停止とも思える程の極端に危険を煽る姿勢に対して、深く憂いています。

山本太郎が反原発を唱えるのは、まあ、まだいいのですが、現在のレベルの放射線の中で暮らす福島の住民に対して、即刻移住せよ、子供達を放射能から守れという姿勢に対しては、ヒロイズムに酔って現実を見ず、地域社会を崩壊させて、家族をバラバラにさせているだけじゃないかと、強く憤っています。

低線量被曝に対する議論は、高田純先生の頑張りなどにより、これから大きく広まってくれるものと期待していますが、ここで一つ意見が別れる問題が出て来ます。

所謂ホルミシス理論です。

数日前のエントリーで、管理人様はこの説に対して、かなりの嫌悪感を持っていることがわかりました。

出来たら後学のため、それを否定する論拠を教えていただけないでしょうか。

これは決して管理人様を誹謗する意味合いではないのですが、自分はホルミシス効果に対して、説得力のある話だなとの思いを強く持っています。

秋田の玉川温泉などのラジウム鉱石やガラパリの自然放射線。

国際線パイロットや宇宙飛行士の健康問題。

宇宙から持ち帰った数百年前の桜の種が発芽した。

中村仁信先生や稲恭宏博士の真摯な訴え。

どれも目にしたことはあると思われますが、自分には中々説得力のあるものなのです。

そして、この説に対する反論を探してみると、どれも、んなわきゃねえだろ、というような感情論ばかりで、管理人様のおっしゃるような疫学的データに基づく反論が見つかりません。

どうかそのうち、これらの非科学的な反論以外のホルミシス論のエントリーをお願いいたします。

失礼いたしました。

ホルミシス効果について、科学的なデータってあるんでしょうか?無いのではと…。

先日、雪崩事故のあった秋田県の玉川温泉には、末期ガンの母親を何度も連れて行きました。
気持ちのせいなのか、帰ってくるといつも「だいぶ調子良くなったよ」と言っていました。入退院を繰り返した3年後に亡くなりました。

あくまで感覚・感情的な話ですので理論上無意味かもしれませんが、ホルミシス効果は「無いとは言えない」のでは?と。
ブログ主さんには殴ってもらってかまいません。

それでも「最期の頼り」として、すがる人間は実際に大勢います。
玉川温泉の鉱石入りの温泉箱などは通販で高値で販売されていますし、各地のラドン温泉が「ホットスポット危険!」なんてことは聞いたことが無いです。
私の知人も以前福島県内の温泉地に母親を何度も連れて行きましたが、ガリガリに痩せて見るからに「ああ、もうダメだ」という姿の、いかりや長介さんといつも一緒だったそうです。
富士山麓の「パワースポット」に集まる人々も、同じ気持ちでしょう。

ガラパリに限らず、元より放射線レベルの高い場所はあちこちにあります。

つまり、だれにも分からない。
肯定でも否定でも、科学的検証データが無いのです。

それ以上、私には何も言えません。

また、これはあくまで私の感想レベルですので、ブログの趣旨を否定するものでは無いことは御承知おき下さい。このコメントは、あくまで私の責任での発言です。

多種多様な会議の場でも、このようなムードになる事があります。会議を開催した・・と言う証拠(アリバイ)を残すために取りあえず開かれる会議です。
そんな会議で、前向きな意見が出されてしまうと、主催者は何とかその場を繕うとして、苦しい答弁をしてきます。所謂「場壊し」的な視線を浴びる事があります。
また、ほとんどの出席者が賛同しているのに、正反対の意見を出すと、異様な目で見られます。大抵はそこで意気消沈してしまいますが、そのような少数意見や、ある意味「素朴な疑問」が貴重である事は言うまでもありません。それが暴走を止め、立ち止まって冷静さを取り戻すきっかけにもなります。
私も管理人様と同年代であり、今の職場に入る時の面接で「学生運動」について問われた事を覚えています。

一気に「右だ!左だ!」と大集団で向かっていく事の方がリスクがありそうですが、妄信的になると周りが見えなくなってしまうのでしょうね。
計測後の「がれき処理」問題も根底は同じだと考えます。
口蹄疫の時もそうでしたが、色々な人が色々な情報を発信しますが、その情報に一喜一憂する事の危うさを感じます。


山形さん。どうもあるみたいですよ(笑)。
先日アップしたスウエーデンの低線量のグラフ見て下さい。0-3kBq/m2のところより60~79kBq/m2域が有意に低いのがわかります。

これをとりようによっては低線量域の免疫力増大効果ということにもとれます。

ほんとかいな?ウソでしょう、というのが私の感覚ですが。まったく根も葉もないダボラということはなさそうです。

ちなみに歯科治療の資材や、肩こり癒しの器具には低線量放射性物質が入っていますので、どんなもんなんでしょう。 

まぁ、結果の判定は、ラッキー先生に原発構内の露天風呂に4年間ほど入ってもらって、健康診断してからにしましょう。

管理人さん、ありがとうございます!

うーむ、「ホルミシス効果アリ」と漠然と考えていたのでしたが…
あくまで感覚的・経験的な主観でしたから…いましばらく調べてみようと思います。

低線量被ばくが、人体に危険か否かは、私にはわかりませんが、この地球上に生命が誕生して以来、ずっと放射線の影響を受け続けてきたことは間違い無い事実だと思います。
その環境の中で、我々人類を含めた様々な生物は進化をとげ、発展してきました。
もし仮に、低線量が本当に有害なら、我々人類は、このように進化繁栄できたのでしょうか?
自然界の放射線と、原発由来(核物質由来?)のそれとは、同じ放射線と言っても、別の種類なのでしょうか?
私は、どうしてもそれが分かりません。
よく、今までの自然界由来の放射能に、今回の事故由来の放射能が加わったことが問題であるとの議論を耳にしますが、問題なのは総量であって、種類(何由来か)ではないですよね?ならば、今まで、自然放射線量が低い地域にいた人達が、乱暴な言い方すれば、少々高くなっても、元々自然放射線が高い地域に住んでいた人達より、総量で低いなら、そこ危険度は、やっぱり低いのでは?
意味不明な文章ですみません。
自分の考え的には、閾値が存在する方がしっくりきます。

一宮崎人様。

ガラパリの件は、原子力PRセンターなどで例として必ず出されます。天然ウランです。
それを単純に肯定はできませんが、「足し算」だとしても、ガラパリの人々にも同様に宇宙からの放射線は降り注いでいます。
わたしの憧れるオーロラ見学ツアーなどは、わざわざ宇宙放射線に当たりにいくようなものです。

しかし、人間は強い。
北極圏や南極圏の住民や国際線パイロットは健康に生きてます。

人工的に産み出される放射性物質を私はとても肯定はできませんが、あまりに悲観的に捉えてアジる連中は大嫌いです。
原発なんてもんは無いにこしたことはないですが、震災被害者でもないのに「反対!反対!」と叫ぶ芸能人などの連中には、とても同調できません。代替となるエネルギー確保すら未だ無いのですし、反対を叫ぶ奴らは、これまで原発の電気を使い続けていたわけです。
スタジオジブリの宮崎駿さんなど「我々は原発以外の電気で暮らしたい」とプラカード出して歩いてましたが、初め私は「メディアで稼いできた人間がふざけんな」と思いました。
しかし、せめて単なる反対ではなくその程度の主張はあってよかろうと。
科学的にも法的にも感情的にもです。特に法的な部分が問題ですね。

まとまってませんが、今そんな気持ちです。

ホルミシス理論ですか、ちょっと面白いかもと思います。
放射線で傷ついた遺伝子の修復が間に合わないと、1つは無制限に細胞が増殖してしまう(ガン化)事になると思いますが、より有りそうなのは、必要なたんぱく質の合成ができない、又は欠損されたたんぱく質が合成されてしまう事だと思います。
その細胞は死んでしまうわけで、新陳代謝が起きる要因にはなるのではないかと思います。

ただ、重い病気の人が期待するのは分かりますが、低レベルの放射線の影響の有無の議論にする必要は無いのではと思います。

NHKの番組に対して原子力賛成派から批評が正式に行われたようですが、逆に被災地サイドからも、風評被害を助長するとして批評を届けても良いのではないかと思います。(前のエントリーに対しての気持ちです)

一宮崎人さん
医療の話ですが、ガンマナイフ(最近では、サイバーナイフもあります)という腫瘍(主に脳腫瘍)を焼き切る機械があります。私の父もこれで、脳腫瘍を焼ききりました。
この機械、その名の通り、弱いガンマ線(線源はコバルト60)を3次元的に複数回照射し、その交点では細胞が死に絶えるという理屈です。
無論、アルファナイフが存在し得ないことは、ご存知のことと思いますが、外部被曝の場合(内部被曝は別です)、線種の違いは、大きくその結果の違いに繋がることは明らかです。
ですから、単純に被ばく線量の総量が問題であるとも言いがたいのでは?
間違っていたら、訂正下さい。

それと、シーベルト(正確にはシーベルト/時でしょうが)という単位ですが、空間線量を表すのにシーベルトという単位を使うことがどうもよく分からないんです。だって、シーベルトは、人体への影響を考えて補正した数値のはずでよね。何か、標準値のようなものがあるのでしょうか。

放射線種による透過性の違いは確かにあると思います。ただ、今判る情報では、単に空間線量と、ベクレルだけなので、線種の違いをどう判断して良いのか良くわかりません。
シーベルトが人体への影響を考えて補正された数字なら、その補正の際に線種の違いを考えてあるのでしょうか?それなら、単純に空間線量だけで比較しても良いのかな?良く分からない事だらけです。
ただ、これは、生物の不思議と言いますか、生命の不思議と言いますか、ある物質に対して、生体が全く相反する反応をすることがあります。
一つの例なのですが、アスピリンと言う物質があります。通常使用する用量のアスピリンは、血小板の機能を高めて、血液が固まりやすくなります。しかし、同じアスピリンでも、その用量を少なくすると、逆に血液凝固阻止に働きます。同じような事は、色んな物質で起きています。
その様に、我々含めた動物の体は、非常に複雑に、巧妙に出来ています。ですから、低線量による影響が、どうなのかは判りませんが、閾値が存在するほうが自分的には、しっくりきます。

一宮崎人さん
wikiによると、


ある物質が放射線に照射されたとき、その物質の吸収線量を示す単位がグレイ(記号 Gy。定義 J/kg)である。生体(人体)が受けた放射線の影響は、受けた放射線の種類と対象組織によって異なるため、吸収線量値(グレイ)に、放射線の種類ないし対象組織ごとに定められた修正係数を乗じて線量当量(シーベルト)を算出する。

Sv = 修正係数 × Gy
例えば、等価線量を算出する際には、修正係数として放射線荷重係数が使用される。放射線荷重係数は、放射線の種類によって値が異なり、X線、ガンマ線、ベータ線は 1、 陽子線は 5、 アルファ線は 20、 中性子線はエネルギーにより 5 から 20 までの値をとる。これらの係数は無次元量(単位がない)なので、シーベルトはグレイと同じ J/kgでも書ける。

とあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88

cowboyさん。貴兄のおっしゃることが、私も含めて皆に飲み込めていない気がします。
一度記事のスペースをお譲りしますので、きちんと問題意識を展開してみたらいかがでしょうか。メールで送って頂ければ、掲載する用意があります。

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