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« 福島原発事故民間事故調の調査報告書 福島原発事故は人災だった | トップページ | 「事故終息」とは冷温停止のことではなく、住民が安心して戻ることだ »

2012年3月 1日 (木)

民間事故調報告書から 原子力安全神話に浸って、「事故を考えてはならない」としてきた国の責任

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福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)の調査報告書を続けます。 

要旨 全文がアップロードされておらず(後に本として市販するそうです)、現在は要旨の形でしか入手できません。産経新聞の要旨が最もまとまった形のようですので、欄外資料として転載いたします。 

昨日の取り上げた部分は、「第1章・福島第1原発の被災直後からの対応」に相当する部分でした。 

その中で民間事故調は人的要素を原因のひとつに上げました。それは「バニックと極度の情報錯綜」(報告書)に陥った官邸を、菅首相という特異な人格が官邸中枢を支配してしまい、悪しき政治介入を繰り返し、事態をいっそう深刻にしたことでした。 

では、この前首相のリスク・マネージメントの失敗から離れて、もう一点浮かび上がるのは、「なぜ、国は万全の安全対策をほどこしてこなかったのか」という疑問です。 

原子力は私企業がなすべきものでは本来ありません。一私企業がするにはあまりに危険で、あまりに大規模だからです。 

今回の事故で明らかになったように、「たかだか」ひとつの原発で事故が起きただけで首都を含む東日本全体が無人地帯になる可能性すらあったわけです。

東京都民の避難という事態すら政府は予見しており、それは報告書第3章の「最悪シナリオ」で触れられています。 

避難を余儀なくされた人々が帰郷できる保証はなにもありません。広範にフォールアウトした農地、宅地、海がいつ再生されるのかめどすらたっていません。

企業が利潤原理だけでこれを運営するなら、必ず費用に見合った算盤勘定から逃れられません。 

原子炉とは設置にも、その維持管理、そして廃炉にも膨大な支出がかかるものだからです。 

だからこそ、電気事業法によって十重二十重の保護という特権が電力会社に与えられていたわです。地域独占と、全コストを電気料金に上乗せできる総括原価方式などはその典型です。 

このことを民間事故調は報告書の中で、最終章の部分でこう述べています。 

「国策民営」のあいまいさ
 原災危機においては、政府が最大限の責任を持って取り組む以外ないということを如実に示した。事故が起こった場合の国の責任と、対応する実行部隊の役割を法体系の中に明確に位置づけなければならない
。」
 

本来、国が民間私企業に原発の運営を委ねたのは、「安全」を国が担保できるという考えがあったからです。 

つまり、電気事業者に対して、発電所の設置の許認可、事業命令、指導監督の権限を握ることで「プロメテウスの火」を飼い馴らしていると錯覚していました。 

私たち国民、特に原発立地県の住民にとって、東電など問題にしていませんでした。 

国が大丈夫だと言ったから、国が万が一の時には災害救助をするから、賠償もするから、という言葉でなだめられてきたのです。 

そしてなにより、事故は絶対に起きないのだ、東京ドームに隕石が落ちるより確率が少ないのだ、と政府は言ってきたはずです。 

これが原子力安全神話です。この原子力安全神話を言い続けたのは、国家です。したがって、原発事故における一義的な事故責任は国家・政府にあります

ここをあいまいにしてはいけません。 

東電は、2009年に貞観(じょうがん)地震の地震調査研究推進本部の研究結果から、三陸沖に15メートル以上の津波が来る可能性があることを知っていました。 

にもかかわらず、福島第1原発の建設用地は、「取水、排水をしやすくするために」15メートルも掘り下げてありました。これがどのような結果をもたらしたのかは、言うまでもないでしょう。 

同じく15メートル級の津波が来た女川原発は、高台にあったために救われました。 

この15メートル掘り下げを認可したのは誰でしょうか?

なるほど掘削した時点では貞観地震の件は知り得ない知見だったかも知れませんが、それが分かった時点でなぜ国は改善命令のひとつも出していないのでしょうか?

2009年の時点で、せめて堤防を5メートル高く改修していれば、この重大事故はなかったのです

また、今回の事故の原因は「全電源喪失」という事態でした。送電鉄塔の倒壊、予備電源の水没、そして予備電源車の不在という「想定外」の不運が重なって重大事故になったといわれています。

なにを言っているのですか。「全電源喪失などありえない」といい続けて、自分が作った原子力安全神話にみずから浸っていたのは一体誰なのか。国ではないですか。原子力安全委員会だったのではないですか

「原子力事故は起きない」という大前提にたっての安全対策という自己欺瞞のぬるま湯にどっぷりと浸って、安全を真剣に監視してこなかった国家・政府ではないですか。

避難訓練などはいらぬ心配を近隣住民にさせるからしない。しても机上だけ、安定ヨウ素剤も各自治体に配置しない、避難手順もない、電力会社と政府の情報の統合はおろか交換すらない、そもそも誰が指揮をとるのかさえ決まっていない、ないないずくしの山!

これが「原子力安全神話」の国の実態でした。このような「事故に対する備えをしてはいけない」という方針は、国が作り、東電が育てたものです

それについて報告書はこう述べています。

人災-「備え」なき原子力過酷事故 
冷却機能が失われたのに、対応が12日早朝までなされなかったことは、この事故が「人災」の性格を色濃く帯びていることを強く示唆している。「人災」の本質は、過酷事故に対する東電の備えにおける組織的怠慢にある。背景には、原子力安全文化を軽視してきた東電の経営風土の問題が横たわっている」。

【第9章・「安全神話」の社会的背景】
 中央と地方の2つの「原子力ムラ」がそれぞれ独自の「安全神話」を形成しながら、結果的に原子力を強固に推進し、一方で外部からの批判にさらされにくく揺るぎない「神話」を醸成する体制をつくってきた。

いわば言葉は悪いですが、政府と東電は共犯関係なのです。ですから、重大事故の責任の半分は国・政府にあります。

しかし政府は自らの事故指揮の失敗をすべて東電という逃げようがない被告に被せて、首相は未だ火事の最中に、「火事のない街作り」とでもいうべき再生エネルギー法を辞任条件に出す始末でした。

当事者意識がここまで欠落してしまう人間を見たのは初めてです。

それはさておき、自民党にも責任があります。このような「原子力神話」の創造者こそが自民党だったからです。彼らにも現政権と東電を指弾できる資格はないのです。 

私は、「被曝」地の人間のひとりとして、このような原子力行政、東電のあり方、賠償の方法まで含めた大きな議論が必要だと思います。

政府事故調の最終報告書も出ないうちから、「戦犯」のひとりである経済産業省の官僚を集めて作った原子力安全庁をデッチ上げる茶番はやめて、原子力行政のすべてを一からやり直さねばなりません。 

■写真 霞ヶ浦の夕日。

              ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

 

■ 福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)の調査報告書要旨  

【第1章・福島第1原発の被災直後からの対応】 

 事故の直接の原因は、津波に対する備えが不十分で、電源喪失による多数の機器の故障が発生したことに尽きる。設計で用意された注水手段から、代替注水へと切り替えることができなかったことが決定的な要因となり、放射性物質の放出抑制ができなかった。 

記事本文の続き その原因はシビアアクシデントに対する備えの不足と連絡系統の混乱である。背景には、複合災害の影響として通信や輸送の手段が限られたことや、隣接するプラントの水素爆発等の影響を受け、作業環境が悪化したことを指摘できる。 

【第2章・環境中に放出された放射性物質の影響とその対応】 

 放射性廃棄物の処理について、従来の法体系で規定されていなかった。一般廃棄物や災害廃棄物の受け入れに支障が出ているケースが存在する。低線量被曝(ひばく)に対する科学的理解の不十分さが、社会的混乱を招いた一つの要因とも思われる。政府は事故による被曝をX線撮影などと比較していた。しかし、自主的な被曝と事故として受ける違いを考慮せず、より不信感を招いた。

【第3章・官邸における原子力災害への対応】 

 官邸の現場への介入が原子力災害の拡大防止に役立ったかどうか明らかでなく、むしろ無用の混乱と事故が発展するリスクを高めた可能性も否定できない。  

 ▽東電からの退避申し出 

 東電側は全面退避の申し出をしたことがなく、必要な人員を残す前提だったと主張している。しかし、必要な人員の数や役職等を具体的に示していない。多くの官邸関係者が一致して東電の申し出を全面撤退と受けとめていることに照らしても、東電の主張に十分な根拠があると言いがたい。 

 ▽「最悪シナリオ」作成の経緯 

 3月14日夜、2号機が注水不可能な状態に陥った前後から菅直人首相はじめ官邸の政治家は「最悪シナリオ」という言葉を漏らすようになった。菅首相の要請を受けた近藤駿介原子力委員長は22日から25日にかけて今後ありうる「最悪シナリオ」をコンピューター解析で作成。4号機と他号機の使用済み燃料プールの燃料破壊が起きた場合、住民の強制移転は170キロ以遠に、年間線量が自然放射線レベルを大幅に超える地域は250キロ以遠に達する可能性があるとの結論を導き出した。政府と東電は4号機の燃料プールが「最悪シナリオ」の引き金を引きかねないとし、プールが余震で壊れないよう補強することを緊急課題とした。「最悪シナリオ」の内容は官邸でも閲覧後は回収され、存在自体が秘密に伏された。 

 ▽菅首相のマネジメントスタイルの影響 

 菅首相の個人的資質に基づくマネジメント手法が、現場に一定の影響を及ぼしていた。行動力と決断力が頼りになったと評価する関係者もいる一方、菅首相の個性が政府全体の危機対応の観点からは、混乱や摩擦の原因ともなったとの見方もある。菅首相のスタイルは、自ら重要な意思決定のプロセスおよび判断に主導的役割を果たそうとする「トップダウン」型へのこだわりと、強く自身の意見を主張する傾向が挙げられる。 

【第4章・リスクコミュニケーション】 

 多くの国民は原発事故や放射能の不安におびえ、血眼になって情報を求めた。政府は国民の不安にこたえる確かな情報提供者としての信頼を勝ち取ることはできなかった。あいまいな説明、発表情報の混乱、SPEEDIなど情報開示の遅れが繰り返され、政府の情報発信に対する国民の不安や失望感が深まった。放射能汚染の拡大や住民退避を懸念する海外に対しては、さらに脆弱(ぜいじゃく)な情報発信しか行われなかった。

【第5章・現地における原子力災害への対応】 

 官邸主導の原子力災害対策本部における対応の混乱、東電との情報共有不足により各機関が十分に連携した対応を行うことができなかった。 

 ▽SPEED 

 文部科学省は3月15日以前からSPEEDI計算結果の公表を求められ対応に苦慮していた。16日に原子力安全委員会に運用を一方的に「移管」した後は、直接の対応を回避する姿勢に転じた。文科省の対応には後日の批判や責任回避を念頭においた組織防衛的な兆候が散見され、公表の責任のあいまい化、公表の遅れを招く一因になった可能性も否定できない。 

【第6章・原子力安全のための技術的思想】 

 原子力技術の米国の動向の追随は、事故の遠因になっている可能性がある。米国の動向を学びながら自主的に対策を追加していったものの、わが国に固有のリスクを十分に考慮できなかった。 

【第7章・福島原発事故にかかわる原子力安全規制の課題】 

 外部事象のリスクを規制関係者がそれほど重大なものとみなしていなかった。 

 日本の官僚機構は前例踏襲を重んじ、原子力安全のように常に新しい知見を取り込んで改善・向上させていくものとは親和性が低い。保安院が公務員の通常の人事ローテーションに組み込まれ、専門的人材を長期的に育成するシステムになっていないのに加え、法律や指針の改定には多大の時間と労力がかかるため着手しにくい環境を生む、行政機構特有の性質がある。 

【第8章・安全規制のガバナンス】 

 日本は国際的な安全規制の標準を形式的には満たしていたものの、実行的な安全規制をする能力が不十分で電気事業者に対抗するだけの技術資源をもたない原子力安全・保安院、十分な法的権限と調査分析能力をもたない原子力安全委員会、圧倒的な技術的能力、資金をもつが、安全規制の強化に対して当事者としての責任を果たそうとしなかった電気事業者、といったさまざまな思惑や利害関係を含みながら実践されてきた。安全規制の一義的な責任は電気事業者にあり、保安院は監督、安全委は安全規制の指針を作る分業体制が作られていたが、非常時では十分な機能を果たすことができなかった。 

【第9章・「安全神話」の社会的背景】 

 中央と地方の2つの「原子力ムラ」がそれぞれ独自の「安全神話」を形成しながら、結果的に原子力を強固に推進し、一方で外部からの批判にさらされにくく揺るぎない「神話」を醸成する体制をつくってきた。 

【第10章・核セキュリティへのインプリケーション】=略

【第11章・原子力安全レジームの中の日本】=略 

【第12章・原発事故対応をめぐる日米関係】 

 福島原発事故は、日米関係にとっては安全保障上の危機管理能力が問われる事態だった。事態が急速に悪化し、迅速な判断が求められた。しかし、深刻な複合災害に対する想定や備えが欠如していたため、具体的な対処方法の決定では手探りの状態が続いた。 

【最終章・福島第1原発事故の教訓-復元力をめざして】 

 ▽事故は防げなかったか 

 全電源喪失を起こした11日から、炉心損傷が始まり海水注入を余儀なくされたその日の夜までの最初の数時間に破局に至る全ての種はまかれた。 

 ▽人災-「備え」なき原子力過酷事故 

 冷却機能が失われたのに、対応が12日早朝までなされなかったことは、この事故が「人災」の性格を色濃く帯びていることを強く示唆している。「人災」の本質は、過酷事故に対する東電の備えにおける組織的怠慢にある。背景には、原子力安全文化を軽視してきた東電の経営風土の問題が横たわっている。 

 不十分なアクシデントマネジメント策しか用意していなかったことを許容した点では、原子力安全・保安院も、保安院の「規制調査」を任務とする安全委も責任は同じである。 

 SPEEDIは放射能拡散予測の「備え」として喧伝(けんでん)されながら、まったくの宝の持ち腐れに終わった。文科省や安全委は「放出源データが取れないという不確実性」を理由に、活用には消極的だった。SPEEDIも結局は原発立地を維持し、住民の「安心」を買うための「見せ玉」にすぎなかった。 

 ▽安全規制ガバナンスの欠如 

 原子力安全・保安院は、規制官庁としての理念も能力も人材も乏しかった。安全規制のプロフェッショナル(専門職)を育てることができなかった。事故の際、保安院のトップは、官邸の政務中枢の質問にまともに答えられず、東電に対しては、事故の進展を後追いする形で報告を上げさせる、いわば「御用聞き」以上の役割を果たすことができなかった。 

 ▽「国策民営」のあいまいさ 

 原災危機においては、政府が最大限の責任を持って取り組む以外ないということを如実に示した。事故が起こった場合の国の責任と、対応する実行部隊の役割を法体系の中に明確に位置づけなければならない。 

(産経新聞2月27日)

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コメント

今回の件を個別の問題として捉えるより、先の口蹄疫の件も含めて、国家の安全保障という危機管理システムの欠陥の帰結として捉えたほうがより益があるかなと思えるのですが、恐らく日本には「欠陥」以前に危機管理システムそのものが無いという恐ろしい結果しか思いつかない。。。

2009年の時点で、せめて堤防を5メートル高く改修していれば、この重大事故はなかったのです>>>>
この5mの非常電源部の防波堤かさ上げが、茨城県の原発で、ぎりぎり3月初旬に完成したため、水素爆発を回避できたそうで、それだけは、良かったですね。
危機管理問題が発生したら、すばやく対処すれば、助かった例です。

話は、変わりますが、新聞報道によれば、東電のメインバンクは、過去の融資額1500億円と3.11以降の融資額について、電気代の値上げができなかったり、7月中に原発の再稼動が実現しなかったら、融資を引き剥がすと言う一般担保保証と言う形式の融資契約を書面でしているようですね。

つまり、原発の再稼動か、燃料代の値上げが無ければ、バブル崩壊時に、国(税金投入)が、助けた恩は、あだで返すのが、企業倫理だそうです。
企業は、儲けることが、本命ですからね。
やくざか、闇金かと思うような契約に、あきれました。

続投すみません。
ICと言う、電力不要の崩壊熱を下げる循環水装置は、福島第1原発では、1号機だけにしか、設置されていないようです。
2~4号機には、動力なしで、動作する冷却系統は、装備されてないらしい。

えー、信じられないというのが、正直な感想です。

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