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2012年3月26日 (月)

私の脱原発論

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先日のTBS「報道特集」でドイツ緑の党の紹介がありました。あの番組は私の秘かな愛好番組なのです。 

番組のトーンとしては、脱原発に向かうドイツと、原発に固執するわが国という色分けで、そりゃ無理筋だろう、とややため息が出ました。 

大震災と放射能事故を二重に食ったわが国が、直ちにドイツの道を歩めないことは自明なことで、脱原発を現実化していく長い道のりがわが国には見えません。 

ただ、番組を見て感じたことは、ドイツでは脱原発運動の大きな一角に農民がいることでした。おそらくこれがドイツで完全な原発からの離脱が成功した理由でしょう。 

なぜなら、ドイツにおいても原発や放射性廃棄物処理場は農村部に建てられており、いったん事あらば最大の被害者になるのは農民だからです。 

ドイツにおいての脱原発運動は、農村における長期の座り込みなどで息長く続けられました。そこにドイツ農民が多数参加しています。 

わが国では、「最大の被害者になる」という部分のみは、福島、茨城でも同様でした。最大の被曝者であり、汚染地域に住み、生産するのは私たち農民だからです。 

しかし、現状において日本では少数の者しか脱原発運動には参加していないのが現状です。 

なぜでしょうか? 

日本の脱原発運動が過剰に都市消費者に偏った構造になっているからです。低線量の放射能に怯えて、福島や茨城の農産物は買わない、という人々が脱原発運動には多く存在するからです。 

家族の安全・安心という切り口だけで脱原発を語り、被災地瓦礫ひとつすら拒否する人々が多すぎるからです。 

結果、日本の脱原発運動の理論的な柱は、ヨーロッパ発のECRRとバンジェフスキー説一色といった状況です。

この両者の説は、低線量内部被曝によって小児ガンや、心筋梗塞が起きるとし、それは農産物によるとしています。 

いかなる低線量であろうと閾値はないとする、いわゆるゼロベクレル論です。 

これが危ういのは、この説に忠実であろうとすれば、たとえ5ベクレルであろうとなかろうと、放射性物質が「ある」、それだけで東日本の農産物は拒否されてしまいます。 

現実に、去年から続く福島、茨城の農産物に対する排斥運動の凄まじさは、私たちの脳裏に悪夢として刻印されました。 

私たちは「毒を撒くテロリスト」、「早く潰れろ!」とまで罵倒されたのです。あの屈辱もまた、私たちは忘れることはないでしょう。 

放射能禍から立ち直ろうとした私たち農民を蹴りつけ、唾を吐きかけたのは「脱原発運動」を名乗る人たちでした。 

残念ですが、私たち茨城、福島の農民には「脱原発運動」はこのように刷り込まれました。 

カミングアウトしますと、私はかつて東海村集団訴訟のひとりに名を連ねた反原発派でした。もう20年ちかく前の話ですが。 

また都市に住んでいた時代は、反原発サークルを主宰していたこともあります。そう、私は筋金入りの反原発派だったのです。

その私が、今回の脱原発と衣替えした運動にはつきあいきれない思いをしています。

その理由は今書いたことです。ゼロベクレルという不可能なことを農民に要求し、農民を蔑み、農業を敵のように見る限り、私は脱原発運動の人たちと肩を組むことはできません。

私は未だ「原発はいらない」と心から信じています。単に観念ではなく、骨の髄から原子力を憎んでいます。

このような農地を汚し、農民を絶望させる悪魔は地上から消し去るべきです。

だから私は原発がない社会を共に作るという点では、脱原発の立場に立ちます。しかし、今ある「脱原発運動」とは一線を画します。

私たちは「耕す」ということが、真の脱原発運動だと信じています。耕し、耕し、農をあきらめないこと、土を信じること、その中で脱原発を具体化すること、それが農民の脱原発運動だからです。 

福島の仲間が本を書きました。たぶん、農民が書いた最初の福島第1原発事故に対する本だと思います。ぜひ読んで下さい。

あ、最後に、今日私は60になりました(笑)。ハマジィと呼んで下さい。

 

      ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

『放射能に克つ農の営み』カバー.JPG

プロローグ 「土の力」に導かれ、ふくしまで農の道が見えてきた......中島紀一

第1章 耕して放射能と闘ってきた農家たち
 1 耕してこそ農民――ゆうきの里の復興......菅野正寿
 2 放射能はほとんど米に移行しなかった
      ――原発事故一年目の作付け結果と放射能対策......伊藤俊彦
 3 土の力が私たちの道を拓いた
      ――耕すことで見つけだした希望......飯塚里恵子
 4 土地から引き離された農民の苦悩
      ――根本洸一さんと杉内清繁さんの取り組み......石井圭一
 5 85歳の老農は田んぼで放射能を抑え込んだ
      ――安川昭雄さんの取り組み......中島紀一
 6 100㎞離れた会津から新たな関係性をつくる......浅見彰宏

第2章 農の営みで放射能に克つ......野中昌法
 1 農の営みと真の文明
 2 農業を継続しながら復興をめざす
 3 核実験が農地に及ぼした影響への調査から学ぶ
 4 土の力が米への移行を抑えた
 5 ロータリー耕などの技術による畑の低減対策
 6 森林の落ち葉の利用は可能か
 7 除染から営農継続による復興へ

第3章 市民による放射能の「見える化」を農の復興につなげる......長谷川浩
 1 市民放射能測定所が生まれた
 2 用語と測定の基礎
 3 放射能の「見える化」の意義
 4 汚染度が低かった福島県産農産物
 5 福島とベラルーシの農産物汚染の比較
 6 そもそも土の中はどうなっているのか
 7 今後の放射能汚染対策

第4章 農と都市の連携の力
 1 首都圏で福島県農産物を売る......齊藤 登
 2 応援します! 福島県農産物......阿部直実
 3 ふくしまの有機農家との交流から、もう一歩進む......黒田かをり
 4 分断から創造へ――生産と消費のいい関係を取り戻すために......戎谷徹也
 5 地域住民と大学の連携......小松知未・小山良太

第5章 有機農業が創る持続可能な時代......長谷川浩・菅野正寿
 1 持続可能でない日本
 2 21世紀は大変動の時代
 3 これから発生するリスク
 4 日本にも持続的な社会はあった
 5 有機農業が拓く世界
 6 有機農業が創る持続可能な時代
 7 ふくしま発、持続可能な社会への提言

エピローグ 原発と対峙する復興の幕開け......大江正章
 

出版社・コモンズから。四六判 288頁。 1900円+税。 

執筆者たちに払われるべき印税はすべて、福島有機農業ネットワークに寄付されます。

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原子力事故」カテゴリの記事

コメント

涙が出ます。悔しいです。

絶対に安全なら東電は自分の管内に原発を造るべきであるはずなのに、福島10基・柏崎7基です。もうふざけんなと。遠い青森にまで造ろうとしていた途中だし。
どうです?お台場ウォーターフロント原発なんて。送電ロスも無くて効率的で素敵でしょう。
なぜ法律で縛って出来ないようにしてるのか?
廃棄物の海洋投棄も東京湾でよかろうに(皮肉です)

電源3法という悪法でカネをばら蒔き、田舎に押し付けた上に発展し成り立って来たのが今の首都圏です。

一方で、原子力アレルギーのようにも取れるブログ主には私は異を唱えます。
化石燃料の高騰(現在も起きています)や将来の枯渇の危惧から、燃料資源の乏しい我が国の原子力発電はスタートしました。
そういう私も、学生時代には「原発いらない!バッジ」を付けて登校していましたが…今でも、あんなもの無いにこしたことは無いと思ってます。
「もんじゅ」はナトリウム冷却の時点でダメっぽいと思いながら、次世代への研究として期待していました。あんなのに1兆円の税金を無駄使いしたなんて言う評論家さんがいますが、原油や天然ガスの購入金額を考えたら、高いものではなかろうと。

今回のあまりにも大きな災禍を教訓として、より高い安全を目指し、あくまで平和利用に限っての研究は絶やさず続けるべきです。
代替燃料発電が未だに見えていないですから。
このへんになると、最終処分の問題も含めて、もはや文明論の話になってしまいますね…。

ちなみに、知事が「卒原発」なる言葉を提唱した山形県は、風力で行くようです。

昭和48年以降に起きた「オイルショック」時には、夜間のネオンは消え、深夜営業も制限されました。
節電が当たり前だったのですが、いつの頃からか、深夜と言うよりコンビニも24時間営業するようになりました。
バブル景気の時は最たるものでした。

オイルショックからかれこれ40年近くになります。
今の現役世代では、オイルショックの経験者は少数派になり、24時間営業も当たり前ですが、原発云々の前に、エネルギーの無駄な消費を見直す時期でもあると考えています。

その上で、必要な電力量を現実的にどうやって調達するかなのだと思います。

脱原発や反原発運動と、今回の被災者(被災地)への対応とは別なものとして考えなければなりません。

瓦礫・農畜水産物・人(放射能が移る)・女性(妊娠出産)など差別とも受け取れる過剰反応は厳に慎むべきだと思います。

《追伸》
連投ご容赦ください。

「濱田様」誕生日おめでとうございます。
還暦ですか・・・現状では。素直に喜べない複雑な心境だと推察しておりますが、楽しく・気持穏やかに歳を重ねる事が出来る時代が来る様に、お互いできる事からコツコツやりましょう。
無理せず、ご自愛ください。

私も間もなく還暦を迎えますし、職場の消費期限も迫って来ています。

私、若年ながら幼い日に親父の出張について東京に行った73年暮れはよく覚えています。
親戚の叔父さんが有給取って相手してくれて(先日亡くなりました)が、「よみうりランド」行こうか!
と、節電で閉鎖。
多摩川の土手で遊びました。

翌日、それじゃあモノレールで羽田に飛行機見ようか!
ワクワクしながら…これも運休。
山手線も間引き運転103系大混雑で、「潰れる!死ぬー」のうちに東京駅に着いて…当時(まあ、組合関係最悪の頃ですな)あの18番ホームで、憧れだった新幹線のまえで記念撮影してたら(RICOHのラピッドフォーカス)、運転士さんが「おお、坊主!新幹線好きか。」と運転席に入れて座らせてくれた、貴重な思い出。まあ、国労の出鱈目っぷりのおかげですが…貴重な思い出です。

幼き日のわたしの貴重なオイルショック体験です。

懐かしいなあ。
山形からの行き帰りでの特急の食堂車も忘れられない思い出です。

エネルギーの無駄な消費を見直す時期でもあると考えています。>>>>これは、真摯にとらえて、全国民が、協力してもらえるとありがたいです。エネルギー=電力ではありません。
規格外野菜だって、調理すれば、栄養分も味も、同じなので、梱包、出荷、運賃プラスαの価格で、野菜としての命をまっとうでき、正規?規格野菜の価格は、暴落しないようなシステムを、生産者、消費者共同で、作ってほしいです。

燃料資源の乏しい我が国の原子力発電はスタートしました。
>>>>この時点での、原子力発電研究スタートは、国民の期待でもあり、大阪万博でも、安全、安心な自前の電力構想は、当然の成り行きでした。

原子力発電所が、シビアアクシデントした現在、どこかの原発を作動させながら、どうやって、未来の安全を担保すべきか、研究開発することは、必要だと思います。

実験室レベルと工業用プラントレベルでは、机上論では、同じようにみえても、実際、全く別物と考えるべきなので、この機会に、研究開発まで、すべて止めてしまうのは、無理だと思います。

プラント維持(発電する、しないに係わらず)は、日々研究していかないと、廃炉にするにしても、メンテナンスすら出来ない状況に追い込まれます。パソコンのOSと同じで、古い原発を安全に廃炉にするには、プラント設計当時の人間も参加させて、研究しないと、除染だけで、復旧、復興は、出来ないと思います。

例を挙げれば、社寺建築が、なぜ、壊れないか?というのは、絶えずメンテナンスしているからで、何もメンテナンスしなければ、1000年以上、もたせることは、不可能なんですよね。

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