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2012年4月

2012年4月30日 (月)

TPP推進派マスコミによる農業悪玉論の再燃

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国民はなんの情報も与えられないまま、TPPという大渦巻きに呑み込まれようとしています。

関岡英之氏は、「日本農業新聞」の中で、野田首相が訪米するに先立つ4月24日に国会で開かれたTPP反対超党派191名もの集会があったことを取り上げました。

自民、民主、社民、共産、国民新、立ち上がれ日本、新党大地、真民主、新党日本、無所属という常識では考えられない幅の議員が一同に会した画期的なものでした。

テレビの放列はこの大規模な反対集会を撮っていたのですが、ご承知のようにテレビ、新聞はまったく無視を決め込みました。

ある大手紙は、唯一TPPに全面賛成をしているみんなの党の主張のみを取り上げるというまねまでしました。超党派の反対は数行しか報道しないにもかかわらず、です。

あきらかなマスコミによる情報操作、情報隠匿と言われても仕方がないでしょう。

TPPは当初、農業だけの特定の問題であって、国民全員には利得だ、と宣伝されてきました。現実にはそうではなく、保険、共済、土木、金融、法務など国民生活に直結する広い範囲での米国流ルールの組み換えだとわかってきました。

農家というき守旧派が保護関税にしがみついているから、日本の農産物は世界で一番高い、だから「開国元年」だと官首相は叫びましした。

このような農業に対する無知、誤解を利用して、財界の意思を背景にしてしゃにむにTPPに突き進もうという政治の流れが3.11直前まであったわけです。

ところが、3.11以降いったんは表舞台から姿を消します。それどころではないというのが政治にも国民にも圧倒的だったからです。

しかし、現実はそうではありませんでした。政府は、このTPP交渉を外務省に主管させることによって、外交マターとして処理することで国民の眼から隠したにすぎませんでした。

国民が大震災や原発事故で呻吟している時に、外務省は着々と米政府とTPP交渉を進行させていたのです。

そしてその交渉結果は、政府内部の一部の高官だけが知るという徹底した隠蔽ぶりでした。政権与党内部のTPPワーキングチームですら、独自に訪米して情報を収集するしかない有り様なのですから、推して知るべしです。

こうして国の根本的なあり方を決定することについて、政府が説明責任を果たさない異常事態が進行しました。

その中で改めて「農業悪玉論」が登場します。TPPを農業問題に矮小化させ、「農業改革をするためのTPPだ」というマスコミ論調が、首相訪米間際になって再び登場します。明らかに政府・財界の意思を汲んだものでしょう。

典型的なものは朝日新聞社説です。この中で朝日新聞はこう言います。(欄外参照)

日本にとって最大の懸案は農業分野だろう。態度を保留した3カ国はいずれも農業大国だ。日本が農産物市場をさらに開放する用意があるのか、注視している。」

このようにあたかも農業分野の「開放」のみがTPPの焦点であるかのような前提に立っています。

しかし、現実には民主党TPPワーキングチームの報告にもあるように、交渉の焦点は既に金融やサービスといった分野になっており、米国農業界もいたって消極的なのです。

米国農業界は、むしろ豪州農業との競争激化を恐れており、TPPにより輸出補助金が存続するかの危惧を抱いています。

このようなことを正確に伝えずに、あいも変わらず農業こそがTPPの障害と決めつける論調は、大手マスコミが財界の代弁者と化したと言われても仕方がないでしょう。

次いで朝日社説は、日本農業の大型化こそが処方箋だと主張します。

「バラマキ色が強い現行の戸別所得補償の仕組み自体を改めないと、大規模化は進まない。民主と自民、公明の3党は制度の見直しを協議することで合意している。ただちに議論を始めるべきだ。」

民主党政権の愚策である農家戸別所得補償政策を批判する返す刃で、農業の大規模化こそが日本農業の延命の手段だと書いています。

その大型化とは農水省の農地10ヘクタール集積方針のことのようです。現在の平均2ヘクタール規模の農地を、集積して5倍の10ヘクタール規模にするというものです。

私は、農地集積はやりたい人はやればいいていどに考えています。大規模化は資金面、労働力面のリスクも大きく、またどうしても単作化してしまうためにかえって動きの激しいマーケット動向にそぐわないことがあります。

この農地大型化は経団連、同友会がかねてから「国際競争力をもった日本農業改革」と称して言い続けてきたもので、仮に10ヘクタールていどにしたところで、米豪の農地規模は100ヘクタールなのですから次元が違いすぎます

では100ヘクタール規模に日本の農地を集積できるのかといえば、北海道を除いては不可能だと思います。それは褶曲のある日本の風土に絶対的に規定されるからであり、その中で点在する農地を集積するこには自ずと限界があるからです。

ならば、関税自主権で守るべきは守るのが筋です。日本農業の王道は、米豪などのような大陸国家的大型化にあるのではなく、高品質でバリエーションに富み、安全で世界一おいしい農産物にあるはずです

島国が大陸型農業をまねてどうにかなるはずもありません。むしろそのような相手の土俵に引き込まれることこそが危険なのです。

TPP推進派が万年一日の如く唱える「農業衰亡論」、それはほんとうの日本農業の強さを知らない連中の空論にすぎません。

日本農業が改善せねばならない点を多くもっているのは当然です。それは他の産業と一緒です。問題は、日本の農業「のみ」が国会保護されていて、それは大型化でしか改革できないとする誤った論調です。

農業はTPP推進のダシに使われたくはありません。

■写真 今が盛りのタンポポです。こう撮るとあまりそう見えませんね。

        ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

■TPP、農業改革はどうした
(朝日新聞社説)

 環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加問題で、米国、豪州など9カ国との事前協議が当分続く見通しとなった。民主党内の反対論を踏まえ、野田首相は今月末の日米首脳会談での参加表明を見送る方針だ。
 まずは交渉に加わり、日本の主張を協定に反映させるよう努めるべきだ。私たちはそう主張してきた。TPPがアジア太平洋地域の通商の基盤となる可能性を考えてのことだ。政府は対応を急がねばならない。

 事前協議では、シンガポールなど6カ国が日本の交渉参加を無条件に歓迎した。一方、米、豪両国とニュージーランドは態度を保留した。
 TPPの対象分野は幅広い。米国は、業界の反対や懸念を背景に保険、自動車、牛肉の3分野で譲歩を迫っている。

 ただ、日本にとって最大の懸案は農業分野だろう。態度を保留した3カ国はいずれも農業大国だ。日本が農産物市場をさらに開放する用意があるのか、注視している。 (中略)
 農林水産省は昨年、農家1戸あたり約2ヘクタールの農地を10倍程度に広げ、競争力を高める方針を打ち出した。戸別所得補償に経営規模を大きくした農家への加算金を設け、今年度は大規模化に協力する農地の出し手への補助金も新設した。
 だが、加算金は用意した100億円の3分の1しか使われなかった。零細農家も対象とし、バラマキ色が強い現行の戸別所得補償の仕組み自体を改めないと、大規模化は進まない。

 民主と自民、公明の3党は制度の見直しを協議することで合意している。ただちに議論を始めるべきだ。
 TPPでは、関税引き下げ・撤廃交渉は「すべての品目が対象」とされる。ただ、各国とも守りたい品目を抱えており、例外が認められる可能性は高い。交渉を引っ張る米国の担当者もそう示唆した。

 交渉の場に早く加わって、激変を和らげる措置を勝ち取る。一方で農業改革をしっかり進める。そんなしたたかな戦略こそが求められている

2012年4月29日 (日)

TPPは米国アグリビジネスの日本農業支配だ!

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いよいよTPPが煮詰まってきました。

野田首相が、先代、先々代の両首相のように国会でなんの議論もしないまま、外国で勝手に国際公約をしてしまうという最悪の事態は絶対に阻止せねばなりません。

 昨年から較べると大分TPPの本質が国民に知られるようになってきましたが、いまでもTPPは外国の米や牛肉が安くなってラッキーていどに考えている方も多いようです。

 ■TPPは米国流に日本のヒト、モノ、カネのあり方を変えることだ

TPP環太平洋経済連携協定)は煎じ詰めると、「モノ、カネ、ヒト」の三つの米国流自由化のことです。モノで入ってくるのは、関税問題です。カネで入ってくるのは、資本投資や保険、金融サービスなど。ヒトで入って来るのは、看護士や介護士、医師、単純労働者の移民問題です。

関税の全面廃止がTPPの大原則

 まず米国は、コメ、小麦、大豆などの穀物類や油糧穀物、牛肉、豚肉、小麦、酪農製品の輸出の無関税化はまっさきに要求するでしょう。

 今USTR(米国通商代表部)のカーク代表はなにか例外措置をしてもいいかのような口当たりのいいことをほのめかしていますが、あのようなことは米国がよくやるフェイント交渉術にすぎません。

関税が自由化されたのなら、北海道、南西諸島、沖縄初等の農業は壊滅状態になる

 関税の自由化だけで、日本の米作と畜産は壊滅的打撃を受け、サトウキビなどの離島支援政策も取れなくなるために、南西諸島、八重山、宮古地域の基幹産業が壊滅します。日本の地方産業を支えていた農業半ば壊滅状態におちいるでしょう。

米国アグリビジネスは日本の農地を狙う

さらにTPP発効となれば、米国アグリビジネスの参入可能となります。米国が日本という世界でもっとも生産性の高い沃土を狙っているとすれば、TPPというビッグチャンスを逃すはずがありません。

 経団連や同友会の計算どおり農地の統合、整理による大規模化が実現すれば、コメの生産は、理論的には今の3分の2程度のコストで可能です。現実には、地権や点在する農地の問題が出てくるでしょうが、国が資本と組んで農業団体の反対を押し切ればまったく不可能なわけではありません。

 もし、そのような強引な形で大規模化を進めるなら、水田の土地改良区などは真っ先に標的になり、外国アグリビジネスが札束で頬を叩きに来るでしょう。その時には、外国アグリビジネスは、国内農業法人格を取得して外国資本日本農業法人として農地を借りたり、買ったりできるようになっています。

米国アグリビジネスは「日本ブランド」の農産物を標的にする

そこに、TPPで大量に流入してくる安価な東南アジア農業労働者を使って大型化すれば、国際競争力のある「日本米」商品の一丁上がりです。それは世界最高品質の「日本米」ブランドで国際市場に輸出されていきます。米国資本で、外国人労働者が作ったものでも「ジャパンライス」を名乗れるのです。そしてこれを売りさばくのは同系列のアグリビジネス商社です。

モンサント社は日本の種子をGM化して独占しようとする

また、モンサント社のGM(遺伝子組換え)種とGM対応農薬とのワンセット販売もアグリビジネスをさらに潤おわせることでしょう。

モンサントは、既にGM米品種を所有しており、日本米をGM化するだけで別の品種として知的所有権を主張するでしょう。日本米はモンサントと住友化学(会長・経団連会長米倉晶弘氏)との提携によってできた除草剤耐性をもつGM種子に握られる可能性が高いと思われます。

このようにして、コメのGM品種-GM対応農薬-大規模農地-大量生産-大量流通-大量輸出という米国流の垂直統合型コメ統合ラインが完成します

米国の日本農業支配を許すな!

同じようなことは野菜や果樹でも進行するでしょう。それは外国アグリビジネスの日本農業支配です。TPPによって、米国は「日本農産物」という世界有数のアグリ商品を手にすることができるのです。

このようなことになった場合、日本農業は死活をかけて闘わねばなりませんが、その予防線も既にTPPに仕込んであります。それがISD条項です。ISD条項は、「海外投資家が不利益を被ったと自分で判断すれば、協定違反であろうとなかろうと相手国を提訴できる」というすさまじいまでに海外投資家を優遇した条項です。

このような米国アグリビジネスの日本農業支配をぜったいに許してはなりません。

2012年4月28日 (土)

すごいぞ、京都市“都市油田発掘プロジェクト”!    その3 ゴミバイエタで二条城の蟷螂が灯った

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福島第1原発事故以降、自然エネルギーが真剣に検討され始めました。いいことです。

原子力が未だ完成された技術ではなく、安全性というもっとも重要なアキレス腱があることが分かってしまいました。

このような安全性が完全に確証されていない時期に、拙速な政治的再稼働を政府がしようとしたために、地元や周辺自治体のみならず国民から総スッカンを喰らいました。枝野大臣など日々ダッチロールです。

さて、自然エネルギーは風力、太陽光、揚水、水力、地熱などいくつもあります。今後、思わぬものからエネルギーを取り出せることが続々と分かってくることでしょう。

ある時は藻から、ある時は廃棄物からさえも!

私は自然利用エネルギーと区別して、循環型エネルギーも新時代に突入していると感じています。

それを確信したのは、先日、TBS「夢の扉」で放映された「都市油田発掘プロジェクト」をみたからでした。

今までただ燃やすだけだったり、埋め立てに使うだけだったゴミがエネルギー源になるというまさに夢のような話でした。

この計画は京都市が進めるゴミ廃棄物からバイオエタノールをとり出して、エネルギー源にしてしまう、という刺激的なものです。

バイオエタノールは、「地球にやさしい」という謳い文句で登場しました。しかし、その内実たるや、「食料を燃やして車を動かす」とでもいうべき野蛮なシロモノでした。

こんなものからは飢餓しか産まれません。食料危機が叫ばれる21世紀に、なんというバチ当たりな!

トウモロコシやサトウキビからは簡単に発酵してバイオエタノールが取り出せます。それは植物が糖分を持っているからです。

ですから、木材チップでも紙からでもバイオエタノールは抽出することが可能です。ならば、紙クズからもできるはずだと考えたのが京都市環境戦略課の山田一男氏でした。

しかし、この紙クズバイエタには大きな壁がありました。それは紙ゴミが雑菌の塊だったからです。それに打ち克つ発酵菌が存在しない、これがネックで今まで実用化が出来ないでいました。

実用化ができさえすれば、こんなスゴイものはありません。今処分に困っている都市のゴミ問題も一挙に解決するばかりでなく、ただ燃やすのではなく、エネルギー源に転換するのですから。

しかも廃棄物バイエタは、天候条件に左右されやすい自然エネルギーとは違って、24時間営業、365日稼働、しかも原料ときたらほとんど無尽蔵です。

山田さんは、汚染に負けない発酵菌の開発を熊本大学の発酵学の権威・木田建次教授に以来しました。そして木田先生は、見事2年がかりでこのスーパー酵母の開発に成功するのです。

完成したスーパー木田酵母は、単に汚染に負けないタフな酵母であるばかりではなく、使用後にまとまりやすく回収が容易にでき、再利用が可能というすぐれものでした。

スーパー酵母が完成するまでの2年間、山田さんたちは日立造船と提携してゴミ・バイエタの実証プラントを作っていました。

原料にあたる紙を、多種多様なゴミの中から選別することが必要でした。この選別技術は現在、かなりのところまで実用化されて、各地で稼働しています。

この実証プラントも日本で初めてだったが故に(ということは世界初ですが)、試行錯誤の連続だったようです。

日立造船の担当者は、笑いながら「山田さんが上司だったら参ります。なぜできない、とすぐ言うんです」と語っていました。

出来上がった実証プラントは、木田酵母の完成を待って、京都市西京区の西部圧縮梱包施設に設けた試験設備を使い、3月から始められました。

まず、ゴミは破砕され、遠心分離を利用した大きな洗濯機のような分別機を通して生ゴミと湿った紙の重量ゴミ、そして乾いた紙やビニールの軽量ゴミに仕分けられます。

更にその中のビニール類が取り除かれて繊維状になった紙が分離され、一気に脱水器で水を絞って、これで原料の紙パルプができます。

ここで、木田先生の苦心の2倍培養したスペシャル酵母が反応槽に投入されて、酸素をと水を加えながら5日間ほど発酵をさせるとバイエタの素とでもいうべき発酵もろみが出来上がります。

ここまでできればあと少し。この発酵もろみを蒸溜塔で加熱し、気化したバイエタのみを回収します。これで完成しました。書くと長いですが、自動化されているためにかなりの高速で蒸溜が終了しているようです。

この5日間、山田さんや木田先生、日立造船の人たちは、毎日産まれる子供を待つ父親のような気持ちだったことでしょう。

そして5日後、反応槽のコックをひねると、タラタラは透き通ったバイエタがビーカーに注がれていきます。ほのかなアルコール臭。初抽出されたエタノールの原料は、市内の小学校や大学から排出された古紙と一般家庭の生ごみを7対3の割合で混ぜた廃棄物。酵素と酵母を加えた反応槽で5日間かけて糖化・発酵させた。」(京都新聞)

現在はこの実証実験の成功を受けて、本格的なプラント構想に入っているようです。

実用化にあたって問題となるのは製造コストですが、これも本格的に稼働するプラントが拡大していき、スケールメリットがとれるようになれば格段に下がるはずです。

「試験設備の設置費を除いた1リットルあたりの製造コストは約120円。エタノールのエネルギー量はガソリンの3分の2程度とされるため、市販のガソリンに対抗するにはさらなるコストダウンが必要だが、「紙と生ごみの混合割合を精査したり酵母の改良を重ねることで、コストを下げることは十分可能」(市環境政策局)という。」(同上)

循環型エネルギーの新しい扉を開いた廃棄物バイエタ。山田さんたちは反応槽から出た最初のひと滴を、美酒のように眺めたと思います。

2012年4月27日 (金)

小沢氏裁判判決 無罪だが無実ではない

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小沢氏の裁判で、東京地裁は無罪を言い渡しました。争点は三つありました。

検察審議会の起訴議決の正当性の是非。
❷政治報告書の虚偽記載の認定。
❸既に判決が出ている秘書との共謀関係の認定

(欄外判決主文抜粋参照)

以上3ツについて、東京地裁は、➊の検察審査会の起訴は有効としました。❷の政治資金報告書の虚偽記載も事実であるとして、違法性を認めました。

❸の秘書たちとの共謀については、東京地裁は秘書の報告を了承したが、指示した明確な証拠はないとして無罪としました。これは東京地検特捜部の、取り調べの違法性が批判され、石川秘書供述調書が却下されたために、共謀認定には至りませんでした。

石川証言については、地裁はかねてから東京地検特捜部の、「強力な利益誘導や圧力があった」として大部分を却下していますから、そう驚くことではありません。

つまり、小沢氏は政治資金規正法を逃れるために巨額の現金を動かしたのは確かだが、それを元秘書が独断でやったとは言い難いが、決定的な証拠・証言に欠けるということになります。

東京地裁としても9割まで小沢氏をクロと考えているが、最後の詰めがないために司法としては仕方がなく無罪とした、というところでしょうか。

なんのことはない、小沢氏は特捜部の敵失で救われたことになります。起訴すらできずに、それに替わっての国民の起訴の足まで引っ張るとなると、ダメダメにもほどがあります。

小沢氏にとって薄氷の「勝利」です。判決内容としては、共謀関係のみを認定していないだけで、問われていた案件についてはほぼ起訴内容を認めています。

これでは小沢氏としても、とても潔白とは胸が張れない判決でしょう。よくてイーブン、はっきり言って内容的には負けていると言ってもいいと、私は思います。

小沢氏の疑惑はありすぎて一覧表にでもしたほうがいいくらいです。

ざっと上げてみれば

19994年12月、小沢が代表幹事を務めた新生党が新進党移行時に解党した際の党本部政治資金残額9億2千万円が、小沢氏資金管理団体「改革フォーラム21」へ流れたとされる事件。

❷新進党解党の後に、小沢氏が設立した自由党が、民主党と合併するために解党した際の党資金残額13億8千万円(うち3億5千万円が政治資金)を小沢氏の影響下にある「改革国民会議」に流したとされる事件。

❸2009年衆院解散時に、「「改革フォーラム21」から小沢氏が代表をしている党支部を迂回して小沢氏の資金管理団塊「陸山会」に3億7000万円を流したとされる事件。

➍2000~06年の間、「改革フォーラム21」にゼネコンからダム建設の見返りとして賄賂性が強い5億5千万円の献金があったとされ、この献金を後に企業献金が禁じられている「陸山会」に移したとされる事件。

他にもなにかあったような気がしますが、小沢一郎氏という政治家が金こそが権力の源泉であることを信奉する人であることは間違いない事実です。

概算で26億7千万円もの政党資金と5億5千万円のゼネコンからの企業献金、しめて32億円を超える巨額な資金が、小沢氏の元に流れ込んだとみられています。そのうちのそうとうな割合が政党助成金でした。

つまりは、税金をかすめ取ったと言われても仕方がない所業でした。一般国民が30数億もの金を、出所不明で持っていようものなら、持っているだけでマルサに徹底的に洗われてしまいます。しかし大物政治家は違うようです。

小沢氏は、今まで自分の作った政治資金規正法を見事すり抜けて蓄財を続けてきました。「改革フォーラム」や「改革国民会議」に資金を移動させること自体は違法ではないからです。

なにせ政治資金規正法を立法し、法の裏の裏まで知り抜いている小沢氏本人がやっているのですから間違いはありません。

しかし、その次にこれを個人の資金管理団体である「陸山会」の懐にねじり込んだとなると、どうみても私物化以外のなにものでもありません。

ところが、これまた政治資金規正法上は「想定外」なのでセーフです。違法行為はしていない、単なる脱法行為だ、というわけです。

なにかすごいですね。さすが大学院まで行って法を、いや法の裏側を研究なさってきただけはあります。

東京地裁も、この脱法行為を罰する法がないので、「政治資金規正法の精神にそぐわないことは明らか」(判決主文)というお叱りだけにとどめざるを得ませんでした

法的には小沢氏本人に言わせると、単なる「記入ミス」の微罪にすぎません。しかしさきほど述べたように政治資金とは税金から出されたものですから、ずいぶんと国民を馬鹿にした話です。

これらの不正蓄財、もとい、脱法蓄財により「陸山会」は都内の一等地から沖縄にいたるまで巨額の不動産を買いあさりました。

この脱法マエストロもお歳のせいかボロを出したのが今回の事件でした。あろうことか突然4億が小沢氏のタンスから湧きだした怪奇現象に国民が沸いたものでした。

小沢氏はまだ枯れる気などさらさらないようですが、もうこんな危ない橋を渡るのはお止めになったほうがいいかと思います。

小沢氏の師匠であった田中角栄氏が、刑務所の塀の上を歩くと評されて、結局本当に向こう側に落ちたことをお忘れなきように。小沢さん、あなたは無罪だが無実ではないのですから。

まぁ、TPPと増税に反対する立場の私としては、ちょっといい判決だったのかとも思いますので、あながち皮肉ではなく、ぜひ小沢さんとそのご一党には奮闘していただきたいと願っております。

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

小沢元代表裁判 判決の要旨
NHKニュース

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120426/k10014737421000.html

2012年4月26日 (木)

放射能問題における「バカの壁」

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ゴミ焼却からバイエタの3回目の予定でしたが、少し違うことを書きます。

放射能問題は、もはや養老孟司先生のいう「バカの壁」になりつつあります。

流行語ともなったので、ご存じの方も多いと思いますが、「バカの壁」とは、自分の回りに「壁」を作った状態の人たちの思考状態を指します。

同じような「壁」を作った人たちとだけのコミュニケーションしか存在せず、その内部だけでどんどん煮詰まっていきます。

そしてやがて「壁」は高くなり、少し前までは食品基準値を300ベクレルでは高すぎる、半分以下にしろと叫んでいた人たちは、100ベクレルになったとたん、いや5ベクレルでも危ない、もはやゼロベクレルしかない、という風にエスカレートしていきました。

私は、ゼロベクレルを唱えるある人から、「原発事故前まではゼロなのだから、5ベクレルだって5倍、いや無限倍に脅威が増大したのだ」と言われた時には、返す言葉もありませんでした。

たしかに去年までは仕方がない状況がありました。政府が情報の操作・隠匿を率先してやったからです。あのように情報がブラインドされてしまっては、風説、デマがはびこって当然です。

その風説の最たるものは、「東日本は終わった」という東日本全体を危険地帯視する言説でした。

初めての原発避難者に対する社会学的調査である「原発避難論」(山下祐介 開沼博)によれば、計画的避難区域以外の自主避難者のほぼ全員が武田邦彦氏と早川由紀夫氏に強い影響を受けたと回答しています。

しかし、あれから既に1年以上たっています。情報は官公庁、自治体、研究所などから豊富に提供されてきています。知見においても、客観的なものが多数ネットで閲覧できます。

にもかかわらず、あいもかわらず「東日本は危険地帯だ」とする「壁」は消滅していません。

いや、大部分の国民の間ではほぼ消滅しているのですが、「壁」を築いた人たちの間ではいっそう強固になるようです。

状況は日々刻々変化し、情報はもまた更新されているというのに、「絶対の真実」がどこかにあるという思い込んでいます。

そのような人たちは、回りの人たちが情報を更新してバランスのとれた考えをすることを「風化」と呼びます。自分たちだけが正しいのですから、それから逸脱するのは「風化」というわけです。

それが高じると、「壁」の外にいる人達が間違っている、啓蒙して「正しい思想」を注入してやらないとダメだ勝手に思い込むようになります。

この世には百人の人がいれば百通の説があっても当然なのに、それに耐えられません。そして「壁」の外に分かって攻撃を開始します。攻撃的に、戦闘的に、そして執拗に。

まるで中世の異端審問官です。これは冗談ですが、彼らが権力を握っていたら、山下俊一氏や中川恵一氏などは火あぶりにされていたでしょう。

私は、「壁」の中の人たちが信奉するバンダジェフスキー氏やトンデル氏を頭から否定しようとは思いません。(バズビー氏は学者というより政治的運動家ですから別にします。)

バンダジェフスキー氏は、ベラルーシ独裁政権の弾圧下という限られた条件で限られた事案を分析し、国外へ持ち出しました。

その限定された条件下での彼の結論が、放射性セシウムが臓器に蓄積されて障害を引き起こすというものであったとしても、それは真実の一断面を切り取ったものだと思っています。

トンデル氏は極北の遊牧民の体内に、トナカイ肉やコケモモ、キノコなどから内部被曝し、セシウムが多くの後障害を起したとしています。

私はそれもあるかもしれない、と思います。ただそれだけです。多くの未だ全貌が分かっていない放射能禍という巨大なジグゾーパズルのひとつのピースにすぎません。

バンダジェフスキー氏の50数例の事案からすべてを解き明かすことには無理がありますし、トンデル氏の検証した北極圏に住む狩猟民と私たち日本人を比較することも意味がありません。

内部被曝が食によるのなら、風土に規定される食に濃厚に影響されるからです。日本人はトナカイ肉もコケモモも食べません。

ある特定のケースを全体にあてはめて普遍化するような考え方は、放射能被害の全貌を見誤ります。

瓦礫処分反対に関しては、度が過ぎた行き過ぎです。これは去年まき散らされた「東日本汚染地帯論」が肥大したものです。

これはリクツもデータもなにもない、ただひたすら東日本を危険地帯として、連帯を拒み、いや連帯することをすら口を極めて罵って恥ません。

被災地と繋がりたいと思う私たちが幾度となくデータを出してもまったく読まないし、私たちの出す「岩手、宮城の瓦礫が放射性瓦礫ですか?」という問いにすら答えません。

反対している両県の瓦礫が放射性廃棄物なのかどうなのかすら押えないで、反対運動もないものだと私は思います。

このように書くと、いっそう依怙地になるかもしれませんが、「壁」の中だけが世界のすべてではありません。

            ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

monakaさんのコメンイトを転載します。

たいへんにまとまっており、私も知らなかったデータもご教示頂きました。ありがとうございます。

また、岩手県の方からも頂戴しました。まだ苦難は続きますが、お体にご自愛くださって、一日も早くふるさとが復興されることをお祈りします。

以下、monakaさんのコメントです。

この場をお借りして、首都圏のママさんにお返事です。
私も、汚染の低い場所には汚染の高いところで出た焼却物を持っていくべきではないと思います。
岩手、宮城の津波で出た瓦礫は、その瓦礫より高濃度の放射性物質を含むごみをすでに毎日焼却している自治体にお手伝い頂けたらありがたいと思っています。

「宮城県も岩手県も、セシウムが降下したことが確実です」とおっしゃるのを拝見すると、正確なデータをご覧になっていないのではと思います。去年、文部科学省がアメリカと共同で行った東日本各地の空間線量と放射性物質の沈着量のデータがこちらにあります。

http://radioactivity.mext.go.jp/old/ja/monitoring_around_FukushimaNPP_MEXT_DOE_airborne_monitoring/

また、去年7月時点での東日本各地のごみ焼却炉の焼却灰の放射線量の公式発表があります。これは、その土地に降った放射性物質の多寡の目安になると思います。
http://www.env.go.jp/jishin/attach/waste-radioCs-16pref-result20110829.pdf

ところで、「現地で処理するたった1割か2割」とおっしゃいますが、それは「そのくらいでもいいから受け入れてもらえたらありがたい」量であって「それで十分」ではないのです。
たとえば、石巻の瓦礫は現地だけで処分しようとすると、100年かかる量です。
岩手でも宮城でも、すでに焼却炉を何基も建てて処理していますが、追いつきません。

おっしゃるように、汚染されていない西日本を綺麗に保ちつつ、津波によって発生した大量の瓦礫による害(不衛生、火災の危険、復興計画の遅延)から津波被災者を救ってもらうことが可能だとすると、それは先に言ったように、津波瓦礫よりも高濃度の放射性物質を含むごみをすでに毎日焼却している東日本の自治体に協力してもらう以外ありません。

残念なことですが、原発事故以前から日本各地で焼却灰の他県委託が行われているために現在も、津波による瓦礫の焼却灰の比ではない放射線量の焼却灰が首都圏から他県に運び込まれ、埋め立てられています。
去年は国の基準値を超える焼却灰が千葉から持ち込まれた秋田県が、首都圏からの焼却灰受け入れを拒否しました。

http://www.asahi.com/national/update/1203/TKY201112030123.html

とばっちりで、国の基準値以下だった埼玉などの焼却灰も受け入れてもらえなくなったのは気の毒ですが、誰しも自分の土地のごみ焼却灰より高い線量の焼却灰を受け入れるのを忌避したいのは理解できます。想像ですが、もしかしたら、本来なら低レベル放射性廃棄物処分場に封じ込めるべき線量以上だったのかもしれません。
http://www.city.kazo.lg.jp/hp/menu000010200/hpg000010187.htm

話がそれてしまいましたが、こういったセシウムが多く降下した地域のごみ焼却炉で津波の瓦礫を燃やしてもらうのが、理想だと思うのです。
もちろん、受け入れなければならない義務も法律もありません。
科学的理性的に判断したうえで人助けをするかしないか、それだけです。断ったからといって非難されるべきではありません。

ところで、ネット上で「岩手県宮古市の瓦礫を受け入れた東京(品川)が放射能で汚染された」というデマを見てとても悲しく思うとともに、デマを目にして真偽がわからずご心配の方もおいでかと思うと、とても心苦しいです。

空間線量でのデータなのですが、宮古の瓦礫を燃やし始めたら、その近辺の線量が低くなった公式データがあるので、こちらにリンクさせていただきます。

http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/resource/disaster-waste/docs/ukeire_231130.pdf

2012年4月25日 (水)

すごいぞ、京都市“都市油田発掘プロジェクト”!    その2 発酵界の権威は挑戦を受けて立った

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今回取り上げたのは、京都市の「都市油田発掘プロジェクト」です。これは実用化されれば、ゴミ廃棄物処理のコペルニクス的展開となる可能性を秘めています。

廃棄物処分は現在、燃料をかけて燃やされるような処分の仕方をしています。しかも、燃焼を消さないために24時間環境センターを稼働させるという非効率的なことをやっています。

これではコストをかけて燃やしているだけということになり、自治体の大きな財政負担になっていることはご承知のとおりです。

「ただ燃やす」ではカッコがつかないので、温水プールなどを作って市民サービスをしようとしていますが、根本的な解決ではありません。

ここで発想を入れ換えます。ただ社会的コスト(税金)をかけて燃やすから、その時発生する熱でタビーンを回して発電ができるのではないかと考えた人がいました。

それがこの「都市油田発掘プロジェクト」の責任者の山田一男さんという京都市のゴミ処理25年の強者でした。

発電ができれば、ゴミ処理施設は発電所に転換できるわけです。事実、このアイデアで京都市ではゴミ処分発電所が稼働しています。

そしてそれを今回もう一歩進めて山田さんは、ゴミ廃棄物からバイオ燃料を作れないかと考えました。

着想は実にシンプルでした。ゴミの多くを占めるのは紙です。紙は要するに木材ではないか、と山田さんは考えたのです。

ならば、木材はバイオエタノールを製造するのにもっとも適した原料です。バイエタを作るに欠かせない糖分を含んでいるからです。

とすれば、廃棄物はやっかい者からバイエタの貴重な原料に変化できるわけです。

と、ここまでは順調だったのですが、ここに大きなネックがありました。それは紙ゴミは雑菌の塊で、それを発酵できる酵母菌が存在しなかったのです。

通常のバイエタ分解酵母ではまったく歯が立たないので、今まで「ゴミをバイエタに」という着想は浮かんでは消えていたのでした。酵母、これがこのプロジェクトのコア技術でした

ないのなら作ってしまおう、そう山田さんは考えました。ここがスゴイ。彼が駆け込んだのは熊本大学の発酵学の権威・木田建次教授の元でした。

木田先生は、山田さんの「紙をバイエタに」という熱意にほだされて「スペシャル酵母」を2年かけて作り始めました。

実はわが国の発酵技術は間違いなく世界最高水準です。これは日本民族が何千年にも渡って発酵食品を食の基礎にしてきたからです。

醤油、味噌などの基礎調味料は言うに及ばず、漬け物、納豆などの副食、酒といった嗜好品にいたるまで発酵技術を使わぬものがないほど多彩な伝統を誇っています。

この民族の食の伝統が、現代の発酵技術の基礎となっています。言い換えれば、農の技術が形を替えて生きているのが発酵技術だとも言えます。

たとえば農業では、そのコア技術とでもいうべき土壌改良剤・堆肥を発酵技術で作り出します。納豆菌(枯草菌)、ホウセン菌、乳酸菌など多種多彩な発酵菌の助けを借りて製造しています。

この農業のコア技術は、米の稲藁に枯草菌が大量に含まれているために、藁づとで蒸した大豆をくるんだら納豆になってしまった、というように食品製造にも応用されていきます。

日本酒の原料の米は、果実と違って糖分が少ないので簡単に酒になりません。

これを麹カビを使って糖に替えてアルコール度数20%にまでするという高度な技術を使っています。「並行複発酵」と呼びますが、こんなややっこしい酒を作っているのはわが国のみです。(←漫画「もやしもん」に教えてもらいました。)

世界に冠たる発酵技術界の権威・木田先生は、この京都から落ち込まれた「雑菌だらけでどうしようもなく汚いイゴミ」を控訴分解してしまう酵母菌の製造を受けてたったのです。

いや漢だね、先生。きっと先生は山田さんの熱に意気に感じてしまったのでしょう。そして2年がかりで出来たのが「スペシャル酵母」でした。

というところでまた次回。

        ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

■紙ごみからエタノールを抽出 バイオ燃料化に成功
京都新聞

紙ごみからバイオ燃料を製造する「都市油田発掘プロジェクト」に取り組む京都市と日立造船(大阪市)は、ごみ500キロから純度99・5%のエタノール35リットルの抽出に成功した。6、7の2日間、中京区の二条城で抽出エタノールを使って発電機を動かし、発光ダイオード(LED)灯籠を点灯させる。

 紙ごみの燃料化は、西京区の西部圧縮梱包施設に設けた試験設備を使い、3月から始めた。初抽出されたエタノールの原料は、市内の小学校や大学から排出された古紙と一般家庭の生ごみを7対3の割合で混ぜた廃棄物。酵素と酵母を加えた反応槽で5日間かけて糖化・発酵させた。

 試験設備の設置費を除いた1リットルあたりの製造コストは約120円。エタノールのエネルギー量はガソリンの3分の2程度とされるため、市販のガソリンに対抗するにはさらなるコストダウンが必要だが、「紙と生ごみの混合割合を精査したり酵母の改良を重ねることで、コストを下げることは十分可能」(市環境政策局)という。

 同局施設整備課は「廃棄していた紙ごみを燃料に変えられることが実証できた。今後は発酵後の残りかすからもメタンガスを取り出す実験も行い、ごみのエネルギー化を進めたい」としている。

 LED灯籠の点灯は6日午後5時~5時15分、7日午後6時半~7時半。ガソリンを混ぜずにエタノールだけで発電機を動かす。

2012年4月24日 (火)

すごいぞ、京都市“都市油田発掘プロジェクト”!    その1 バイエタのウソクササとは

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先週22日の日曜日にTBS「夢の扉」で放映された「一般ゴミからバイオエタノール」はたいへんにエキサイティングでした。

私は、「自然エネルギー」という美名をかぶったバイオエタノールがかなり嫌いです。「地球に優しい」という修辞もかなり眉唾だと思っています。

カーボンニュートラルといって生育過程でCO2を吸収するから、燃焼・排気する時に出るCO2と打ち消し合うというリクツ自体がうさんくさいじゃないですか。

それはどこかの頭のいい人が考えたレトリック、いやトリックだと思います。第一、都市で排気出して走っているのですから、現実はなにも変わっちゃいません。

第一、食い物を燃やすという発想が、農業者として怖気が出るほどイヤです。

穀物の国際市場価格はなにが変動原因かちょっと考えてみましょう。世界の穀倉の米国やウクライナの収量?それとも中国のバカ食い?

それもあるのですが、実態は原油価格です。原油価格が上昇すると、ガソリンの価格が上昇し、そしてガソリン代替物が上昇します。それがバイオ・エタノールです。 (下図参照)

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           表は九州大学大学院農学研究院伊東正一教授によりました。

このグラフを見ると、原油価格と穀物価格がパラレルに上昇しているのがわかります。

それはヘッジファンドのハゲタカ共が、それを見越してバイオ・エタノールの源材料となるトウモロコシにまでホットマネーを注ぎ込んだ結果、トウモロコシ価格が上昇していったからです。

そしてトウモロコシが上昇すると、 他の穀物相場の大豆、小麦、コメなどにまで波及して穀物相場全体が原油高騰と並行して上昇していきます。

これが世界の食料事情に悪い影響を与えます。トウモロコシを餌とするわが国の畜産価格、小麦、コメなどの主食関連、そしてもっともしわ寄せを喰うのは貧困国における穀物価格の上昇です。

スーダン、エジプトのジャスミン革命の背景には、この穀物相場の上昇がありました。風が吹くと桶屋がもうかるではありませんが、世界的飢餓の大きな原因がバイエタであるのは確かです。

まったくとんでもない「地球にやさしい」」もあったもんです。
*関連過去ログ
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-e331.html

ああ、いかん、バイエタの悪口だけで終わってしまう。しかし、バイエタ技術そのものはそう悪いものではありません。使い方が間違っているだけです

バイエタは人間の食と競合するものから作るべきではなく、廃棄物から取り出すべきなのです

なぜなら、食と競合しないのはもちろんですが、廃棄物は無尽蔵だからです。廃棄物をただ燃やしてオシマイなのはあまりに能がなさ過ぎます。

さて、ここで京都市環境政策局職員の山田一男氏をご紹介します。パチパチ。

実を言うと、私は役人は好きではありません。発を感じた役人があまりに少ないからで、たまに出合うとその人は職場で孤立していたりします。

しかし、この京都市の役人・山田氏はとてつもない「熱」を持った男でした。彼が今追いかけているのは、「都市を油田化する」という途方もないことです。

山田氏は廃棄物処理一筋27年の「ゴミのプロ」です。いままで彼が手がけた仕事は、環境センターの発電所化などがあります。

これもスゴイ。うちの県の環境対策のお役人に見せてあげたい。いままでただ燃やしていたり、せいぜいが温水プールを作るくらいていどだったのが、コミを燃やす熱でタービンを回して発電してしまうのです。

ゴミを都市の資源と見なす」という山田氏の一貫した姿勢がはっきり出たプロジェクトでした。

山田氏は「都市鉱山」も手がけており、廃棄された携帯などのマザーボードからのレアメタルや、金の回収に成功して実用化しています。

これだけでも充分にズゴイのですが、これで終わらない。というか、ここからが始まりなのです。

山田氏が現在全力で取り組んでいるのが、ゴミ廃棄物のバイオエタノール化です。名づけて“都市油田発掘プロジェクト”。そそる名前ですね!

というところで、長くなりましたので、次回も続けます。

■写真 カメリアの華麗な花のトンネル。


2012年4月23日 (月)

政府、空間放射線量予測図を公表 生活と生産を持続することが大事だ

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政府が1年後から、2年後、5年後、10年後、20年後の空間放射線量予測図を公表しました。これは避難区域の帰還計画の参考資料とするものです。
(欄外切り抜き・図表参照)

この政府予想図によれば
「原発が立地する大熊町と双葉町の境界付近では20年後でも居住が原則制限される帰還困難区域(年間被ばく線量50ミリシーベルト超)が、両町に加えて浪江町、葛尾村では居住制限区域(同50ミリシーベルト以下20ミリシーベルト超)が残る。」
(毎日新聞)

ただし、この政府予想図はあくまでも理論シミュレーションであり、現在進められている住宅地、農地の除染作業の結果を反映していないものです。

私はこの政府予想図よりはるかに早いスピードで放射能は減衰していくと考えています。これは、去年の事故当時の予想を大幅に超える早いテンポで放射能が減衰しているからです。

事故から24年たったチェルノブイリ原発脇での現在の放射線量は0.48μSvです。チェルノブイリ原発周辺は事故直後には、防護服なしでは急性被曝症状で死に至る放射線量だった所です。土壌放射線量は200万bq/平方mを超えていたと思われます。

また原発から40キロ離れた農村部でも、現時点で0.11μSvでした。現在の関東地方より低いくらいです。
*関連過去ログ
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-d5ce.html

セシウムは134と137との合計量で見るのですが、その比率は7対3と言われており、半減期が2年と短い134のほうが圧倒的に多いのです。(*7対3は放射線の強さでの比率です。存在比は1対1です。詳しくはコメント欄に付記しましたのでご覧ください。 )

134は2年で5割が半減し、10年後にはほぼ消滅してしまいます。一方、3割を占める137も26年間のうちに気象状況や自然条件によって除染をしないでも消滅・拡散していくようです。

また、避難区域の多くを占める農地を「耕す」ことによって、土壌放射線量は半分ていどにまで低落していきます。生産活動によって線量は劇的に低下していくのです。(下図参照)
*関連過去ログ
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-5c20.html

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(「放射能に克つ農の営み」 伊藤俊彦氏の図表より引用させていただきました。ありがとうございます。)

また住宅地においても、住むためにはしっかりとした除染活動をせざるをえないでしょう。人が帰ることににより、住宅の屋根、庭、道路、商業施設、公共施設、公園などの除染を急ピッチで進めねばなりません。

たしかに住宅地で用いられる高圧放水による除染は、「移染」でしかありませんが、それでも、下水処理施設で集中管理することができます。今のように生活空間に遍在しているよりはるかに処分しやすい条件を作れます。

もっとも悪いのは、人が生産しなくなり捨てられた田畑とゴーストタウンまがいの風景を作ることです。こうなってしまうと大量の雑草が生い茂り、除染活動に困難を来します。

刈った雑草も放射能を吸っているために、低レベル放射性廃棄物扱いにせねばなりません。表土から5㎝あたりに蓄積されているセシウム層もそのまま固定されたままになります。

帰還は多くの障害があることはいうまでもありません。生活インフラは震災の被害と放置された1年でズタズタでしょう。市民サービスも万全とはほど遠いでしょう。

なにより放射能に対する恐怖が最大の障壁でしょう。これについてはきめの細かい地域単位の測定所を設置して健康保護をせねばなりません。

また、残念ですが農業の場合、ゼロベクレル派が全盛の現在、作っても売ることには多くの困難が待ち受けているのは事実です。

避難区域の農産物は全量国家が買い上げる措置をとるべきです。それをとった上で、農業再開計画を国が全面支援すべきです。

農家にとって耕すこと、作ることが最大の放射能との闘いの武器なのですから。

          ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

福島の空間放射線量予測 10年後も「帰還困難」 3町に50ミリシーベルト以上地域
産経新聞4月23日

政府は22日、東京電力福島第1原発の事故に関し、福島県内などの今後20年間の空間放射線量の予測を公表した。それによると、浪江町の北西に広がっていた年間の空間放射線量100ミリシーベルト以上の高線量区域は、5年後には双葉町の福島第1原発周辺に縮小するが、10年後にも、住民が長期間戻れないとされる「帰還困難区域」にあたる50ミリシーベルト以上の地域が双葉、大熊、浪江の各町に残る。この3町と富岡町などでは、政府が住民に避難を求めている20ミリシーベルトを超える地域が残るとされている。

 原発事故で出された放射性物質の汚染土などを保管する中間貯蔵施設の設置をめぐり、国が設置場所を指名している福島県双葉郡の8町村長と平野達男復興相らとの意見交換会で、明らかにした。

 昨年11月に実施された航空機モニタリングの結果をもとに予測。1年、2年、5年、10年、20年後の福島の放射性物質の減衰と、風や雨などの自然現象の影響を考慮した理論値で、住民帰還のめどや復興計画をつくるための判断材料となる。

予測は除染を前提としておらず、平野復興相は「これだけの期間は最大限帰れないということを明示した」と説明。現在、除染の効果を調べるモデル事業を実施しており、各市町村が策定した除染計画も加味した上で、放射線量の減衰期間は短縮する可能性がある。

 年間の空間放射線量は、その場所で1日8時間、屋外で過ごした場合、1年間に浴びる積算の放射線量。3月末時点では、積算が150ミリシーベルト以上の地域が原発周辺や北西部に点在。50ミリシーベルト以上や20ミリシーベルト以上の地域も北西部を中心に帯状に広がっているという。

 一方、中間貯蔵施設の設置について、政府はこれまで示してきた双葉、大熊、楢葉の3町に分散設置したいという方針を改めて説明した。

 会合に出席した細野豪志環境相兼原発事故担当相は「施設の迷惑さばかりに目が行きがちだが、地域にとってプラスになる面もある」と強調。施設の設置で、管理業務や除染方法の研究業務など大規模な雇用が創出されるとした。

■ANNニュース 
政府は、福島県内の今後の空間放射線量の予測をまとめました。10年後でも福島第一原発のある双葉町などの一部では、帰還困難とされる50ミリシーベルトを超えています。

 細野環境大臣:「すべて帰還ありきということではないという選択も皆さんにして頂けるような準備はしなければならない」
 政府が示したのは、1年後から20年後までの福島県内の年間の空間放射線量の予測です。10年後にはほぼ全域で100ミリシーベルトを下回りますが、双葉町や大熊町、浪江町のそれぞれ一部では、10年後でも帰還困難区域の50ミリシーベルトを超えています。除染などの効果は見込んでいないということですが、平野復興大臣は「予測をもとにしながら、大まかな帰還の区域や見通しを作っていきたい」と述べています

         現時点の空間放射線量図(12年3月末)

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          1年後(13年3月末)の空間放射線量予測図

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           5年後(17年3月末)の空間線量率の予測図

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              20年後(32年3月末)の空間線量予想図

Photo

全図表はこちらからhttp://mainichi.jp/graph/2012/04/23/20120423k0000m010076000c/001.html?inb=yt

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産経新聞4月23日

2012年4月22日 (日)

家伝法の改革は必要だが、東国原氏に言われたくはない

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一昨年の宮崎口蹄疫事件のことを振り返る時に、「あの」東国原前知事に触れないわけにはいかないでしょう。

私はこの口蹄疫事件の中で、知事を批判しブログが炎上し、休載に追い込まれるという苦いめに合いました。後にも先にもあのようなことは初めてでした。

その前知事が山形県の講演でこんなことを言っていました。

19万頭の牛豚を殺処分せねばならずたいへんな思いをした。昭和26年にできた家畜伝染予防法をもとに指針を作っているから実態に合わない。限界を感じた。行政の危機管理を一から構築しなおさねばならない」(毎日新聞2010年11月7日)

ため息が出ます。彼はなにも学んでいませんね。少しも変わっていません。

家伝法(家畜伝染予防法)を「古い」と批判していますが、当時の現場責任者としてもっと具体的になにが「古い」のかを明らかにする義務があります。

家伝法は、いくたびか改訂されてきており、最終改正は平成22年度3月9日です。このどこが「古くて実態に合わない」のか、それを明確にしないで、口蹄疫事件を知らない一般聴衆に被害者づらして語るのはいただけません。

「実態に合わない」とすれば、その最大のポイントは、県が法的権限者であることでした

あるいは、殺処分が家畜所有者に委ねられているかのような法のあり方だったはずです。

あの口蹄疫対応の失敗はいくつかあります。その最大のものは、県が初動において自らの力で抑えこむことができなかったことです。

初発が3月末であったにもかかわらず、初発の農家からの再三に渡る早く検査結果を出してほしいとの訴えを無視し、発生動向調査(サーベイランス)を怠ったのは県でした。

あの4月16日から20日の確定までの期間に、なぜ早く綿密なサーベイランスをしなかったのかを省みることなく、「家伝法が古い」はないでしょう。

サーベイランスは家伝法の枠内でも充分できたはずであり、あの初動で抑えこんでいたのなら、あのような21万1608頭の殺処分といった悲劇を見ることはなかったはずです。(どうでもいいですが、知事は頭数を間違えています。)

あの事件を家伝法批判にすり替えるのはまったく筋違いで、県が疑わしき家畜が発見された場合、機敏に即応するにはどうすべきなのかという初動危機対応の視点が抜けています

前知事はひとごとのように「一から危機管理を構築しなおさねばならない」などと言っていますが、その言葉は自分にそのままはね返ってきます。

県の初動の失敗により、国が乗り出し、山田前大臣が現地対策本部長として現地入りした直後から、国に対して家畜の所有権を言いたて補償問題で無駄な時間を費やしたことへの反省はまったくないようです

というか彼にすれば、国に対して県民の財産を防衛する条件闘争を闘ったつもりかもしれません。

まぁそのおかげで県民からは圧倒的な支持を集めたわけですが、防疫責任者のすることではありません。

結果、国との作らなくてもよかった対立構造を深め、防疫指揮の二重構造を作ってしまいました。

もちろん、家伝法の中に二重構造は潜んでいたのですが、あそこまで亀裂を作る必要はなかったと思います。

5月初旬の時点で、既に宮崎県家保(家畜保健衛生所)は殺処分作業の限界を早くも迎えており、まったく収拾不可能な状況に陥っていました。一般県職員すら動員している有り様でも追いつかなかったのです。

宮崎県家保には同情すべき要素は多々ありますが、自己解決能力がなかったのです。

そしてなにより、その司令部たる県が混乱の極にありました。そしてその混乱の中心は、他ならぬ知事自身でした。

そこを問わずに、「家伝法が古い」はないのではありませんか。

仮に「家伝法が古い」というならば、英国のように海外悪性伝染病対応に対して国が直接権限を持つ緊急対応の仕組みが必要なことは事実です。

あのような伝染力が強い家畜伝染病は、地方自治体でどうにかなるレベルではありません。それを法的権限者であることを根拠にして、国との無意味な摩擦を起こし続けたのはかく言う知事でした。

東国原氏は山田大臣を悪者にし続けていますが、その前に県の防疫レベルが問うてみたらいかがでしょうか。豚への感染拡大をしたハブは、他ならぬ川南町の県家畜試験場でした。致命的失態といえます。

県の公的指導機関が感染ハブになる、家保は確定が遅れる、殺処分は進まず患畜は山のように溜まっていく一方というお粗末さを横において、あいも変わらぬ山田氏批判を繰り返しても仕方がないと、私は思います。

県は遅くとも4月28日の県試で豚感染が確認された時点で、速やかに非常事態を発令すべきでした。

それをしなかったのは、感染増幅家畜である豚の危険性を知らなかったとしか思えません。素人の知事が知らないのは当然として、試験場には獣医官が沢山いたでしょうに

それを怠って、丸々1か月遅れの非常事態宣言を発するという不手際になったのは、その間に後からでも出来る補償問題という政治的問題に時間を空費していたからです。

専門知識を持たない知事が現場指揮に固執したためにあのような事態に陥りました。知事は早期に県の獣医官に防疫指揮権を委譲すべきであり、自分は責任だけをとればよかったのです

ところがポピュリストの大衆政治家にありがちなスタンドプレー好きがこうじて、対応指揮権を握りしめるから事態がより混迷してしまいました。

まるで去年の原発事故対応時の菅首相とそっくりです。知事は責任だけを取って、現場対応は獣医師の専門官に委ねるべきでした

こんなあたりまえのことを言わねばならないのもある意味、家伝法の「欠陥」であることは確かです。

たとえば家伝法において、緊急即応時の責任体系の所在、どのような事態になった時点で非常事態宣言を出すのか、あるいはワクチンをいつ接種し、その目的は何かなどについて明解な規定をするべきです

国と県の役割についても、一元化すべきでしょう。これについては、東国原氏も同意見なようですが、失礼ながら氏を反面教師として私も一元化に踏み切るべき時期だと思います。

ただ、この人にだけは言われたくはないのは確かです。。

■写真 ペパーミントです。わが農場ではもう野生化しています。

2012年4月21日 (土)

ありがとう、宮崎!

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私は、4月20日という日付は忘れることができません。一般の方にはなじみが薄いでしょうが、一昨年に発生した宮崎口蹄疫事件の最初の日でした。

犠牲になった牛、豚などの家畜は約21万頭、日本家畜史上空前の、そして絶後であらねばならない災厄でした。

宮崎県畜産は未だ復興の途上にあります。それは、完全に家畜がいなくなった空白地帯が多く生じたからでした。

口蹄疫の初発をみた県東部・東児湯地域の5地区では、感染拡大を食い止めるために、ワクチン接種で遅らせながら、家畜をすべて殺処分にしていくという防疫方法がとられました。

このワクチン接種-殺処分という手段について、私は現地の畜産家や獣医師などと激論を交わした覚えがあります。

当時私は、マーカーワクチン(*)を使っているのだから、感染が確認できた個体だけ殺処分にすべきで、無人の荒野を作るが如き殺処分は非人道的であり、犠牲が甚大な上に、再建が困難になると主張しました。

そして山田正彦農水大臣の指揮した宮崎東部地域家畜ゼロ方針に大いに批判的でした。

今でも私はこれが原則としては正論だと思っています。ただし、当時は使えなかった「正論」でした。

当時の私はいくつかのことを見落としていました。まず最大の見落としは、牛豚共通感染症のリアルな実態を知らなかったことです。

牛は感染するのは早いのですが、拡大するテンポは比較的ゆっくりとしています。それに対して、豚は感染が遅れてくるにかかわらず、いったん感染が始まればその速度は牛の比ではありません。

つまりこういうことです。口蹄疫ウイルスは、牛から侵入し、豚で拡大していく特性があるのです。いったん侵入を許せば、防疫の重点は豚による感染拡大防止に重点が移るわけです。

そして2点目に、牛と豚の農家は一括りに「畜産家」としてくくれないほど異質なことです。それは牛と豚の生育スピードの大きな違いにより、家畜価格がまったく違うことです。

牛農家は、一頭一頭を家族のごとく育てますが、豚は群飼と言って一群ずつの管理になります。

愛情が違うということではなく、飼育方法の差による家畜への視点が異なるのです。そのために、畜産農家の体質すら異なっています。

このことが、宮崎口蹄疫の感染拡大防止という待ったなしの非常時に一気に噴出しました。

養豚家グループは全殺処分を主張して譲りませんでした。感染拡大をここで止めるためには、宮崎東部地域にいる牛、豚のすべてを殺さねばならない、とする血を吐くような方針でした。

これで養豚家は団結して、国をすら動かしていきます。そしてそれを理解したかつて五島の牛飼いであった山田大臣は、断腸の思いで全殺処分を命じました。

今思えば、この時、この場所に山田正彦氏という男が居てくれた偶然に感謝せねばなりません。彼が宮崎県畜産を救い、全国への拡大を阻止したのです。

この可愛い家畜に殺処分を命じる痛みを知る男がとった非常の手段が、全殺処分命令でした。この命令は泥を被る覚悟なしにできないことです。

しかしこれに戸惑ったのが牛農家と宮崎県でした。宮崎県は、初動制圧に失敗したにもかかわらず、家畜伝染予防法の権限者が知事であることを楯にして、補償問題で粘りに粘りました。

この県の条件闘争で、5月初旬から中旬にかけての感染爆発突入初期の制圧に失敗します。この認識を今なお東国原前知事はしていません。

さて、このような防疫の遅滞に危機感をもった全国養豚協会と獣医師たちは、ボランティアで宮崎現地入りし、地元家保と協力して防疫に当たりました。

防疫とは、すなわち殺処分です。もはやこの非常の方法しか手段はなかったのです。しかし、当時の私をも含めてですが、その認識が共有されませんでした。

それが先ほど述べた、牛農家と養豚家の体質の差からくる、現状認識に対する温度差でした。

もし、この地域が牛だけの産地だったのならば、あるいはまた、北海道のように農家と農家が離れていたのならば、マーカーワクチンで感染個体をあぶり出してそれだけ淘汰する方法も可能だったかもしれません。

しかし、宮崎東部は牛と豚が混在して、しかも狭い地域に密集している特徴がありました。

このような地域では豚を媒介にして、ウイルスはたちまちに増幅されて牛をも巻き込んで感染を拡げていきます。

宮崎県の畜産農家は、部に大きな亀裂をはらみながらも、ワクチンで食い止め、時間を稼ぎながら殺処分を進めていきました。その数、実に21万頭。

私はこの犠牲を払った宮崎県畜産農家に頭を下げます。彼らの自己犠牲により、宮崎県東部地域で感染は食い止められ、他地域に感染を移しませんでした。

これは宮崎口蹄疫事件の直後に起きた韓国口蹄疫が、瞬く間に全国に拡がり100万頭にも登る被害を出したことと対照的です。

まさに、宮崎県畜産農家が私たちを守ってくれたのです。

あれから2年。震災と放射能という出来事が同時に襲いました。先が見えないトンネルに入ってしまった気分の時、今でもあのときの宮崎県の人々を思い出すように努めています。

あの時、宮崎県の人々が、ここで口蹄疫を止めると誓ったように、私たち「被曝」地農業もここで放射能に克ちます。

ありがとう、宮崎!

■*マーカーワクチンとは、NSP抗体が陰性であることが確認できる特性を持ち、摂取した後に自然感染であるかどうかで感染したか否かが識別が出来る。全殺処分にする理由は、自然感染か、ワクチン由来の感染なのか区別できないことだが、マーカーワクチンだと可能である。宮崎県で接種された英国メリアル社のAftoporワクチンは、マーカーワクチンであった。
私のブログ関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-0ed3.html

■ 関心がおありの方は、カテゴリーの「口蹄疫問題」に大量に記事がありますのでお読みください。

■写真 散った椿の花です。椿は散り際も見事。

           ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

■宮崎県畜産農家の再建状況は下の記事をお読みください。ガンバレ、宮崎!

             日本農業新聞4月20日

Photo

2012年4月20日 (金)

岩手県震災瓦礫焼却灰の実証データではわずか133bqだった!東京、神奈川よりはるかに低い!

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先日の園遊会に招かれた村井宮城県知事が、陛下から瓦礫の進捗状況をたずねられて、やや苦しげに集積場所に管理しております、というような返答をしていたことが心に残りました。

宮城県は、知事が言うように集積だけは終了しています。しかし、宮城県だけで685万トン、隣県の岩手と合わせると実に2000万トンにも登ります。

これは、岩手県の11年分、宮城県の19年分に相当します。考えるまでもなく、これは当該自治体の処分能力をはるかに超えています。

現地で処分しきれない瓦礫の処分強力を求めているのですが、強硬な反対運動に合ってなかなか進まないのはご存じのとおりです。

その反対理由のひとつに、輸送コストをかけて移動するのは無駄だ、ということがあります。それは一理あることで、近隣の北関東、あるいは北陸、北海道南部で処分協力することが望ましいのは言うまでもありません。

そこで、北関東と北陸、北海道南部エリアの震災瓦礫協力状況を見てみましょう。(政令市を含む)
・受け入れ表明・・・・ 東京都 千葉市 栃木県 新潟市
・前向き検討中・・・・ 千葉県 茨城県 石川 福井 北海道
・拒否      ・・・・ 札幌市 関東・北陸エリアではなし 
・未定      ・・・・ 新潟県

ちなみに全国的に拒否を表明しているのは、和歌山県、徳島県、香川県、宮崎県、長野県で、受け入れ表明しているのは、愛知県です。

現時点で11都道府県10政令都市が受け入れを表明しているか、前向きに検討中です。

一方、政令指定都市で受け入れ拒否を表明しているのは、札幌市、名古屋市、福岡市です。札幌市は拒否理由を、「安全が確証が得られる状況にない」としており、行政みずからが瓦礫反対運動に加担しています。

現状において、東北を除く地域で瓦礫処理を実施しているのは東京都のみです。

今後、受け入れを表明、ないしは前向き検討中の千葉県、栃木県、茨城県と新潟市の自治体と、札幌市を除く北海道南部などの自治体を中心にして処分態勢を考えていくことになるでしょう

ではあらためて、環境省が定めた瓦礫処分のガイドラインを押えておきましょう。

・可燃物     ・・・・240~480bq/㎏以下
・焼却後の焼却灰・・・8000以下

反対運動や札幌市はこの8000bqが高すぎると主張しています。確かに、この8000bqという環境省の数値は、旧暫定規制値の土壌放射線量が5000bq以上であったことから、誤解を与えかねない数値であることは事実です。

この焼却灰8000bqのみに着目して、反対派はあたかも放射性瓦礫を拡散させる意思があるように理解しているようです。

これは誤解です。現時点で震災瓦礫の処分協力を要請しているのは、岩手県と宮城県のみです。もっとも高い汚染を受けてしまった福島県は要請する意思はありません

岩手、宮城県はほぼ被曝を受けていない地域で、ピンポイント的に被曝したのは一関市のみですが、震災瓦礫の協力要請はしていません。

では、岩手県における震災瓦礫の焼却実証実験のデータを東京、神奈川の下水汚泥と比較します。
・岩手県震災瓦礫焼却灰の放射性セシウム濃度・・・133bq/㎏
相模川流域と酒匂川流域の2施設の焼却灰  ・・・1024
 
東京都下水処理施設の焼却灰         ・・・・2000~1万

133bqというといかにも高そうな感じがしますが、それは食品基準値と比較しているからです。較べるならば下水道焼却灰と比較すべきでしょう。焼却灰は食べません。

すると較べるまでもなく、岩手県瓦礫焼却灰のほうが、はるかに低い線量です。放射線量が、低いのですから、当然すぎるほど当然の数値です。

この両県の空間線量と東京都、大阪府を比較してみましょう。

宮城県・・・0.061マイクロシーベルト/時
・岩手県・・・0.023

・東京都・・・0.056
・大阪府・・・0.076

関東各県はおろか、関西より低い放射線量の土地の瓦礫を拒否する理由を、反対運動を執拗に続ける人たちは明らかにすべきです。

それは岩手県、宮城県に対する根拠のない蔑視です。この反対運動は、被災地と非被災地に分断をもたらしています。

彼らが自分たちの声が、東北の被災地の人たちを傷つけているのみならず、復興・復旧の大きな妨げとなっているか胸に手を当てて考えるべきです。

今日4月20日は、宮崎口蹄疫が発生して2年目になります。本当にご苦労様でした。明日、このことを書きます。

2012年4月19日 (木)

富良野のロケット その3 自分の「ロケット」を打ち上げよう!

002

{富良野のロケット」最終話です。

消費税増税とTPPを政治生命にとする野田首相は「夢」を語りません。国民に希望を話すことができません。

ただひたすら荷を私たちの背に乗せようとするだけです。対話集会で、野田首相はある青年から、「今の日本には未来が見えない。更に増税で見えなくなった」、と言われて黙るしかなかったそうです。

農業もTPPになればまったく先が見えなくなります。漁業も震災から立ち直るには何年かかるかまったく見通しが立ちません。

まさに閉塞時代そのものです。自民党は閉塞時代をもたらし、民主党はそれにいっそうの混乱を加えただけでした。

幻滅と失意の国に誰ががしたのかと問う前に、自分の「ロケット」を作らねばなりません。植松氏のロケットが、この時代閉塞の破れ目から、蒼天を目指したように、私たちも自分のロケットを打ち上げましょう!

「国家の総力は、そこに暮らしている人たちの能力の総和でしかありません。しかも能力の総和というのは過去の業績の総和ではなく、未来の可能性の総和です。

本当の国家の総力というものは、そこに暮らす人たちの優しさと憧れの総和のはずです。だから、優しさと憧れを奪ってはならないんです。」 植松努

             ○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

■8.「植松電機に行ってから、何でもできるようになりました」

植松さんは、子どもたちのためにロケット教室を開いている。わずかな
火薬で、高度100メートルまで飛んでいく。点火は電線を接続して、子供
たちが自分の手で制御装置を操作して飛ばす。

海外製の教材なので説明書は英語だが、植松さんはロケットの作り方を
詳しく説明したりはしない。失敗しそうになったときだけ助け船を出す。
それでも子どもたちは、自分が作ったロケットがものすごい勢いで飛ぶ
んだよ、と教えられると、英語の説明書をなんとか読み解いて、作って
しまう。

他の子のロケットが飛んでいくのを見て、不安に負けて「どうせ僕のは
ダメだろう」などと、つぶやく子もいるが、その子のロケットが飛び出
して、パラシュートを開いて戻ってくると、「どうせ無理」というあき
らめを克服することができる。

ある幼稚園の子どもが、たどたどしい字で「植松電機に行ってから、何
でもできるようになりました」と感想文を書いてくれた事が、植松さん
は嬉しくてたまらなかったという。

幼稚園児の「何でも」だから、たかが知れているだろうが、何でもあき
らめずにやってみよう、という気持ちで、周囲のいろいろな事にチャレ
ンジしているのだろう。

こうして自信を持った子供たちは、自然に周囲の友達にも優しくなる、
という。自分に自信のある人は、他人に対して「どうせ無理」などとい
う冷たい言葉は吐かない。


■9.国家の総力は、そこに暮らす人々の未来の可能性の総和

今までの我が国では、一流企業、一流官庁に入るために「一流校にさえ
行けば」と子どもたちを叱咤してきた。その過程で子供らしい夢や憧れ
を、「そんな事でいいのか」と押し潰してきた。

逆に、進学から落ちこぼれた子どもたちの夢は、成績が悪ければ、「ど
うせ無理」という言葉で、これまた押し潰してきた。

その結果、我が国は経済大国にはなったが、夢を失った国民からは新し
い芸術も思想も産業も出てこない。それが現在の我が国が閉塞感に覆わ
れている原因ではないか。


「国家の総力は、そこに暮らしている人たちの能力の総和でしかありま
せん。しかも能力の総和というのは過去の業績の総和ではなく、未来の
可能性の総和です。

本当の国家の総力というものは、そこに暮らす人たちの優しさと憧れの
総和のはずです。だから、優しさと憧れを奪ってはならないんです」。
[1,p189]

たった20人の会社が宇宙開発に挑戦している。もっと大きな会社は、も
っと大きな、様々な夢を目指していけるはずだ。そうした夢に向けた努
力が、我が国の未来の可能性を押し広げていく。

■伊勢雅臣 「小企業が自前で挑む宇宙開発」より転載させていただきました。ありがとうございます。

■植松努『NASAより宇宙に近い町工場』★★★、ディスカヴァー・トゥ
エンティワン、H21

2012年4月18日 (水)

富良野のロケット その2 「わっ、ロケットエンジンって作れるんだ!」と社員は言った

003

「富良野のロケット」第2回です。次回完結です。

ひさしぶりに「夢を持つ」ということを考えさせられました。60過ぎて、人生やるべきことはやったなんて思っていた私にとって快い一撃を頂戴しました。

放射能も再稼働もTPPもデフレも、みんな忘れてお読みください。
ああ、忘れたいことがなんて多いこと(笑)。

          ○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

■5.「ライト兄弟は東大に行ってない」

植松さんは、飛行機やロケットの仕事をするためには、本当に東大へい
かなきゃ駄目なのかな、と考えた。しかし、考えてみたら、飛行機を発
明したライト兄弟は東大に行ってない。だから、関係ないやと思って、
自分で飛行機の勉強をしようと思った。

飛行機に関する外国の文献を辞書を引き引き読んだ。航空用語はたくさ
ん覚えたが、そういう単語は中学や高校の試験には全然出てこない。航
空工学で使われる数学も自分なりに勉強したが、それも試験には出てこ
ない。だから、試験では赤点ばかりだった。

大学受験をしようと思ったら、高校の進路指導の先生は、おまえには絶
対無理だと言われた。しかし、奇跡的に北見工業大学に受かった。そう
したら、そこで学ぶ航空力学や流体力学は、自分なりに勉強したこと、
そのものだった。中学高校では赤点王だったのに、大学に行ったら勉強
しなくともほとんど100点がとれるようになっていた。

それでも先生方は「おまえはこの大学に来た段階で、残念だけど飛行機
の仕事は無理だ」と言う。「えっ、うそ!」と思った。先生方は、ここ
は国立の工業系大学で偏差値が一番低いから、無理だという。

同級生たちは、もっといい工業大学を受けたのに落ちたので、やむなく
この大学に来た人が大半で、「俺の人生はもう終わった」などとみんな
言っている。

それでも植松さんは飛行機の勉強を続けた。周りがもうダメだと言った
からといって、自分もダメだとは限らない、と思って。

■6.飛行機の設計をしながら飛行機が好きではない人たち

「どうせ無理」と言われながらも、あきらめずにやってきた植松さんは、
ついに名古屋で飛行機をつくる会社に就職した。かつて世界一のゼロ戦
を開発したた会社である。[a]

植松さんはそこで様々な航空機の開発に関わることができた。しかし、
子どもの頃からの夢をせっかく実現できたのに、わずか5年半で辞めて
しまう。

「なぜなら、その職場に飛行機が好きではない人たちが急増してきたか
らです。

飛行機の設計の仕事をしているにもかかわらず、彼らは飛行機の雑誌を
読もうともしませんでした。彼らは飛行場に行ってもわくわくしないん
です。そして、ただ言われたことを言われた通りにやるだけでした。・
・・
好きという心がなければ、よりよくすることはできません。だから、指
示をされないと何もできなくなるんです。・・・

彼らが悪いのではなくて、彼らから好きという心を奪ってしまった仕組
みに問題があります」。

彼らも植松さんのように、子どもの頃には「自分のつくった潜水艦で世
界の海を旅したい」というような夢を持っていたはずだ。しかし、「こ
んな、できもしない、かなわない夢を書いていていいのか?」と言う声
に従って、一流校をめざして、勉強に励んできたのだろう。

その結果、一流企業に勤めることができたが、その時には、すでに幼い
頃の夢は枯れてしまっている。自分自身の夢を持たない人たちは、指示
待ち族にならざるを得ない。

■7.「えーっ、宇宙開発なんか、やったことないからできません」

「今度、ロケット作ることにした」と植松さんは、従業員たちに言った。
故郷で父親がやっていた植松電機に入り、パワーショベルにつけるマグ
ネットを開発して、売上を伸ばした後である。

皆は「えーっ、宇宙開発なんか、やったことないからできません」とい
う反応だった。これも「どうせ無理」という声である。

そこで植松さんは一人でロケットエンジンを作り始めた。それがやっと
動いて、美しい炎と轟音を発した時、彼らは「わっ、ロケットエンジン
ってつくれるんだ」と知った。自分たちにもできるかもしれない、と取
り組み始めたら、たった半年でロケットを作れるようになった。

現在、20人ほどいる従業員のほとんどは大学を出ていない。もとはアメ
屋や焼き肉屋でバイトをしていた若者たちだ。そういう人たちが本業の
傍らで、今や一生懸命に宇宙開発をしている。最近は国の研究機関の人
たちも大勢訪ねてくるが、そういう超エリートたちとも、平然と会議を
している。

また社員たちは分からないことにも挑戦する姿勢を身につけたので、近
所の農家の人と一緒に、農業の機械の開発を勝手に始めたりしている。

人間、夢を持てば、それに向かって自然に努力をしてしまう。そして、
自分の持つ可能性を押し広げていく。学歴がないから、頭が悪いから、
中小企業だから「どうせ無理」という言葉が、その可能性を殺してしま
っていたのである。

逆に、成績を良くして一流企業さえに入れば、という形で、子どもの頃
の夢や憧れをつぶしてしまう事が、飛行機の設計をしながら、飛行場に
行ってもわくわくしない指示待ち族を作り出す。

(続く)

■伊勢 雅臣 「小企業が自前で挑む宇宙開発」より転載させていただきました。ありがとうございます。

■植松努『NASAより宇宙に近い町工場』★★★、ディスカヴァー・トゥ
エンティワン、H21

2012年4月17日 (火)

富良野のロケット その1  植松社長は「どうせ無理」は大嫌いだった

061

放射能禍で夢がなくなりかかった時に、この素晴らしい物語を読みました。「どうせ無理」という言葉は、私もいつも吐きそうになります。

そのときには心の中で、富良野の蒼い空にまっしぐらに駆け上がる小さなロケットを思い起すことにしましょう。

             ○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

■1.「『どうせ無理』という言葉をこの世からなくすため」

北海道の富良野と言えば、美しいお花畑が連想されるが、その近くの工
業団地で、社員20名ほどの小企業が、自前でロケットの開発に取り組ん
でいる、と聞けば、「何を好きこのんで」と思うのが、普通だろう。

その企業、植松電機でリーダー役をしている植松努専務(昭和41年生まれ、
45歳)は、ロケット開発の目的を「『どうせ無理』という言葉をこの世
からなくすため」と語っている。

北海道の片田舎の20人の極小企業でもロケット開発ができると実証すれ
ば、都会にある、もっと大きな企業だったら、もっと何でもできる、と
考えるだろう、というのである。

突拍子もない発想ですぐにはついていけないが、植松さんの身の上話を
聞くと、なるほどな、と腑に落ちる。そして宇宙開発への挑戦ぶりを知
れば、これこそ現代日本の閉塞状況を打ち破る発想ではないか、と思え
てくる。

■2.5年ほどでロケット打ち上げにこぎ着けた

植松電機の本業は、パワーショベルの先端につけて、産業廃棄物から鉄
を取り出すマグネットの製造、販売である。競合製品が存在しないので、
ほぼ100%のシェアを持っている、という。そこから得た利益を、ロケッ
ト開発につぎ込んでいる。

平成16(2004)年、独自の方式でロケットを開発している北海道大学大学
院の永田晴紀教授と出会った。翌年、永田教授を全面支援する形で、共
同研究を開始。

平成19(2007)年には全長5mのロケットを打ち上げ、高度3500mに到達。
翌年には1年で18機も打ち上げた。今まで約5億円を使ったが、すべて
植松電機の自腹で、国からの補助金はいっさい貰っていない。

現時点では、民間企業が高度1万mを超えてロケットを飛ばすことは法
律で禁じられているが、いずれ法律が改正されて、宇宙に行けるロケッ
トを作ることができるだろうと信じている。

永田教授の開発しているロケットの長所は、固体のポリエチレンを使う
ので、液体燃料よりもはるかに安全で、装置も簡単なこと。小型で安価
なロケットを作れるので、電子化されてどんどん小型になりつつある人
工衛星を効率よく打ち上げることができる。

そんな夢が実現するのは、まだまだ先のことだろう。しかし、それでも
植松さんは挑戦している。「どうせ無理」という言葉をこの世からなく
すために。

■3.「お前もきっと月に行けるぞ」

植松さんが、なぜ、それほどに「どうせ無理」という言葉をこの世から
なくしたいと思っているのか。それを理解するには、植松さんの生い立
ちを辿る必要がある。

植松さんは3歳の頃、お祖父さんに大切にされた。

「僕はじいちゃんが大好きでした。じいちゃんは落ち着きが足りない、
変な子どもだった僕を大切にしてくれたんです。そして、僕にアポロの
着陸を見せてくれました。僕が三歳のときです。

僕はアポロの着陸そのものを覚えてはいません。僕が覚えているのはじ
いちゃんのあぐらの中の温もりです。じいちゃんのあぐらの中に座った
僕にテレビを見せながら、「人が月を歩いているぞ。すごい時代になっ
たぞ。お前もきっと月に行けるぞ」とじいちゃんは言っていました。

自分が大好きだったじいちゃんの、今まで見たこともない喜びぶりが僕
の中に記憶されました。だから、僕は飛行機やロケットが好きになった
んです。飛行機の本を手にとり、飛行機の名前を覚えたらじいちゃんが
喜んだ、ただそれだけで、僕は飛行機やロケットが大好きになったんで
す」。[1,p192]

3歳の子どもでも、大好きな人が喜んでくれることをしようとする。そ
れがきっかけだった。

■4.「どうせ無理」

小学生の頃は、テレビで『海底少年マリン』や『海のトリトン』を見て、
潜水艦や海の中が大好きになった。美しい海の中を行く潜水艦に憧れを
持った。

そこで6年生の時に、「ぼくの夢、わたしの夢」と題された卒業文集の
中で「自分のつくった潜水艦で世界の海を旅したい」と書いたら、先生
に呼び出しを食らった。「他の子どもはちゃんと職業のことを書いてい
るのに、おまえはこんなものでいいのか? こんな、できもしない、か
なわない夢を書いていていいのか?」と言われた。

「ぼくの夢、わたしの夢」のコーナーに自分の夢を書いて、なぜ怒られ
なければいけないんだろうと、思ったという。これが「どうせ無理」と
いう言葉で痛い目にあった最初の経験だった。

中学校の進路相談の時間に、先生から「おまえは将来どうするんだ?」
と聞かれたので、「飛行機、ロケットの仕事がしたいです」と胸を張っ
て答えたら、「芦別に生まれた段階で無理だ」と言われた。その先生は、
こう言った。

「飛行機やロケットの仕事をするためには東大に入らなければいけない。
おまえの頭では入れるわけがない。芦別という町から東大に行った人間
は一人もいない。そんなバカなことを考えている暇があったら、芦別高
校に行くのか、芦別工業高校に行くのかをよく考えて選べ」。[1,p82]

(続く)

■伊勢 雅臣 「小企業が自前で挑む宇宙開発」より転載させていただきました。ありがとうございます。

■植松努『NASAより宇宙に近い町工場』★★★、ディスカヴァー・トゥ
エンティワン、H21

2012年4月16日 (月)

茨城県、漁業の独自基準値を作る。検出限界下限値まで止まらないエスカレーターに乗り込んではならなかった

O

私たち農業が状況の拡大を食い止めつつあるのに対して、漁業は今なお厳しい状況に追い込まれてきています。

これは農業が農家自ら除染をすることが可能なことに対して、漁業はそれが不可能だからです。その意味で、漁業は私たち以上に決定的に自然の汚染状況に規定されてしまいます。

いわばやりようがないのです。特に放射性物質が沈下した海底に棲む底魚のカレイ類が大きな影響を受けたようです。

今が一年でもっとも漁獲があり美味い季節なのに、漁民の痛憤は計り知れません。

一方、サンマ、カツオなどの回遊魚は、不幸中の幸いで、汚染された水域をくぐりぬけただけなので影響は少ないようです。

茨城県は風評被害の拡大を懸念して県独自基準に踏み切りました。(資料1参照)       

これは県沖で採れるシロメバルが政府の出荷停止支持を受けたことに対応するものです。このシロメバルは4月5日に北茨城で漁獲されたもので、170bq(ベクレル)でした。

今まで検査された魚介類で高い数値を示したのは、3月22日の同じく北茨城でのババガレイの260bqがあります。

地域としては福島県に近い北茨城港は、福島第1原発事故の汚染水放出をまともにくらったために今なお苦しめられています。(資料2参照)

県はヒラメなどの旬の魚を含む10種類以上の魚を出荷自粛としましたわけですが、これは政府基準の半分にあたる50bqです。

この50bqは、厚労省監視基準値であり、また県内大手量販チェーンのカスミなどが独自に設ける食品基準値に対応したものです。

大部分の量販は既報のように検出限界以下、ないしは政府基準値の半分を取引基準としており、50bq超は「出しても自主的に売らないところもある」(宮浦県前農水部長)状況です。

県はこの政府基準より厳しい基準値を設けることに対して、先月から県魚連と話合いを重ねており、苦渋の決断であったと思われます。

しかし、漁業の風評被害は止まることがなく、この独自基準の設定も歯止めになるか危ぶまれています。

県の独自基準値は、川上側の第1次生産者レベルで作るものではなく、それを安易に行えば自らの首を締める結果になると私は思っていています。

県独自基準を作ったことを強力に宣伝できればいいのですが、茨城県にそんなパブリシティ能力があるか、です。

独自基準値が有効でなかった場合(残念ですが、私はそう、予想しますが)、更に低い基準値をつくらねばならなくなります。それはいたちごっこです。

茨城県は、消費者の一部にゼロベクレル派が発生していることを想定していないのではないでしょうか。

自主基準値作りは一方通行です。下げることは出来ても、元に戻すことはできません。結局はイオンがそうであるように、検出限界下限値まで行ってようやく終了するのです。

れは川上側の生産者にとって対応不可能を意味します。特に除染活動ができない漁業はそうです。このようなエスカレーターに乗り込んではならなかったのではないでしょうか

大津漁協の村山専務理事はこう言います。
「独自基準による安全性が消費者に伝わっていない。いくら数値を出しても消費者が国を信用していない。どうしたら安全と理解してもらえるのか」。(産経新聞4月15日)

私たち農業者が直面した問題とまったく同じです。いや、私たち以上です。消費者が政府からの情報をまったく信じなくなってしまったために、1年以上たった今なお漁業と農業の苦しみには終わりがありません。

漁民の「漁に出たくとも漁船もない。港も壊れた。仲間と共同で船を借りて出漁しても売れない。もう漁師ができなくなる」、という声が政府に届いているのでしょうか。

■写真 田植え前の田んぼ

        ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

■資料1 県と漁連とが独自基準値での対応方針を決定http://www.pref.ibaraki.jp/hotnews/2012_03/20120316_01/index.htm

l海産魚介類における放射性物質の新基準値への対応について、次のとおり、県と沿海地区漁連で対応方針が決まりましたので、お知らせします。

方針

 消費者が信頼・安心して本県の海産魚介類を購入できるよう、4月以降、市場に基準値(100Bq/kg)超えの魚介類を流通させない体制を構築する。

4月に向けての対応方針

(1)100Bq/kgを超過した魚種

  • 3月以降、基準値を超えた魚種は、県の自粛要請に基づき出荷・販売を自粛する。
  • 自粛区域は、県内全域とする。

(2)50Bq/kg超100Bq/kg以下の魚種

  • 3月以降、基準値を超える危険性のある魚種は、自主的に生産を自粛する。
  • 自粛区域は、北部(日立市以北)、県央部(東海村から大洗町)、南部(鉾田市以南)の各海域ごととする。

(3)50Bq/kg以下の場合
 通常どおり出荷・販売をする。
(4)解除に向けた対応

  • 検査期間:1ヶ月
  • 検査回数:各海域毎に3カ所以上
  • 解除:各海域毎に解除

施行期日

(1)県での対応
・3月以降の検査結果を踏まえ、100Bq/kgを超過した魚種について、4月1日付けで出荷自粛を要請する。
(2)漁連・漁協での対応

  • 3月以降100Bq/kgを超過した魚種について、出荷実務を考慮して3月27日から出荷を自粛する。
  • 3月以降50Bq/kg超100Bq/kg以下の魚種について、出荷実務を考慮して3月27日から海域毎に自主的に生産を自粛する。

■資料2 魚種採取日採取水域放射性セシウム
100Bq/kg超えの魚種

http://www.pref.ibaraki.jp/nourin/gyosei/pdf_housyanou_kisei/20120409umi.PDF

1 マコガレイ    3/13 北茨城市沖101 [Bq/kg]
            3/20 北茨城市沖140 [Bq/kg]
            3/20 北茨城市沖175 [Bq/kg]
2 マダラ      3/13 北茨城市沖105 [Bq/kg]
3 スズキ      3/17 大洗町沖218 [Bq/kg]
4 ニベ       3/ 7 日立市沖113 [Bq/kg]
            3/15北茨城市沖126 [Bq/kg]
5 ショウサイフグ  3/19 北茨城市沖111 [Bq/kg]
6 コモンカスベ   3/13 北茨城市沖111 [Bq/kg]
            3/20 北茨城市沖186 [Bq/kg]
7 コモンフグ    3/13 日立市沖152 [Bq/kg]
8 ウスメバル   3/22 神栖市沖101 [Bq/kg]
9 ヒラメ      3/22 北茨城市沖137 [Bq/kg]
10 ババガレイ  3/22 北茨城市沖260 [Bq/kg]
11 シロメバル  4/ 5 北茨城市沖170 [Bq/kg]

■資料3 霞ヶ浦北浦及び内水面の魚介類の出荷自粛等の対応について
http://www.pref.ibaraki.jp/nourin/gyosei/pdf_housyanou_kisei/20120330nai.PDF

平成24年3月30日

3月以降の検査結果に基づき,100Bq/kgを超過した魚種については,4月1日より,
県から各漁協に対して水域毎に下記のとおり出荷・販売等の自粛を要請するとともに,市
町村等を通じ,遊漁者に対しても食用に供しないよう注意喚起を行いますので,お知らせ
します。

                  記
①水沼ダム上流域の花園川【採捕及び出荷・販売の自粛】
対象魚種:イワナ(天然),ヤマメ(天然)
要請先:大北川漁協

②桜川,小野川,新利根川,常陸利根川【採捕及び出荷・販売の自粛】
対象魚種:ゲンゴロウブナ(天然)
要請先:霞ヶ浦漁協,桜川漁協,新利根漁協,常陸川漁協

③霞ヶ浦北浦及びその流入河川【出荷・販売の自粛】
対象魚種:ゲンゴロウブナ(天然),ウナギ(天然)
要請先:霞ヶ浦漁協,麻生漁協,きたうら広域漁協,潮来漁協,桜川漁協,
新利根漁協,常陸川漁協
【参考】3月中の検査結果(100Bq/kg超過した魚種)

魚種採取日採取水域放射性セシウム
ヤマメ(天然) 3/2 水沼ダム上流域の花園川138 [Bq/kg]
3/18 〃200 [Bq/kg]
イワナ(天然) 3/18 〃330 [Bq/kg]
ゲンゴロウブナ(天然) 3/8 霞ヶ浦101 [Bq/kg]
ウナギ(天然) 3/16 霞ヶ浦104 [Bq/kg

■資料4 NHKニュース
茨城 独自基準で魚の水揚げ自粛 3月26日 21時8分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120326/k10013983441000.html

画像URLhttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20120326/K10039834411_1203262110_1203262111_01.jpg

来月から食品に含まれる放射性セシウムの基準値が厳しくなるのを前に、茨城県沿岸の漁協でつくる組合は、漁獲する魚について独自の基準を設け、27日から16種類の魚の水揚げを沿岸の全域または一部で自粛することになりました。

魚など「一般食品」に含まれる放射性セシウムの基準値は来月から現在の暫定基準値の5分の1に当たる1㎏当たり100ベクレルと大幅に厳しくなります。

茨城沿岸の漁協でつくる組合は国の新しい基準値を超えるおそれがある魚については、27日から漁獲を自粛する独自の基準をつくり、対象となる魚が26日、公表されました。

それによりますと、今月県が行った検査で、国の新しい基準値の1㎏当たり100ベクレルを上回る放射性セシウムが検出されたマコガレイやマダラ、それにスズキなど8種類の魚については茨城県沿岸全域で27日から水揚げを自粛します。

また、国の新しい基準値の半分の50ベクレルを超える放射性セシウムが検出された魚とまだ検査が終わっていない魚の合わせて8種類についても27日から海域を限定して水揚げしないことを決めました。

水揚げ自粛の対象となった魚は今後、月に3回以上行う検査でいずれも独自の基準を下回るまで水揚げは再開しない方針です。

また、これ以外の魚から独自の基準を超える放射性セシウムが新たに検出された場合もその魚の水揚げを自粛します。

茨城県によりますと、県内の沿岸ではほかにもすでにエゾイソアイナメとコウナゴの水揚げを見合わせていますが、これ以外の魚は放射性セシウムの検出データから水揚げして販売できるとし、茨城特産のシラスやアンコウなどは安全だとしています。

2012年4月15日 (日)

カミさんの見聞から見た北朝鮮の宿痾 農業と治水

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民間ツアー第1弾で北朝鮮に乗り込んだウチのカミさんにご意見を聞くと、あっけらかんと「実が入っていない米作っているようじゃだめね」とのことでした。

女房殿が出かけたのはジョンイル氏時代初期の初秋です。

彼女は、わざわざ連れて行かれた名所旧跡の隣の田んぼの穂を失敬してくるということをやってのけ、他にも大豆、トウモロコシのサンプリングまでしてきました。

亭主としては公安にひっ捕まったらどうするんだ、と心配になりますが、頼んだのはこの私なんですが。

田んぼの穂は乳化が終了した収穫間際の時期であるにもかかわらず、半分ほどしか実が入っておらず作柄不良。日本ならば、米価が急上昇してしまうような出来でした。

私が見た感想では、分けつが弱く、出穂も少ないので、反当たり3俵かせいぜいが5俵といった収量しか期待できないように思えました。

また、品種改良がされていません。北朝鮮は寒冷な土地ですから、寒冷用稲への品種改良が不可欠でしょうが、改良された形跡はありません。

これでは、米からトウモロコシなどに主食をシフトせざるをえないわけです。

大豆は信じられないほど小粒。常識的には商品にはならないでしょう。トウモロコシはいじけて堅く食用には不適。砕いて飼料用にするしかないでしょう。

あれを食べるとなると、砕いて粉にして焼くトルティーアにでもするしかないでしょう。飼料用のソルゴー系ではないでしょうか。

畑は赤茶けて表土はもろく、バサバサしたかんじだったそうです。地力不足は明らかです。

それだけバサつくというのは、団粒構造がメチャクチャになっているのではないかな。土壌サンプルが欲しかったですね。

私がテレビの画像などで見る農村風景で推測すると、表土の剥離は顕著で、既に砂漠化がそうとうに進んでいる気がします。

金日成時代の化学肥料の多投と、その後の肥料さえも満足にやれていない時代が長すぎたように見受けられます。この修復は簡単ではないでしょう。

ちなみに当時は、トウモロコシの軸を燃やして走るバスまであったそうです。彼女が乗った観光バスも、燃料節約のために坂になるとノーギアの惰性で下るようなので、絶叫マシーンが楽しめたそうです。

捕獲された米国のスパイ船プエブロ号に連れて行かれたときは、果敢に人民軍兵士にインタビューを試みています。

彼は見張りなのに釣りをしていたのです。「釣れてます?」とのジャスチャーに、わけねぇだろうと口走って隠れてしまったそうです。

それもそのはず、この湾は吃水が浅い小型漁船ていどしか接岸できないほど浅瀬になっていたのです。かなり本格的な浚渫をしないと大型船が使えない湾になっていました。

このような状況だと、湾口からかなりの沖まで生態系が死滅に向かっているのではないかと思われました。

ホテルで出る魚はこぶりで貧弱でした。ちなみにピョンヤンの高麗ホテルでは冷凍オムレツだったようで、まぁあの国にグルメ旅する人はいないでしょうが。ただし、玉流館の冷麺はうまかったそうです。

それはさておき、この湾の浅さは、ここに到着するまでの山道で何度か見たという崖崩れや、トウモロコシ畑の地盤崩壊による土砂の流出が原因だと思われます。

トウモロコシは根が浅く軽く引き抜けます。ですから根で土をつなぎとめる力が弱く、急峻な斜面で作る場合、よほどしっかりとした石造りの土留めでも作らないと、畑が崩壊していきます。

崩壊した先は河川ですから、河底が埋まって洪水の原因となります。洪水となれば、下流域では、その都度畑や人家を押し流すことになります。

そしてもう一点、北朝鮮の稲作が日本のように水田が9割以上なのとは違い陸稲が多いこととも重なります。ただし、北朝鮮は大雑把な生産量以外の農業統計資料を公表していませんので、推測とお断りしておきます。

陸稲はまずいうえに、水田と違って連作障害を引き起こします。何年もたたない間に多種多様な病気が発生するでしょう。

だから日本ではほとんど作られないのです。あの米の作柄不良もそれとも関係あるのかもしれません。

そして乾田であることは別の問題とも繋がっています。これが先に述べた治水システムとしての田んぼが貧弱なために、大水発生時の一時調整池としての使用ができないことです。

日本の場合、急峻な山系に降った水は、途中の水田で分散されて引き込まれ、エネルギーを失いながら下流域に到着します。そのために、台風や大水などの災害時の被害が少ないのです。

わが国の水田による治水調整がなく、代わりに根が浅いトウモロコシの段々畑があるとすれば、原因はおのずと理解できるでしょう。

これが北朝鮮の毎年恒例の大水害の原因です。まさに人災であり、人災の恒常化です。

正恩氏はスイスの外国人学校に行ったそうですが、東北か北海道の農業大学に行くべきでしたね。正恩氏は日本ではティズニーランドに行かれたそうですが、そんな場合じゃないでしょう(苦笑)。

2012年4月14日 (土)

ミサイル遊びなどしていないで、真面目に農業をしなさい!

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どうしようもなく愚劣なことに国の予算の大半を注いでいる国があります。北朝鮮です。

国全体の予算規模そのものが、三代目がダメにしたテイシュペーパー屋の年間売り上げと変わらない国で、国家予算の3分の1超の1600億円ほど注ぎ込んだと言われています。

結果は、生誕100周年の花火よろしく砕散りました。ああ、もったいない、というか恥ずかしいというか、迷惑というか、まさにドブに捨てたといおうか。

この国の顧問に招かれることがあったのなら、(あったらまっしぐらに逃げますが)農業をどうにかするべきだ、と正恩氏に言うことでしょう。

農業がダメな国が栄えた試しはありません。農業がダメだということは民を食わせられないということで、食わせられないから逆切れして、「食料を寄越せ」と核ミサイルで脅すなどというのは本末転倒もはなはだしい。

民が食えない国がいくら200万(!)の軍隊を持とうと、そんなものはブリキの兵隊、いや餓死予備軍にすぎません。

簡単に北朝鮮の農業生産の崩壊を見てみます。

Photo

UNDP(国連開発計画)による『朝鮮民主主義人民共和国の農業復興・環境保護に関する円卓会議(Thematic Roundtable Meeting)-農業の基本的発展』(1998年5月)と、FAO (国連食糧農業機構)およびWFP(国連世界食糧計画)による『朝鮮民主主義人民共和国の作物収穫と食糧供給に関する特別報告書』による。 

ソ連崩壊前まで800万トンを超えた生産高が、もっとも落ちた96年には200万トンと4分の1にまで下落しています。現在は300~400万トンで推移していると思われます。

これはソ連の衛星国家では例外なくすべての国で起きた現象です。たとえば、キューバは、国際サトウキビ価格より高めの価格でソ連に売り、見返りに石油や穀物をバーター輸入していました。

国際市場価格より高めな差額が支援なわけです。これと同じ構造は北朝鮮も持っており、石油や機械製品、穀物などを安価に提供されていました。

それが一切なくなったわけです。ならば、それまでに国が一人立ちできるような農業の仕組みを作っていればよかったのですが、それを怠ってきました。

なぜなら、中国の核武装路線をそのままコピーしたからです。毛沢東の「パンツ一枚になっても原爆を持つ」という狂気の路線こそが、金日成独裁体制の安泰に繋がるという考えで原爆作りに国家のすべてを注ぎ込んだのです。

その結果、国内生産でもっとも絞りやすい農業に巨大な負担をかけました。百姓と油は絞れば絞るほど、というわけです。

これは社会主義国家が重工業化に向かう時にとる典型的な手段です。ソ連は、革命前のスローガンの「パンと平和」を投げ捨てて、農業に過大な税をかけ、自作農を兵隊に引っ張り、わずかな農地を取り上げて集団農場に追い込みました。

農業は制度的に自由な農民がするものです。社会主義は農民から農地を取り上げ、集団農場に追い込むことで、その初めのボタンをかけ間違えてしまったのです。

ありていに言って農奴、よく言って農業労働者が作る農業がうまく道理がありません。社会主義国が例外なく農業が弱点という体質はこのときに生まれました。

北朝鮮もまた農業集団化につきものの、穀物に中心に置く大型化、機械化、化学農業化を推進しました。 (欄外資料1参照)

そして加うるに主体農法といわれる超過植栽培です。簡単にいえば、今まで2畝のところに中央にもうひと畝作って収量を増やそうという農法です。

農法というより素人の思いつきにすぎません。元祖は毛沢東がやった1950年代の大躍進政策でした。中国と北朝鮮国民にとって不幸だったのは、命令をする独裁者がズブの素人だったということです。

独裁者の素人は、いかにも素人らしくただ種を沢山撒けば収量が上がると思い込みました。ああ、なんとアサハカな。

文革時代の中国の写真に、幼児が麦畑の上で(上でですぞ。中ではありません)戯れているといったものが麗々しくありました。

こんなに実ったぞ、と自慢したいわけですが、私たちから見れば、ああ連作障害起すだろうな、いやムレてウイルス性の障害起すだろうな、と容易に想像がつきます。

このように土壌に対して過大な収奪を行う場合、それを補うために化学肥料、化学農薬の多投を行います。これで一時的には持ち直しますが、中長期的には土壌が荒れて塩が浮き、使い物にならなくなります。

そして、北朝鮮の場合は特効薬の化学肥料を作る原油がソ連の崩壊と共に途絶えたために、一気に収量が崩壊しました。(欄外資料2)

これがギロチン・カットとなり、北朝鮮農業は破滅へと一気に突き進みました。

しかし、主体農法の無理がたたって農地と農民はボロボロでした。それだけではなく、農地の崩壊が全土に災厄をもたらしたのです。

それは飢餓のみならず、自然の治水システムの破壊による水害の連続でした。これについては次回にします。

■写真 桜と椿です。色調を落としてノイズを入れました。

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■資料1 FAO北朝鮮農業レポート1998年

「70年代および80年代初頭には高水準の成功が得られた。(略)まったく当然なことに、こうした人工の投入物に強く依存した農業は、ひとたび資源の制約から高い投入水準をもはや維持できなくなれば、収穫の低下が起こりはじめる。
なおその上に、近年の洪水、干ばつ、極度の寒冷つづきで、それまでの農業システムの混乱と崩壊、そして、生産の激減が引き起こされた。」

■資料2 同上

「70年代および80年代初頭には高水準の成功が得られた。(略)まったく当然なことに、こうした人工の投入物に強く依存した農業は、ひとたび資源の制約から高い投入水準をもはや維持できなくなれば、収穫の低下が起こりはじめる。
なおその上に、近年の洪水、干ばつ、極度の寒冷つづきで、それまでの農業システムの混乱と崩壊、そして、生産の激減が引き起こされた。」

2012年4月13日 (金)

帰村と中間貯蔵施設をめぐっての避難地域ふたつの首長選挙

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この震災と原発事故を通じて思うのは、地方自治体の首長の立ちふるまいの見事さでした。

飯館村の菅野典雄村長、南相馬市・桜井勝延市長などはその代表格でした。国の事故対応に当たった面々の醜態と比して、見事に村を守りきった強さには打たれます。

さて、この避難地域の中でふたつの自治体首長選挙が行われます。

ひとつは川内村の遠藤雄幸村長の任期切れをによるものです。遠藤村長は、1月末に「帰村宣言」を行い、3月26日にはいままで一時的に役場を間借りしていた郡山市から、村に戻りました。

この帰村運動に対して、村内は一枚岩ではなく、関西への「全村移住」を主張する候補が2人立っています。

2候補は、「健康不安がわからない中での帰るのは間違いだ」(西山千嘉子候補)、「原発事故後、村長は住民の声を充分に聞いていない」(猪狩健寿候補)といった訴えをしています。

22日の開票ですが、真っ正面から「村に帰るのか」、村をあきらめて全村移住するのか、の選択を問われることになります。

4月5日現在、帰村した住民は全村民2856名中545名にとどまっており、大部分は帰村を決しかねているようです。

これは、確かに空間線量が下がったとはいえ、浪江町で13μSv(4月11日午前9時現在)残っている空間線量と、未だ高い数値を出している土壌線量が原因です。

同様の問題は、飯館村などの近隣自治体でも一緒で、飯館村に帰ろうと訴えた菅野村長に対しての、住民の対応はひとつではないのが実情です。

菅野村長はこの「住民をモルモットにする気か」という住民の批判に対してこう答えています。

「村民の健康のリスクと生活のリスクをどうバランスとるかが大事と考えていました。「村民をモルモットにする気か」「殺人者だ」という抗議のメールも連日10通以上届きました。とはいえ、避難に当たって村民の生活リスクを少しでも小さくしてやらねばなりません。さらに、村をゴーストタウンにしない手立てもしっかり考えておかないといけない。私は村の長ですから、その責任があります。

集団移住で新しい飯舘村をつくるべきだという意見があることも知っています。でも、「村民の命を守るために集団移住を」というスローガンは美しく聞こえるが、そんなにたやすく実現できることではない。かえって村民の将来へのリスクを大きくしてしまいかねません。」

この村長の声に動かされて村内の企業を残せたことはその成果のひとつです。これは村がまだ死んでいないのだという大きな証になります。

帰る村にまだ地場企業が残って、操業を続けているかぎり、雇用が確保され、村には仕事があるのです。

「村には大小含め90社の法人企業がありましたが、老人ホームや金型製作会社など9つの企業が残りました。政府は、年間20ミリシーベルト以上の地域は避難という見解を取っていましたので、それは逆に言えば、線量の低い屋内での操業ならいいのではということ。飯舘村はこの条件を国に認めさせました。」
過去ログに菅野村長インタビュー全文がありますので、ぜひご覧ください。)
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-e7b0.html

同時に楢葉町町長選も闘われます。これは現村長の草野氏が東電と関係深かったために、これを批判する候補との間で争われます。

争点は国が楢葉町に置きたいとする中間貯蔵施設です。

現職の後継として出馬した松本幸英氏は、「中間貯蔵施設には反対。しかし、村の廃棄物は自分の村で処分すべきだ」と訴えています。

一方、中間貯蔵施設に反対する町議の結城政重氏は、「村内設置には絶対反対。廃棄物は一カ所でまとめて、他の地域をいかすべきだ」と主張しています。

これはデリケートな問題で、私にも白黒を言うことができません。

ただ、放射性瓦礫などの放射性物質を含んだ廃棄物を一カ所に集中させ、拡散させないことはICRPで定められた国際的な手順です。これに反することは不可能だと思われます。

いずれの地域にせよ、放射性廃棄物の貯蔵施設は必要なのは確かです。

これには国がしっかりとした施設周辺地域の国有化が前提であり、帰村可能な地域に設置することは、その地域が半永久的に貯蔵施設以外使用できなくなることを意味します。

これはその地域に死刑判決を下すことに等しいわけで、為政者が泥を被ってでもせねばならないことです。現政権にとそれができるでしょうか。

このふたつの首長選挙は、避難区域の今後を決定する大きなものになります。

■写真 椿が満開となりました。春の空気を出すためにソフトフォーカスで撮ってみました。ピンポケじゃありませんからね(笑)。

2012年4月12日 (木)

早くも骨抜きとなった食品新基準値の実態とは

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新基準値の一般食品100bq/㎏は、事実上骨抜きになっています。

なぜでしょうか?

ひとつには、食品流通の中でもっとも支配力が強い流通部門が、全国量販チェーン、地域量販、生協を問わず、一斉にゼロベクレルの方向に舵を切ったからです。

昨日頂戴したりぼん様の情報によれば、大手流通のイオンは「放射性物質ゼロを目標に自主検査体制を強化」という文書を発表しています。http://www.aeon.jp/information/radioactivity/pdf/120329R_3.pdf

この中で、イオンはこう言います。

「当社は、お客様の安心を担保するために、店頭での放射性物質ゼロを目標として、ゲルマニウム半導体検出器による検査の結果、検出限界を超えて放射性物質が検出された場合には、同エリアの同品種調達を当面見合わせることを原則としております。」

つまり、イオンは超微量でも出たら最後、出荷停止だ、と言っているわけです。

ようやく少し知られてきつつあることですが、この世の中には「放射性物質ゼロ」という食品は存在しません。

それは自然放射性物質が既に、カリウム40のような形でセシウムより多く含まれているからで、「放射性物質ゼロ」というのは、あくまでもセシウム134、137を指しているにすぎません。

リボン様がご指摘のように、「放射性物質ゼロ」を謳うのは、誇大な表現であり、優良誤認すれすれでしょう。ただあくまでも「目指す」という努力目標なのだ、ということで逃げています。消費者の「誤解」を利用した巧妙な表現です。

イオン系列の茨城の大手量販店のカスミも、店頭に「50bq以上は取り扱いません」という張り紙を出していました。

またパルシステム生協連合や生活クラブ生協も、先だって大地を守る会が打ち出した野菜20bq、米10bqという基準値に合わせた方向に進むようです。仕方がないとは思いつつ、やや複雑な心境です。

このように流通業界は、ゲルマニウム計測器の検出限界、つまり5bq~30bqを事実上の基準値においたことになります。

この動きの背景には、厚労省が食品基準値の半分の50bq以上を警戒監視範囲として設定し、50bq以上検出された場合には、その地域全体を監視区域として測定に入る、とした方針があります

現実の青果物流では、厚労省が警戒区域とした瞬間に取引は打ち切られることでしょう。

従って、事実上の新基準値は厚労省において50bq、流通業界においてゲルマニウム測定器の検出限界以下となったわけです。

これではなんのために新基準値を作ったのか、意味がなくなります。あってもなくても同じです。

作った張本人の厚労省が半分の50bqで「監視」し、流通業界も10分の1以下で「運用」するのならば、国家基準の意味がなくなります

この厚労省の新基準値は、国が農業の放射能対策に対しての方策を打ち出さず、農家に丸投げしている現況においては、国が私たち農業者に一切の責任を転化するものです。

また、流通は口では「政府、生産者、流通業の三者が一体となった生鮮品の安全・安心の担保と持続可能な生産・流通体制の構築」(前掲イオン文書)を言いながら、現実には農業にすべての重荷を投げるものでしかありません。

もし、本気で50bq以下を目指すのならば、出荷の最初のロットを検査する必要があります。

これを検査しないと、出荷団体は怖くて後が出荷できないことになります。万が一ホットスポットの農産物が出た場合、その団体のみならずその地域全体が監視区域となり、出荷が難しくなるからです。

ならば、各団体にひとつのチェンバータイプの測定器を配布する必要があります。言い訳のようにゲルマニウム測定器を役場にひとつ飾っても仕方がないのです。

末端の農業団体まで配布できるような測定体制が今直ちに必要です。

私は去年から、川上側である農地の放射能対策と、農業現場での測定体制も満足にないところで、基準値だけ引き下げるのはナンセンスだと言ってきました。

新基準値が高い低いの問題ではなく、それを担保する対策と体制がいるのです

今年は早くもゼオライトは品薄になり、入手困難となっています。カリウムもきちんとした土壌検査なきところで散布してもカリ過多障害を起すだけです。

放射能対策への支援なきところで、消費者をなだめるだけが目的の国の新基準と、それを更に過敏にした流通業界の実態は、農業を裏切るものです。

2012年4月11日 (水)

「穢れ」から希望へ 土を信じることの大事さ

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茨城の北部、峠ひとつで福島県に入る奥久慈のお茶が新基準値を楽々とクリアし、出荷が決まりました。

森林汚染をまともに受けてしまったタケノコ、シイタケなどはまだ気が許せませんが、食品は確実に安全圏に入りつつあると見ていいでしょう。
(厚労省 食品中の放射性物質の検査結果について(第363報) (東京電力福島原子力発電所事故関連) http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000027rft.html

さて、このような農業の頑張りとは別次元で、放射能に対する過敏な反応は消えることなく、今や消費者の一部にしっかりと根を下ろしてしまったようです。

それは今や社会現象にすらなっています。

福島避難児童に対するる保育園入園差別事件、福島県避難者宿泊拒否事件、青森の雪拒否事件、福島ショップ出店拒否事件、福島女性婚約廃棄事件、そして瓦礫拒否運動などです。

残念ですが、このようなことは氷山の一角に過ぎないと思われます。そしてこの流れは、この人たちにとって超低線量まで閾値なしと考える以上、永遠に終わることなく続かざるをえない性格を持っています。

さて、昔子供だった時「エンガチョ」ということをしませんでしたか?たとえば、道路に落ちていた犬の糞を踏んでしまった子供は、別な子供にエンガチョを移さないとたいへんです。

逃げ回る友達たちを追いかけて、泣きながらさエンガチョを移すわけです。このエンガチョは民俗学で「穢れ」といいます。

網野善彦氏はこれを「縁をちょん切る」が語源だと述べていました。また民族学者の石川 公彌子氏は「穢れ」をこう説明しています。

「穢れ」とは神道や仏教における観念であり、清浄ではなく汚れて悪しき状態を指す。とくに死、疫病、出産、月経や犯罪によって身体に付着するものであり、個人のみならず共同体の秩序を乱し災いをもたらすと考えられたため、穢れた状態の人は祭事などに関われずに共同体から除外された。」

これを今の3.11以降の状況に置き換えてみましょう。放射能という「清浄ではなく汚れて悪しき状態」にまつわるすべてが「穢れ」なのです。農産物も、車も、雪も、瓦礫も、そして人すらも。

放射能とは疫病や死のシンボルであり、それを持ち込もうとする者は、清浄な共同体の秩序を保つために排除されたのです。

しかし、前近代的な「穢れ」に対する恐怖であるが故に、いくら私たち農業者が「まったく検出されていない」と言おうが言うまいが、一切耳を貸さない根深く理屈抜きな部分からの恐怖なのでしょう。

では、どうしたらいいのでしょう?

私は「土」を知ることだと思います。去年ある消費者との集まりで、ある母親から子供がニンジンについているわずかの土を嫌がったという話を聞いたことがあります。「土にはホーシャノーが付いている」とクラスメイトに言われたのだそうです。

あるいは、去年の田植えのイベントで、今まで子供が大好きだった泥んこ遊びを、拒否する母親が多かったために中止したという話も聞きました。

土は穢れになってしまったのです。そして哀しいことに、多くの人にとって時間はここで止まってしまっています。

私たち農業者は、この先のストーリーを見せていかねばなりません。土が単なる放射能汚染された「穢れ」ではなく、無敵に思われた放射能の天敵だということを語っていかねばなりません。

私がこのブログで去年の夏以後何度となくお話してきたことです。土は強い、土は味方だ、土の力を信じる、そしてそれに少し人間が力を貸すことが大事だ、と。

これは実感です。空虚なネット情報ではなく、私たち農業者が毎日のように測り、耕し、そしてまた収穫物を測りといった繰り返しの中で得た知恵です。

この知恵は、農業分野だけではなくさまざまな場所で地域でいかされるべきものです。

「耕す」という行為には、ただ表土を削る、汚らわしいと捨てる、洗い流して別な場所に見えないようにしてしまう、拒否する、といったネガティブな行為ではない、もっと明るく楽天的なものがあります。

なぜなのでしょう。それが、それが新しい次の生命を育むための食だからです。食は未来であり、希望です。食を恐れることからはなにも生まれません。

食べものを作ることこそが「除染」なのです。確かに作ることと、食べることは違います。だが、私たちはその開いてしまった隙間を埋めようとしています。

穢れているなどということはほんとうはないのだ、という新たな物語を農業から語っていかねばなりません。

農業は希望を語らなくてはならないのですから。

2012年4月10日 (火)

街の人たちへの提言 線量を下げるのならば、あなた方も耕してみたらどうですか? 

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「除染」という言葉があります。秘かに、私はあれは「移染」(元有機農業学会会長中島紀一先生命名)ではないかと思っています。

ジャジャーと屋根を洗いますね、その水はどこにいくのでしょうか。下水溝から下水処理施設に汚泥として蓄積されていきますが、その先はまだ何も決まっていません。

ご存じのように東京、神奈川といったほとんど被曝していない地域の下水処理施設でも高い線量が計測されて話題になりました。

表土を5㎝剥ぐといいます。では、その汚染された土はどこに行くのですか?行き場所がなくて、校庭の隅に今もシートをかぶって眠っています。

国はやっと2012年1月26日になって、除染計画の工程表を出してきました。膨大な予算がかかりますが、私の疑問は晴れることがありません。

どこに持って行くのですか?避難地域に作るつもりの中間処理施設ですか?

そのようなものは、国がしっかりとした土地の買い上げと国有化を決めないでやることではありません。

いずれにせよ、放射性瓦礫や汚泥は、どこかに集中管理するしか方法はないのです。

しかし、避難の不手際とその後の復興の無策に対して、避難地域自治体には怨念といっていいような国に対する恨みがあります。

それをどう説得するのでしょう。当時の最高責任者の枝野氏が、ぬけぬけと原発再稼働などと言っているうちは、地元自治体がうなずくことはないでしょう。

その間にまたどんどん汚染物質が溜まっていきます。そのうち溢れ出すことでしょう。

二本松市の採石場の採石を使ったコンクリートから高い放射線量が検出されたことを覚えていますか。

まさに放射線の教科書どおりに、まったく減少せずに高い放射線を新築マンションから放出していました。

一方、予想を裏切ってどんどん放射線量が下がっている地域があります。どこでしょうか?

農地です。農地は劇的に線量が下がってきています。下図をご覧ください。Photo (「放射能に克つ農の営み」 伊藤俊彦氏の図表より引用させていただきました。ありがとうございます。)

これが福島県の3.11以後まったく耕していない土地での耕耘実験の結果です。

図表左から「耕起前」、「浅く耕起後(10㎝)」、そして「反転耕起後」(20~25㎝)の変化に注目ください。

つまり、まったくなにもしない土地を、10㎝耕す、次に20~25㎝耕してみた場合線量がどう変化するのを比較しています。

・耕耘しなかった土地の放射線量・・・・地表2.12μSv
                       空中1.77
・浅く耕起後(10㎝)        ・・・・地表1.70
                       空中1.40
・反転耕起後」(20~25㎝)   ・・・・地表0.79
                       空間0.85

お分かりのように何もしない土地の地表放射線量が2μSvを超える放射線量だったのに対して、反転耕起した後は0.79μSvと半分以下になったのが分かります

それに連れて空間線量も約半分になりました。まさに劇的な線量低下です。私たちの茨城地方でも、耕耘前と後では8分の1から13分の1にまで線量が低減したのが実測されています。

福島や茨城の農産物が、私たち農業者の予想をはるかに超えて基準値超え農産物を出さなかった理由はこれです。耕すことで、土壌放射線量が大きく下がったからです。

去年3月から5月に多数検出されたのは、当時は空間線量が高く、未耕耘だったために、作物が外部被曝したからです。現在とは状況がまったく違います。

さて、私たち農業は、「耕す」という農業の本源的な営みの中で放射能を低減することに成功しつつあります。私たち農業者は、いかにして放射線量を下げるための解決の鍵を握ったと考えています。

一方、都市部は未だ洗浄一本槍で、先行きが見えません。

そこで私たち農業からの提案です。頭を切り換えてはいかがでしょうか。校庭を耕したらどうでしょうか。そして線量を計ってとみてください。

そして校庭に大きな畑でも作ったらいかがですか。移行率が低い野菜は分かっています。そして計って安全だと分ったら食べたらいい。

放射能と闘う食育になるはずです。子供たちに「土地の神様」の偉大さを教える、素晴らしい食育じゃないでしょうか。

怖がって避難するだけが、放射能から子供を守ることではないのです。

2012年4月 9日 (月)

山桜

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関東では桜が満開です。まだ梅も残っているのて、桜と梅の競演となりました。

去年は花見などというのは脳裏に横切りもしませんでした。日々、農場の存続をかけて死にもの狂いだったんですね。

ただ、一本の遅咲きの山桜だけは記憶に残っています。もう5月に入って、他の桜が葉桜になりかかった時、ぽっと一本山桜が咲きました。

新緑の青に染まった中に、淡い山桜が一本だけ居心地が悪そうにひっそりと咲いていました。

いつも通っている農道にかぶさるように咲く山桜です。そのとき、慌ただしく軽トラックで走っていた私は、停まってしばらく見上げてしまいました。

別に桜を愛でるてという風流心ではなく、「ああ、こんな年でもお前は咲いたんだ・・・」、という共感とでもいったらいいのでしょうか。私は妙に嬉しかったのです。

大震災がこようと、放射能が降ろうと、多くの人間が死んでいこうと、何も変わらずにそこに居て、そして季節の中で花を咲かせ、蜂を呼び、花粉を散らせる。

自然が汚されたと感じるのは人間だけであって、ほんとうはなにも変わっていないのかもしれません。

自然は放射能さえも受け入れて、それを時間という懐で溶かしていくのです。そして何事もなかったかのように、いつもそこにあり続けます。

そのような営みが変わることなく続けられる風景の中では、私たち人間は山桜の一輪の花にすぎないのかもしれません。

日本人がただ「はな」と呼ぶ時、それが桜花であることの理由が分った気がした一瞬でした。

2012年4月 8日 (日)

ウクライナとベラルーシに学ぶ農業の放射能対策

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あまり知られていないことですが、ウクライは、チェルノブイリ事故以後、農業生産が上昇しています。

データを揚げます。(東京大学農学生命科学研究科の川島博之准教授による)

まずは1986年の事故後6年後からです。
・1992年作付け面積・・・1250万ヘクタール
・同農業生産量・・・・・・・・・3550万トン

これが17年後には
・2009年作付け面積・・・・1510万ヘクタール
・同農業生産量・・・・・・・・・・4540万トン

次にウクライナの穀物輸入量を見ます。
・1992年穀物輸入量・・・・180万トン

それが2009年には穀物は輸出に転じ、輸出穀物量が1640万トンになっています。チェルノブイリ事故禍から、完全にウクライナ農業は復活し、むしろ強くなったと言っていいでしょう。

実はウクライナの事故後の情景は、あまりにも現在の日本と酷似しています。

事故後の1年後、国会議員がウクライナの地方都市を訪れてこう言いました。「この地域にいる住民は放射能で死ぬから、避難しろ!」。

私たちがこの1年飽くことなく聞かされていた言葉です。ウクライナにおいても、外国の報道機関を通じた「放射能による死者数万人」という誤った報道が幾度となく流されました。

そして部外者の「ウクライナから避難しろ!」という言葉が、住民をパッニックに追い込みました。

これにより、ウクライナは「人口統計上の大惨事」と後にいわれるような急激な人口減少をみせます。事故後失われたウクライナの人口は12.1%にも登りました。(欄外資料参照)

まさに戦争や中世ペスト流行に等しい災厄がウクライナを襲ったのです。

原因は放射能そのものによるものは少なく、デマゴギーの流布でした。人口減少の大きな原因は、強ストレスによる流産、中絶などだったと国連科学委員会は述べています。

ウクライナ政府がとった対策は、初期の避難の遅れ、隠蔽などを反省した的確なものでした。

根拠のない風説や煽りに対しては徹底した「見える化」しか方法はありません。どこかの国の高官のように「ただちに健康に被害はありません」などと口走ってもかえって火に油を注ぐだけなのです。

ウクライナでは政府や自治体の計測と並行して、大量の測定機器を店舗や学校に配布しました。

同時に内部被曝を発見するための簡易型ホールボディカウンターも学校に配備します。学校においては年齢応じた放射能教育を開始しました。

このような市民対策と同時に強く推進されたのが農業対策です。

ウクライナ農業は壊滅的打撃を受けていました。初期被曝の放射性ヨウ素対策を旧ソ連が怠ったために、高放射線量の牛乳を飲んだ多くの子供たちから甲状腺ガンが発生しました。

このためにウクライナ製農産品は市場から排除されます。かつての東欧の穀倉はたちまち穀物輸入国に転落してしまいました。

日本の場合、基準値超えを出荷停止にするだけで終わりでしたが、ウクライナはこの放射性物質が入った牛乳を国が買い取り、バターなどの乳製品にして保管するという方法をとりました。

おそらく日本で同じ方法をとったら・・・、まぁスゴイでしょうね。瓦礫の比ではない。ああ想像するだけでイヤになる。

それはさておき、ウクライナ政府は被曝牛乳を国が買い取って加工して、放射性物質が基準値以下になるまで保管しました。

これと同じ方法は、ベラルーシでもとられています。ベラルーシは被曝した小麦を国がアルコールに加工しています。

そしてもうひとつの農業対策が、多くの放射能対策パンフレットの作成でした。ベラルーシだけで多くのパンフレットがあります。細かく分野ごとに分けて、地域ごとの対策も記してあるそうです。

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  (写真 「ダッシュ村」3.11特番より転載いたしました。ありがとうございます。)

そして畑作用にはカリウム肥料、畜産用にはプルシアンブルーが配られました。

耕耘方法については、ウクライナ農業放射線学研究所・バァレリー・カシタロフ所長はこういっています。

「天地返しによって、土壌からの外部被曝を10分の1にすることができる。汚染土を処分することなくコストも低く押えられる。(ウクライナでは)農地はこのように処理した」
(12年1月31日福島講演会「チェルノブイリ事故処理と福島への教訓」

ウクライナ、ベラルーシが消費者保護と同時に、農業に対して決めの細かい対策を打ったたとがわかります。

わが国は・・・、ここまで無為無策だとかえってすっきりするほどです。避難地域の牛、豚、鶏は見殺し。未だ供養されることもなく、無残な白骨を畜舎にさらしています。

消費者の不安には、ただひたすら責任逃れのための厳しい基準値を作るだけ。出たら農家がどうにかしろ、東電に金をもらいに行け、だけです。

放射能測定機は自治体の役場にポツンと1台申し訳のように置かれています。学校にも給食センターにさえ見当たりません。

基準値を上回る米が出た地域は国が買い上げるそうですが、その使途は決まっていません。おそらくほとぼりが冷めるまで置いて、秘かに捨てるのでしょうか。

放射能にいかに闘っていくのかの農業指針もなし。除染資材の配布などあるはずもなし。

いかに国にとって私たち農民など眼中にないのかが分かります。

よくNHKや消費者グループはウクライナやベラルーシを見習えと言うのを聞きます。そのとおりです。見習うべきです。ただし、農業対策もお忘れなきように。

私たち日本農業も、ウクライナ、ベラルーシのように事故を経てもっと強くならねばなりません。

チェルノブイリから40㎏離れたベラルーシ農民の日本農民への伝言を伝えます。
「日本もたいへんだとは思うが、絶対にあきらめないでほしい」。

      ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

■(「ウクライナとベラルーシの人口変動 激増する死亡と激減する出生」)
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/genpatsu/ukraine2.html

「1986年4月のチェルノブイリ原発事故後に一定の時間を置きつつ、急速な悪化を見せた。指標の中で一番早く影響が見られたのは総人口で、1951年以来一度も人口減少を見せたことのないウクライナの人口は、事故の7年後、ソ連崩壊・ウクライナの独立の3年後の1993年には早くも減少に転じはじめる。
事故初期には国外避難などがあったにも関わらず、事故から7年後に人口減少に転じはじめてから連続して減少し続けている。このためかつて約5200万人だった同国の人口は、2010年には約4570万人となり、事故後約20年の間に12.1%も失われた。」

2012年4月 7日 (土)

放射能との闘い第2ラウンド・森林汚染との闘い

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私たち農業者は放射能汚染の第2ラウンドに突入しています。

2年目の私たちは去年春の私たちではありません。もはや去年春のように無知、無防備ではありません。そして国の新基準値がこの4月1日から適用開始になりました。

私は2年目の焦点は森林関係だと考えていました。

その理由はまず畑や水田の放射線量が急激に下がっていることです。

私たち茨城南部では、1年前にあたりまえに土壌放射線量が100から500bq/㎏あったものが、現在はおしなべて30~100bq/㎏ていどにまで落ちてきています。ざっと10数分の1になったわけです。

これは「土の神様」のおかげです。これは実験室のセシウム実験では予測し得なかったことです。

土中の生態系が、ありとあらゆる箇所でセシウムを捕捉し、封じ込めていたことが分かりました

粘土や腐植物質は電気的に、ゼオライトは物理的に、土中生物や微生物は土を食べることで、いずれも外敵セシウムと闘ってくれていました。

日本の土中に多く含まれる無機物のカリウムさえも、セシウムと同族元素が故に植物への吸収を妨げることが分かってきました。

私たち現場の人間にとっての2年目の課題は、低線量内部被曝ウンヌンなどという解決の方法がない神学論争ではなく、私たちの地域の里山と森林汚染をどうしていくのかに移ったのです

さきほど「ありとあらゆる生態系内の生き物が除染に一役かっている」、と書きましたが、実は地上のイノシシさえも地虫を食べようと土ごと喰うために天然の除染活動していることがわかりました。

しかし「除染にひと役買っている」というのは、裏返せば森林の落ち葉、腐葉土に含まれる放射性物質を食べている、ということになります。

やはり野生のイノシシからは高い放射線量が検出されてしまいました。また他のジビエ類の野うさぎ、キジ、キノコ類、タケノコ類も同様です。

これは森林がほぼ手つかずの状態だからです。昨年9月の計測によれば

森林汚染度

茨城北部・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3千bq/㎏
・福島山木屋地区(標高600m)・・・1万7千bq

・群馬県・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・0.35μSv(bqの測定資料不明)

また、山木の土壌の放射性物質分布は

・A0層(0~7㎝)・・・・98.6%
・A1層(7~15㎝)・・1.4 
(11年9月測定)

このように、放射性物質は微生物が分解中のその年の腐植層(A0層)に98.6%存在し、その下の落ち葉の分解が終了した最上部(A1層)には達していないことが分かりました。

今後福島の山間部では、この森林に降下したセシウムが、A0層とA1層の間にある地中の水道(みずみち)を通って雪解け水となって流れ出していくものと予測されます。

つまり、セシウムは、葉と落ち葉に計71%が集中しており、それは地表下7㎝ていどに99%蓄積されていて、沈下せずに、むしろその下の去年の腐植層との隙間を流れだすと思われます

対策としてはいまのところ落ち葉の除去以外に3ツです。

山林からの流水がそのまま田んぼや農業用水に入らない対策をとる。たとえば福島で試みられている水路のもみ殻袋の3段除染。

❷沢口の田んぼの厳重警戒。

❸山林で採れるキノコやタケノコ類の事前計測の徹底化。いのしし、うさぎ、キジなどジビエ類も同じ

特に現在タケノコのシーズンですが、厳重に警戒しておく必要があります。既に各地で100bqr超えを連続して出しています。

出荷前に計らないタケノコは絶対に出さないで下さい。

出荷組合で事前測定を徹底化するか、計れないなら今年はあきらめて自家用にした方がいいかもしれません。

未組織の個人出荷の人にも情報を流して地域で歯止めをかけて下さい。いったん出ると地域全体に出荷規制がかかります。

シイタケはタケノコと違って森林内で育てているだけではありませんが(*発生舎が大部分)、原木の樹皮の間にセシウムが入り込んでいて、樹皮をはがさないと除染できないのです。

高圧放水でもある程度は落ちますが、なかなか樹皮の裏側にまではとどきません。シイタケは菌の働きと共に放射性物質が回る仕組みが未だ解明されきっていないので高圧放水除染だけで安心しない方がいいでしょう。

去年明らかに放射性降下があった地域の森林で採れた原木使用は止めるべきです。経営的にお気の毒ですが、原木に問題がある以上、原木対策なき出荷はたいへんに危険です

去年は私たち田畑や家畜がたいへんな目にあいました。今年は森林での放射能との闘いとなります。

        ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

■茨城でも原木シイタケ、タケノコで新基準値超え 
産経新聞 2012.4.5

茨城県は5日、常陸大宮、つくばみらい、守谷の3市の露地栽培の原木シイタケと、小美玉、潮来、つくばみらいの3市のタケノコが今月1日から適用されている国の新基準値(放射性セシウム1キロ当たり100ベクレル)を上回ったと発表した。1日以降、県内の検査で新基準値を超えたのは初めて。 県林政課などによると、原木シイタケは最大960ベクレル、タケノコは最大240ベクレル検出。県は5日、この5市に対し出荷・販売の自粛を要請した。県は3月下旬から新基準値を超えた市町村には出荷自粛を要請しており、出荷自粛対象の県内市町村は原木シイタケが17市町、タケノコが9市町となった。

■栃木のシイタケ新基準値超 新たに4市町で出荷自粛
産経新聞 2012.3.26

栃木県は26日、芳賀町など県内4市町で露地栽培された原木シイタケから、1キログラム当たり289~103ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。4月から食品に適用される新基準値(同100ベクレル)を上回ったため、県は4市町に出荷自粛を要請した。 県内で、現行の暫定基準値(同500ベクレル)による出荷停止と、新基準値による自粛要請は計14市町となった。

2012年4月 6日 (金)

群馬県の愚行 牛の基準値の経過措置を無視し、基準内の牛まで殺した!

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4月1日から放射能の新基準値が発効しました。

そしてわずか数日後の5日に群馬県の牛肉で、そして千葉県のタケノコとシイタケで基準値オーバーが発生しました。(欄外切り抜き参照)

群馬県の牛肉は106bq/㎏です。わずか6bqで引っかかったわけです。おかしな話ですが、一週間前に測定していれば問題なく流通したはずです。

また、99bqなら「安全」で、それを7bq超えると「危険」だという科学的な理由を知りたいものです。一年間摂取し続けても、おそらくはコンマゼロゼロbqていどの内部被爆量の上昇しかないはずです。

「問題がない」といえば、牛肉にはご承知のように経過措置がついています。

これは昨年産の米と、それから出るワラなどの副産物は去年のものが消費し終えて、新年度産の米が採れる10月までは経過措置が付いているからです。大豆なら1月までは経過措置がつきます。

経過措置終了時期までは(12年9月末日、12月末日まで)旧暫定基準値で流通させる、これが決まりなはずです。

にもかかわらず、なぜ群馬県は出荷自粛を命じたのでしょうか?

群馬県はこのときに、同じ畜舎で飼われて牛3頭の処分も「要請」しています。この3頭は基準値以下であったにもかかわらず、です。

こんな適用方法をしていたら、農家はまともに新基準値を運用しなくなります。その農場でただ1頭見つかった、その場合でも残りも処分ならば、誰が新基準値を守ろうとしますか

これが未登録農薬の使用などといった農家の過失に起因するのなら分かります。いわば自業自得ですから。

しかし、放射能は違います。放射能は農家にとって天災に等しいのです。なんの罪科も私たち農家にはありません。

にもかかわらず、マスコミは面白おかしく書き立て、週刊誌は「食べてはいけない農産物地域別詳細リスト」を作って売り上げを伸ばすことでしょう。

昨夜のテレビ報道でも、ある局が意図的にか経過措置の説明を省いて、あたかも新基準に続々と超過が発見された、という報道をしていました。

ゼロベクレル派の消費者はパニックになり、いっそう関西や輸入農産物にシフトするでしょう。

農家は東電から保証がもらえるからいい、と平然と言う人がいます。私たちがロボットかなにかだと考えているのでしょうか。

金さえもらえればへへ~と頭を下げるとでも。冗談ではない。私たちは人間だ。家族のように育てた家畜をむざむざ薬殺して、なにが嬉しいことがありますか。

まして基準値以下まで薬殺するなどもってのほかです。このような基準値以下も風評を恐れて殺すなら、法律などはいらない。

このようないったん超えれば、経過措置があろうとなかろうと薬殺し、その畜舎にいた新基準値以内の家畜まで殺すなら、誰が新基準を遵守するものですか。

法律を破っているのは群馬県です。群馬県は法律をねじ曲げて解釈し、経過措置を踏みにじり、殺す必要のない家畜まで殺しました。

群馬県は法律を守りなさい!法律は約束です。行政が守らないならば、誰が守りますか!

群馬県は畜産農家を守りなさい。

■写真 梅です。やや水彩画調にしてみました。このところ画像処理がマイブームで、いかんなぁ。

             ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

■群馬の牛肉が新基準値超 販売自粛と処分要請
産経新聞 2012.4.5 17:29

群馬県は5日、同県渋川市の農家が生産した牛1頭の肉から、4月に施行された一般食品の新基準値(1キログラム当たり100ベクレル)を超える106ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。 牛肉には経過措置があり、9月末まで新基準値は適用されないが、県は関東農政局の通知に基づき、販売自粛と処分を要請した。同時期に処理された同じ農家の3頭は新基準値を下回ったが、販売先を見つけるのが困難なため処分される。

 群馬県によると、4日に実施した検査で判明。配合飼料と県内産の稲わら、ライ麦を与えていたという。県はこの農家が今後出荷を予定していた2頭の出荷延期も要請し、与えていた餌の量や放射性物質濃度を調べている。

 県では昨年7月31日以降に処理した牛の全頭検査を実施。100ベクレルを超えたのは肉用牛では初めてで、廃用牛を含めると4頭目となった。

■千葉県産タケノコなど100ベクレル超 新基準値初の出荷停止
産経新聞 2012.4.5

今月1日から適用された食品に含まれる放射性物質の新基準値(1キロ当たり100ベクレル)を上回る放射性セシウムを検出したとして、政府は5日、宮城県村田町で採取された露地栽培の原木シイタケ▽千葉県市原市と木更津市で採取されたタケノコ▽福島県の酸(す)川支流で捕れたヤマメ-について出荷を停止するよう各県の知事に指示した。いずれも今月に入り採取・捕獲されたもので、新基準値に基づく出荷停止は初めて。

 厚生労働省によると、村田町の原木シイタケから同350ベクレル、市原市と木更津市のタケノコからそれぞれ同110ベクレル、同120ベクレル、酸川支流のヤマメから247ベクレルが検出された。

 また政府は同日、平成23年産米の調査で同100ベクレル超500ベクレル以下のセシウムを検出した地区の24年産米について、農林水産省が定めた条件を満たすまでの間、出荷停止を指示した。

 農水省はこの地区での作付けを(1)収穫後の全袋調査(2)作付け前の除染(3)作付けする水田の管理体制の構築-などの条件つきで認めており、収穫されたコメは全袋調査で新基準値を下回れば出荷可能となる。

 5日は茨城県常陸大宮、つくばみらい、守谷3市の露地栽培の原木シイタケ▽茨城県小美玉、潮来、つくばみらい3市のタケノコ▽千葉県我孫子市、栄町のタケノコ▽群馬県渋川市の農場から出荷された牛肉-から新基準値を超える放射性セシウムが検出された。ただ、牛肉は経過措置が設けられており、9月末まで新基準値が適用されない。

2012年4月 5日 (木)

米国民の大半はTPPに反対だ

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春の嵐のお見舞いありがとうございます。こちらは農場入り口が倒木で塞がれるといった以外特に被害はありませんでした。

と言っても大きな樹がふっ倒されたのですから、まぁすごかったですね。私は放射能研究会の会合の終わった夜12時近くに帰宅しようと思ったら、なんと通れない。杉を乗り越えて、泣きながら帰り着きました(笑)。

さてひさしぶりにTPPについて考えてみたいと思います。この間書かなかったのは、書けなかったのです。書くだけの情報がなかったからです。

だって、政府からなんの情報提供がないじゃないですか。政府はこれを外務省管轄の外交交渉上の条約締結事案に突っ込んでしまいました。これでシールドは完璧。

国会答弁で情報開示を求められても、「相手国との関係がございますから、答弁は差し控えさせて頂きます」、と木で鼻をくくったようなことを言うだけで罷り通ってしまったわけです。

となると、暗闇の中手さぐりで象をなぜるということになります。日本でただ一紙明確にTPP反対を掲げている「日本農業新聞」のみにチラホラと情報の破片が乗ります。

そんな中、3日のNHKが「ニュースウォッチ9」で、政府の内部文書のリークをしていました。

それによれば、独占入手したとされる政府内部文書にはこうあったそうです。

「米国は日本の煮え切らない姿勢に苛立ちを強めている」として、「首相の訪米によるTPP交渉参加の判断を急ぐよう」にと報道していました。

政府府内部からの意図的リークにNHKが乗ったのでしょうね。おそらく出所は外務省か経済産業省。

目的は考えなくても分かりますが、5月GW時の首相訪米時にTPP参加をオバマ大統領に明言するための世論作りです。このようなことを世論誘導と言います。

しかしそれにしてもえぐい。情報はまったく出さないでいるものだから、国民はなにが話し合われているのか、いやTPP交渉が進んでいることすら知らないわけです。忘れかかっている、と言ってもいいでしょう。

去年あれだけ盛んだったTPPの国民的議論が今、嘘のように消えてしまっています。

その中でまるで日本が足を引っ張っているために、「米国が苛立っている」という「政府内部文書」を流して煽る、フェアじゃないですね。

米国ですら、オバマ氏が大統領再選目的で揚げたTPPのアドバルーンに対して、共和党を中心にして猛烈な反対があるのを知らないのでしょうか。

米国自動車業界は、2.5%の輸入関税が撤廃されれば日本車と勝負することは不可能となると読んでいます。(欄外切れ抜き参照)

なにせ、日本の自動車関税はゼロである上に、6割までが米国内生産ですから。これで関税までなくなると、もう再建のめはなくなります。

もちろん自動車業界は、USTRが飽きずに言っているような、「日本の貿易外障壁が米国車の日本市場参入の壁である」なんてノーテンキなことは考えていません。

だいたい右ハンドル車を作らなくなって、日本に新型車の投入ができなくなった国がなにを言っているんです。とうに彼らは日本市場などあきらめています。

彼らの念願は、米本土市場死守です。それだというのに、オバマはなんて余計なことを、これが米自動車業界の本音です。

これは自動車産業の経営陣のみならず、労働側の全米自動車労組も同じで、自動車労組は民主党の大票田です。

米農業界ですら、あまり乗り気ではありません。TPPで豪州産牛肉が入ってくればどうなるのか。米国は輸入牛肉に関税をかけていますから、かなり熾烈な豪州牛肉との競争を演じることになります。

そして、米国はWTOで批判にさらされている悪名高き輸出補助金制度を綿花や小麦などに出しています。

これがTPP交渉で打ち切られてしまえば、今のままでも充分に安定している日本向け輸出の多少の改善と引き換えに、これを失うにはあまりにも痛いのです。

米国の各産業でTPPでをビジネスチャンスとみるのは、わずかに金融業、保険業、医薬品、化学工業、建設業ていどであとはどうでもいいか、反対です。

オバマ氏が再選戦略でぶち上げた200万人雇用増大など、絵に描いたモチなことは米国民はとっくに見抜いています。

つまり、米国内には日本と変わらないくらいに強い反対があり、日本と同じくらいに判断をしかねている人々が大多数なわけです。

こんな状況でなにを急ぐのでしょうか。急いでいるのは、オバマ氏と野田氏だけです。

いずれにせよ、野田政権の賞味期限はあと数か月ですから、米国が様子見なのはあたりまえです。

■写真 霞ヶ浦の夕焼け。無効に見えるのは、筑波山のツインピークス。

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■ 日米TPP協議、米自動車業界反対で停滞
(中国新聞)

【ワシントン共同】日本の環太平洋連携協定(TPP)交渉参加に向けた米国との事前協議が停滞している。自動車関連の関税引き下げに伴い、高性能な日本車の輸出攻勢を受けて競争が一層激化すると懸念する米自動車業界が、日本の参加に反対姿勢を崩していないためだ。米政府が日本の政局を見極めようとしていることも影響しているようだ。

 2月に開いた日米の事前協議は、具体的な要求が米側から示されないまま協議継続で一致したものの、今後の見通しは定まっていない。 16日付の米通商専門誌「インサイドUSトレード」は、協議進展を念頭に米通商代表部(USTR)が自動車業界に対し、日本市場の参入障壁に関する一覧を提出するよう求めているが、業界側は拒んでいると報じた。

 業界は、障壁を示しても改善が見込めない一方「手続きが進んで日本の参加につながる」と警戒。日本との協議を担当するカトラー通商代表補は先に業界代表と会談したが、議論は平行線に終わったとみられる。

 USTRは日本側にまだ要求をする段階ではないと考えているようだ。米政府高官は「業界との調整には時間がかかる」と指摘。交渉担当者の間では、日本が参加する前に協定の大部分をまとめたいとの意向があるとされる。

 米政府は、TPP反対論が根強い日本の国内情勢にも強い関心を持っている。政局が混乱し、TPPに熱心な野田政権が倒れた場合、事前協議そのものが空中分解する恐れがあるからだ。

 米議会で通商問題に影響力を持つ下院歳入委員会のブレイディ貿易小委員長は、日本の参加について「いつ、どのようにと決断するのは時期尚早だ」としている。

2012年4月 4日 (水)

梅と桜同時満開

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冬があまりに寒かったために、梅と桜が同時に満開です。
わが農場、梅桜花見の景色。

さぁ、いよいよ一気に春本番です。

昔好きだった吉田拓郎をがなりたくなります。

僕を忘れた頃に
君を忘れられない
そんな僕の手紙がつく

くもりガラスの窓をたたいて
君の時計をとめてみたい
あゝ僕の時計はあの時のまま
風に吹きあげられたほこりの中
二人の声も消えてしまった
あゝ あれは春だったね

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2012年4月 3日 (火)

飯館村菅野村長インタビュー全文 全面避難を訴える人に問いたい。そんなに簡単にふるさとをあきらめていいのですか?

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―福島第一原発の事故直後、何が最も大変でしたか?

菅野 3月20日の夜半に、福島の原子力センターから村役場へ緊急コールが入ったんです。村の簡易水道から965ベクレルもの放射性ヨウ素が検出されたので、飲まないでくれというものでした。真夜中でしたが大慌てで村民に知らせる段取りをして、翌日からの飲み水として全戸にペットボトルを配るなど、一日中、対応に追われた。そのときが本当に大変でした。

― 飯舘村はその後、計画的避難区域に指定され、政府は5月下旬をめどに全村民に避難するよう勧告しました。しかし、実際に全村避難はそれよりも1ヵ月近くも遅れました。

菅野 村民にはひとりひとり事情があります。3000頭近い牛がいて、さらにきちんとした避難先が見つからないなかでの避難でしたので、時間がかかりました。放射能のリスクは重く考えるべきですが、村民の暮らしをどうするのか、村内の牛や企業はどうするのか、国から一定の回答を引き出さずに避難させるわけにはいきませんでした。

―それが結果的に1ヵ月近い避難の遅れにつながり「【無用の被曝】をさせた」と批判されることになった?

菅野 村民の健康のリスクと生活のリスクをどうバランスとるかが大事と考えていました。「村民をモルモットにする気か」「殺人者だ」という抗議のメールも連日10通以上届きました。とはいえ、避難に当たって村民の生活リスクを少しでも小さくしてやらねばなりません。さらに、村をゴーストタウンにしない手立てもしっかり考えておかないといけない。私は村の長ですから、その責任があります。

集団移住で新しい飯舘村をつくるべきだという意見があることも知っています。でも、「村民の命を守るために集団移住を」というスローガンは美しく聞こえるが、そんなにたやすく実現できることではない。かえって村民の将来へのリスクを大きくしてしまいかねません。

―成果はありましたか?

菅野 村内の企業を残せたことはその成果のひとつです。村には大小含め90社の法人企業がありましたが、老人ホームや金型製作会社など9つの企業が残りました。政府は、年間20ミリシーベルト以上の地域は避難という見解を取っていましたので、それは逆に言えば、線量の低い屋内での操業ならいいのではということ。飯舘村はこの条件を国に認めさせました。

その後、2社は社員不足などで撤退しましたが、今でも7社は元気に操業を続けています。なかでも菊池製作所という会社はこの大変な時期に、昨年10月にはジャスダックに上場を果たしました。7社の合計雇用数は400人に上ります。多くの若い人も働いてくれています。

―私たちが測定したところ、飯舘村の空間線量は高いエリアだと、10マイクロシーベルトを超えます。日々、避難先から会社に通う社員たちの健康が心配です。

菅野 ですから線量計算をして働いてもらってます。必要以上に怖がりすぎて過酷な避難生活が長引いても、逆にストレスや高血圧、心臓疾患などで心や体を病むケースもある。それを防ぐには、正しく放射能のリスクを学び適切な行動をとる「リスクコミュニケーション」が大切です。その上で、最終的にはひとりひとりの判断を仰がざるを得ないと思っています。

セシウム134と137の蓄積量

―集団移住か、帰村か? その優先順位をめぐって、飯舘村民の中では今も議論があるそうですね。

菅野 私には集団移住か帰村を貫くのかという、白か黒かの二項対立的な発想はありません。飯舘村の復興は〝放射能との闘い〟ですから、村から出るにしろ帰るにしろ、いろんな考え方があってもいいはずです。村の復興プランもそう作ってます。

世の中はバランスが大切です。誤解を恐れず言うなら、物事には白と黒の間のグレーゾーンに適切な解があることもあります。このように柔軟で多様な思考が復興には欠かせません。妻からは、グレーゾーンという表現は他人の誤解を招きやすいので、あまり口にするなと釘を刺されていますが。

―グレーゾーンとは、柔軟で多様なチョイスができる復興という意味なのでしょうか?

菅野 はい。飯舘村民はこれから長期間、放射能のリスクと向き合って生きていかなければなりません。そのとき、村民一律というよりひとりひとりが「この放射能値なら大丈夫。ぼくは村へ帰る」とか、「いや、私はまだ危険と思うから、しばらく避難を継続する」とか、選べるようにしたい。個人に責任を負わすようですが、多様な選択肢こそが、最も村民の心と健康にいいはずなんです。

【何もせず村を諦めるなんてことはあってはならない】

―今後、飯舘村が復興する上で、最も大切なことは?

菅野 村民の健康を守りながら、除染をしっかり進めていくことでしょう。放射能による災害には特殊性があると痛感します。普通の災害はある期間が過ぎるとゼロからスタートできます。しかし、飯舘村は放射能を除去しないことにはそのゼロ地点にすら立てないのです。従って、長い間、不安の十字架を背負っていくことになります。私は除染開始から2年をめどにふるさとに戻れるようにしたいと考えています。除染が始まるのが今年の4月なら、2014年4月の帰村を目標にするということです。長引けば長引くほど、村民の心や体は病んでいく気がしますので。

―除染作業は順調ですか?

菅野 実は困っています。国の方針が定まらなくて、なかなか除染が進まないのです。除染予算も大枠では決まっているものの、飯舘村にはいくら投入するとか、具体的なことはいまだに何も決まっていない。このままだと除染開始は今夏にずれ込むでしょう。

そんな時期までとても待てません。避難が長引くほど、村民の生活のリスクが高まり、心身も荒廃する。村に戻るなんて夢物語になってしまう。今すぐにでも除染に取りかかってほしいと、国には強く要望しています。

―除染が進まない原因は?

菅野 国が一生懸命なのはよくわかります。でも、心が感じられないんです。「心のない政治」というのかな……。除染だけじゃない。4月から新たに避難区域が3つのゾーンに再編されますが、その決定に当たっても事前に相談すらない。これで飯舘村は3つのエリアに分断される。そうなれば、エリアごとに新たな利害の衝突や意見の対立が生じかねない。

村役場も住民も右往左往しなくてはいけません。すべてが唐突で、机上の計算なんですね。国は被災自治体や住民の心からものすごく遠いところで判断している。それでは国の努力が伝わらないということを、そろそろわかってほしいと思います。

―国はどうすべきですか?

菅野 今は有事なんです。平時じゃない。だからこそ、国には柔軟性が必要です。具体的には、被災自治体に裁量権を与えてほしい。住民と距離の近い自治体だったらひとりひとりの顔を見ながら、多様な対策がとれますから。今の国の支援は画一で、単線的なものばかりです。

除染も国から業務を請け負った大手ゼネコンがやって来て始めるから、「おれの土地をどうするんだ?」と、住民とトラブルになる。それを防ぐには、事前に地権者全員の合意を取らなくてはならない。そんなことをしているから、夏までスタートがずれ込むんですよ。

その点、地元に裁量権があれば、「この木は切ろう」とか、「ここの表土は残そう」とか、住民とわいわいがやがやと相談するわけですから、スムーズに合意が取れて除染も迅速にスタートできるはず。村に任せてもらえたら、顔見知り同士、きちんと話し合いができるんです。

―除染ができても、村での生活は成り立たないという声があります。風評被害を考えると、村の基盤産業だった農業や畜産業はもはや再生は難しいのでは?

菅野 そういう意見の人に逆に聞きたい。じゃ、何も作らなかったら、飯舘村はどうなるんですか? 発想の転換が必要です。例えば、いろんな作物を植えてセシウムを吸わせ、収穫したものをバイオエタノールの原料にする。除染で出た大量の木屑でバイオマス発電をする。観賞用の花を栽培する。外気からシャットアウトされた工場内で高品質の野菜を育てる。

なんらかの形で村民が生活できるよう、とにかくいろんなことにチャレンジしていくべきです。飯舘で人が生きていくにはそれしかない。そのプロセスでは、出荷できなかった作物を国に買い上げてもらうなどの補償制度も必要でしょう。それが30年後、40年後の飯舘村の自立につながると信じています。

―除染は諦めない?

菅野 確かに村の総面積の75%は山林だから、除染をしても期待したほど線量は下がらないかもしれない。だから、除染は諦めろと主張する声は村内にもあります。

―かなり深刻な議論だったのですか?

菅野 いえ、深刻ではありません。確かに、そういうふうに考える人はいたし、そちらの方向に誘導しようという人もいました。でも、そんなふうに簡単に諦めてもいいんですかね? ふるさとを見捨ててもいいんですかね? 私はそうではないと言いたい。

たとえ村外に住む人にとっても、ふるさとは心の支えであり心のオアシスであるはずです。何もせずに諦めるなんてことがあっていいはずはない。とにかくまずは、除染をやってみないことには何も始まらないんです。

●菅野典雄(かんの・のりお)
1946年生まれ、現・飯舘村出身。飯舘村で酪農を営む。1996年10月、村長に就任(以来連続4期)。著書に『美しい村に放射能が降った』(ワニブックス【PLUS】新書)がある。

2012年4月 2日 (月)

南海トラフの予想M9.1。浜岡原発には21メートルの津波!これが新たな「想定内」だ!

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浜岡原発で予想される津波の高さ21メートル・・・!

これが内閣府の検討会が出した新たな南海トラフ巨大地震M9.1が到来し、太平洋側で3つの地震が連動した場合の津波高予測です。
南海トラフの巨大地震モデル検討会巨大地震モデル検討会http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/nankai_trough/nankai_trough_top.html

これが新しい地震と津波の「想定内」です。現在再稼働に向けて進められている浜岡原発の補強工事は、これで抜本的見直しに入らざるを得なくなりました。

図1をご覧下さい。これが新しい「現実」です。

南海トラフ(*浅い海溝)に巨大地震が発生した場合、太平洋側で東海、東南海、南海地震の3ツの大地震が連動します。その範囲は東海地方から九州にまで及ぶ広範なものとなります。(図1参照)

Photo_3

(図1 産経新聞4月1日より参考のために転載させていただきました。ありがとうございます。以下図は同じ。クリックすると大きくなります。))

震度6強のオレンジ色の部分は、静岡から愛知、和歌山、兵庫、高知、香川、宮崎などの10県153市町村となりました。

震度6強は今回の3.11大震災時の東北を襲った地震よりやや小規模ですが、私の住む茨城地方を襲った震度です。私の村では橋が崩落し、小学校が2つ使用不能になりました。民家の損害は数知れません。

都市部では電柱が倒壊し、道路や水道、電気などの生活インフラが寸断されました。これが震度6強です。

問題はむしろその後に必ず襲来する大津波です。それが図2に示されています。Photo

襲来されると予想される津波高は(欄外も参照下さい)、四国の太平洋側で20m以上、最大は高知県黒潮町で34.4mに達し、九州東部は約15m、関東の神奈川鎌倉市で9.2mとなります。

この大津波に位置する原発は、浜岡原発と愛媛県伊方原発です。

浜岡原発で従来想定されていた津波高は15m。これが3.11以前ではなく、事故後の安全・保安院が出した緊急安全対策でした。

そしてこの15mの予想津波高に合わせて新たに防壁18mを建設中でした。(図3参照)

Photo_2 

この新たな内閣府の新想定区波高は21mに達し、仮に18mの防壁を築いたとしても、軽々と3mも乗り越えられることになり、敷地内に大量の海水が殺到するでしょう。

そして敷地内後方に新たに設置した補助電源のガスタービンエンジン3基の海抜は25m。予想津波高21mとわずか3mの首の皮一枚となります。

東海村第2原発は3.11時に直前の補強で防壁を嵩上げしてあったためにわずか数メートルの差で浸水を免れました。

しかし、それでも3電源中2本が遮断され、補助ポンプ2つのみでの緊急冷却となりました。あまり知られていませんが東海村第2も福島第1直前まで行っていたのです。

それを考えると、防壁の更なる嵩上げは当然のことで、たぶん30mていどの壁が必要となるのではないでしょうか。

そして非常用電源3基も25mでは不足で、海抜30m以上に設置しなおさねばなりません。

なお、伊方原発は幸いなことに、太平洋側ではなく瀬戸内海側に向いているために津波高は3mとなり、想定3.49mを下回りました。

また東海第2原発も想定以下の2.6mでした。

中部電力は「津波の継続時間や推量が不明なので、詳細データーを入手した上で適切に対応したい」と言った後ろ向きな姿勢を見せています。

南海トラフのまさにど真ん中に位置する浜岡原発が再開されることはありえないと私は思います。

■写真 私の農場も桜が開花しました。もっとも八重ではなく、サクランボウですが。

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南海トラフ地震:内閣府検討会報告 津波高、従来の1.1~2.6倍 県内20市町で最大震度7 /和歌山
毎日新聞4月1日

西日本の太平洋沖に延びる「南海トラフ」で起きる巨大地震に関し、内閣府の検討会が31日公表した報告で、県内各市町での最大の津波高が従来想定の約1・1倍~2・6倍となった。最大震度7が想定される市町数も6から20に増加。県は東日本大震災を受け既に避難対策などの点検を始めているが、仁坂吉伸知事は「県南部の沿岸地域は将来的な高台移転が望ましい」としている。

 ◇県南部沿岸、知事「高台移転望ましい」
 検討会は、高い津波を引き起こす領域を11パターン設定して、最大値(満潮時)を試算。県内市町別でみると、最大はすさみ町の18・3メートルで、従来想定の最大7メートルから2・61倍になった。続く美浜町、御坊市は17メートル強で、ほとんどで10メートルを超えている。一部地域では地震発生から最短2分で最大津波高が到達すると予測された。

 揺れの強さは5パターン設定。従来は震度6弱だった和歌山市、有田市、6強だった新宮市、湯浅町など14市町が7に上がった。ただ、最大クラスの震度や津波高は複数のパターンを重ね合わせた結果で、内閣府は「実現象として同時に発生しない」としている。

 県は東日本大震災後の昨年4月から、避難場所の見直しなど緊急点検を実施している。県総合防災課の高瀬一郎課長は「大震災クラスの津波を想定してすでに見直しを行ったため、この検討結果を受けて緊急的に何かをやるというわけではない」としている。津波浸水区域や被害想定の見直しを12年度内にも実施する予定だ。

 県が06年3月に公表した地震被害想定は、東海・東南海・南海3連動地震での揺れと津波による建物の全壊・焼失は最大で10万4595棟(冬の午後6時の場合)、死者数は5008人(冬の午前5時の場合)、負傷者数は8348人(同)とされており、見直しによって上方修正される可能性が高い。仁坂知事は「国の検討結果を基に、専門家の意見も聞きながら、より詳細な被害想定、浸水予測に取り組んでいきたい」とコメントした。た。………………………………………………………………………………………………………

 ◆最大津波高◆
(満潮時、カッコは従来想定、単位はメートル)
和歌山市   7.7 (6.6)
海南市    8.1 (6.8)
有田市   10.2 (5.1)
御坊市   17.4 (7.6)
田辺市   12.0 (7.4)
新宮市   12.2 (5.6)
湯浅町   10.2 (5.8)
広川町    9.1 (5.9)
美浜町   17.9 (7.4)
日高町   12.5 (5.7)
由良町   10.4 (6.6)
印南町   16.4 (6.6)
みなべ町  14.8 (6.3)
白浜町   15.2 (6.3)
すさみ町  18.3 (7.0)
那智勝浦町 15.6 (8.0)
太地町   12.1 (5.5)
串本町   16.0 (9.5)

2012年4月 1日 (日)

水路除染の決定打となるか、もみ殻除染。実に9割を除去!

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春の田起しを前に各地で、実用的なセシウム除染の方法が試されています。

まずは私たちがよく言う言い方で言えば、「放射能の見える化」から始まります。これは読んで字の如しで、放射能が田畑にどの程度あるのかを農民みずからが「見る」ことです。

各地でそれぞれの方法があるのでしょうが、私たちはかなり細かく計っています。1反歩を3~5カ所計測します。ただし、谷津田など比較的ホットスポットが多い場所は、沢口周辺を注意します。

この「見える化」の結果、確実に去年5月の田植え時から、急激に土壌線量が低下していることが分かりました。

去年3月から5月期に100から500bqあった田畑は、現在おしなべて100bq以下になってきています。

特に耕耘をひんぱんにする畑は、放射性物質はかなり減少することが分かりました。

誤解なきように言えば、「減少」とは消滅したのではなく拡散したのですが、地表面5㎝で濃厚に蓄積されている状態より、はるかに危険性は低くなったといえます。

生井兵治・元筑波大学教授は「耕すな」と言いますが、逆です。

「耕す」ことにより、濃厚な地表直下のセシウム層を破壊できるのであって、そこから次の手段が見えてくるのです。

耕さなければなにも始まりません。生井氏は農民にはほとんど影響力はありませんが、一部脱原発団体が彼の言説を拡散させているのは困ったものです。

さて、去年の米作りの分析結果、実際にどのようにセシウムが移行するのかも分かってきました。

かなり知られて来た概念ですが、土壌のセシウムはそのまま作物に移行するわけではありません。セシウムはカリウムと同族の元素で、ほぼ同一の動きをします。

土壌中にカリウムが必要なだけ入っていれば、作物は充分なカリウムを体内に持つので、これ以上セシウムという新顔を必要としません。

逆に不足していれば、植物はカリウムだと思ってセシウムを吸収してしまって、作物のセシウム濃度は上がります。

日本の農地は草木灰を施肥する習慣があるため、土壌にカリが足りているために、植物への移行はたいへんに低かったと思われます。

また東日本は粘土質が多かったのも不幸中の幸いでした。粘土は電気的にセシウムを吸着します。福島に至っては、天然の放射性物質吸着材であるゼオライトの日本一の産地でさえあります。

そのようなわけで、去年の栽培では、私たち農家が恐れていたよりはるかに少ない検出にとどまりました。

移行率はその田畑によっても違いますが、米ならば0.1から0.0026です。

メチャクチャに幅がありますが、これは田んぼが森林に接しているか、平野部にあるのか、なにを施肥しているのかによって異なるからです。これは「見える化」しないと分かりません。

だから私はできるだけ畑一枚で済ませるのではなく、すべての自分の畑をできるだけ多く測ることを勧めています。

今年もまた田起こしの春を迎えて、できるだけ田畑の線量を下げようという工夫がこらされています。

欄外切り抜きは、福島県で11年度作付け制限がかかった南相馬市で行っている実験です。

南相馬市の水田脇の用水路に、もみ殻を木綿袋に入れ、更に洗濯ネットに入れた袋を作って、水路に沈めました。

結果が、記事左上のグラフです。いや驚きましたね。グラフ一番左のあえて水を攪拌させてセシウム濃度を高くした5万2500bqの水路が、もみ殻袋を通過させることで、一気に3590bqへと実に93%減少しました

低濃度ではND(検出限界値以下)まで除去できます。ほぼ実用的には、完璧といっていい除去ができたわけです。

なお、6~7回目が除去率が低下したのは凍結したからだそうです。しかし、現実に使用する春には大丈夫でしょう。

試験で使ったもみ殻の放射能濃度は、18日間で1万7337bq/㎏となり、いかにセシウムを吸着したのかわかりました。

これはもみ殻表面の毛が有効に働いたのではないか、とされています。

このもみ殻除去のすごいことは、カサが小さいことによって、後の焼却処分が楽になることです。「ダッシュ村」のヒマワリは除去率が非常に低い割にかさばって処分が困るという難点がありました。

「ダシュ村」ではたいそうな大型器械を使っていましたね。あんな高価なハイテク器械は農業現場では役に立ちません。

それに対して、カサが小さいもみ殻は軽くかさばらないために処分にも困らないというのは大きな利点です。

農業現場の放射能除去で大事なのは、農村で簡単に手に入る資材を使い、出来るだけ金をかけずに簡単に日常的にできるかがポイントです。つまり必要なのは、ハイテクではなくローテクなのです

研究機関の人はここがどうもよく分かっていないふしがありますが、このもみ殻除染を考案したのも現地南相馬市の地質調査会社「庄建技術」さんです。パチパチ。

避難地域に入っているかどうかは分かりませんが、現地でがんばっている泥くさい技術屋さん達なんだろうな。こういう人たちがいれば、地域は必ず復興します。

私たちの地域でもさっそく試してみようと思います。これは水路除染でしたが、土壌除染応用も可能な気がします。

■写真 なにかよくわからない写真ですが、森のかなたに登る朝日です。水彩画調にしてみました。

           ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

■日本農業新聞」3月30日(クリックすると大きくなります)

Photo

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