富良野のロケット その1 植松社長は「どうせ無理」は大嫌いだった
放射能禍で夢がなくなりかかった時に、この素晴らしい物語を読みました。「どうせ無理」という言葉は、私もいつも吐きそうになります。
そのときには心の中で、富良野の蒼い空にまっしぐらに駆け上がる小さなロケットを思い起すことにしましょう。
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■1.「『どうせ無理』という言葉をこの世からなくすため」
北海道の富良野と言えば、美しいお花畑が連想されるが、その近くの工
業団地で、社員20名ほどの小企業が、自前でロケットの開発に取り組ん
でいる、と聞けば、「何を好きこのんで」と思うのが、普通だろう。
その企業、植松電機でリーダー役をしている植松努専務(昭和41年生まれ、
45歳)は、ロケット開発の目的を「『どうせ無理』という言葉をこの世
からなくすため」と語っている。
北海道の片田舎の20人の極小企業でもロケット開発ができると実証すれ
ば、都会にある、もっと大きな企業だったら、もっと何でもできる、と
考えるだろう、というのである。
突拍子もない発想ですぐにはついていけないが、植松さんの身の上話を
聞くと、なるほどな、と腑に落ちる。そして宇宙開発への挑戦ぶりを知
れば、これこそ現代日本の閉塞状況を打ち破る発想ではないか、と思え
てくる。
■2.5年ほどでロケット打ち上げにこぎ着けた
植松電機の本業は、パワーショベルの先端につけて、産業廃棄物から鉄
を取り出すマグネットの製造、販売である。競合製品が存在しないので、
ほぼ100%のシェアを持っている、という。そこから得た利益を、ロケッ
ト開発につぎ込んでいる。
平成16(2004)年、独自の方式でロケットを開発している北海道大学大学
院の永田晴紀教授と出会った。翌年、永田教授を全面支援する形で、共
同研究を開始。
平成19(2007)年には全長5mのロケットを打ち上げ、高度3500mに到達。
翌年には1年で18機も打ち上げた。今まで約5億円を使ったが、すべて
植松電機の自腹で、国からの補助金はいっさい貰っていない。
現時点では、民間企業が高度1万mを超えてロケットを飛ばすことは法
律で禁じられているが、いずれ法律が改正されて、宇宙に行けるロケッ
トを作ることができるだろうと信じている。
永田教授の開発しているロケットの長所は、固体のポリエチレンを使う
ので、液体燃料よりもはるかに安全で、装置も簡単なこと。小型で安価
なロケットを作れるので、電子化されてどんどん小型になりつつある人
工衛星を効率よく打ち上げることができる。
そんな夢が実現するのは、まだまだ先のことだろう。しかし、それでも
植松さんは挑戦している。「どうせ無理」という言葉をこの世からなく
すために。
■3.「お前もきっと月に行けるぞ」
植松さんが、なぜ、それほどに「どうせ無理」という言葉をこの世から
なくしたいと思っているのか。それを理解するには、植松さんの生い立
ちを辿る必要がある。
植松さんは3歳の頃、お祖父さんに大切にされた。
「僕はじいちゃんが大好きでした。じいちゃんは落ち着きが足りない、
変な子どもだった僕を大切にしてくれたんです。そして、僕にアポロの
着陸を見せてくれました。僕が三歳のときです。
僕はアポロの着陸そのものを覚えてはいません。僕が覚えているのはじ
いちゃんのあぐらの中の温もりです。じいちゃんのあぐらの中に座った
僕にテレビを見せながら、「人が月を歩いているぞ。すごい時代になっ
たぞ。お前もきっと月に行けるぞ」とじいちゃんは言っていました。
自分が大好きだったじいちゃんの、今まで見たこともない喜びぶりが僕
の中に記憶されました。だから、僕は飛行機やロケットが好きになった
んです。飛行機の本を手にとり、飛行機の名前を覚えたらじいちゃんが
喜んだ、ただそれだけで、僕は飛行機やロケットが大好きになったんで
す」。[1,p192]
3歳の子どもでも、大好きな人が喜んでくれることをしようとする。そ
れがきっかけだった。
■4.「どうせ無理」
小学生の頃は、テレビで『海底少年マリン』や『海のトリトン』を見て、
潜水艦や海の中が大好きになった。美しい海の中を行く潜水艦に憧れを
持った。
そこで6年生の時に、「ぼくの夢、わたしの夢」と題された卒業文集の
中で「自分のつくった潜水艦で世界の海を旅したい」と書いたら、先生
に呼び出しを食らった。「他の子どもはちゃんと職業のことを書いてい
るのに、おまえはこんなものでいいのか? こんな、できもしない、か
なわない夢を書いていていいのか?」と言われた。
「ぼくの夢、わたしの夢」のコーナーに自分の夢を書いて、なぜ怒られ
なければいけないんだろうと、思ったという。これが「どうせ無理」と
いう言葉で痛い目にあった最初の経験だった。
中学校の進路相談の時間に、先生から「おまえは将来どうするんだ?」
と聞かれたので、「飛行機、ロケットの仕事がしたいです」と胸を張っ
て答えたら、「芦別に生まれた段階で無理だ」と言われた。その先生は、
こう言った。
「飛行機やロケットの仕事をするためには東大に入らなければいけない。
おまえの頭では入れるわけがない。芦別という町から東大に行った人間
は一人もいない。そんなバカなことを考えている暇があったら、芦別高
校に行くのか、芦別工業高校に行くのかをよく考えて選べ」。[1,p82]
(続く)
■伊勢 雅臣 「小企業が自前で挑む宇宙開発」より転載させていただきました。ありがとうございます。
■植松努『NASAより宇宙に近い町工場』★★★、ディスカヴァー・トゥ
エンティワン、H21
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コメント
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カムイロケットですね。
燃料はホームセンターで300円位のプラスチック円柱ブロックを重ねてるだけという安価かつシンプル・イズ・ザ・ベストというコンセプト。
まあ、なかなか簡単には行かないようですが、マニアには夢のある話です。
投稿: 山形 | 2012年4月17日 (火) 06時41分