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飯館村菅野村長インタビュー全文 全面避難を訴える人に問いたい。そんなに簡単にふるさとをあきらめていいのですか?

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―福島第一原発の事故直後、何が最も大変でしたか?

菅野 3月20日の夜半に、福島の原子力センターから村役場へ緊急コールが入ったんです。村の簡易水道から965ベクレルもの放射性ヨウ素が検出されたので、飲まないでくれというものでした。真夜中でしたが大慌てで村民に知らせる段取りをして、翌日からの飲み水として全戸にペットボトルを配るなど、一日中、対応に追われた。そのときが本当に大変でした。

― 飯舘村はその後、計画的避難区域に指定され、政府は5月下旬をめどに全村民に避難するよう勧告しました。しかし、実際に全村避難はそれよりも1ヵ月近くも遅れました。

菅野 村民にはひとりひとり事情があります。3000頭近い牛がいて、さらにきちんとした避難先が見つからないなかでの避難でしたので、時間がかかりました。放射能のリスクは重く考えるべきですが、村民の暮らしをどうするのか、村内の牛や企業はどうするのか、国から一定の回答を引き出さずに避難させるわけにはいきませんでした。

―それが結果的に1ヵ月近い避難の遅れにつながり「【無用の被曝】をさせた」と批判されることになった?

菅野 村民の健康のリスクと生活のリスクをどうバランスとるかが大事と考えていました。「村民をモルモットにする気か」「殺人者だ」という抗議のメールも連日10通以上届きました。とはいえ、避難に当たって村民の生活リスクを少しでも小さくしてやらねばなりません。さらに、村をゴーストタウンにしない手立てもしっかり考えておかないといけない。私は村の長ですから、その責任があります。

集団移住で新しい飯舘村をつくるべきだという意見があることも知っています。でも、「村民の命を守るために集団移住を」というスローガンは美しく聞こえるが、そんなにたやすく実現できることではない。かえって村民の将来へのリスクを大きくしてしまいかねません。

―成果はありましたか?

菅野 村内の企業を残せたことはその成果のひとつです。村には大小含め90社の法人企業がありましたが、老人ホームや金型製作会社など9つの企業が残りました。政府は、年間20ミリシーベルト以上の地域は避難という見解を取っていましたので、それは逆に言えば、線量の低い屋内での操業ならいいのではということ。飯舘村はこの条件を国に認めさせました。

その後、2社は社員不足などで撤退しましたが、今でも7社は元気に操業を続けています。なかでも菊池製作所という会社はこの大変な時期に、昨年10月にはジャスダックに上場を果たしました。7社の合計雇用数は400人に上ります。多くの若い人も働いてくれています。

―私たちが測定したところ、飯舘村の空間線量は高いエリアだと、10マイクロシーベルトを超えます。日々、避難先から会社に通う社員たちの健康が心配です。

菅野 ですから線量計算をして働いてもらってます。必要以上に怖がりすぎて過酷な避難生活が長引いても、逆にストレスや高血圧、心臓疾患などで心や体を病むケースもある。それを防ぐには、正しく放射能のリスクを学び適切な行動をとる「リスクコミュニケーション」が大切です。その上で、最終的にはひとりひとりの判断を仰がざるを得ないと思っています。

セシウム134と137の蓄積量

―集団移住か、帰村か? その優先順位をめぐって、飯舘村民の中では今も議論があるそうですね。

菅野 私には集団移住か帰村を貫くのかという、白か黒かの二項対立的な発想はありません。飯舘村の復興は〝放射能との闘い〟ですから、村から出るにしろ帰るにしろ、いろんな考え方があってもいいはずです。村の復興プランもそう作ってます。

世の中はバランスが大切です。誤解を恐れず言うなら、物事には白と黒の間のグレーゾーンに適切な解があることもあります。このように柔軟で多様な思考が復興には欠かせません。妻からは、グレーゾーンという表現は他人の誤解を招きやすいので、あまり口にするなと釘を刺されていますが。

―グレーゾーンとは、柔軟で多様なチョイスができる復興という意味なのでしょうか?

菅野 はい。飯舘村民はこれから長期間、放射能のリスクと向き合って生きていかなければなりません。そのとき、村民一律というよりひとりひとりが「この放射能値なら大丈夫。ぼくは村へ帰る」とか、「いや、私はまだ危険と思うから、しばらく避難を継続する」とか、選べるようにしたい。個人に責任を負わすようですが、多様な選択肢こそが、最も村民の心と健康にいいはずなんです。

【何もせず村を諦めるなんてことはあってはならない】

―今後、飯舘村が復興する上で、最も大切なことは?

菅野 村民の健康を守りながら、除染をしっかり進めていくことでしょう。放射能による災害には特殊性があると痛感します。普通の災害はある期間が過ぎるとゼロからスタートできます。しかし、飯舘村は放射能を除去しないことにはそのゼロ地点にすら立てないのです。従って、長い間、不安の十字架を背負っていくことになります。私は除染開始から2年をめどにふるさとに戻れるようにしたいと考えています。除染が始まるのが今年の4月なら、2014年4月の帰村を目標にするということです。長引けば長引くほど、村民の心や体は病んでいく気がしますので。

―除染作業は順調ですか?

菅野 実は困っています。国の方針が定まらなくて、なかなか除染が進まないのです。除染予算も大枠では決まっているものの、飯舘村にはいくら投入するとか、具体的なことはいまだに何も決まっていない。このままだと除染開始は今夏にずれ込むでしょう。

そんな時期までとても待てません。避難が長引くほど、村民の生活のリスクが高まり、心身も荒廃する。村に戻るなんて夢物語になってしまう。今すぐにでも除染に取りかかってほしいと、国には強く要望しています。

―除染が進まない原因は?

菅野 国が一生懸命なのはよくわかります。でも、心が感じられないんです。「心のない政治」というのかな……。除染だけじゃない。4月から新たに避難区域が3つのゾーンに再編されますが、その決定に当たっても事前に相談すらない。これで飯舘村は3つのエリアに分断される。そうなれば、エリアごとに新たな利害の衝突や意見の対立が生じかねない。

村役場も住民も右往左往しなくてはいけません。すべてが唐突で、机上の計算なんですね。国は被災自治体や住民の心からものすごく遠いところで判断している。それでは国の努力が伝わらないということを、そろそろわかってほしいと思います。

―国はどうすべきですか?

菅野 今は有事なんです。平時じゃない。だからこそ、国には柔軟性が必要です。具体的には、被災自治体に裁量権を与えてほしい。住民と距離の近い自治体だったらひとりひとりの顔を見ながら、多様な対策がとれますから。今の国の支援は画一で、単線的なものばかりです。

除染も国から業務を請け負った大手ゼネコンがやって来て始めるから、「おれの土地をどうするんだ?」と、住民とトラブルになる。それを防ぐには、事前に地権者全員の合意を取らなくてはならない。そんなことをしているから、夏までスタートがずれ込むんですよ。

その点、地元に裁量権があれば、「この木は切ろう」とか、「ここの表土は残そう」とか、住民とわいわいがやがやと相談するわけですから、スムーズに合意が取れて除染も迅速にスタートできるはず。村に任せてもらえたら、顔見知り同士、きちんと話し合いができるんです。

―除染ができても、村での生活は成り立たないという声があります。風評被害を考えると、村の基盤産業だった農業や畜産業はもはや再生は難しいのでは?

菅野 そういう意見の人に逆に聞きたい。じゃ、何も作らなかったら、飯舘村はどうなるんですか? 発想の転換が必要です。例えば、いろんな作物を植えてセシウムを吸わせ、収穫したものをバイオエタノールの原料にする。除染で出た大量の木屑でバイオマス発電をする。観賞用の花を栽培する。外気からシャットアウトされた工場内で高品質の野菜を育てる。

なんらかの形で村民が生活できるよう、とにかくいろんなことにチャレンジしていくべきです。飯舘で人が生きていくにはそれしかない。そのプロセスでは、出荷できなかった作物を国に買い上げてもらうなどの補償制度も必要でしょう。それが30年後、40年後の飯舘村の自立につながると信じています。

―除染は諦めない?

菅野 確かに村の総面積の75%は山林だから、除染をしても期待したほど線量は下がらないかもしれない。だから、除染は諦めろと主張する声は村内にもあります。

―かなり深刻な議論だったのですか?

菅野 いえ、深刻ではありません。確かに、そういうふうに考える人はいたし、そちらの方向に誘導しようという人もいました。でも、そんなふうに簡単に諦めてもいいんですかね? ふるさとを見捨ててもいいんですかね? 私はそうではないと言いたい。

たとえ村外に住む人にとっても、ふるさとは心の支えであり心のオアシスであるはずです。何もせずに諦めるなんてことがあっていいはずはない。とにかくまずは、除染をやってみないことには何も始まらないんです。

●菅野典雄(かんの・のりお)
1946年生まれ、現・飯舘村出身。飯舘村で酪農を営む。1996年10月、村長に就任(以来連続4期)。著書に『美しい村に放射能が降った』(ワニブックス【PLUS】新書)がある。

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