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「穢れ」から希望へ 土を信じることの大事さ

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茨城の北部、峠ひとつで福島県に入る奥久慈のお茶が新基準値を楽々とクリアし、出荷が決まりました。

森林汚染をまともに受けてしまったタケノコ、シイタケなどはまだ気が許せませんが、食品は確実に安全圏に入りつつあると見ていいでしょう。
(厚労省 食品中の放射性物質の検査結果について(第363報) (東京電力福島原子力発電所事故関連) http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000027rft.html

さて、このような農業の頑張りとは別次元で、放射能に対する過敏な反応は消えることなく、今や消費者の一部にしっかりと根を下ろしてしまったようです。

それは今や社会現象にすらなっています。

福島避難児童に対するる保育園入園差別事件、福島県避難者宿泊拒否事件、青森の雪拒否事件、福島ショップ出店拒否事件、福島女性婚約廃棄事件、そして瓦礫拒否運動などです。

残念ですが、このようなことは氷山の一角に過ぎないと思われます。そしてこの流れは、この人たちにとって超低線量まで閾値なしと考える以上、永遠に終わることなく続かざるをえない性格を持っています。

さて、昔子供だった時「エンガチョ」ということをしませんでしたか?たとえば、道路に落ちていた犬の糞を踏んでしまった子供は、別な子供にエンガチョを移さないとたいへんです。

逃げ回る友達たちを追いかけて、泣きながらさエンガチョを移すわけです。このエンガチョは民俗学で「穢れ」といいます。

網野善彦氏はこれを「縁をちょん切る」が語源だと述べていました。また民族学者の石川 公彌子氏は「穢れ」をこう説明しています。

「穢れ」とは神道や仏教における観念であり、清浄ではなく汚れて悪しき状態を指す。とくに死、疫病、出産、月経や犯罪によって身体に付着するものであり、個人のみならず共同体の秩序を乱し災いをもたらすと考えられたため、穢れた状態の人は祭事などに関われずに共同体から除外された。」

これを今の3.11以降の状況に置き換えてみましょう。放射能という「清浄ではなく汚れて悪しき状態」にまつわるすべてが「穢れ」なのです。農産物も、車も、雪も、瓦礫も、そして人すらも。

放射能とは疫病や死のシンボルであり、それを持ち込もうとする者は、清浄な共同体の秩序を保つために排除されたのです。

しかし、前近代的な「穢れ」に対する恐怖であるが故に、いくら私たち農業者が「まったく検出されていない」と言おうが言うまいが、一切耳を貸さない根深く理屈抜きな部分からの恐怖なのでしょう。

では、どうしたらいいのでしょう?

私は「土」を知ることだと思います。去年ある消費者との集まりで、ある母親から子供がニンジンについているわずかの土を嫌がったという話を聞いたことがあります。「土にはホーシャノーが付いている」とクラスメイトに言われたのだそうです。

あるいは、去年の田植えのイベントで、今まで子供が大好きだった泥んこ遊びを、拒否する母親が多かったために中止したという話も聞きました。

土は穢れになってしまったのです。そして哀しいことに、多くの人にとって時間はここで止まってしまっています。

私たち農業者は、この先のストーリーを見せていかねばなりません。土が単なる放射能汚染された「穢れ」ではなく、無敵に思われた放射能の天敵だということを語っていかねばなりません。

私がこのブログで去年の夏以後何度となくお話してきたことです。土は強い、土は味方だ、土の力を信じる、そしてそれに少し人間が力を貸すことが大事だ、と。

これは実感です。空虚なネット情報ではなく、私たち農業者が毎日のように測り、耕し、そしてまた収穫物を測りといった繰り返しの中で得た知恵です。

この知恵は、農業分野だけではなくさまざまな場所で地域でいかされるべきものです。

「耕す」という行為には、ただ表土を削る、汚らわしいと捨てる、洗い流して別な場所に見えないようにしてしまう、拒否する、といったネガティブな行為ではない、もっと明るく楽天的なものがあります。

なぜなのでしょう。それが、それが新しい次の生命を育むための食だからです。食は未来であり、希望です。食を恐れることからはなにも生まれません。

食べものを作ることこそが「除染」なのです。確かに作ることと、食べることは違います。だが、私たちはその開いてしまった隙間を埋めようとしています。

穢れているなどということはほんとうはないのだ、という新たな物語を農業から語っていかねばなりません。

農業は希望を語らなくてはならないのですから。

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原子力事故」カテゴリの記事

コメント

悲しい、やるせないことが沢山ありました。
我が県には沢山の母子避難者もいます。しかし「差別」など起きてはいませんし、慣れない土地での生活を少しでもサポートしようと、NPOを初め自分たちも経済的余裕の無い中で、出来るだけの支援をしたり…残してきたダンナや実家との溝が大きくなっている現況を鑑みて、毎週末バスをチャーターして無料運行までしています。
一方で福島から来たママの買い物やリフレッシュのために、臨時保育所設営したり、避難者の交流会を催したり。
ありとあらゆる支援を。
「なんず、まあ大変だっけなあ!わざわざ避難してきたんだから、困ったことがあったら何でも言ってけろなあ…」というスタンスです。
こちらも雇用情勢は冷え込んだままなので、時間が長くなるにつれて「過保護すぎ」「まずは俺達の仕事が先だろう」というヤッカミというか本音も噴き出しているのも事実です。

また山形市広域、新たに宮城県岩沼市からの瓦礫(木材のみ)をあらたに2万トン受け入れです。
ささやかな量ですがチップ化して再生エネルギーにします。もちろん線量(空間値ですが)を、岩沼市でも受け入れ側でも測ったうえです。地域住民のコンセンサスも得ています(一部県外から押し掛けてきた赤い横断幕持った反対派・社〇関係者もいますが~まるで沖縄の基地みたい)

もう一度『困ったときはお互い様』という言葉を実践してみましょうよ。

先日のウクライナやベラルーシの「良い部分は学ぶ」姿勢は大切にしながら。

ただひたすらゼロだゼロだ!と叫ぶだけでは何の解決にもなりません。
それこそECRPのようなカルトのエサそのものです。

投稿: 山形 | 2012年4月11日 (水) 10時11分

大体、ゼロベクレルと言う食材が、3.11以前には、存在しましたか?と、言えば、原発由来のセシウム134、137以外の放射性物質は、結構、含まれていたわけで、カリウム40補正や炭素補正前の放射性物質含有量は、あった訳で、ゼロベクレルと言える食材は、無かったのではないかと思ってます。

例えば、3.11以前に製造された冷凍食品などを、測定してみることで、多分、20ベクレル/kg程度の放射性物質(カリウム系、炭素系を含む)は、存在し、流通していたのだと思います。

http://www.aeon.jp/information/radioactivity/

イOンのゼロベクレル食品を、販売しますと言う広報は、詐欺的な感覚もしますので、優良誤認に当るのでは?
との問いに対して、イオン、公正取引委員会、消費庁、ともに、「ゼロベクレルを目指す」と言うコピーライトでは、法律に抵触しないので、当然、99ベクレル/kgの食材が、本日、販売されたとしても、行政は、介入できないし、ゼロベクレルを目指すというスタンスは、放射線防護学的には、間違っていないので、規制対象や行政指導には、値しませんとの返答でした。

うーん。ゼロベクレルを目指すというスタンスは、すべての農家さんが、思っている訳で、イOンの商品だけが、安全、安心ではないと思えるし、仮に、無作為サンプルテストで、イOンで販売された食材が、99ベクレルを検出しても、法的な問題には、なりえないので、行政指導は、しないということだそうです。

つまり、法的規制値である100ベクレルを超えなければ、発表もされないと言うことです。

ゼロベクレルの食材以外は、販売しないとのPRであれば、即、優良誤認として、調査対象になる可能性が、高いそうです。
感度を上げて、時間を掛け、ゲルマニウム半導体測定器に、掛ければ、数ベクレルの値は、出てしまうので、正しいPRコピーとはならないとの判断なのだそうです。

投稿: りぼん。 | 2012年4月11日 (水) 17時30分

私は「土」を知ることだと思います。去年ある消費者との集まりで、ある母親から子供がニンジンについているわずかの土を嫌がったという話を聞いたことがあります
>>>>3.11以前より、こどもを中心として、土のついた野菜を、悪いもの、食べられないもの、腐ったもの、、などと表現するこどもさんは、多かったですよ。
実際、30年以上、毎年、さつまいも掘りに、3歳から6歳のこどもと一部の母親を連れていき、6月の苗植え、夏の水遣り、10月の収穫の3回を経験していただくのですが、その際、農家の方に、サツマイモの説明をしていただくこと、と、収量に係わらず、1反単位で、畑を買い取ることです。
農家の方は、こどもの植えた苗は、枯れる苗もあるので、プレッシャーでもあるようですが。。(縦植え、斜め植えなど、説明するし、天気が崩れる前日に行くなど、工夫はしますが)

ここで、最後、収穫したのに、持って帰ったさつまいもは、捨てられ、新たにスーパーで、買ったさつまいもが、食べられた事実が、何回か、ありました。

こども達に、絵を描いてもらい、説明を受けると、正直に話すので、解ってしまうのです。
しかし、なぜ、そうなるかも、実は、解ります。該当のお母さん自身、産まれてから、土の付いたさつまいもを見たことが無かったし、まな板で、切っていて、ころころと床に転がった1個の芋の輪切りは、きたないものとして、洗うことなく、捨てられていたこと。
芋のてんぷらをしようとしても、直径が7~8cmを超えると、自分の包丁では、切ることが出来ない(錆びやすい野菜包丁を持っていない。ステンレス万能包丁1本で、すべてを済ます)など、
生活の中に、土が、一切出てこないのです。

あさがおの栽培ですら、ホームセンターで、園芸土を買わない限り、土は手に入りません。

あるお母さんは、芋ほりに来て、あらかじめ、ツル切りをした畑を見て、この土の中に、さつまいもが、育っているの?と、びっくりしたと言う、実話もあるのです。

畑まで、車で、1時間くらいです。
都会のお母さん達が、穢れ を感じるのは、見たことがない、解らない、理解できない と言う感覚から、出てくるもので、JAの共選出荷があたり前になり、個人経営の八百屋さんが無くなったことから、増えてきたことでもあると思います。

こどもも、どろ遊びをしたら、土を「きれいに」洗い流すと「せいけつ」になると、毎日、刷り込まれるのですし。。

投稿: りぼん。 | 2012年4月14日 (土) 07時13分

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