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2012年6月

2012年6月30日 (土)

霞ヶ浦放射能汚染の実態その5 100万人が飲む取水ポイントまで放射能は2キロの地点まで迫っている

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霞ヶ浦の放射能汚染は事故が起きた去年よりも今年、そして今年よりも来年とひどくなっていきます。

これは3.11をピークとして徐々に減少する傾向にある平地の農地とは異なっています。

農地は、私たち農業者が実地で証明しているように、「耕す」ということにより、地表下5㎝までに溜まったセシウム層が砕かれて、土壌中の粘土に取り込まれていき、線量は減少の一途を辿ります。

実にめでたいことで、この「土の神様」のおかげで、私たち東日本の農業は救われました。

それに対して、変化しない地形もあります。それが森林地帯です。森林は去年の落ち葉層にセシウムが取り込まれたまま、分解して地表下に蓄積されていきます。

ですから、雨で山を下って水系に流れ込んだもの以外の大部分はそのまま森林内にあるままです。

そして、これがいちばんやっかいなのですが、周囲の流入河川から集めて「溜め込んで」線量が増加し続ける湖です。

これは一般と逆な経年で増加するという常識はずれのパターンを取りますから、喉元過ぎて気分的に落ち着きを取り戻した数年後に気がついてみたらとんでもない数値が出るということになります。

下図をご覧ください。(NPO法人アサザ基金作成による)

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これは茨城県内に降下したセシウム134・137の分布図に、霞ヶ浦に流入する56本の河川を赤線で示したものです。濃い青の部分が線量が高い地域で、次に薄い緑、茶色と続きます。

次にこの放射性セシウム分布図に、霞ヶ浦・北浦の上水の取水ポイントを重ねてみます。(同)

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赤い点が取水ポイントで、霞ヶ浦(西浦)には2カ所土浦入りという地点にあります。この地名でも分るように、土浦市市街地のすぐ外にあるわけです。

この取水ポイントからわず2㎞前後上流にある備前川小松橋で12年3月8日市民モニタリングで測定した値があります。この地点が上図に黒い星印でドットしてあります。

備前川小松橋付近セシウム値・・・・9550bq

衝撃的数値です。旧暫定規制値の土壌規制値である5000bqを軽々と2倍せんとする数値です。

私はこの数値を聞いた時に唖然としました。おそらく茨城県で測定された放射線数値の最大クラスではないでしょうか。

そしてあろうことか、このホットスポットが、霞ヶ浦100万人上水道の取水ボイントの上流2キロ弱の地点に存在していることをです。上図の黄色エリアの広さをご確認ください。

これまで何度か書いてきたように湖内の線量は、わずか1年間で一桁はね上がりました。一番顕著なのは霞ヶ浦釜谷沖で、2011年環境省モニタリング時130bqが2012年モニタリング時には1000bqに急上昇しています。

つまり、河川からの放射性物質の流入が増加し続けていることを示しています。

●*環境省・霞ヶ浦に流入する河川の底泥の汚染調査データ
     場所     2011.09~011.10セシウム合計    2012.02セシウム合計
     西浦湖心            221Bq           900Bq
     北浦釜谷沖         130Bq         1000Bq
     玉造沖              330Bq          1300Bq
     外浪逆浦            184Bq            91Bq

この間の内水面研究者の研究によれば、事故から2年目、(来年2013年)にピークを迎えると予測されています。

その場合、どんな汚染分布になるのか、汚染の度合いを示す化学的酸素要求量(COD)の分布図で予測してみましょう。(同)

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赤い場所が汚染濃度が高い所ですが、見事に取水ポイントに重なってしまっています。

まぁ、わが茨城県はよりにもよって、こんな一番汚い場所から汲まなくてもいいのにと思いますね。そのために土浦市のジアソー消毒濃度は全国でも高い部類に属しています。

それはさておき、CODが溜まりやすい地点というのは、同時に放射性物質が溜まりやすい地点であるわけで、おそらく来年に向けて上図のような放射能汚染の拡大がみられると思われます。

つまりは、土浦市、つくば市などの100万人がそこから水を飲んでいる取水ポイントまで危機は2キロを切ったということになります。

国は、湖の所管の国交省が言うように「放射性物質は法で定める汚染物質に該当しない」(!)などとウルトラバカ官僚なことを言っていないで、直ちに対策を打つべきです。

■「SAVE霞ヶ浦!霞ヶ浦を放射能汚染から救え」http://www.kasumigaura.net/asaza/03activity/01lake/save/index.html

■関連記事
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■写真 あじさいの季節です。私の大好きな花です。実に多種多彩。

2012年6月29日 (金)

北浦の夜明け

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北浦(霞ヶ浦の妹です)の日の出。私はこの土地に住めたことを幸福に思います。日本でもっとも美しい土地だと思っています。

だからこそ、私は放射能を許さない。この湖を汚すものを許さない。

2012年6月28日 (木)

霞ヶ浦放射能汚染の実態その4 高低差の少ない平野部の霞ヶ浦は一身で汚染を引き受けてしまった

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水系汚染を決定する要素は、その河川や湖の固有の性格によって決まります。ですから、単純に「放射能が1年で何キロ移動する」と言い切れないのは確かです。

といっても、もちろん法則性らしきものはあります。

河川の流域面積の大小・・・流域面積が大きいと比例して流量が多くなりますから、河川内で放射性物質を溜め込みにくく、汚染は比較的速やかに下流に移動します。

河川の勾配・・・勾配が大きいと流速が増します。そのために汚染は勾配の少ない場所に向けて移動し、そこで河床に沈殿しながらゆっくりと河口に向けて移動します。

下図は那珂川のセシウム濃度です。(濱田篤信氏「霞ヶ浦の放射線汚染」による)

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太線ので表されている2011年10月の測定では、栃木県塩原では濃度は低く推移しているのが、茨城県堺の野口近辺で急上昇しているのがわかります。

これが点線の第2回2012年2月の測定では、栃木県内の数値には変化が見られないものの、茨城県内の野口から勝田橋にかけて急激に放射線量が低下しているのが分かります。

もうひとつデータを見てみましょう。これは利根川です。(同上)那珂川と利根川の位置関係は地形図をご覧ください。

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利根川も那珂川と同じ特徴をもっています。2011年10月第1回の測定では源流付近の「みなかみ」では低い濃度であり、それが勾配のなだらかな栗橋あたりから急上昇しピークを作っています。

そしてそれからわずか4か月後の12年2月には、これもまた一気に低下しています。これは既に河口から海へ流れだしてしまったためだと思われます。

このように河川の放射能汚染濃度は、源流域であるか否かに左右されるのではなく、その地形の勾配によるものだと分かります

山岳部では川が急流のために流速が速く、平野部ではゆっくりと流れるために汚染ピークは平野部で発生します

また、河川によって、湖に流れ込むのか、それとも海に流れ込むのかによっても状況は異なると思われます。

下図の茨城県地形図にあるように、茨城県はいくつかの大きな川が流れています。

北から八溝山系から流れだす久慈川、同じく那珂川、栃木県に源流を持つ鬼怒川、小貝川、利根川などありますが、霞ヶ浦湖尻に影響を与える利根川の一部を除いて、内陸部の湖に影響を与えず、外洋へと流れ出していきます。

  Photo_2      

               茨城県地形図(ジオテック株式会社作成)

そのために、内陸部の湖や川に「溜まる」事態になりませんでした。

それに対して霞ヶ浦は、大きな流入河川がない代わりに、平野部の勾配の少ない地域の56本もの中小河川が霞ヶ浦一カ所に集中して流れ込むという特異な構造をしています。

それ故に、霞ヶ浦は一身で放射能を引き受けることになってしまったのです。霞ヶ浦を救え!

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■夕暮れの霞ヶ浦から筑波山を望む。わが地域は、登る旭は北浦で、沈むむ夕焼けは霞ヶ浦(西浦)で眺められるという写真ファンにはたまらない地域です。うらやましいでしょう。(o^-^o)

2012年6月27日 (水)

霞ヶ浦放射能汚染の実態その3 湖の縦割り行政が、放射能汚染の防止対策を妨害している

Photo                     霞ヶ浦衛星写真 Wikipediaより

りぼん様、霞ヶ浦の管轄は国交省です。「国土交通省・関東地方整備局・霞ヶ浦河川事務所」という長ったらしい名前の部署が担当しています。湖畔を歩くと、よく国交省のパトロール車と出会います。
http://www.ktr.mlit.go.jp/kasumi/

ただし、環境政策は環境省、環境教育は文科省、内水面漁業は農水省で、茨城県にもそれぞれ管轄する部署があります。

消費者が湖の魚を心配する時の窓口は、「農水省・消費・安全局消費者情報官・消費者の部屋」が受け付けています。ただ、木で鼻をくくったような回答しかしてませんね。
http://www.maff.go.jp/j/heya/sodan/1105/a02.html

また茨城県も県としても霞ヶ浦水産事務所があります。上部組織としては漁政課です。http://www.pref.ibaraki.jp/bukyoku/nourin/suisanji/
http://www.pref.ibaraki.jp/nourin/gyosei/gyoseika.htm

だんだんイエローページみたいになってきましたが、まぁ典型的な縦割り行政で、実にややっこしいのです。

今回のような放射能問題で漁業がピンチだとなると農水省の管轄にころがりこみますが、できるのは魚介類の監視と出荷制限までです。

環境省も一緒で、環境測定はしても、それを浄化する力がありません。かんじんの地元行政である茨城県は先日書いたとおりで、臭いものに蓋をしたいようでスッキリとなにもしていません。

茨城県は、霞ヶ浦から取水している水道水に検出されなければ重い腰をあげないつもりでしょうか。そうなったらもはや手遅れなのですが

となると、消去法で放射能による水質改善をする権限は国交省となるわけですが、未だ指針すらなく、果たしてやる気があるのかないのかさえ分からない状況です。

こういう時にこそ政治主導とやらに期待したいのですが、与党の選出議員殿たちは内部抗争に打ち興じて霞ヶ浦などという票にならないものには振り向きもしません。

というわけで、霞ヶ浦は忘れられた存在になりかかっており、56本の河川から日々放射能が流入している状況です。

いうまでもなく、いったん湖に放射性物質の流入を許してしまえば、もう対策のとりようがありません。

このような行政の不作為により、大きい方の湖である西浦だけで、約172平方キロ、最大水深7m、小さいほうの北浦は面積約36平方キロ、最大水深7m、合わせて208平方キロにおよぶ日本第二位の湖ノ底泥の中に放射能は降り積もって行くことになります。

下図が霞ヶ浦の現在の放射能汚染状況です。

環境省・霞ヶ浦に流入する河川底泥の汚染状況
     場所     2011.09~011.10セシウム合計   2012.02セシウム合計
     西浦湖心            221Bq           900Bq
     北浦釜谷沖           130Bq          1000Bq
     玉造沖             330Bq           1300Bq
     外浪逆浦            184Bq            91Bq

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         図 濱田篤信 「霞ヶ浦の放射線汚染」 濱田篤信氏によるhttp://www.kasumigaura.net/asaza/images/kasumigauranohousyanouosen.pdf

内水面研究者の濱田篤信氏によれば、
「(環境省第1回モニタリング時)2011年9月の時点ではすべての地点で330bq/㎏以下であったが、2012年2月の今回は霞ヶ浦湖心、玉造沖、釜谷で一気にセシウム濃度が高まった。」(同上)

「河川から流入したセシウムが湖内に流入し、沖側に移動していることを示している。湖心に近い玉造沖、湖心では5か月で4倍に、北浦釜谷では8倍に急上昇した。」(同)

このように霞ヶ浦の放射能の堆積は時を追うごとに高まっており、今この時点で湖への流入を阻止しなければ、霞ヶ浦の放射能汚染は極めて長期に及ぶものになっていくでしょう。

しかしこの対策をとるための壁は、実は行政組織の縦割りの壁がもっとも厚いのかもしれません。

霞ヶ浦概念図 Wikipediaより)。扉写真の衛星写真とみくらべると分かりやすいと思います。私の家は西浦と北浦の中間地点です。どうでもいいか(笑)。

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2012年6月26日 (火)

霞ヶ浦放射能汚染の実態その2 既に小河川からの流入は相当に進行してしまっている

Img_0011 

霞ヶ浦などの放射能汚染が複雑なのは、その原因がいくつもあるからです。原因を川上からあげてみましょう。 

水源地である森林地帯の放射能汚染の移動・・・・茨城県の場合3000bq(去年9月県北の測定値) 

流域市町村の地上部放射性物質の下水への移動・・・最大検出地・那珂久慈浄化センター 2号炉焼却灰・13,365bq/㎏(今年5月測定)
*ただし、この数値は下水汚泥の焼却後の数値であって、これがそのまま水系に移動するわけではない。
・茨城県環境放射線監視センター
http://www.pref.ibaraki.jp/important/20110311eq/20110620_03/index.html

流域の里山から水田を経由して農業用水からの移動・・・未計測 

これらは、いったん河川に流入した後に、デッドエンド(終末点)である湖に入っていきます。これが湖の底泥に蓄積されていくわけです。 

霞ヶ浦固有の条件としては、元来が陸地内部に封入された湾であったために外洋とのつながりがあったにもかかわらず、近年、逆水門で遮られてしまったために巨大な水ガメ状態となり、湖内の汚染が外洋へと拡散することができなくなりました。 

つまり、汚染物質は逃げ場がなく、溜まる一方なのです。 

では、具体的に現在の河川の放射能汚染の度合いを見てみましょう。 

この流入河川の測定で高い数値が出たのは以下です。(NPO法人「アサザ基金」測定)
http://www.kasumigaura.net/asaza/03activity/01lake/save/bizengawa%20kekka.pdf
土浦市備前川・小松橋付近(河口まで1.65㎞)・・・9550bq/㎏
・美浦村勝橋・清明川(河口まで3㎞)       ・・・6250
 

一方、去年10月の環境省の測定で5500bqあった土浦・神天橋の新川では1260ベクレルと低くなっていることが分かりました。

この汚染濃度の低下の原因はなんでしょうか。それは小河川では川の流れる速度が早いために速やかに河口から湖へ放射性物質が移動してしまうからです。 

たとえば、もっとも高い測定値を出した土浦市備前川(欄外資料参照*表の下から3番目)は、流域面積が3.7平方キロと狭く、流入河川としては3番目に短い川です。そのために流速が速く、速やかに放射性物質は湖まで到達したと思われます。 

セシウム合計の変化をみて下さい。資料表の第1回目セシウム合計と、第2回目の合計を比較してみると顕著に低下しています。 

去年の環境省第1回モニタリング調査では備前川は2600bqあったものが、第2回では10分の1の221bqにと一桁急落しているのです。この差が霞ヶ浦へ移動した分だと考えられています 

2番目に高かった新川(*表の下から7番目)も同じく流域面積は15.6平方キロで短い河川に属し、第1回目が5500bqから、2回目は4400bqへと低減しています。 

このような小河川では濃度が低下する、つまりは既にかなりの量の放射性物質が河口から湖へと流入してしまったということになります。(*例外の小野川、清明川については固有の河川構造があるのではないかとみられている。)

現在、短い河川は既にかなりの量の放射性物質を湖に移動してしまっており、今後さらに流域面積の大きい河川の移動が進行するということになります 

これを防ぐには、河口付近になんらかの放射性物質除去装置を作ることです。予想以上の速度で、河川からの流入が続いている現在、手を打つなら今です。

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■「SAVE霞ヶ浦!霞ヶ浦を放射能汚染から救え」http://www.kasumigaura.net/asaza/03activity/01lake/save/index.html

■写真 朝もやの中の霞ヶ浦大橋から霞ヶ浦タワー方向を見る。震災と原発事故前の一枚ですが、ああ、なんか遠い昔のような気がします(涙)。

          ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

資料 環境省モニタリングからの濃度倍加増率(濱田篤信氏「霞ヶ浦の放射線汚染」よる)

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2012年6月25日 (月)

茨城県は霞ヶ浦の放射能汚染を隠蔽せずに、徹底した測定をしろ!

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霞ヶ浦に放射能が蓄積されつつあるというのは事実です。これは地上と異なって徐々に拡散・消滅していくのとことなり、一定期間増加し続けると見られています。

それは湖沼が、河川のデッドエンドである場合が多いからです。陸上の汚染は下水道を通じて河川に入り、そして湖や海に達し底泥に沈殿します。

霞ヶ浦の場合、大小56本もの流入河川がありますが、それを調べて見ると放射性物質が徐々に河川から湖に移動してきていることがわかってきました。

これは被曝した湖沼、河川すべてに共通する現象で、京都大学の調査チームによれば、年間数キロの速度(*この移動速度は河川の高低差や流量により異なります)で海や湖に移動しています。

つまり、2年から5年のスパンで、河川の放射能汚染は湖沼や湾、あるいは沿岸に流入を続け、放射性物質は湖底に蓄積され続けることになります。

このような動向は残念ながら、政府、自治体の不作為によって放置され続けています。環境省は56河川のうち24河川と半分ていどの調査しか行わず、それも各河川1ヶ所のみの調査でお茶を濁しています。

茨城県に至っては、あろうことか調査すらしない方針でしたが、環境モニタリング指標に入ったために渋々重い腰を上げざるをえませんでした。

多分、茨城県はおざなりの調査で済ませようと考えているはずです。

「もう茨城には放射能汚染はないですよ。安全ですよ」と、安全宣言を早く出したい茨城県にとって2年先にピークが来るような霞ヶ浦の放射能汚染は「見たくない現実」なのです

しかしこれでは悪しき隠蔽体質と批判されてもしかたがありません。

「安全・安心」は、測定せずに隠すことからは生れません。臭いものに蓋というお役人的発想ではなにも解決しないばかりか、それが露顕した場合の不信感は増大します。

仮に2年後に高濃度の線量が霞ヶ浦の湖底の泥から検出され、底魚にも高濃度被曝が発見され、それをNHKあたりが報道したらどうしますか。

まちがいなく風評被害は再度爆発します。そして情報を隠蔽したことが消費者の印象を決定的に悪くするでしょう。

茨城県は大変な勘違いをしています。県は霞ヶ浦の内水面漁業の風評被害を恐れています。

茨城県では既に沿岸魚が風評によって壊滅的被害を受けました。

そして県は対策として、政府基準値100bq/㎏を半分にした独自基準値で安全を訴えようとしています。私はこの方針も間違っていると思っています。

基準値など軽々しくいじるべきではありません。100bqは国が安全を保証している数値なのですから、堂々と守ればいいのです。

売れないからといって自主基準を作って切り下げても、量販などの流通はそれをあざ笑うかのようにゼロベクレル宣言を発しています。

流通が5bqだ、いやゼロだと付加価値競合をしている時期に、県がたかだか50bqごときにしてみてもなんの意味もないばかりか、自分で自分の首を締めているだけです。まったくバッカじゃないかと思います。

茨城県は、福島第1原発事故における政府の情報隠しがどれほど大きな失敗であったのか、まったく学んでんいません

菅内閣は初動の遅れにより、事故を人為的に拡大させたばかりか、放射性物質の拡散情報を隠蔽するという犯罪的な行為により後世まで悪名を語り継がれることになりました。

政府中枢が首都圏全域の危険を知り得ていたことは、それが漏洩したことが原因と思われる小沢一郎氏の放射能逃避行で明らかです。

小沢氏は、岡田、枝野両氏が現地視察時に放射能防護服とマスク、ゴム手袋といった重装備で赴いたことの裏面情報を知り得ていたのです。だから、洗濯さえミネラルウオーターでさせるという徹底ぶりだったわけです。

自分だけ助かればいいという小沢氏は論外として、行政が測定すべきをサボタージュするならば、霞ヶ浦の真の放射能汚染の実態が分からなくなり、「正しく恐れる」ことができなくなります

私自身、茨城の農業者として丸々数か月の売り上げが半減するという被害に合いました。

だからこそ、風評被害は、情報隠蔽によって起こることを肌身に染みています。正しい情報提供が去年の3月から5月にかけてあれば、私たち生産者がこれほどまでに苦しめられることはなかったのです。

まずは茨城県は計測を56河川のすべてで、水源地及びその周辺森林の放射線量を明らかにし、さらに中流域、河口付近と分けて、今後最低5年間にわたって測定すべきです

同時にそこから取水する農業用水路の測定もせねばなりません。特に霞ヶ浦、北浦の湖底の泥の計測は、採取作業が困難なために行政が主体で行わねばなりません。(*)

現在NPO法人「アサザ基金」や濱田篤信氏などによって市民が自主的に計測作業をしています。
「SAVE霞ヶ浦!霞ヶ浦を放射能汚染から救え」
http://www.kasumigaura.net/asaza/03activity/01lake/save/index.html

環境省や茨城県は、このような行政より先行する市民の動きに対して支援を行い、自らも徹底した計測をするべきです。

リスク・コニュニケーションにおいて、情報の隠蔽とみられることは避けるべきが鉄則なのですから。

■*環境省・霞ヶ浦に流入する河川の底泥の汚染調査データ
     場所     2011.09~011.10セシウム合計   2012.02セシウム合計
     西浦湖心            221Bq           900Bq
     北浦釜谷沖           130Bq          1000Bq
     玉造沖             330Bq           1300Bq
     外浪逆浦            184Bq            91Bq

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2012年6月24日 (日)

霞ヶ浦放射能汚染の実態その1  河川流域が短いほど汚染濃度が高い

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毎日、梅雨ともいえない激しい雨にたたられております。雨はともかくとして、日照時間が少ないのがいやですね。作物の生育にもよくありません。かといって農業にとって、梅雨がなければ、そのほうがよほど大変なのですが。

暑いときには暑い、寒いときには寒い、雨が降る時期には降る、台風は稲刈りの後にしてほしいなどと、われら農家は天気に注文が多いことよ。

さて、霞ヶ浦の放射能汚染の詳細なデータを入手しましたので掲載いたします。計測者は、茨城県内水面試験場元場長の濱田篤信氏です。

氏とはたまたま同姓というご縁もあって、親しくご教示頂いたことがあります。長年にわたって霞ヶ浦を愛し、研究を重ねられた優れた研究者です。

霞ヶ浦は多数の流入河川が広域に分散している特殊な構造のために、測定箇所が多く大変な作業です。

そのために本格的な調査にはまだまだですが、この苦境の中、ひとりの民間人として手弁当で測定して回られた濱田篤信氏の功績には頭が下がります。

この濱田篤信氏の報告書を読むと、霞ヶ浦の放射能汚染の実態が浮き上がってきます。以下、濱田氏のレポート拠ります。
*「霞ヶ浦の放射線汚染」 濱田篤信http://www.kasumigaura.net/asaza/images/kasumigauranohousyanouosen.pdf

流域面積が小さい川(短い川)ほど高濃度を示す

下図は環境省が2011年9月から10月の霞ヶ浦に流入する河川の川底のモニタリング数値を高濃度順に並べたものです。

003     環境省  2011年 9-10 月の 各河川底質モニタリング調査結果の高濃度順

河川流量が大きいほど汚染濃度が高まる

では、なぜ湖までの距離が短い河川のほうが汚染濃度が高いのでしょうか?

それは河川流量は流域面積の大小によります。そして河川流量が多いほど速やかに下流、つまり霞ヶ浦に向かって流れ込むことになります。

したがって、河川流域が大きく、流量が多い河川ほど河川内にとどまらずに、短期に霞ヶ浦に流れ込んだことがわかります。

つまり、短い川(河川領域の少ない川)は、流れる水(流量)が少ないために河川内に放射性物質を溜め込みやすいといえます。

一方、長い川(河川領域が大きい川)は、流れる水の量が多いために、常に下流に放射性物質を移動し続けるために河川内濃度は低くなります。

霞ヶ浦水系の農業潅漑用水の汚染濃度は高め

また、霞ヶ浦流域の河川は農業用潅漑としても利用されています。田んぼに水を河川や湖から取り入れる潅漑時期(3月下旬~9月)には流量が大きく、冬季には流量が落ちます。

水量が多い春から夏は線量は少なめで、冬季は多め

流量が落ちた分だけ、河川内に溜まることになりますから、冬季には同じ河川でも放射能濃度が高めに出ます

農業用水路は、河川や湖から引き込まれるわけですが、河川と違って水路底の高低少なく平坦な構造をしています。そのために農業用水路は放射能汚染を溜め込みやすいといえます。

長くなりましたので、次回も続けます。

■関連過去ログ
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-2057.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-78e3.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-c07b.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-cc65.html

■写真 霞ヶ浦の舟溜まりです。中央の遠くに霞ヶ浦タワーが見えます。

2012年6月23日 (土)

「名護西海岸の市長」になってしまった稲嶺氏には、一部返還を拒否できなかった

018

「那覇市民」さん、コメント欄は狭いので、こちらで答えさせていただきます。そちらは梅雨が開けましたか。いよいよ本気の夏ですね。

沖縄は四季があるようなないような所ですが、梅雨が本土より早々と上がり、あの熱帯特有の豪快な入道雲が東シナ海に盛り上がると、夏が来たなぁと感じたものです。

那覇の農連市場からガーブ川沿いを、アンマーを冷やかしながら散歩したいもんです。

さて、おおよその沖縄認識で一致したとのこと、嬉しく思いました。本土の人は沖縄を知りません。笑えるくらいに知りません。

沖縄・「悲劇の島」というイメージで見るか、あるいはアムロちゃんが生れたクールな亜熱帯の島(亜熱帯にクールはヘンですね)と思うか、チュラさんの島か、私としてはそれもありかな・・・って感じです。ただ非常にワジワジとはします。

観光にとってイメージは大事な資源ですから置くとして、復帰40周年だというと本土のテレビの連中が取材するのが、国体で日の丸を焼いた読谷のあの人と、沖教祖の女性活動家では、この人たちはなにを沖縄に期待しているのかな、と思ってしまいます。

これでは本土の反戦イデオロギーの投影対象に過ぎないじゃないですか。反戦思想がいい悪いというのではなく、現実の沖縄現地に無関心で、鳩山さんよろしく自分たちの「想い」を押しつけています。沖縄にとってはいい迷惑です。

私は、このような勝手な本土の人間の思い込みがイヤなのです。自分の思想によって沖縄を切り取って一色に染め上げて悦に入っています。形を変えた「沖縄差別」じゃないかとたまに思うほどです。

あたりまえですが、生身の島の人間はもう少し複雑で、見た目ほど単純ではありません(失礼)。

そこで私は、「基地」というキイワードで沖縄を見てみようと考えて、このシリーズを書き始めました。

あなたは、キャンプ・ハンセンの一部返還問題についてこう書いています。

鍋を借りて帰った隣人が、フタだけ返しに来たって話でしょ。
そして、フタ相当分の賃料を値引けって理屈ですよね。
で、貸した方は、鍋もフタも揃えて持ってこいと言ってると。」

なるほど、キャンプ・ハンセンの返還予定地162ヘクタールは山林です。しかも使用するのが困難な土地です。

農業者っぽく言えば、耕作放棄すらされなかった耕作困難地域だというわけです。だから、こんな場所を返されても困る、というわけですね。

私が参考にしたのは、あなたの想像したような保守系のブログではなく(私は保守系ブログには関心がありませんので、あしからず)、芥川賞作家の目取真俊氏のブログ「海鳴りの底から」(11年10月23日))を読んだからです。

彼はこう書きます。少し長いですが引用します。

「米軍基地に反対しているのに、返還しようとすると今度は反対する。沖縄の反対派はおかしい。細切れに返還を利用してそのような声が出ることを防衛省・沖縄貿易局は狙っている。」

「特に国道や県道に沿った自治体にとって利用しやすい優良地は、地主、自治体にとっても第1に返還を望むところである。そういう場所は返還せずに、山の傾斜地や再利用しにくい場所を細切れに返還する。沖縄県民への嫌がらせに等しいやり方に反発が出るのは当然である。」

「それが基地建設と絡めておこなわれるとき、政府・沖縄防衛局の悪質さは更に増す。」

これが「那覇市民」さんのいう「鍋の蓋」・細切れ返還論ですね。「鍋」を返せと言っているのに鍋の蓋のポッチくらいしか返さないで、嫌がらせだろう」というわけです。

これにも一理あります。目取真さんが書くように「嫌がらせ」というのもわからないではありません。

ところで、私は意外に思われるかも知れませんが、稲嶺市長をかなり高く評価している部分があるのです。

彼が北部振興予算を蹴った時には心から拍手をしました。こりゃあ勇敢な人が現れたものだと感嘆したものです。私はヤンバルの奥地に住んでいたので、北部振興予算の重さが身に沁みてわかるからです。

北部のまだまだ遅れているインフラや生活環境の整備に、北部振興予算は威力を発揮してきました。恩恵に預かったひとりとして、これを拒否するという決断には凄味すら感じたものです。

稲嶺氏の出身は旧久志村(*)です。つまり、辺野古と同じ地域です。彼は東海岸で生きることの大変さを生活実感で分かっているはずです。そしてまた、地元の辺野古3地区が揃って移設容認なことは重々分かっているはずです

にもかかわらず、出身地に背を向けて東海岸の利害を潰したわけですから、いかなる地縁、血縁にも縛られない強い意思をもった人だと思いました。

同じ「反戦市長」と言っても、宜野湾の伊波前市長には薄っぺらなイデオロギー臭しか感じませんが、稲嶺氏には北部地域を背負った苦しみとその重みに好感をもったものです。

ですから私は、ハンセン返還予定地の4回目の延長はいかなる理由があろうとしないだろうと思っていました。それが、実にあっさりと延長要請となった時には、あれあれと脱力したものです。

先日の記事にも書きましたが、あの返還予定地からの地代1億3千万円は、市所有地ですからいったん市に入った後に、地元の東海岸の地域に2千~3千万円ずつ分配されます。

これは「分収金」といって、用途を制限されない金、いわゆる領収書がいらない金です。

だいたいが豊年祭りか、運動会、あるいは盆と正月のボーナスとして戸別配布します。都会の人間が聞いたらおいおいでしょうが、元来は入会地(*村の共有地)だったのでしょうから、地元は入会地からの恵みが転がり込んだ程度の意識なはずです。

私は稲嶺市長が、最後はこの地縁に足を取られたと思いました。筋からいえばこれもまた蹴るべきでした。細切れだろうと、未利用だろうと返してもらえばいいのです。「東海岸の市長」であることを拒否し、島と本土の革新勢力の応援を得て「反戦市長」となった以上、それしかないはずです

「那覇市民」さんが言うように「鍋全体」、つまり名護市の基地すべてが返還交渉の対象であると稲嶺氏が主張したことがあったでしょうか。

氏がキャンプ・ハンセン、辺野古弾薬庫、キャンプ・シュアブ、八重岳通信所などが返ってくると本気で考えていたら、あなたの言うことはそのとおりです。

もちろん、考えるまでもなくありえません。そんなことを夢想している首長がいたら行政官失格です。ましてや市の行政マン一本槍で教育長まで務めた稲嶺氏が、「鍋全体」の返還などあり得ぬことだと分かっているはずです。

私は稲嶺さんが移設反対を決断する時に、名護西海岸の利害代表者の立場に立ったと思いました。西海岸には基地の影響はまったくありません。仮に辺野古が移設されたとしても、基地の影響は「山の向こうで騒音がする」ていどのはずです。

にぎやかな繁華街を持つ平坦な西海岸は、北部振興予算すらなければ基地と無縁でいたかったと思います。北部振興予算の恩恵に預かっているからこそ、容認に傾いていました。

これを一瞬でひっくり返したのは本土政府の前原氏でした。彼は当時の民主党の党利党略に沿って、「北部振興予算は基地移設とバーターではない」と切り離し宣言をしました。

もちろんウソです。北部振興予算が基地移設と別なはずがない。しかしこれで名護市民、特に西海岸の有権者はグラッときました。

「そうか、関係ないなら基地はいやだ」、この本土政府の最後のひと突きの応援で稲嶺氏は島袋現職市長に辛勝したのです。

この名護市長選は西海岸と東海岸の溝を深めました。この溝は長きに渡って修復不可能でしょう

東海岸の貧しい地域は、繁栄する西海岸の「わがまま」を許しません。このような地域対立は、稲嶺氏以前にも隠然とあったものの、このような明瞭な形では現れてはいませんでした。

稲嶺市長は勇気ある政治家であると同時に、名護市分断の実行者となってしまったのです

だからこそ、市長はこの時期に東海岸の「基地という資産」を奪うことはできなかったのです

東海岸出身の西海岸市長となった稲嶺市長の背中にはかつて岸本市長に貼られたレッテルが貼られたかもしれません。それは「ユダ」という札です。

「那覇市民」様。名護は私の第2のふるさとです。だからこそ、複雑な想いで辺野古移設問題をながめざるを得ないのです。

普天間移設問題を反戦・反基地の視点で切ることはたやすいことです。しかし、いちどその地に足を踏み込めば、それが島の南北問題であり、更に北部の東西問題ですらあることに気がつくでしょう。

私は基地がこの地域対立に溝を拡げたことを憎みます。同時に、それを知ろうともせずにパンドラの箱を開けてしまった愚かな友愛の為政者も憎みます。

最後になりましたが、沖縄戦終結67周年の今日、戦没者の方々に黙祷を捧げます。

*久志村(くしそん) 現在の名護市東部。現在は久志地域(名護市久志支所管内)として名護市の一地域。1970年に名護町、屋部村、羽地村、屋我地村と合併して名護市。

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■写真 ギモクセイが満開です。すごく臭い、もとい言い香りです。蜂が沢山来ました。 

       ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

左翼系論説誌「週刊金曜日」の記事を載せます。典型的ともいえる内容です。

週刊金曜日 3月9日号

普天間飛行場の辺野古移設実現に固執する日本政府に対し、一貫して拒否の姿勢を貫いている名護市の稲嶺進市長は二月二七日、名護市主催の訪米報告会の場で、あらためて「辺野古基地建設反対」を訴えた。

 会場の市民会館大ホールには名護市民や県内各地から駆けつけた人々が、稲嶺市長および同行した玉城デニー衆院議員(民主)の報告に聞き入った。

 稲嶺市長らは二月六日~一〇日、米国ワシントンを訪問。国務省、国防総省、米国連邦議会(上・下院)議員や関係者(軍事委員会、歳出委員会、財務委員会、外務委員会)、シンクタンク等、計二〇人と会談し、講演会や記者会見などを行なった。

 稲嶺氏は「地元の市長が来たということで関心は高かった。(普天間移設問題は)日本国内の問題ではないか、という声もあったが、それに対しては、一六〇九年の薩摩侵攻以来の沖縄の歴史を話し、沖縄を犠牲にすることで繁栄を享受してきた日本による構造的差別が今もずっと続いている、と話した」「米国では『抑止力』とか『沖縄の地理的優位性』とかは問題になっておらず、財政問題が大きな比重を占めていることがわかった。抑止力論もパッケージ論も根拠を失っていることを実感した」などと報告。

 会場の県内大学生から「日本と米国の認識の違いはどこからくるのか」という質問が出ると、稲嶺氏は「日本には軍事専門家がいないと言われた。五年の間に首相が六~七人、防衛大臣が九~一〇人も替わるような国とはまともに話ができない、ということだ。日本は米国に対して情報提供していない。私たちは米国に対しても本土に対しても、正確な情報を提供していくことが必要だ」と回答。

 また「市民に約束した『海にも陸にも基地を造らせない』意思を貫き通してきたが、日米両政府は改めて辺野古へのV字案を確認。たくさんの大臣が『理解を得る』として沖縄入りしたが、名護まで来た人は一人もいない。嘉手納あたりに大きなバリアがあるらしい」と皮肉り、笑いを誘った。

2012年6月22日 (金)

「米軍基地は拒否する。金はいらない。自分の足で歩いていく」と言える沖縄が見たい

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「沖縄差別」という言葉があります。もっぱら使っているのは革新系の人たちですが、このような論理です。

今まで沖縄は、沖縄戦で悲惨な地上戦を体験し、長きに渡って米軍統治に置かれ、そして基地が残こり、いまでも基地の被害が耐えない、・・・だから慰謝料としての支援は当然であると繋がります。

私はこれと同じトーンの言葉を聞いた気がしました。他ならぬ、わが農業でです。ある農業界のリーダーがこう言ったことを思い出します。

「農業は高度成長期に働き手の大部分を都会に送り出して、成長を支えた。そのために農村人口構成は若者がいない構造となってしまった。未来を奪われたようなものだ。それを補うために、機械化をしろと言われて、いらない機械まで沢山買って経済成長を支えた。」

「しかし、政府の都合で減反となった。泣きながら青刈りをした。農業だけでは食えない人は兼業となった。すると今度は、補助金は4ヘクタール以上しかやらないと言われて集積化にも努力した。しかし、大部分の農家は食うか食えるかの状況が続いている。」

「だから、国の農業支援は当然だ。農家が食えるようになるために、戸別農家所得補償も当然だ。」

彼は「農業差別」という言葉こそ使いませんでしたが、国策のために尽くしてきたにもかかわらず虐げられてきた農業が、国から支援してもらうのはあたりまえである、という論理は沖縄と一緒です。

支援、つまり国から金をもらうことです。私はそれを頭から否定する気はありません。沖縄のような僻地に属する地方や、国の基幹である農業が政府に頼るなとも思いません。

貰ったらよろしい。沖縄は、戦争と異民族支配の中で経済成長の機会を奪われてきたのですから、必要な財政支援は受ければいいと思います。

ただし、農業のようになってはだめです。補助金、つまり政府投資は民間投資が低調だから行われるものです。

いったんテイクオフしたならば、できるだけ早く貰うのを止めねばなりません。初期投資はローギアのようなもの、イニシアル・コストにかかる多額の資金の一部は援助してもらうとして、遅くとも5年以内にそれを軌道に乗せねばなりません。

運営が軌道に乗れば、政府支出はカットしていくほうが、かえってためです。このタイミングを失うと、補助金ズレした経営体質となります。

まず最初に、政府補助金のために身銭を切るコスト感覚が失われ、漫然と口を開けていれば補助金が入って来るような惰性が生じます。

やがては、予算を消化するためにやっているような倒錯さえ生れてしまいます。

結果沖縄は、政府支援がない地域と較べて競争力がつかず、気がついてみたら全国最下位が定位置になってしまいました。残念ですが、これが沖縄の現状です。

ダラダラと40年もの間、巨額の振興予算をもらい続け、出すほうも受けるほうも国民の税金であるという緊張感を失いました。

沖縄の中には、未だこの支援策を「賠償金のようなもの」と捉える風潮が根強くあります。

それを美しく表現すれば、「基地のない平和な沖縄」、「戦争の記憶を風化させない」ということになります。

私は沖縄県に対する賠償は行うべきであると考えています。戦争の言語に尽くしがたい悲劇、米軍統治、米軍基地の密度、いずれも胸を張って賠償金としてもらいなさい。それは沖縄の権利です。

ただし、既に本土政府は、37年間に投入した振興予算は軍関係を除いて総計9兆4056億円。しかも昨日述べたように、それ以外の優遇策関係などを合わせるとおそらくは十数兆縁規模となります。

「沖縄差別」という人にお聞きしたいのです。賠償は既に終わっていると考えるべきではないですか。まだ欲しいですか。永久に欲しいのですか?

「基地のない沖縄」というなら、今の名護市のように北部振興予算を拒否すればいい。沖縄県は振興予算を拒否し、優遇税制と高率補助金も捨てて、他県と並ぶ位置に我が身を置いて2度目のスタートを切るべきです。

そのときこそ明瞭に本土政府に言ったらいいのです。「米軍基地は拒否する。金はいらない。自分の足で歩いていく」、と。

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■月光の下の霞ヶ浦ならロマンチックなのですが、単なる逆光です(笑)。

2012年6月21日 (木)

基地をカードとした沖縄関連予算の実態

Photo 

リアルに沖縄を知るために、沖縄に一体どのくらい国民の税金が投入されているのかを見てみます。

下図は、「内閣府沖縄総合事務局」という霞が関統合出張所が出した統計です。(ちなみに、こんな出張所は沖縄にしかありません。)

ここは、経済産業省、農水省、国交省など各種官庁の出先を統合した国家機関で、ここを通じて沖縄県には予算が配分されます。

普通なら、政府機関は各々の政策に応じて、自治体に配分するのですが、その枠を超えて「他県とは違う基準で手当てする特別な予算枠」(内閣府)です。

下図をご覧ください。(日経新聞那覇支局大久保潤氏作成による)

このグラフは沖縄振興事業予算の推移を表しています。面白いことに気がつきます。

Photo_2     (日経新聞那覇支局大久保潤氏作成による)

グラフ中央部の平成10年(1998年)が4713億円とピークとなって、徐々に減ってきており、現在は2000億~3000億円規模になってきています。

この1998年時の沖縄県知事は、一時はその権勢を「琉球王」とまで呼ばれた太田昌秀氏です。バリバリの革新知事で、存在感がこれほど濃厚な知事は見たことがありません。

皮肉にもこの沖縄革新勢力のシンボル的存在だった太田知事在任中がもっとも巨額の本土からのお金が流れ込んでいるのです

反基地を掲げて当選した反戦知事がしたことは、基地の見返りの増額だったわけです。基地を恒常化させるための「アメ」である振興資金を取れば取るほど米軍基地は居座り続けるのですが。

ここに基地をカードにした本土政府とのアメとムチの実態をかいま見ることができます。

■さて、この振興予算は、本土復帰した1972年から始まり、2008年度までの総額は、実に9兆4056億円という途方もない額に達します

これとはまた別枠で、基地に対する防衛施設庁がらみの軍用地代や地元交付金があります。地代だけで年間900億超です。

これを合わせた「沖縄関係予算」は、年間08年度で4393億です。これは県の自主財源の3倍に達します。

言うまでもありませんが、このように政府予算頼みの歪んだ予算構造を持つ県は沖縄だけです。

■また、政府補助金率が他県と違った算定基準に基づいています。公共事業に対する政府補助金率は、他の県では平均して5割ですが、沖縄県のみは9割以上の補助金率です。

具体的に、本土と沖縄県の補助金率を比較してみます。

・公立学校の整備                ・・・本土33~50% 沖縄県75~85%、
・国道、空港、港湾などのインフラ整備    ・・・本土55~70% 沖縄県95%
・河川改修整備                  ・・・本土50%    沖縄県90%
・農業関連基盤整備               ・・・本土50~70% 沖縄県95%

■この他に、税の軽減があります。これは本土復帰に伴う特別措置として長年継続されてきたものです。主だった税の軽減措置は以下です。

・泡盛やビールに対する酒税
・ガソリンなどに対する揮発油税
・地方道路税
・本土-沖縄間の航空燃料税
・観光業、情報通信業、電力会社に対する法人税

このうち酒税は、復帰から5年間の期限つき減免措置でしたが、7回延長して未だ続いています。

6回目延長をやった仲井真知事はこれが最後だと言っていましたが、おそらくまだまだ続くことでしょう。

おかげで、オリオンビールは2割、泡盛は35㌫安すくなっています。私個人の意見としては、これだけは廃止しないで頂きたいものです(笑)。

揮発油税が減免されていいるので、沖縄県のガソリンはリッター7円も安くなっています。これが沖縄のタクシーやレンタカーの安さの秘密です。

ちなみに隣県の鹿児島も種子島などの南西諸島も離島を沢山抱えていますが、この減免措置がないために逆にリッター40円高くなっています。

これ以外にも経済特区あり、大学や研究機関の誘致などありと至れり尽くせりですが、残念ながらこの優遇策は、本土の人はともかくとして沖縄県民すら知らない有り様です。

何かどこぞの空母や宇宙ステーションを作る国に出しているODAのようなものになりかかっているようですが、砂漠に撒く水のようなものが沖縄関連予算という伏魔殿なようです。

これについて国民新党幹事長であり、かつ沖縄県大手建設会社「大米建設」の副社長であった下地幹郎氏はこういっています。

「基地というムチに対する振興策というアメを主体的に受け入れてきたのは沖縄県当局であり、名護市当局だ。アメをもらったということは、(辺野古)移設実現に向けて努力するというメッセージを日米両政府に送っていることになる。」

今や与党の大幹部となった下地氏は、アメの食い逃げは許さんぞということのようです。

このような基地をカードにした「主体的にアメを欲しがる」体質が、今やアメなくしては生きられないようなモルヒネ中毒体質に変化しています

基地と引き換えに、経済界から官公庁、庶民までが県ぐるみで援助をもらってあたりまえになってしまっているところに、沖縄の病の深さを感じます。

この援助なくしては生きられない体質こそが、オキナワン・チルダイのもうひとつの顔なのです。

 

2012年6月20日 (水)

オキナワン・チルダイ

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私が当時住んでいたヤンバルの山の中から、用事があって那覇まで行こうとすると、コースはふたつありました。

ひとつは名付けて、ウェストコースト・ゴージャスルート。もうひとつは、イーストコースト裏街道ルートです。

西海岸は道もきれいに整備されていて、なんと途中から高速道路なんてもんまでできていました。基地も多いのですが、アミューズメント施設も多く観光道路といった雰囲気です。

一方、東海岸裏街道は、上り下りの激しい道がウネウネと続く道でした。ひと昔前は、越すに越されぬ久志の峠として難所でした。基地移設で有名になってしまった辺野古崎(ひぬくざき)はここにあります。

店はただ一軒、辺野古集落の手前の河口付近に一軒「カメスバ」という店がポツンとありました。

どうやらカメさんというおバァがやっている店らしく、看板にあるとおりスバ、つまり沖縄そばしか置いていないという店です。

看板と書きましたが、沖縄では建物に直にペンキで書いちゃいます。看板なんか出していたら台風で飛ばされますから。字も店主が書いたもののようです。

この「スバ」という表記がスバらしい。沖縄の表記は徹底した原音忠実主義の島。曲がったことは大嫌い、聞いたままに書くのです。

ですから、コーヒーショップは「コーヒーシャープ」、アイスクリームは「アイスクリン」、海兵隊のマリンコーは、兵隊さんの発音どおり「ムリンコ」と潔くよく書いてしまいます。

「スバ」は、沖縄語の母音oがuに変化しますので、sobaはsuba となります。それをまんま書いちゃうんですね。島内で「そば」といえば問答無用にこれです。これしかありません。

島の人が本土に行って「そば下さい」と言ったら、真っ黒で驚いたというホントかウソか分からない話もあります。

沖縄そばは、蕎麦粉などは耳掻き一杯も入っていません。 蕎麦粉はその気になればヤンバルでできそうなものですが、私がいた当時には、日本そばの店などただ一軒那覇の松尾に「信濃」という店があったきりです。

島の人向けではなく、ヤマトゥの人向けです。そこそこに美味い店でしたが、今でもあるのかな。

島の男は、だらだらと「沖縄そば下さい」なんて言いません。きっぱりと決意を眉間に込めてひとこと「スバ!」。これが島の男ってもんさぁ(←てなもんかいな)。

冷しそばなどありませんから、酷暑の夏でも大汗をかきながらズルズル食べて、テーブルの上の無料のアイスコーヒーをグビっと飲んで、そのまま昼寝をしてしまいます。

この無料アイスコーヒーは、当然のこととしてインスタントですが、沖縄の市場に行くとインスタントの粉にクリームから砂糖まで全部入っている便利な大瓶を売っていました。本土では見かけませんなぁ。

沖縄の大衆食堂には中上がりというような畳があって、昼下がりには男どもが満腹の水牛よろしくいぎたなく爆睡している姿を見ることができます。今思うと、勘定も済ませない客を寝かせてしまっていいでしょうかね。

それはともかく、勤め人はあきらめてもらうとして、正しい沖縄人はまっ昼間に働いてはいけません。ノーテンパーになります。

まっ昼間は、涼しい室内か、デパートに行って過ごします。沖縄で東日本が去年やったような大節電をやったら暴動が起きます。

デパートは、台風の時とまっ昼間には異様に客が多く、家に居ても暑いしやることもないからという程度のことで、家族連れでわざわざ遊びに来るのです。当然なにも買わずに、涼んで試食だけしてうれしそうに帰ってしまいます。

昨日は沖縄に早々と台風が来たようですから、さぞかしデパートは買わない客でにぎやかだったことでしょう。

こんな亜熱帯の島のチルダイな昼下がりが、私が知っている素顔の沖縄です。チルダイとは、なんて訳すかなぁ、けだるいでしょうか、かったるいかしら。

あんまり暑いので、脳味噌が煮え煮えで、昼寝でもしてやり過ごしましょうかね、外はまぶしいし、ヤマトの観光客は元気ですねぇ、などと言いながらタダのアイスコーヒーをズルズル飲むのです。

ああ、チルダイ、チルダイ・・・。

しかし、これでは発展しねぇぞと、本土に帰って真面目な百姓になった私は思うこともあるんですがね。

写真 ヤンバルの食品店。冷凍品と標準語で書いてありますが、「冷しもの」などという表記もあります。魚もコチコチ。本土ではめったに食べられない冷凍鯖の刺身などが置いてあったりします。
店の横のポスターは沖縄大衆演劇で、下町の玉三郎のようなもの。ただし、全編沖縄語なので、本土の人間やウチナーのニセター(若い衆)には理解不能ですが。

2012年6月19日 (火)

知事選得票率と基地占有率、財政依存率にみる沖縄南北問題とは

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一昨年のことでしたか、普天間問題を追いかけていた時に、沖縄現地のブログにリンクを貼られました。

このブログの主張は、典型的な反戦・反基地でしたが、その主張の中で面白かったことがひとつありました。

それは「もはや沖縄経済は基地依存ではない。基地は沖縄の発展を妨げている。即時基地撤去すべきだ」と書かれていたことです。

これで私は、ああなるほどなぁと思いました。

この人はたぶん宜野湾から以南に住む人ではないでしょうか。同じ中部でもコザ(沖縄市)以北の人間ならこのような言い方を簡単にはしません。

それでは、まず今の沖縄の国会議員を見てみることにしましょう。国民新党幹事長・下地幹郎氏は、地元では知らない人のほうが少ない県内有数の建設会社「大米建設」の副社長でした。

「大米建設」は、下地氏の父親が創設したもので、沖縄の多くの建設業と同じく、基地建設で成長しました。氏の兄は沖縄県建設業協会会長をしています。

下地氏は普天間移設問題で一貫して、嘉手納統合案を主張しており、この案には民主党県連会長の喜納昌吉議員も賛成しています。ちなみに喜納氏は嘉手納基地の城下町・コザ市出身です。

県知事の仲井真氏は、沖縄電力会長出身で、沖縄経済団体会議の会長と防衛協会会長を兼任していました。

この沖縄県経済団体会議の会長は、防衛協会会長も兼任することが多く、先代の国場幸一氏は県内最大手の建設会社「国場組」の社長でした。

このように見ると、沖縄現地での普天間問題のキイパーソンである、与党幹事長の下地氏、県知事の仲井真氏、そして与党の県連会長の喜納氏という3名が惑星直列よろしく揃って米軍基地に強い利害関係を持っている人たちだと分かります

もうひとつおまけに、一昨年、この仲井真氏に知事選を挑んだ革新候補の伊波洋一氏は当時宜野湾市長でした。宜野湾市は普天間基地がある自治体です。

私は普天間基地が、もっともストレートに経済発展と基地撤去に結びつけることのできる希有な場所だと思っています。

というのは、この宜野湾市を除いて、よく本土のマスコミが勘違いしている「保守対革新」か、あるいは、「基地撤去か経済発展か」、という単純な図式は成立しないと私は思っているからです。

また、2006年の仲井真氏と糸数氏との知事選は、米軍基地を争点とした今どき珍しい保守対革新の一騎討ちとして全国の注目を集めました。

その選挙の集計結果と、米軍基地収入の自治体財政に占める割合、そして基地面積を一覧した表をご覧ください。(欄外資料参照 日経新聞那覇支局長 大久保潤氏による)

当時、普天間の辺野古移設容認を掲げていた仲井真氏の得票率が50%を超える市町村は以下です。

・国頭村・・・仲井真得票率70%  基地占有率23%
・伊江村・・・         68%         35%
・金部町・・・         65%         59%
・東村 ・・・          3%         42%  
・嘉手納町・・・       57%         83%
・名護市・・・         56%         11%
・恩納村・・・         55%         29%
・沖縄市・・・         54%         36%
・宜野湾市・・・       52%          33%

以上の得票率を見ると、基地現状維持派が5割を超えるのは、いずれも基地のある北部から中部にかけての自治体だと分かります。

逆に、基地撤去を掲げた糸数候補が勝利した基地依存度が高い自治体はふたつ、北谷町(ちゃたん)と読谷(よみたん)村に限られています。

そのうち読谷村は、糸数氏の地元であり、北谷のあるキャンプ瑞慶覧は縮小が決定していました。

一方、糸数氏が勝利した自治体は、南部の住宅地である西原町、豊見城(とみぐすく)市、南風原(はえばる)市などです。

いずれの自治体にも基地はありません。豊見城市に典型なように県外移住者も含めて人口が激増しており、企業進出も盛んで、経済成長が著しい地域です。

この選挙結果から見えるのは、北部から中部にかけて、「基地経済」に強く依存している地域ほど基地の現状維持を願っていることです。

「基地経済」とは、自治体への地代や、見返りとしての振興策など有形無形の基地に依存した経済のことですが、これに寄り掛かれば寄り掛かるほど自治体経済が安定するという結果になっています。

その意味で、北部から中部にかけての地域において、「基地は資産」であり、「経済か基地か」ではなく、「基地で経済を」が実情です

地域に基地がなく、基地公害と無縁な中部地域の南側及び南部地域は、沖縄の建て前である「反戦・反基地」という革新スローガンを受け入れやすい風土があります。

沖縄を本土の人が見る場合必ず誤るのは、イデオロギー対立で見てしまうことです。「保守対革新」、「基地経済か基地撤去」かと二項対立の中に入れて判断しがちです。

しかし、私は縄には、基地経済に依存している地域が、同じ基地が多い神奈川県などと較べても比べものにならないほど多いという厳然たる事実を知った上で、普天間移設に象徴される基地問題を考えるべきだと考えています。

経済発展を続ける南部とその周辺にとって基地は邪魔なだけであり、貧困と過疎から抜け出せないでいる中部・北部地域にとって基地経済は失うことのできない重要な経済手段なのです

その意味で、普天間問題は沖縄における南北問題でもあるのです。

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Photo_2              (日経新聞那覇支局長 大久保潤氏による)

2012年6月18日 (月)

沖縄基地問題という迷路 

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かなり前のことでしたが、りぼんさんから「沖縄県民のうちで基地に賛成と反対はどんな割合ですか」、というようなことを尋ねられた記憶があります。

大変に答えにくい質問ですので、そのときは答えないままになってしまいました。世論調査的に言えば、半々でしょう。

しかし、そのような答えはほとんど意味をなしません。なぜなら、誤解を恐れずに言えば「基地は沖縄の資産」の部分があるからです。

こう書いただけで、反安保を掲げるかたには批判を受けるでしょう。「とんでもない、基地のない沖縄は県民の総意だ」と言われるに違いありません。

「基地のない沖縄は県民の総意」・・・、それもまた真実です。ただし一面の真理にすぎません。

では、「基地がなくなった沖縄を望むのか」と聞き方を変えれば、県民のかなりの人は「さてねぇ」と言うかもしれません。

ところがこれにも地域差があります。なにか米軍基地がらみの事件がある度に本土のテレビは、那覇市のメーンストリートで市民の感想を聞いています。おおかたの人は、「早く米軍は出て行ってほしい」と答えます。

あれをみるたびに、私は無駄なことを聞くもんだ、と思って眺めています。基地がない那覇で聞いてどうするんですか。聞くなら、中部か北部で聞きなさい。そこに米軍基地は集中しているのですから。

たまに頭上高く米軍機が飛ぶのを見る地域で基地問題は必ずしも切実ではなく、同じ県民でも建て前的回答にならざるを得ないいことを、本土の人間は肌で理解しようとしません。

さて、この那覇から国道58号、復帰前は軍用1号線と呼ばれた幹線を下っていきましょう。

道路の左右には基地群が展開して、その間を走ることになります。まるで基地の中の道路のようです。ここが航空基地が集中する中部です。

問題の普天間基地もこの中部に属しますが、今やかつての基地の街ではなく、膨張する那覇市の外縁部にあたる交通便利な新興住宅地となって発展しています。

よく映像で、普天間基地のフェンスひとつ隔てて民家が密集しているのをご覧になるでしょうが、「世界で一番危険な基地」もなにも、あれはそもそも航空法違反です。法的に言えば、着陸進入路下の民家はすべて違法建築であり、撤去対象です。

撤去できないのは、復帰前の国内航空法が適用除外だった時期に既に建てられていて、今さら撤去できない慣習的既得権となってしまったからです。

また、普天間基地が返還されれば、こににショッピングモールやマンションが林立するニュータウンが建設されるかもしれません。

宜野湾市の跡地計画も言うように、返還された場合にその利用価値は大変に大きいのですが、このような普天間基地のような基地は、全体からみれば例外的存在なのです。

では、この普天間基地が移設先とされた辺野古はどうか見てみましょう。辺野古選出の名護市議会議員はこう言います。

「この辺野古では7~8割が容認だ。向こうとはそうとうに温度差がある。辺野古移設による北部新興策や基地交付金だって8割は向こうが使っている。でも基地の騒音も危険も被害を受けるのはこっちだ。騒音も危険もない所が反対するのはおかしいんじゃないか。だったら向こうに持っていけということだよ」。

この「向こう」とは、米国でも那覇でもありません。同じ名護市の西海岸地域です。ここに名護市の市役所も市街地もあり、この辺野古とは山を隔てて10㎞以上離れています。

この市議が何に怒っているのかといえば、移設が実現してもなんの影響もない地域の人たちが、当事者づらをして反対していることが不快だからです。

それに加えて、今まで辺野古移設を条件にして交付されてきた多額の北部地域振興予算が、当該予定地のある東海岸ではなく、西海岸で大部分使われてしまったことに対することも含まれています。

昨日書いた、キャンプ・ハンセン162ヘクタールの返還を名護市が拒む理由は、ここから入る借地料が地元の地域に入ることまでを取り上げることができないというのが理由です。

言い方は悪いですが、名護市中心部は、辺野古などの旧久志村地域の犠牲の上に立って北部振興予算をもらってきたという「弱み」があり、それへの配慮なくしては市政が成り立たないのです。

ではだからといって、貧しい東海岸だけが「犠牲」を払ってきたのかといえば、必ずしもそうではないから複雑です。これらの地域は、基地からの900億円(全島)もの毎年確実に入る地代の恩恵に浴してきました。

基地のない住民にとっては、彼らはいままでさんざん甘い汁を吸ってきたのだから、という気持ちもあるかもしれません。

どちらの思いが正しいと考える前に、この北部の地域を空からグーグルでご覧ください。山また山です。辺野古などは、集落は険しい山と海岸に挟まれて陸にしがみつくようにしてポツンとあるにすぎません。

私はそのような山中で農業をしていました。だからリアルに分かります。この土地に生きる以上、基地もまた好むと好まざるとに関わらず、大事な「地域資源」なのです

北部においては、キャンプ・シュアブ、キャンプ・ハンセン、そして北部訓練場の三基地で、県内基地の三分の二を占めています。航空基地は中部にあり、海兵隊の陸上基地は北部にあるというわけです。

北部こそ忘れられたもうひとつの基地密集地帯なのです。そのことを多くの本土の人間、いや沖縄県民ですら忘れています

基地公害のない県中心地の南部、航空基地が集中しながらも大都市近郊では開発が進む中部、そして鬱蒼たるジャングルに覆われて発展が進まない北部、それぞれに基地に対する思いが違って当然です

この基地依存体質の構図は、同じ国策に基づいて行われた原発立地自治体と同じです。これを原発反対、基地反対という刃で切り捨てても、なにもわかったことにはならないのではないでしょうか。

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■写真 もう初夏の陽気です。桑の実の季節ですね。

2012年6月17日 (日)

基地反対の名護市長が、基地返還反対を叫ぶ不思議

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上の扉写真は沖縄の名護市役所です。

象集団というユニークな設計グループの作品で、全館が巧みに外気を取り入れる構造になっており、なんと亜熱帯の沖縄でありながら、空調がないという稀な公共施設です。

名護市役所は海岸にほど近く、海風に乗って甘い潮の香りが市役所の庭に漂います。

建物はパーゴラが優しく日陰を作り、ブーゲンビリアなどの花が咲き乱れています。ベンチで昼寝をする市民もいるほどです。

私は日本一美しい公共施設だと思っています。この市役所に、私は農場からの農産物を定期的に届けていました。

その受け入れ側のリーダーが、後に市長となる岸本健男さんでした。彼はヤンバルをその地域的ストックの豊かさによって発展させるという夢をもった人でした。

特に名護市東海岸の貧しい地域をなんとかしなければ、というのが彼の長年のテーマだったようです。この名護市東海岸には、あの普天間の移転で揺れる辺野古があります。

その彼は、僻地振興の財源として基地受け入れを条件として与えられる北部振興予算を使わざるをえない苦渋の決断を迫られました。

どこに好き好んで外国軍隊の基地を受け入れることを喜ぶ者がいますか。しかし、当時まだ電気が通ったばかりの地域さえあったヤンバルを興すには財源が必要でした。

そして、現地辺野古住民の容認に押されるようにして、岸本氏は移設同意に踏み切ります。

しかし、普天間基地の受け入れを決断した岸本さんに浴びせられたのは、「ユダ」のレッテルでした。そして、彼は失意の中で死去します。

さて、岸本市長の二代後の市長についたのは、今や反戦市長として名高い稲嶺進現市長でした。彼は徹底した反基地の立場に立ち、辺野古移設に強硬にノーを叫びました。

この受け入れ自治体首長の反対によって、普天間移設問題は完全に座礁します。容認から反対に転じた仲井真知事、そしてこの稲嶺市長の反対によって、普天間基地の半永久化は避けられない事態となったのです。

さて、この流れを作った最大の立役者である稲嶺市長が奇妙な要請を政府にしていることは、本土では知られていません。

それは、、稲嶺市長が名護市所有の米軍基地の返還を拒否したからです。2011年9月27日の沖縄タイムスはこう書いています。

「ハンセン(米海兵隊基地)継続使用要求 名護市議会意見書可決 返還予定162ヘクタール」

米軍は、海兵隊基地であるキャンプ・ハンセンの用地162ヘクタールを11年末にかねてからの予定通り返還したい、と申し出ました。

これに対して、稲嶺市長とその与党が多数を占める名護市議会は「返さないでくれ」と言い出しました。

11年10月12日、稲嶺市長は、当時の沖縄防衛局長だった田中聡氏(あの暴言を吐いたとされて解任された人です)と面談し、継続使用を申し出ていますが、「返さない理由はない」と逆に断られています。

この返す、返さないでくれというやりとりで、未だこの162ヘクタールの米軍用地返還は宙に浮いた形になっています。

この返還用定地は、これまで3回に渡って米軍が「返す」と申し出ており、その都度、継続要請を受けて延び延びになった土地でした。それが継続許可になったのは、ひとえに普天間の移設容認の見返りという交換条件があったからです。

あからさまにいえば、普天間基地の移設のご褒美として返還延期をしていたアメを取り上げられたということです。

これが稲嶺市長となって反故になったわけですから、国としては早く返させてほしいという方向になったわけです。

ではなぜ、「反戦市長」が米軍基地を返さないでくれ、と言っているのでしょうか?それはこの土地が山林だからです。

この土地の私有権は名護市にあり、現況山林にもかかわらず年間1億3千万円の借地料が市に入ります。この基地使用料は一部が、地元の幸喜(こうき)、許田(きょだ)喜瀬(着せ)の三地域に分配金という名目で支払われています。

市所有地の基地使用料をこのように分配するのはあくまでも慣習であって、法的根拠はないそうです。

しかし、その額がもっとも多い喜瀬地区などは年間3千200万円にも登りますから名護市や地元地域も困るわけです。

その上、稲嶺市長は就任早々に普天間移設の見返りであった北部振興策を拒否してしまいましたから、「もうこれ以上米軍基地を取り上げないでくれ」という悲鳴を上げざるを得なかったわけです。

岸本元市長を苦悩の死にまで追い込んだ事情を知っている私からみれば、なんと虫がいいことよ、と思いますが、まぁ内情は分からなくもありません。

名護市は、この返還予定地がもともと利用するのが困難な山林であることから、それを返還反対の理由にしていますが、それはおかしいでしょう。

もともと利用価値がないならば、経済的価値は限りなくゼロであり、収入はゼロであったのが、米軍が利用することで年間1億3千万の収益を生み出したわけです。利用価値ゼロの土地が、再びゼロに戻るだけにすぎません。

しかも、ここを強調したいのですが、この借地料は国民の税金です。本来必要のない税金を、国民は無駄に支払っていることになります。

稲嶺市長は移設反対を唱え、防衛省とは対話拒否しています。対話まで拒否しておきながら、金だけはほしいということです。

一切、政府や米軍に協力はしない、と断言しているのですから、その筋を通されたらいかがでしょうか。「反戦市長」として実に見苦しいと思います。

このように、沖縄の基地問題は、島の内側からみれば大変に複雑な側面をもっています。

それを知った上で沖縄を見ると、基地反対論と容認論だけだけではないもうひとつの顔、すなわち「経済としての基地」、あるいは「地域資産としての基地」が見えてきます。

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2012年6月16日 (土)

ウリズンの季節

   

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私はこのウリズンの季節になると猛烈に沖縄が恋しくなります。理屈じゃありません。心の底で静かに、しかし、あらがいがたく醸されるような熱です。こちらに来い、ここにくればいいと呼ぶような声です。

この季節は沖縄ではキビ刈りが終わってコシユックイの頃でしょうか。コシユックイ、腰ゆっくり、ああご苦労さんだったね、サキグワ(酒)のひとつでも酌み交わして曲がった腰を伸ばそうかね。

昔は秋の田んぼの終わりの時でしたが、今は田んぼを沖縄はほとんど作らないので、キビ刈りの終わりなのかな。キビ刈りはそれは重労働なのです。

まず、キビ、サトウキビ、ウチナーグチでウージーがすっくとまっすぐ立ていると思ったら大間違いです。そのような性格のいいキビは半分程度しかありません。特に海岸に近いところで作ったら最後、Sの字です。

台風が東海岸を北上すれば、時計回りに暴風雨が吹きつけます。これでキビはひねて曲がります。そして今度は西海岸から来ようもんなら逆に曲がります。台風が一回で済むならいいのですが、まずない。往復ピンタのように何回も別方向から風速30mで煽られると、キビはなんとSの字になるのです。

これを切り倒すとなるとちょっとコツがいります。傾いだ逆から斧を入れていくのです。斧?そうオノ。キビは何で刈るのかと言えば、斧なのです。ちいさな手斧です。これで地面すれすれにガツっとかっとばします。

そして同じ方向に並べて、あとは頭の部分を切り、茎の部分の葉を落としていきます。これは男衆もしますが、主力は女衆です。炎天下に黙々とした作業です。

これを大きく一抱えほど束ねて約50キロ、いやもっとあるかな、道端に並べねばなりません。夕方に来る砂糖会社のトラックの荷台に一気にこのキビの束を背負って運びます。

荷台まで渡してある細い戸板にしっかりと足を踏ん張って、食い込むキビの束をヨッコラショと積み重ねていきます。ヤッとか、ソラッ、ヨッコラショ、ドッコイショという労働の掛け声がただあるのではなく、力を一点に振り絞る時に必要な声だとわかりました。

道から遠い畑の束は、えんえんと肩で背負って数十メートル運ばねばなりません。肩に濡れ手拭いをあてても、日没の頃には肩が真っ赤に腫れ上がってしまいます。初めの頃は痛くて夜眠れないほどです。それが面白いことには、キビ刈りの季節の終わりにはしっかりとした筋肉が張り、痛くもなんともなくなるのですから人体とはすごいものです。

夕方5時に村のサイレンが鳴って、こんな一日のキビ刈りを終えると、一風呂浴びたシマ(村)の誰ともなしに皆んなが集まってきます。いつもはアサブシ、ヨルブシ(朝星夜星)でも、なぜかキビ刈りの時だけは勤め人のように5時でお終いです。だって第一製糖のトラックはもう行ちゃいましたしね。ひとりで張り切ってもしかたありませんからね。

そして、もうひとつはキビ刈りというのは、本土の田んぼように村の共同体で揃ってやる仕事だからです。ユイマールといって労働の貸し借りを今でもひんぱんにします。

今日はシロタさんの畑、明日はウエバルのオジィのだ、来週月曜日はうちらが助けてもらう番だというように。

また、キビをひとりで刈ってみても、製糖会社のトラックは来ません。工場を動かすに足る量があって、運びに来るに足る量があって来るわけです。となると、とうぜんキビ刈りは村の共同体の仕事になってしまうのです。

さて、長い南洋特有の夕焼けパープルの陽が暮れ、男衆はゆるゆると集まります。手持ちの夕飯の余りのようなゴチソーを持ち寄り、シマザキ(泡盛)を飲みます。やがてほろ酔いともなると、誰かが得意のサンシンを奏で始めます。

恐ろしいことに、沖縄で男がサンシンひとつ弾けないのはブチョホー(不調法)といって死に優る屈辱なのです。男全員が唄えるのはともかくとして、楽器を弾けて踊れるというとんでもない芸能の島なのです、ここは。

負けずともうひとりが奏でて、やがてカチャーシーを踊って、ひとりふたりとへばって泥のように深く眠るのです。そしてまた翌朝からキビとティダ(太陽)との格闘が始まります。

これが私の初めての百姓の場でした。沖縄のヤンバルといいます。赤土と赤瓦の屋根、紺碧の空、風に揺れる芭蕉の葉、顔中を口にして笑う人たち、風に乗ってくるサンシンの音・・・。

ヤンバル、ヤンバル、いいとこな。

■写真 本部半島の八重岳を望むパイナップル畑。おいしいパインを齧りに来る鼠を採りにハブさんもいっぱいいますよ(笑)。

2012年6月15日 (金)

TPPは政府専権事項?!民主主義の落とし穴・憲法第73条の恐ろしさ

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TPPの怖さというのはなんでしょうか。いろいろと細かいことはありますが、煎じ詰めれば、二つになるかもしれません。

ひとつめは、「外国によって自分の国が勝手に作り変えられてしまう」ということです。

ふたつめは、それが「国民の意思とは無関係に決められる」ということです。

一番目については、今まで何度かISD条項の危険性を書いてきましたから、今日は置きます。

国の制度が外国によって勝手に変えられるということはあってはならないことですが、それが国民主権の手の届かない所にあります。

あと5日ほどで野田首相はG20会合に出席しますが、彼はこの4月の訪米時にオバマ大統領から与えられた貿易問題についての宿題に回答せねばなりません。

その首相の答えようひとつで、それが事実上のTPP参加への意思表示となる可能性があります。

おっと、ちょっと待って下さい。今、私は「首相の答え方ひとつで」と書きませんでしたか?

主語は「首相」です。国民でもなければ、その付託を受けた議会でもありません。首相個人です。

これで日本国憲法ではいいことになっているのです。なぜなら、TPPは憲法第73項2項にある「外交関係の処理」という政府専権事項であり、国会承認は不必要だからです。

思い出して頂きたいのですが、TPPの始まりは、一昨年のAPEC横浜会議で、唐突に当時首相だった菅氏がTPP参加を「平成の開国だ」と参加をぶち上げた所から始まりました。

そもそもあれは国会もなにも、彼の発作的思いつきから始まったものです。その証拠に、政府専権事項なら閣議決定のひとつくらいあってもよさそうなものですが、それすらなかったではありませんか。

与党執行部ですら寝耳に水、国会も蚊帳の外、国民に至ってはTPPすらなんのことやら分からない状況でしたね。

われわれ国民からすればメチャクチャやりやがってなのですが、しかしあれで憲法上は合法なのです。

もちろん勝手に首相が、外交条約を決められては困りますから、憲法上の歯止めはあります。それが憲法第61条にある「(外国との)条約の締結は衆議院の議決による」という項目です。

ですが、お分かりのように、この歯止めも衆議院だけの議決だけで通ってしまいます。いちおう参議院にもかかりますが、予算と一緒で衆議院議決が優越します。

現在のように与党が分裂状態ですとバランスがとれますが、そうでない場合、国民主権を無視した暴走が可能です。

また、一般の外交条約と違って、TPPは国民の生活を直撃する国内制度の改変を伴います。というか、そもそもTPPは国内制度を外国に好き勝手にいじらせるために作るのです。

たとえば、米国が標的にしているといわれるJA共済や、国民皆保険制度の解体、食品安全基準や環境基準の引き下げ、GM表示の廃止、外国人労働者の受け入れなどは、通常ならばすべてひとつひとつ国会審議に付されるべき大きな事案です。

これがまったく必要ない、勝手に政府が、いや首相ひとりが決められるという驚愕の事実です。

たとえば、共済法の改正をやろうと思えば、衆参両院で3分の2の議決が必要です。相当に大変な作業です。今の消費税増税なみの道のりです。

ところがTPPでは、これは外交条約ですからそれを超越できるのです。政府が決めて、衆院が追認すればお終いです。非常に簡単極まる手続きで終了してしまいます。

これがTPPの持つ、日本の民主主義の盲点を狙った危険性です。

ですから、ISD条項を巧みに使われて、「お前の国のこの国内法は参入企業の不利益だから廃止しろ」とねじ込まれると、その判断は国会でもなく、日本政府ですらなく、世界銀行の国際投資紛争解決センターという少数の外国人の手に委ねられてしまいます

そして彼らは、日本の事情などにはとんと無関心ですから、参入外国企業の利害を優先して判定します。おおむね、当該国は敗北します。

そしてこの条約交渉の主管は、外国との条約ですから当然のこととして外務省です。

TPPの悪影響を被る保険の管轄省庁である厚労省でもなく、「聖域なき関税撤廃」や農業共済解体をもろに受ける農水省でもありません。

農業の「の」の字も知らない外務官僚の裁量に任されているのです。しかも、日本の外務官僚の質の低さは、世界に冠たるものと言われています。

皮肉ではなく、米国がうらやましいと思います。米国は、TPPについて議会が圧倒的に優越する国内法をもっていて、徹底した審議をします。

わが国の交渉参加すら半年間もの審議にかけて、もみにもんでいます。おそらくは、徹底した米国の利害が見いだせないかぎり、彼らは日本にTPPの門戸を開かないでしょう。

開くためには、日本に相応の代償を払わせることを誓わせた上でのことで、つまりはその段階で日本は既に負けているのです

こんな重大事を、首相の胸ひとつに任せることになるG20は来週に迫っています。

■写真 霞ヶ浦湖畔の遊歩道です。中央左に霞ヶ浦タワーが見えます。

2012年6月14日 (木)

米国は果たして自由貿易体制で得をしたのか?

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小沢一郎氏が、奥さんから離縁状を叩きつけられてその内容が、「岩手に震災以来一度も行かなかったのは、放射能が怖かったからだ」とバラされてしまいました。(欄外参照)

思わず笑ってしまいました。これは相当に恥ずかしい。お遍路にでも行ったほうがいい。

小沢氏が震災以後かなりの期間行方不明だったのは政界の謎だったのですが、要は「放射能が怖くて秘書と一緒に逃げ出していた」(同)ということのようです。

こんなまさに明日明後日に政局という時期に奥さんからの離縁状が出てくるのも、なかなか政界の闇ですが、小沢神話の終末を見るのも近いようです。

さて、本題に入ります。

TPPは米国にとって、どんな影響を与えるのでしょうか。米国にとって利益ばかりでしょうか。

現在、米国議会で日本にTPP入場券を出すべきかどうかでもめています。(資料2参照)

米国議会の様子を見ると、米国でゴーゴーTPPと叫んでいるのは、保険、金融、建設、、医薬品、化学工業などの分野だけで、他の自動車は後ろ向き、農業も尻込みといった状況に見えます。

私たち日本側から見れば、米国はガーンとそびえ立つ一枚岩のように見えても内実は複雑なようです。

自動車業界は本心は反対、それも大反対です。やっと巨額の政府支援で復活の芽が出た時期に、米韓FTAで勢いをつけた韓国自動車にやられっぱなしになったからです。(資料1参照)

韓国KBSによれば、3月15日に発効して以来、瞬く間に米国の韓国への貿易赤字は急増しました。

特に自動車と部品の輸入が2億1000万ドルも伸びたのが大きかったようです。これは自動車関連の2.5%の関税が消滅したのが響いたのでしょう。

一方、アメリカの韓国への商品輸出はトータルで37億ドルで、3月より12%減りました。

これを見て、米国議会筋に強力なロビーを持つ自動車業界や農業界は一斉にびびったようです。

「冗談じゃない、FTAでいい思いをしているのは、ウォールストリートのハゲタカだけじゃないか」、というわけです。

ちょっと前までは米国は日本に対して、交渉の席上で、米国車が日本で売れんのは関税外障壁だとかなんとか、自分自身も信じていないようなことをブツブツ言っていたようですが、今はもっぱらGM関連と医薬品関連、保険関連の交渉に移っているようです。

実の話、なにを話ているのかまったく秘密なので、衆参農水委員会は外務省に交渉内容を開示しろと迫っています。(「日本農業新聞6月13日)

ところで、NAFTA(北米貿易協定)の折りに、米国内の自由貿易推進派の連中は農業界に対して、「大丈夫、大丈夫、他国とは生産時期が違うからバッティツグしないよ」と言って宥めていました。

ところが蓋を開けるととんでもない展開となったのです。下図をご覧ください。(同上・以下データは同じ)

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米国農業が伝統的に得意としていたブドウなどは、チリなどからの輸入量が81%増、消費市場で6割弱の支配を許し、トマトなども156%増、今まで輸出さえしていたブロッコリーもペルーからの安値攻勢をかけられて480%増などということになってしまいました

米国野菜果実市場の輸入品の占める割合は、07年にはそれぞれ24%、22%に達してしまいました。

また、日本においても同じ傾向がありますが、業務用農産物や農産物加工品は、生鮮品より増加率が高くNAFTA締結以前の3倍に登りました。

一方、米国の農産物輸出は、今や逆転し、とうとう米国は農産物輸入国に転落してしまいました。

米国農務省(USDA)によれば、作付け面積も1998年から2010年まで13%の減少しました。まさにNAFTAによって農業国である米国の衰退が始まっているのです。

家電製品を作っているメーカーがひとつもなくなり、自動車産業は息も絶え絶えといった製造業と軌を一にするように、もう一方の生産部門の車輪である農業までもが危なくなってしまいました。

利益を上げたのは、安ければ国産だろうがなんだろうが知ったこっちゃない、農家とコーンオイルは絞れば絞るほどいいがモットーのウォールマートでした。(ちなみにウォールマートの日本の提携先はセイユー。まさに似た者同士。)

ウォールマートはNAFTA移行、米国食品市場の実に3分の1を占めるまでに肥大しました。

残るは、モンサントのような化学会社とウォールマーケットに巣くうハゲタカたちだけとなって、どうしてオバマ大統領の唱える200万人雇用創出ができるでしょうか。

生産部門こそが最大の雇用創出源です。生産が振るわなければ消費も伸びず失業者は増大し続け、個人消費も伸びず、商業も沈滞します。

オバマ大統領は内心しまったと思っているのではないでしょうか。FTAやTPPは米国にとっても自殺行為だからです。

自由貿易体制は、ごく一握りの者しか富ませません。これは韓国でも、日本でも、メキシコでも、そして米国でも共通の教訓のはずです

オバマ氏は、就任前まで自由貿易体制に批判的でした。それが選挙戦でウォールストリートにごやっかいになって転向してしまいました。

今からでも遅くはありません。米国にとってもTPPは死への途行です。

■写真 霞ヶ浦で釣りをする近所のおじさん。

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小沢一郎氏が奥さんからもらった離縁状 (小沢和子さんが支援者に宛てた文書)
 週刊文春今週号 松田賢弥
「このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げ出しました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日本のためになる人間ではないとわかり離婚いたしました。」

■資料1 アメリカの対韓国貿易 FTA発効で赤字増加
韓国KBS 
2012-06-09

韓国とアメリカの間のFTA=自由貿易協定が、ことし3月15日に発効して以来、アメリカの韓国に対する貿易赤字が急増していることがわかりました。
アメリカ商務省が発表したところによりますと、アメリカの韓国からの商品輸入額は、4月は3月より14.6%増えておよそ55億ドルとなり、史上最高となりました。
中でも自動車と部品の輸入が2億1000万ドルも増えていました。
一方、アメリカの韓国への商品輸出は37億ドルで、3月より12%減りました。
これによって4月1か月間のアメリカの韓国に対する貿易赤字は18億ドルとなり、赤字額は3月のおよそ3倍になりました。
韓国とアメリカの間のFTAは、いまのところ韓国側にとって利益が大きいものとみられています。

■資料2 山田としおメールマガジン 12年6月13日

1週間後のメキシコでのG20サミットで、日米首脳会談があるとすれば、野田総理が前
回の4月30日の首脳会談でオバマ大統領から要求された米国の自動車の輸出に関する「いくつかのアイデア」(野田総理の特別委員会での答弁)について、一定の回答を持っていくことが懸念されると話しました。

これでは、何の国内論議もなく、いわゆる入場料を日本側が支払うことになる訳で、米国側が、それを日本側の交渉参加の意思として受けとめ、米国議会に通知することになれば、大変なことにってしまいます。

議会通知後、様々な要求が議会から突き付けられる度、日本側はそれに答えることが求められることになります。「聖域なき関税撤廃」の要求や、医薬品や医療機器の扱いGMOの表示や残留農薬基準の緩和、農協共済等日本型ともいうべき各種共済の扱い等、枚挙にいとまの無い要求に翻弄されることになります。

2012年6月13日 (水)

米韓FTA ISD条項で初訴訟か 

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米韓FTAは、TPPの近未来ですが、ひとつ大きな動きがありました。とうとう「あの」悪名高きISD条項が使われそうです。もちろん米国企業が、です。

ISD条項(「国家・投資家間における訴訟制度」)とは、FTAやTPPなどの自由貿易協定に忍び込ませた毒素の名です。

ある米国企業が相手国の市場に参入して不利益を被ったと考えた場合、世界銀行傘下の「国際投資紛争解決センター」と称する所に駆け込むことができます。

なんとなく中立ぽい名前ですが、これが国際司法裁判所のようなもんだ、と思ったら大間違い。

違うのです。上部組織の世銀総裁は代々米国の指定席で、米巨大企業の社長がなると決まっていますから、その紛争解決センターとやらもなんのことはない、ただの米企業の守護神でしかありません。

参入外国企業が思ったような利益を上げられないなどと思ったら最後、当事国は覚悟せねばなりません。

なにを?あの国民3人に1人が弁護士という(ウソ)米国の風土病である訴訟をです。しかもFTAとなると、国がらみですから大変。

さて今回は、米国のローンスターというテキサス州ダラスに本拠地を置く人間のクズのハゲタカ集団、失礼、投資ファンド会社が主人公です。

彼ら投資ファンド会社は、韓国がIMF管理に陥った窮状を利用して巨額の利益を貪りました。

やり口は、ガタガタになった韓国企業をこれ以上ないほど安く買い叩いて入手します。そしてメチャクチャにリストラをしまくって従業員を大量解雇し、不採算部門を叩き売り、とにもかくにもいちおうの黒字会社に仕立て上げます。

そして買った価格の何倍もの高値で売却して、がっぽり儲けるという手口です。

2003年、ローンスターは破綻寸前の状況に陥っていた韓国のKEB(韓国外換銀行)を買収し、嵐のようなリストラを行って経営を黒字化しました。ここまでは筋書きどおりです。

そして、2006年にKEBを売却して、実に4兆6千億ウォン(約3000億円)という巨額の儲けに手がかかった瞬間、韓国の司直がストップをかけて売却を認めませんでした。

あまりにひどい米国のハゲタカぶりに、韓国政府も堪忍袋の緒が切れたのでしょう。

容疑は、不当な安値でのKEB買収、脱税、外貨密輸などです。そして徹底した捜査に入り、結局売却できたのは12年2月になってからでした。

その間にお気の毒にも、KEBの株価は下落していましたから、ローンスターが怒るまいことか。

彼らは、OINK(Only In Korea)という造語まで作って大騒ぎを演じました。このOINKには豚の鳴き声の意味もあるそうですから、韓国はブタだと言いたいわけですね。やれやれ、なんて下品な。

怒り狂ったローンスターは、12年5月にベルギーの韓国大使館に協議要請状を叩きつけます。

訴え内容は、「韓国政府の恣意的で差別的な措置」だそうで、不当な課税により損害を被ったとしています。

ここでなぜベルギーが舞台になったかが面白いのですが、まず、KEBを買収したのがローンスターのベルギー法人だったというのが一番目の理由。

そして二番目に、韓国が2011年3月にベルギー・韓国投資協定を結んでいるのを利用したのです。

これはおそらく米韓FTAが発効したのが今年の3月15日のために、発効前のこの事案をごり押しするためにベルギーとの投資協定の中のISD条項を利用したのではないかと見られています。

いずれにせよ、ローンスターは6カ月間の韓国政府との協議期間を経て、紛争解決センターへの提訴に踏み切るのは確実です。

韓国政府は、ローンスターのベルギー法人がペーパーカンパニーだということを突き止め、条約発効前の損害請求などは認められないとハネつけていますから、果たして調停はどうなりますか。

3月に締結してわずか3か月、もう始まったのかというところです。韓国政府は、この事件を受けて、ISD条項に対して再協議を米国に求めました。

ただ遅いんですよね、締結してからでは。わが国もTPP交渉参加前に叩き潰しましょう。

今日の標語。気をつけよう、グローバリズムと夜の道。

■関連過去ログ カテゴリーTPPに多数あります。
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-1d4c.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-2230.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-4285.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-5770.html

資料 韓国KBS映像
http://www.youtube.com/watch?v=Zxs1fEQ0wBc

資料

東亜日報

韓国政府が韓米自由貿易協定(FTA)の批准過程で議論になった投資家対国家間の紛争解決条項 (ISD)に関連し、今年4月、米政府が発表した両者投資協定(BIT)の改正案を根拠に、米政府に改正 を要求することを決定した。

現行単審制のISDに抗訴の手続きを追加し、透明性強化のための両国間 協議会を設置して、周期的に開催する案などが主な内容となっている。政府は下半期にこのような内容で、
李明博(イ・ミョンバク)大統領が昨年11月国会で約束した韓米FTAのISD再交渉推進に入る方針だ。

政府当局者は6日、「米政府が今年4月に発表したBIT改正モデルの条項の中で、韓米FTAに適用可能な 内容を検討している」とし、「透明性強化や多者間抗訴手続きの設定などがBIT改正モデルの代表的な内容 だが、米国自らが改善した部分であるだけに、我々が要求する上で大きな無理はないだろう」と話した。

これに先立って米貿易代表部(USTR)と国務省は、4月20日、今後米国が他の国と締結するBITおよびFTAのモデルになる「米BIT2012モデル(US 2012 Model BIT)」を発表した。04年、ブッシュ政権が作った モデルをオバマ政権が8年ぶりに見直したもので、透明性の向上や一般人の参加拡大、国営企業に対する強化などの内容が盛り込まれている。このモデルには、△ISD関連当事国間の透明性強化のための 協議会の周期的な開催、△新しい規定を作る時に公開および説明の義務付け、△現行単審制のISDに 抗訴手続きの追加検討などが含まれる。

米政府が改正したBITモデルは、韓米FTAなど、既に締結された協定には遡及適用されない。しかし、 「米BIT2012モデル」は米国自らがISDの問題点を探して見直したものであるだけに、これをガイドラインに してISD再交渉を求めた場合、米国としては受け入れられない名分がないというのが韓国政府の考えだ。
しかし、米国側が韓米FTAの改正に消極的な姿勢を取っているため、韓国の考えどおり再交渉が行われるか どうかは未知数だ。

一方、韓米両国は7、8日、米ワシントンで韓米FTAの円滑な履行のため、両国間商品貿易委員会、 貿易救済委員、サービス・投資委員会や中小企業作業班会議を開催する。ISD関連部分はサービス・投資委員会で話し合われる予定だ。韓米FTA発効後、ISDと関連して両国間で公式の議論が行われるのは 今回が初めてだ。

2012年6月12日 (火)

霞ヶ浦放射能・湖底に封じ込めて監視するのが賢明

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ものには両面があります。ひとつの側からだけ見ていたら、分からないことが沢山あります。

先日、霞ヶ浦の放射線量定点調査をしながら、湖の研究者と逆水門の話をしてそのことに気づかされました。

逆水門とは利根川河口の水門のことを言いますが、これが閉ざされているために霞ヶ浦が外洋と繋がらない「水溜め」と化してしまいました。

その逃げ場がない水溜めに、周囲の市町村から生活排水や農業排水、工業排水が流れ込むわけですから汚濁して当然です。

ひと頃はひどいもので、アオコの発生で湖周辺の家は夏など窓を開けられない時期もありました。

とうとう内水面赤潮まで発生し、コイヘルペスで養殖していた鯉がバタバタ死んだのはこんな時でした。一時期、日本一の鯉の産地だった霞ヶ浦は、鯉養殖が不可能になりました。

現在は国と市民の浄化運動が実り、見違えるようにきれいになりつつあります。そこに放射能が降ったのです。

海や湖、あるいは河川は、放射能が溜まりやすい地形的位置にあります。地上の汚染が最終的に流れ込む場所がここだからです

都市部においていまだに高い線量を示すのが下水処理場や河川であるのと同じ理屈で、湖も地上の放射性物質のデッドエンドなのでどうしても溜め込みやすいのです。

流れ込んだ放射能は沈殿し、やがて湖底に蓄積されていきます。

水面表層、中層で生きる魚は影響は少ないのですが、湖底の泥の中に半ば埋まるようにして生きるギンブナ、ウナギ、ナマズ類には基準値を超える放射能が検出されてしまいました。(欄外資料1参照)

では、どうしたらいいのかということになります。方法はとりあえず三つ考えられます。

●一つ目。放射能が沈殿している湖底泥をなにかしらの方法で汲み出して廃棄する方法です。

一見よさそうな方法ですが不可能です。やるとすれば震災前までやっていた国交省の俊傑船でバキュームをかけて吸い上げる方法しかありませんが、これをやると湖底の放射性物質を含んだ泥はどうなるでしょうか。

無理に放射性物質を回収しようとすると、底泥が巻き上げられて、現在は線量が低い中層、表層域まで汚染を拡散して、そこに棲む魚類にまで汚染拡大してしまうでしょう

また、吸い上げた放射性泥の捨て場がありません。

●二つ目。利根川河口水門(逆水門)を開放して、外洋に汚染物質を流し出す。

これは湖の環境保護団体が主張している方法ですが、現実にやるとどうなるでしょうか。

湖底の泥は外洋への対流に乗って非常にゆっくりとした速度で(年に数キロと言われる)、外洋に向かって移動していきます。

比較的強い放射性降下があった東京都東葛地域の河川である江戸川河口や東京湾の底に、ホットスポットができたことを覚えていますか。

これと同じ放射性物質の移動現象が、利根川河口やその外洋の海底で間違いなく起きます

茨城県南部から千葉県にかけての沿岸は、親潮と黒潮が交差する「犬吠埼の壁」によって福島第1原発から南下する汚染水の被害から免れました。(資料2)

ここに霞ヶ浦の底土からの放射性物質が流れ込めばどうなるかは、残念ながら火をみるより明らかです。

銚子漁協は絶対に反対するでしょう。今まで、漁港が壊れていて水揚げできなかった茨城県の魚の水揚げに協力してきたのに、その返礼がこれか、となるでしょう。

悪くすれば 、逆水門をあけてほしい湖の漁師と、冗談じゃないとする銚子の漁師の争いになりかねません。

●三つ目。なにもしないことです。なにもできないのですから、このままそっとしておくことです。

無力感が漂いますが、幸いなことに水には原子炉の燃料プールで使われるほど放射能に対する放射線遮蔽効果があります

福島第1原発20㎞圏沖におけるNHKの測定では、海面近くの線量は0.06μSv(マイクロシーベルト)ですが、底にいくに従って汚染濃度は高くなり、海底付近では2.5μSv(マイクロシーベルト)を突破しました。

海底の線量は、海面の40倍です。逆に言えば、水は放射線を40分の1までブロックしているともいえるわけです。

ですから、いかに湖底や海底に放射性物質が蓄積しようと、気持ち悪いですが、一部の魚には影響が出ますが、人間の営みにはほとんど影響を及ぼしません

チェルノブイリ事故故のキエフの湖のデータでは、湖底に棲む捕食魚には相当の長期に渡る汚染が残ります。(資料3参照)

降下した線量自体に大きな差がありますから単純な比較は出来ませんが、減少していくには、おそらく5年か10年単位になる可能性があります。

ただし、検出されている湖の魚の線量は決して高くないので、思いの外短期に食品基準値を下回るかもしれません。(資料4・5参照)

となると、放射能禍を限定して封じ込めて、それを監視し続けるほうが賢明と言うことになります。(資料4参照)

これが現時点で私が逆水門を開放しないほうがいいと思う理由です。

水質汚濁の元凶のように言われていた逆水門は、皮肉にも霞ヶ浦の放射能汚染を封じ込める役割を果たしてしまっていたのでした。

禍福はあざなえる縄の如し、とはよく言ったもんです。

■関連過去ログ
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-c683.html http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-cc65.html 
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-ae8f.html 

■写真 霞ヶ浦の風景。私が大好きな風景です。こういう風景を眺めていると、魂が湖の上空にさまよい出てしまいそうです。

         ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

■資料1 茨城県漁政課HP 
霞ヶ浦北浦等湖沼及び河川の出荷・販売等の規制一覧(平成24年6月8日現在)
http://www.pref.ibaraki.jp/nourin/gyosei/pdf_housyanou_kisei/02_kahoku_naisui20120608.pdf

100Bq/kg 超
●霞ヶ浦北浦及び外浪逆浦並びに常陸
利根川(常陸川水門上流)
アメリカナマズ(天然),
ギンブナ(天然),
ウナギ(天然),
ゲンゴロウブナ(天然)

●那珂川,涸沼
ウナギ(天然)

●花園川
(水沼ダム上流)
ヤマメ,イワナ

■資料2 セシウム137の海洋拡散シミュレーション図
●「犬吠埼の壁」・・・福島から沿岸沿いに南下した海流は、ここで外洋に押し流されて、拡散されていくのがわかる。
(「勝川俊雄 「日本の魚は大丈夫か」より)
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■資料3 キエフ湖野放射能汚染が及ぼした魚への影響の推移

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■資料4 茨城県漁政課HP 霞ヶ浦・北浦のセシウム濃度の遷移http://www.pref.ibaraki.jp/20110311eq/marine-products/

■資料5 同 霞ヶ浦・北浦の魚類の放射線量測定結果
http://www.pref.ibaraki.jp/20110311eq/marine-products/files/0323_suisanbutu_chousa7.pdf

2012年6月11日 (月)

福島第1原発4号炉燃料プールの水位データ

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価値判断と実体分析は違います。「こうなるべきだ」と、「こうである」は違います。

原子力や放射能問題を取り上げていると、そのあたりをゴッチャにして口角泡を飛ばしている人が多いのに辟易します。

たとえばこうです。「原発は危険だ」とそれ自体は正しい認識からスタートして、次に「絶対に危険なのだから原発を即時ゼロにしろ」といきなり飛躍します。

困ったことに飛躍したことに気がつきません。原発をゼロにするには現実にどうしたらいいのか、という合目的的思考回路がまったくないのです。

「放射能が危険だ」と思い込むと、どこからが危険な線量なのか、という範囲を判断しなくなります。ですから「ゼロベクレル以外の食品は青酸カリと一緒だ」となります。

そんな食品はこの世にない、といくら言っても聞きません。

「原発は危険」なのですから、今も危険でなければなりません。たとえば、福島第1原発4号炉は傾いているので必ず倒壊し、使用済み燃料がメルトダウンして、今度こそ東京も住めなくなる日が来ると堅く信じています。

なにか前世紀末に流行ったナントカの大予言風終末思想みたいですね。この人たちは、本当にそうなったほうがいいのかしら。

さて、4号炉の使用済み燃料プールのデータが出ました。傾いているといわれる4号炉が、本当に傾いているのかわかる実測値です。(欄外資料参照)

見取り図右の燃料プールの四隅の水位(*床面から水面までの距離)を計ったものです。(計測日2012年4月12日)

燃料プールは楯12m×横10mで、今でも水が溜められています。もし建屋が傾いていたのならば、四隅の水位に狂いが生じるはずです。

➎地点(南西隅)の水位・・・・468㎜
❻地点(北西隅)    ・・・・468
❼地点(北東隅)    ・・・・468
❽地点(南西隅)    ・・・・468

このデータを見る限り、燃料プールは完全に水平が保たれており、従って建屋の水平は確保されています

ただし、設計寿命23年を超えて既に33年間使用されていますし、事故当初の海水注入や、放射線の影響による劣化の心配は残ります。

現在、600ガルの震動(3.11の震動と同じ)に耐えるために鋼鉄材やコンクリートを基礎構造に追加補強しています。

私は4号炉の現状を楽観していません。危うい均衡を保っているだけなのかもしれないと思っています。3.11クラスの震災が襲った場合、再び惨事となるだろうと思っています。

しかし、だからと言って、なんのデータも証拠もないところで、危機のみを言挙げするのには与しません。

3.11から1年3か月たった今必要なことは、状況を価値観で潤色せずに、リアルに受け止めることではないのでしょうか。

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2012年6月10日 (日)

大山鳴動、結局再稼働に・・・

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結局、再稼働されそうな感じですね。首相の珍しくも明解な再稼働発言と、橋下市長の完敗宣言で勝負あったというところでしょうか。

しかも夏期限定再稼働ではなく、恒常的再稼働のようです。

どうやら飯田哲也氏の「足りています」というのは机上の数字だったようで、「電力需要ピーク時に節電すれば乗り切れる」といった規模ではなく、関西圏のかなり広範な範囲で節電をしなければならなくなったというのが実態のようです。

電力会社で作る関西広域連合は全国にまで節電してもらい、その分まで回してくれと言いはじめたのが5月中旬ですから、その時点でかなり深刻な状況だったのかもしれません。(資料1、2参照)

橋下市長はかなり安易にこの夏を乗り切れると考えていたようです。飯田氏を特別顧問職でブレーンに入れている以上、彼の考えがダイレクトに影響していると考えたほうがいいようです。

それは、大阪圏の不足分は全国の人が負担しろ、一緒に節電しろという相当に安直な方針だったようです。はっきり言って、去年も計画停電をイヤというほど味わった東日本の人間には迷惑な発想です。(資料3)

きれいごとのスローガン政治を嫌って、政策実現のプロセスを明解にすると言っていた橋下氏とは思えない滑った方針でした。地元財界が、この方針に警戒感を示したのはあたりまえといえばあたりまえです。(資料4)

飯田氏は揚水発電を隠し球と見て、盛んにマスコミに露出するたびに揚水発電を稼働すれば一挙に電力不足解消と言っていた気がしますが、どうも実態はそうではなかったようです。

飯田氏は東電だけで1050万kW分も隠匿していると言っていたのですが、実際は揚水発電に要する夜間や早朝の電力すら不足していたようです。(飯田哲也「原発がなくても電力は足りる」)

それを指摘されると彼は、ならば早朝、夜間も節電しろと言い出したようで、このあたりになるとさすがに彼を招請した橋下市長も怪しいと思い出したのではないでしょうか。(資料5)

復興の途上にある東日本も含めた全国から電気をかき集め、それでも足りず、「早朝、夜間まで徹底節電だぁ」、となると、行政の長としては常軌を逸していると思われても致し方ないでしょう。

このような橋下氏が再稼働のキャスティングボードを握ってしまったために、関西圏の企業は一斉に逃避を真剣に考慮し始めました。

橋下氏と同意見であった嘉田由紀子知事のいる滋賀県などでは、大津市の東洋紡が関西圏から北陸や中部に移す考えを発表し、日ハムも関東に移転する考えを示し、ダイキンなども追随する可能性がでてきました。(資料6)

実際に、大震災時には東北や東関東の企業はサプライチェーンに穴があくことを恐れて、関西や中国地方に拠点工場をシフトした企業が続出しました。

いったん企業拠点がシフトされてしまうと、子会社、孫受けまで含めてという傘下企業丸ごとになるために地域経済にあたえる影響は計り知れないものになります。

再稼働方針に至るまでの政府の意思決定がめちゃくちゃであったのはいうまでもないことです。恥知らずと言われてもしかたがない所業でした。

ただしそのことと、現時点で再稼働を全面否定することによるデメリットを秤にかけて軽重を検分してみる作業もまた必要なことだったのではないでしょうか。

脱原発は唱えるだけではやってきません。リアルに原発をたたむことを考えるならば、考えるべきことは山ほどあるはずです。

その意味で、この再稼働騒動はいい薬になったと思います。世界第3位の工業国のエネルギーーシフト問題を一時の熱で進めるべきではありません。

去年の熱い夏を知っている「被曝地」の人間だからこそかえってそう思います。

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■資料1 関西広域連合、全国に電力融通要請へ 松井知事提案方針
産経新聞 5月12日

関西電力が、今夏の管内の電力供給について、大飯原発3、4号機(福井県おおい町)が再稼働しない場合、供給不足になるとの見通しを示していることについて、大阪府の松井一郎知事は12日、関西広域連合として電力量に余裕のある地域の電力会社に電力融通を要請する方針を明らかにした。同連合を構成する府県の首長らが参加する19日の会合で提案する。

 松井知事は、この日大阪府庁で開かれた連合議会の総務常任委員会に広域産業振興担当として出席。今夏の電力需給などを連合議員に説明するため、関電の香川次朗副社長も出席し、改めてピーク時の供給見通しの厳しさを強調した。

 松井知事は常任委員会終了後、記者団に「日本全国では、電力が余る地域があり、その分をぜひ関西に融通してもらいたい。さらに府県民の節電があれば、100万や200万キロワットぐらいは足せるので、需要を上回る供給体制ができる」と、他の電力会社に協力を求める意向を示した。 また松井知事は「自家発電の電力を送ってもらえないかなど、あらゆる設計図作りを広域連合で考えていきたい」とも述べた。

■資料2

政府は12日、関西電力管内での夏の電力不足に対応するため、中部、北陸、中国、四国の西日本4電力に対し5%程度の節電目標を設定し、余剰分で関電への融通を拡大するよう求める方向で検討に入った。関電管内では、10数〜20%程度の節電を要請する方向だ。

 政府の需給検証委員会(委員長・石田勝之内閣府副大臣)が同日、関電管内で今夏14.9%の電力不足が生じるとした報告書をまとめた。これを踏まえ、政府は来週にも「エネルギー・環境会議」を開き、節電の具体的な数値目標や電力使用制限令など強制措置発動の是非について議論する。 

[時事通信社]

■資料3 

大阪市の橋下徹市長は14日、関西電力への他の電力会社からの電力融通に関して「日本全体の電力供給体制、エネルギー政策を転換する第一歩を踏み出すためにも、関西以外の皆さんにご協力いただきたい」と語り、電力不足が懸念される関西への他地域からの融通に期待感を示した。同市内で記者団の質問に答えた。

 橋下市長は「データを出せとか言い合う時期はそろそろ終息させないといけない」と述べ、6月中旬には具体的な電力不足対策をそろえるべきだと強調。電力使用制限令の発動についても「厳しい状況になるかも分からないが、次世代のために、どういうものか経験することも必要かなと思う」と指摘した。(2012/05/14-20:07)

■資料4

関西経済連合会の16日の定例記者会見で、森詳介会長(関西電力会長)は「関電大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)の再稼働なしでは(電力需給は)大変厳しい」と述べた。

 夏に電力需給が

するのを見越し、「安全が確立できた原発はすべてできるだけ早く再稼働させてほしい」と強く求めた。

 夏場の電力不足に関して関電の筆頭株主である大阪市の橋下徹市長は、計画停電は避けられるとの見通しを示す一方で、「計画停電もあり得ると腹を決めれば、電力供給体制を変えられる」との考えも表明している。

 これに対して松下正幸副会長(パナソニック副会長)が「昨年並みの節電でも困ると言っているのに、計画停電なんてとんでもない。軽々に計画停電と言うべきではない」と強く批判した。

(2012年4月17日09時51分 読売新聞)

■資料6 神戸新聞

昨夏以上の節電要請や電力使用制限令を出す可能性が浮上し、兵庫県内をはじめ関西の企業は、事業活動の維持と従業員の体調管理に頭を悩ませている。製造業の海外シフトが加速する恐れなどから、原発の早期再稼働を求める声も経営者の間で高まっている。

 「安全を再確認した原発を再稼働していかないと、製造業は生産拠点を海外に移さざるを得なくなる」。エアコン大手ダイキン工業の井上礼之会長は10日、大阪市内で開いた決算発表会見の席上で危機感を強調した。

 化学メーカーのケミプロ化成(神戸市中央区)は、相生市にある工場の一部を7月から9カ月間休止し、従業員16人を配置転換することにした。自動車用の塗料などに使われる主力製品の「紫外線吸収剤」は製造に約2週間かかり、片木茂行社長は「電力需給に応じて稼働を調整できない。先進国向けの販売がなかなか上向かず、止めた方がましだ」と話した。

 貨幣処理機大手メーカーのグローリー(姫路市)は本社工場で自家発電設備を準備中で、燃料費や防音工事なども含め数千万円かかる見込み。尾上広和社長は「昨夏は勤務時間を夜間に移したが、従業員の健康などを考えると、一層の無理はさせられない」と困り顔。

 金属部品加工のトーカロ(神戸市東灘区)は昨年、千葉県内の工場が計画停電の対象となり、生産の一部を兵庫県内に振り替えた。町垣和夫社長は「この夏、あれ以上の対応を求められるときつい」と悲鳴を上げる。

 市民生活に大きい影響を与える鉄道の間引き運転も焦点。現時点で実施を決めている関西の鉄道会社はないが、南海電気鉄道などは「準備はしており、要請があれば実施に向け取り組んでいく」(広報担当)という。一方、山陽電気鉄道(神戸市長田区)は「普通電車は1時間に4本で、1本でも減らせば利用客への影響が大きい。電力会社から正式な要請がないと決められない」(総務本部)としている。

 神戸市営地下鉄では昨夏、駅構内の一部消灯や車内の冷房温度の設定引き上げ、券売機やエスカレーターの一部停止などを実施した。同市交通局は「最低でも、昨年並みの対策はしないといけない」とし、昨年は実施しなかった間引き運転も含め、関電の要請を受けて具体策を考えるという。

(2012/05/11 08)

2012年6月 9日 (土)

ぬか漬けと堆肥

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毎朝、ぬか漬けを練っています。毎日かき回していてもなぜか酸味がでてしまって、粉カラシをいれたり、水を抜いたりしています。

今年始めて初期発酵にビールを飲ましてやったのですが、効果テキメン。あれよあれよと言う間に発酵過多になってしまいました。ぬか漬けが酔っぱらったのでしょうか。

なんでも漬けます。きゅうり、大根、にんじん、なす、みょうがもいけます。ジャガイモはやめたほうが。

やってみると改めて思ったのですが、こりゃ堆肥づくりそのものです。米ぬかをベースにして、微生物発酵を利用し原料を栄養豊かに、風味溢れるものとする。すごい技術です。

うまくできた堆肥は、芳しいですからね。水が多すぎたの少なすぎたのと水分調整に苦労し、いい熱が出たの出ないのと心配し、イヤな匂いになったと心配し、ヌカ捏ねならぬ天地返しをして、できたるは自慢の逸品堆肥。

百姓は堆肥を食品加工のような気分で作っています。ほんとうに、堆肥を味見する老百姓を知っています。

農産物を作るためには、その前に「堆肥という土の食べ物」を作る必要があるのです。

発酵技術は日本が世界に誇る技術です。ありとあらゆるものを輝かせる技術です。素地を壊すことなく、その持てる本質的能力を目一杯開花させます。

不思議なもので、発酵過程から抽出精製した微生物群、ミネラル群を無機物として与えても同じ結果は得られません。

なんなんですかね、不思議ですね。

かつて肥料成分の無機質化があたりまえだと思われていた時代に、私たち有機農業は前近代的だと笑われながらも、シコシコと堆肥を作っていたわけです。

植物は確かに無機物で吸収するのですが、そう単純なことだけではないと分かって来たのが最近です。

土壌中、特に根のそばに棲んでいる微生物群や土壌生物の働きがどんどんと明らかになってきています。

ヌカづけくさい指でキイボードを叩きながら、楽しみな時代になったなと思っています。
あ、そうそうこの指の香りは、母の香りだったっけ。

・・・農家が放射能のことを書かなくなる日が早く来ますように。

■写真 かまきりが幼虫から脱皮した瞬間です。世界は彼にどのように写っているのでしょうか。

2012年6月 8日 (金)

放射能汚染と底魚への影響

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ご覧になった方もおられると思いますが、NHKスペシャル「知られざる放射能汚染・海からの緊急報告」(1月15日)は海底にホットスポットがあることを報じていました。

海面近くの線量は0.06μSv(マイクロシーベルト)ですが、底にいくに従って汚染濃度は高くなります。海底付近は2.5μSv(マイクロシーベルト)を突破しました。海面の40倍です。

NHKは沿岸1㎞と言っていますから、浅い海底だったと思われます。「マダラ状に拡散」しているとのことですから、一様に拡がっているではなく、海流と地形が作り出す複雑なホットスポットがあるということでしょう。

その場所の土を採取したところ、海底の泥は4520bq/kg。周囲の15000倍だったそうです。20km圏内の32カ所で底土を採取したところ、沿岸1kmに2000ベクレルを超える汚染が集中していました。

また汚染は20km圏全体に、まだら状に広がっており、放射性物質が拡散しきらずに海底にたまっていたことがわかりますPhoto 

これは、海洋の放射能汚染が海岸付近の浅い海底で沈殿し、蓄積されていることを表しています。(下図参照 勝川俊雄「日本の魚は大丈夫か」より)

これは原発事故で放出された放射能汚染水は、親潮と黒潮の交わる犬吠埼あたりで南下を止め、外洋に向かって拡散されます。一部が更に南下して東京湾にも侵入していたことはないとは言えませんが、考えにくいと思われます。(下図参照 同)

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番組内で、京都大学の研究グループによるシミュレーションが出ましたが、事故後、東京湾周辺に降り積もったセシウムの約50%が6カ月の間に川へ流入し。年に数キロのスピードで東京湾へと移動したようです。

このシミュレーションによれば、今から2年2ヶ月後に東京湾が海底の汚染がピークを迎える可能性があります。

それともう一点。「海面近くの線量は0.06μSv」だとNHKは言っています。まったく平常数値です。一方「海底付近は2.5μSv」の場所もあったようです。

番組では危険性ばかりセンセーショナルに叫ばれていましたが、裏を返せば海底で25μSvあろうと、海面上ではそれが0.06μSvにまで無害化されているわけです。

水は、原子炉内や使用済み燃料プールに水が注入されているように、放射線の減速材として使われています。水の放射線遮蔽効果は非常に高いことが改めて証明されたとも言えます。

水は土と同じく強力に放射線をブロックします。ですから、海底や湖底に蓄積されていると言っても、私たち人間の生活には直接の影響はありません。

あるとすれば、海底に棲む魚に放射能汚染が出る可能性が高いことです。福島県の底魚であるヒラメとカレイの数値を見ます。(下図参照 同)

Photo_6 上図のグラフ左から右に時系列になっています。約一か月で影響が出始めて、半年でピークに達します。

・2011年4月3日・・・100bq以下
・5月13日     ・・・300
・7月13日     ・・・720(暫定規制値超)

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底魚の最大値は以下です。

・ヒラメ最大値   ・・・11月検出4500
・ババガレイ最大値・・・2月・1460
・マコガレイ最大値・・・2月・2600

これらの底魚種では、未だに高い濃度の魚が検出される状況にあり警戒が必要です。チェルノブイリの例から見て短くて2、3年、長くて5年以上続く可能性があります。

回遊魚や中層魚などへの影響は別の機会にアップいたします。

関連過去ログ
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-ae8f.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-78e3.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-c683.html

■追記 アップした第1稿に福島第1原発20キロ圏を、東京湾と混同した記述がありましたので、記述を整理しました。

コンタンさんのコメントが手違いで消えてしまいましたことをお詫びします。

■写真。ジャガイモ畑が満開です。

2012年6月 7日 (木)

放射能パニックからの生還・ある主婦の体験から

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2日続けてですが、白井美佳さんというある主婦の「放射能パニックからの生還」と題されたインタビューを基にした手記をご紹介します。

ここで彼女が率直に述べているのが、私が「放射能パニック症候群」と名づけたものです。

私は去年からこのブログで、いやになるほどそのような人たちを相手にせざるをえませんでした。あまりのひどさに、私の方が人間不信になりかけたほうどです。

彼女がこのような症状に陥ったのは、ネットで流される武田邦彦や、早川由紀夫、小出裕章、岩上安身、上杉隆、広瀬隆など各氏の言説によってでした。(*)

彼らが執拗に流布した「放射能の恐怖」は、強い感染力をもっており、「原発避難論」という本に描かれた自主避難者のほぼ全員がこの人たちの影響下にありました。

福島第1原発事故は、多大な被害を日本社会にもたらしましたが、その直接の被害そのものよりも放射能パニック症候群に罹った人々による流言蜚語や差別行動によって、更に傷を深めてしまいました。

彼らは被害者でありながら、同時に根拠のない風評や差別によって加害者に転化してしまったのです。

彼らは他者の声に耳を貸しません。偏った一定の情報ではなく、沢山の立場の違う情報を集めて考えるということを、この主婦が自身で言うように「御用学者とされた正確な情報を発信する人の話が間違っていたと思い込み、話を聞きませんでした」。

彼女はいわゆる「バカの壁」を自ら作り出してしまったわけですが、その恐怖心を核にする小さなコミュニティがネット上で沢山存在し、皮肉にもその中に閉じこもると絶対的安心感が湧くという心理状態になったようです。

そして、彼らにまって、自分たち以外はすべて放射能の恐怖を理解しない馬鹿な人たちであり、自分と見解をことにする人たちは「敵」と見なすようになります。

この人たちにとって、3.11以後の日本社会は、「邪悪な原子力ムラ」とそれに洗脳されている人たち、それに対して「正義の闘いを挑む脱原発派」に二分されてしまったのです。

そこには彼女が告白しているように、「反原発を唱えることで、特別な使命を持った選民意識を持てましたし、自己愛が満たされ」た心理的背景があったようです。

彼女の場合、中年期を迎えたことによる迷い、仕事や住宅環境、家庭内の出来事などの悩みが、反原発を唱えることで解消できるような錯覚に陥ったのです。

さてここで、ひとつの考え方が疑似宗教に転じてしまう三ツの要素が出揃いました。

それは、その考え方が、自分の不安心からの「救済」を約束し、その代償として絶対的「帰依」することを命じ、それに従わない周囲の人たちを「回心」させる、という三要素です。

この手記に書かれている「居心地のいい場所で、現実の世界にはない絶対的安心感を抱けました」という気持ちの安らぎは、まさに宗教が与える法悦感そのものでした。彼女自身もいう「カルト宗教への依存」と酷似した心理状況でした。

カルト宗教へ依存する人の多くがそうであるように、彼女もまた家庭内でのいさかいが絶えなくなり、いっそう彼女を苦しめました。

また、しょせん疑似宗教は本物の宗教のまがい物にすぎませんから、一時は「安らぎ」を与えるかも知れませんが、そこから新たに原子力kない社会をリアルに構想することは不可能です。

まして、この「正義の闘い」が原子力ムラにのみ向けられているのならばともかく、まったくなんの関係もない東北の被災地瓦礫にまで牙をむくに至っては、なにをかいわんやです。

私はひとり孤独で悩む放射能パニックの人々を気の毒だと思いますし、できるならその実情を聞き取りたいと思っています。しかし、弱者にまで攻撃をかける人たちはとうてい許すことができません。

このような書くこと自体がつらい手記を、実名で公表された白井由佳さんの勇気に敬意を表します。

では、放射能パニックからの生還の手記をお読みください。

■* これらの人たちを私は一様には見ていません。
武田氏は専門性を持たない悪質なデマコーグにすぎません。この原発事故で甘い汁をもっとも吸った強欲な男です。
早川氏は専門の火山学を応用して事故初期に政府より早く放射性雲の動きを国民に伝えた功績は高く評価しています。しかし、後のあまりに常識を欠いた発言は学者のものとは思えません。
また小出氏に対しては、その清貧な生き方と相まって、私は深い尊敬の念をもっていましたが、事故後は日本のC・バズビーと化してしまったような人になってしまったことを、非常に残念に思います。

■関連過去ログhttp://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-e738.html
          http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-943f.html
          http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-fda2.html
          http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/keiko-2.html 

■内部被曝がどうしても不安な方はこちらで検査を
http://www.radio-isotope.jp/
         

            ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

放射能パニックからの生還=ある主婦の体験から — 自らの差別意識に気づいたことが覚醒の契機に

                                           白井由佳

−−放射能パニックとしてどのような状況になったのですか。

震災直後からおかしくなりました。昨年9月から10月にかけて一番ひどかったです。原発の状態と放射能汚染の事ばかりを考え、情報収集に明け暮れ、ノイローゼでした。「このままでは放射能汚染で死んでしまう。その前に関東で地震が起きて死ぬ可能性もある」という思いに取りつかれ不安がぬぐえず、めまい、頭痛、だるさ、激しい動気に悩まされ、体調も最悪の状態でした。

生活もおかしくなっていました。食材は東北から離れた西日本や北海道、外国産のものだけを利用。原発事故前につくられた米を大量備蓄しました。私の家は母子家庭なのですが、子どもにマスク登校を強要し、教育委員会には給食やプールの安全性について問い合わせをしました。子どもは私に反発して毎日親子喧嘩を繰り返しました。それでも私は、「自分が正しい」と思い込み、子どもの気持ちを無視して、毎日おかしな情報を集めそれを自らも拡散していたのです。

−−医師や専門家などが発信する、正しい情報を集めなかったのでしょうか。

情報の入手先は、ネットが中心でした。ツィッターをメインにしてブログやUSTREAM。情報ソースは、暗く悲惨な情報を流していることで有名になっている人ばかり。匿名の人たちから大学の先生、研究者まで色々でした。今になるとおかしな人々を信じてしまったと思いますが、当時は正しいと思っていました。そして「御用学者」とされた正確な情報を発信する人の話が間違っていたと思い込み、話を聞きませんでした。また原発事故まで原発や放射能についての知識はほとんどなく、情報の真偽を確かめられませんでした。

放射能パニックに陥った人の集まりに出たことがあります。私のように思い込みが激しく、偏った情報を信じる人ばかりでした。私は他人との交際はある程度ありますが、その人々はネットばかりを使い、リアルでコミュニケーションを取ることが上手ではない人が多かったようです。頭の片隅で「この人たちはパニックになっているな」と思ったのですが、自分がおかしくなっていることには思いが至りませんでした。

福島県民の苦しみを知りパニックに気づく

−−恐怖がピークに達した際にどうしたのですか。

疎開先を探し、北海道の田舎に移り住もうとしました。引っ越しの準備を始めようとした矢先、私の狂乱ぶりを心配した現実での友人たちが何人も「やめなさい」と忠告をしてくれました。仕事に支障が来たすし、私が常軌を逸していたことを指摘してくれました。しかし同じ放射能パニックに陥っていたネット上だけの知人達からは「疎開決定おめでとう」コールが殺到しました。

生活や収入のことを考え、東京にとどまることにしました。当時住んでいた所は、池袋のそばで、家賃は高いのに住環境が悪く、まともに太陽を見ることもできない所でした。多摩に引っ越しましたが、緑がいっぱいで、空も良く見えます。家賃は安くなったのに、部屋の間取りが広くなり、清潔さも増しました。これで私の心は一息つくことができたのです。とはいえ放射能ノイローゼはそのまま。食生活に気を使いながら、相変わらず毎日、ネットで情報取集していました。

−−そこから、なぜ変わることができたのですか。

少しずつ変化をしました。疎開を止めたころから考え直したり、しっかりした人の本を読んだり、行動が少しずつ変わったのです。そして友人である福島出身の若い男性が「福島から来た」というだけで、ひどい差別とイジメを受けたことを聞きました。彼は私の前で泣きました。それを見て、私は大きな間違いを犯していたことに気が付いたのです。私は被災者のことは考えずに自己中心的な思いだけで「放射能」を捉えていたのだと理解したのです。

私のノイローゼが悪化したのは、自分の生活や、心の問題があったためです。落ち着き始めると、それに気づきました。東日本大震災から私の生活は悪化しました。私は自営業をやっていますが震災自粛ムードで、仕事が減りました。そして震災や原発事故のテレビ映像にばかり関心を向けて、何もできなくなってしまったのです。

すると、あらゆることにやる気を失いました。どうせあがいても、放射能で東北と関東は壊滅する、もう未来はないと思い込みました。絶望感でいっぱいでした。ところが同時に、当時は正直に言うと、うれしい気持ちもあったのです。「放射能と地震で、私の苦しみが解放される」という矛盾する気持ちも、わいてきたのです。

−−「苦しみからの解放」とはどのようなことでしょうか。

私は44歳です。数年前から幾つかの大きな壁に直面して、困惑していました。まず自分の年齢により、容姿とスタイルが明らかに劣化しています。「おばさん」として社会から扱われ、自分もそう見ている。この現実が受け入れられませんでした。

そして仕事の問題がありました。大きなことをして世間をアッと言わせたい。長年そんな願望がありました。けれども、何もできていません。他にも子育てや人間関係など悩みは一杯ありましたが、どれも解決の見通しは立っていませんでした。自信を喪失していました。「心に大きな穴」というか、絶望めいたものがあったのです。

そんなときに、放射能問題によって、すべてがリセットされて、一から人生をやり直すことができるのではないかという思いが起こったのです。破壊の中に救いを求める気持ちです。私が震災情報に夢中になったのは、それが刺激的で、これまでの人生の悩みを忘れる事ができるほどのものであったためです。

−−つまり「強烈な不安」が「心の穴」に蓋をして、生きる目的までつくってしまったのですね。

ええ、そうです。不安が強ければ強いほど現実の問題から目を背ける事ができました。「放射能で子どもが死ぬ」というのは強烈なメッセージで心底怯えました。しかも母親として子供を救う使命感もありました。「母親」という立場が、パニックに拍車をかけたと思います。

私は役割を得たとも思いました。思うような人生を歩むことができない事を、社会のシステムの責任にしていました。「原発」問題は社会に反撃を行うチャンス。原発というこれほど分かりやすい「悪」はありません。「反原発」を唱えることで、特別な使命を持った選民意識を持てましたし、自己愛が満たされました。自分のパニックの背景に、「自尊心の維持」があったと、今になって思います。

脱パニックは周囲の理解でゆっくりと

−−パニックから目覚めた後で、何が起こりましたか。

おかしさに気づく過程で自分の嫌な面に気づき、自己嫌悪に陥りました。またおかしな情報を拡散したことや、福島や被災地の差別に加担したことの罪悪感も抱きました。また自分の心の先行きにも心配しています。私は極端から極端に触れやすく精神のバランスの悪い人間です。以前は放射能ノイローゼに依存しましたが、今は「脱放射能」に傾きすぎているのではないかと不安を抱きます。放射能や生活のリスクを直視せずに「これでいいのか」という心配があります。パニックから抜け出ることも、かなり精神的に苦しいことでした。

−−放射能パニックに陥った方をどのように救うべきでしょうか。

放射能パニックはカルト宗教への依存と似たものがあったと感じています。パニックに陥った人々の世界には、不満や不安を抱いている自分を心地よく受け入れてくれる仲間がいます。同類同士が傷の舐め合うことができます。しかも現実の煩わしさの少ない、ネットでの情報のやり取りが多かったのです。さらに自分の頭で考えることを放棄できます。道を示してくれる崇拝者、つまり「恐怖情報ソース」がいるのでとても楽でした。居心地のいい場所で、現実の世界にはない絶対的安心感を抱けました。

しかし、それが何も問題を解決しないこと、さらに虚構の上に成り立っていることを、この中にいる人は知りませんし、認めたがりません。そこからの脱出の道筋は人それぞれであると思いますが、他の人が示す情報によって、少しずつ気づかせ、変えることしかできないのではないでしょうか。周囲の協力が必要であると思います。

私は「心の闇」を持ち、それが放射能パニックに陥った大きな原因であると思います。ただし、私のような人ばかりではないでしょう。情報を調べることが得意ではないとか、子どもへの心配が大きすぎて冷静ではいられないとか、人間関係も苦手で情報が手に入らないとか、多様な視点から問題を考えられない状況にいるだけの人もいると思います。そのような人は私よりも、気づかせることで簡単に状況から抜け出せると思います。

私はできるなら、こうした方々を救うお手伝いをしたいと思ってインタビューに応じました。パニックに陥った人を批判、攻撃するのではなく、温かく見守ってほしいと思います。

脱原発運動に参加することで、3.11までの内面の「心の穴に蓋をする」ことが得られたようです。

2012年6月 6日 (水)

TPP、最大の懸念は6月18・19日のG20

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本日は、一貫してTPPに対して反対の立場をとっている衆議院議員・ 山田としお氏のメールマガジンを転載いたします。

山田議員は、鹿野前農相からJA出身の郡司大臣への人事の裏側を分析しています。

TPP交渉の煮詰まりについても一読に値します。

         ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

山田としお メールマガジン No.263

TPP、最大の懸念は6月18・19日のG20

【農水大臣交代の裏にあるもの】

内閣改造がなされました。野党が一致して問責を決議した田中・前
田両大臣が交代するのは当然ですが、鹿野大臣は、スパイ問題が
出て退任を余儀なくされたのは意外でした。

スパイ問題は、中国大使館の書記官の行為は問題ですが、
鹿野大臣にまで及ぶことだったの
かどうか。中国にコメ等を輸出拡大したいとして、民主党の国会議員
の秘書を輸出協議会の代表に据えて、農水省の顧問にまでしてしま
い、その代表が、某健康食品会社とのかかわりがあり、その資金と、
書記官のよくある儲け話に乗っかり、中国へのコメ輸出ルート(これま
での輸出窓口とは異なる農業部系の国営企業である中農集団)を
使った食品展示場への出品と販売を考えた。

 そして、輸出品の検疫検査免除といううまい話をうのみにし、従来
から輸出業務を行ってきた商業部系の検疫検査は当然必要との利
益争奪ともからんだ暴露合戦に巻き込まれ頓挫してしまいました。
日中首脳会談時に野田総理をまだ完成していない問題の展示場を
視察させ、総理も巻き込んでしまった。農産物の輸出を何とか拡大し
たいとの意欲はともかく、内容は極めて詰めの甘いものでした。20
万トン輸出できるなどという話には、最初から疑問がありました。

 もっともこの話は、鹿野大臣が党の代表選挙に立候補し相当の票を
集めましたが、その代表選の時の事務所が輸出協議会の事務所と同
じだったり、その協議会の代表になった秘書を雇っていた議員も鹿野
グループだったり、代表選にはその健康食品会社からの応援もあっ
たのではないのかと言われたりして、これは単に輸出拡大の大義
だけではなかったのではないのかとの疑惑を呼んでしまいました。私
は、自民党時代からの長いおつきあいがあった鹿野大臣には好感を
持っていただけに、この事態は残念です。周囲が悪かったとしか言い
ようがありません。


【TPP交渉参加への重しがとれた野田総理】

 ところで、私が懸念するのは、この鹿野大臣の更迭で、TPP交渉参
加に向かう閣内での歯止めが失われたことです。鹿野大臣は一貫し
てTPPの内容に疑問を持ち、「今の段階は、情報を得るために協議
しているだけであり、その情報も国民的な議論も不十分だ」との姿勢
を維持していました。だから、4月30日の日米首脳会談直後にカトラー
USTR代表補が来日し、秘密裏に自動車問題に関する10項目につい
て関係方面と協議していることについて、情報が明らかにされていな
いと玄葉外務大臣に対して注文をつけていました。私の予算委員会
での質問に対しても、鹿野大臣は、今まだ情報を得て国民的な議論
を行っている段階であり、結論を得る状態ではなく、当然局面が変わ
る時は、関係閣僚会議は必要だと明言していました。

 ところが、野田総理とすれば、代表選の決選投票で、上着を脱い
で合図し、野田支持をグループ内の議員に意思表示し、野田総理誕
生の生みの親となった鹿野大臣を軽々に扱えないし、TPPでも鹿野
大臣は無視できない存在でした。とすると今回の更迭は、いいきっか
けだったはずです。こう考えると、今回の鹿野大臣追い落とし戦略
は、もしかして、TPPを何としても進めたい経済産業省や外務省等
のリークや謀略があったのかもしれません。

 野田総理は、18日にはメキシコにおけるG20サミットでオバマ大統領
に会うはずです。先週のTPP参加即時撤回を求める会での私の追求
に対して、外務省は、首脳会談はセットされておらず、ましてTPPが
議論になるとは言えない、としていました。しかし、首脳会談が無い
なんてことはないのであって、その場合、懸念されるのは次のことです。


【4月30日の首脳会談では自動車についてかなりの意見交換】

 一つは、4月30日の日米首脳会談では、オバマ大統領から自動車、
保険、牛肉について言及があったものの、野田総理からは、高い水
準の経済連携を進めると従来通りの方針を述べただけという報道に
なっていましたが、実は自動車について相当の主張がオバマ大統領
からなされていたようなのです。その点は、衆議院の社会保障と税
の一体改革特別委員会で、自民党の橘議員の質問に、野田総理は、
会談ではオバマ大統領から「いろいろなアイデアが出された」ことと、
帰国後に関係者による非公式な意見交換がなされていることを認め
ています。やはり突っ込んだ話があったのです。

 二つは、6月1日のTPP参加即時撤回を求める会での、役所サイド
の情報隠しに各議員から激しい憤りの発言が続き、結局、内閣官房
は、自動車についての米国側の関心事項を出すことを約束させら
れ、会議終了後、「透明性」「流通」「技術基準」「認証手続き」
「新/グリーン・テクノロジー」「税」の6項目が論議になっていること
を明らかにしました。当然、これらのことをもっと具体的に国内の
自動車業界等と協議しているのは確実です。日本車の米国向けの
輸出は150万台、北米での現地生産は350万台、一方、米国からの
輸入はわずか9000台というのはあまりにも少ない。米国は、日本に
は米国車を売らない規制があると批判しますが、米国は日本に米
国車を得る努力をしているのかと言いたい。

 この自動車の膨大な輸出の見合いで、日本は米国から膨大な飼料
穀物等農産物を輸入してバランスを取っているわけで、経団連等が、
もっと輸出したいのに、それが出来ないのは農業サイドが関税撤廃
を拒んで入れないようにしているからだというのは、いわれのない
攻撃です。もう十分入れているのであって、入れないようにしている
のは日本の国土での生産を維持しなければならないごくわずかの
品目だけなんだ、ということを経済界はきちんと理解すべきです。
制約された国土の条件を踏まえて、少なくともそれぞれの産業の多
様な発展のあり方を考えるべきだ、ということを言いたい。

 三つは、このままでは、オバマ大統領の申し入れに対して、野田
総理が、自動車で妥協をしかねないという懸念があります。例えば、
米韓FTAで韓国が押し込まれたように、米国の各自動車メーカーご
とに2万5000台分を米国の安全基準等に合格しておれば無条件で韓
国が受け入れるというような妥協です。ミニマムアクセス米ならぬ
ミニマムアクセスカーという妥協です。


【怖いのは、日本の判断なしでの米国の議会通知】

 四つは、これらのことで、オバマ大統領の要請に答えたというこ
とで、日本側が、TPP交渉に参加するとわざわざ言わなくても、米
国側が日本は入場料を払ってくれたと受け止め、ともかく議会に日
本との交渉の是非について伺うべく通知するという作業に入るとい
うことです。

 この通知がなされた後は、まさに議会関係者からの様々な注文を
3カ月にわたって聞くことになります。それら注文を聞いたうえで、
議会から、日本との交渉に入っていいとの了承を得ることになりま
す。その時期である9月は、オバマ大統領の選挙がまさに佳境に入
っている頃で、輸出の促進と雇用の確保が争点になっているでしょ
うから、わが国はさらなる攻撃と妥協が求められることになります。

 五つは、怖いのは、日本の閣僚会議での態度決定なしで米国の判
断によりなし崩しで交渉参加してしまうことです。これは米国側のペ
テンでも何でもなくて、要は、昨年11月の時点で、すでに日本は米国
に対して参加したいと表明し、米国はそれなら条件が必要ですよと
言い、それが自動車と保険と牛肉だったということです。

 保険は、日本郵政の社長が、米国の保険会社が危惧する「がん保
険には当分の間参入しない」と言明することで終わっており、牛肉は、
米国でBSEの4頭目の発生があったため、米国は強く要請できな
いとしながら、しかし、しかるべき時期に食品安全委員会の答申を
得られるものとの日米の暗黙の合意があるのでしょう。


【郡司大臣への期待】

 この図式は、余りにもうがちすぎかもしれません。
 また、社会保障と税の一体改革の扱いが焦点になっている時に、
野田総理にはTPPを判断する余裕がないはずだという見方もありま
すが、この混乱の中でこそ、外務省や経済産業省のシナリオがその
まま通ってしまう危険があることを私は恐れます。

 郡司農水大臣は、この渦中で就任されました。郡司さんなら、黙
って見のがしてくれるのでないかとタカをくくっている輩がいるという
ことです。郡司大臣、想像力をたくましくして、早く気付いて、この危
惧をなかったものにしてください。期待して、祈る気持ちです。

2012年6月 5日 (火)

中・大型魚は放射性物質の蓄積・濃縮まで1年弱かかる  事故後すぐに出ないからといって安心してはならない

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放射能汚染と一言で言っても、その場所、その時間で違います。私はとりえあえず4ツのカテゴリーに分けてみました。お断りしますが、あくまで私流です。

➊カテゴリー1[山林固着型]      ・・・山林の落ち葉層に蓄積されて固定化された
❷カデゴリー2[平地・畑・漸減]    ・・・平地の農地・水田などの耕耘で減少していく
❸カテゴリー3[平地・未耕起・固着] ・・・平地で耕さない畑や耕作放棄地で固定された
➍カデゴリー4[湖底・沿岸海底・漸増タイプ]・・・湖や沿岸の底に蓄積されて増加する

これは時間の経過でみると、原発事故当座はカテゴリー1、2、3、そして4の沿岸小魚で大きな検出値を出しました。しかし、農地は耕耘することにより、土の遮蔽する力を使って急速に線量は減少しました。

わが茨城県南部では、去年3月に100から多いところで500ベクレル/㎏あった線量が、数回の耕耘とゼオライトを投入した去年暮れの時点で、一気に10から50ベクレルていどにまで減少しました。

福島、茨城両県の農産物の急速な線量低下はそのためです。

一方、より汚染が深刻なのは山林、原野、沿岸、湖です。これらは耕耘することが出来ないために、今もなお去年並の線量を維持しており、湖底、沿岸海底などではいっそう増加する傾向にあります。

したがって、漁業は1年たって内水面(湖)、沿岸を問わず、いっそう深刻な事態になったといえます。ただ救いは、外洋漁業は汚染の拡散により影響は軽微でした。

現在の茨城県の魚介類の検出状況は、下図です。
茨城県漁政課・茨城県産水産物の放射性物質検査結果(平成24年5月30日公表分まで)
http://www.pref.ibaraki.jp/nourin/gyosei/gyoseika.htm

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これを見る限り、放射能汚染は去年のような食物連鎖下位の餌となる小魚のカタクチイワシ、シラスから、一年たってより上位で捕食魚のスズキ、アイナメ、チダイと、海底に棲む底魚のヒラメなどに移ったようです。

これはチェルノブイリ原発事故の後にも見られています。(下図参照 勝川俊雄「日本の魚は大丈夫か」による)

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上図は、1986年4月26日のチェルノブイリ事故以後のキエフの湖で経年でセシウム値を計ったもので、上段が餌となる小魚、下段が捕食魚です。

グラフ左から2番目の1986年の値を見ると、小魚は事故後すぐに1000bq直前まで跳ね上がったのに対して、より大型の捕食魚は30bqていどの低い検出値でした。

しかし事故後の87年になると様相は一変します。餌になる小魚が680bqていどにやや下がったのに対して、捕食魚は1600bqを超えた高い数値を記録します。(上段と下段の縦軸の目盛りが異なるのでご注意)

これで分るのは、餌となる小魚は事故直後に強い影響を受け、一方捕食魚の中・大型魚は蓄積・濃縮まで約1年かかることです。

もうひとつデータを見てみましょう。今日はグラフが多いのですいません。これは、チェルノブイリ事故後の日本海の魚類の汚染の経年変化のデータです。(同)Photo_2

当時の日本海の汚染度は低いのですが、それでも表層海層の汚染のピークは事故後わずか1か月でありるに対して、スズキは半年後、マダラは9か月後でした。もっとも数値的には魚類はいずれも0.3bqと低い値です。

このように、中・大型漁は蓄積まで半年から1年弱かかるのであり、事故後にすぐにこれらから検出されなかったと言って安心はできないということです。

今回もまた同様の推移を辿っています。次回はもうひとつ心配な海底付近に棲むカレイ、ヒラメなどの底魚をみます。

2012年6月 4日 (月)

3.11から1年3か月たった今、私がやろうとしていることについて

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りぼん様。そういう趣旨ですか。なるほど分かりました。3.11から1年3か月たち、私自身は「やるべきこと」にはまったく迷いがなくなっています。

去年のような、出口のないトンネルに入ったような気分もありません。私が今、自分が生きる地域でやるべきことは、リアルに放射能汚染と向き合うことです。

去年のような風評被害に対抗するために計測する緊急対応的なものではなく、霞ヶ浦流域でいかなる放射能汚染があり、それがどこでどのような推移をしていくのかを、5年、10年といった中長期的スパンで実測し、データバンク化することです。

農地だけではなく、湖沼、山林、海まで拡げて、3.11とはなんであったのか、いかなる汚染がもたらされて、それがどのように年を経るに従って変化したのかを記録します。

年を経るごとに、放射線量が下がる場合もあるでしょう、一定の線量のままかもしれません、あるいは増えていく場合すらあるでしょう。

それらを一切の先入観と思惑なしに記録しようと思います。それが3.11という歴史的事件にはからずも渦中で遭遇してしまった私のけじめのつけ方です

神奈川以西の人々や低線量被曝を脅威だとする人たちのことは、申し訳ないのですが、あまり気にしないようになりました。去年は、ゼロベクレル信奉者の言説にいちいち目くじらをたてていたものですが、今は気にならなくなりました。

別世界に住む人たちの騒ぎだと冷静に見るように努めています。というのは、ゼロベクレルを叫ぶ人とは、討論が成立しないのです。

勘違いしていただきたくないのですが、私は彼らの論争の作法を言っているのではなく、お互いに立証しえないことを言い合っていても仕方がないではないか、ということです。

簡単に説明しましょう。

100mSv以上の放射線量が発ガンリスクなどの被害をもたらすことは、いかなる立場であれ万人が認める定説です。

問題はこからです。では100mSv以下の低線量被曝についてはどうなのでしょうか。ここで主張が3ツに分かれます。(下図参照)

➊閾値なし直線型(LNT)モデル
❷ECRR(ヨーロッパ放射線リスク委員会)モデル
❸閾値ありモデル

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そもそもこのLNTモデルを公認したICRP(国際放射線防護委員会)自身が、100mSv以下の低線量域で必ず発ガンするとはひとことも言っていないにもかかわらず、あたかも一直線でゼロまで伸びるリスク直線を描いてしまったことが誤解の始まりでした。

だって、分からないのですから本来は点線くらいにしておくか、?マークでもつけておけばよかったのです。

しかし、ICRPというところは「政治的」に物事を考えるところで、リスクがあるかないか分からないのならば、とりあえず「あるかもしれないから注意してね」にしておこうと考えたようです。

そしてこのLNTモデルの低線量域を極端に危険視したのが、去年にわが国で猛威をふるったECRRモデルです。彼らは低線量域こそが100mSv以上より危険であるとさえ言っています。

放射能の被害をことさら大きく考えたい人たちは、このモデルに依拠していますが、学説としては認められていません。なぜなら、具体的な科学的データに乏しいからです。

そして三番目が、閾値はあるとする説です。この説は、100mSv以下は出るかでないかは確率論的な世界であって、発ガンリスクは複雑な因果関係の中に隠れてしまうと考えています。

この「閾値あるモデル」は、ガンの臨床医や放射線防護学者にアンケートするなら、多くはこれを支持するでしょう。

彼らはガンの実態を知っていますから、低線量被曝だけで発ガンを説明することが不可能であると考えています。

ただし、いずれの学説も決定打がありません。100mSv以下の低線量こそが発ガンリスクを高めるとするECRRモデルはいうまでもなく、閾値ありモデルすらもデータがないのですから、本来は科学論争になりようがありません。

仮に3年か4年後、福島県でECRRが言うような数十万人規模でガン患者が増えたのなら、彼らの説が正しいということになりますが、まずありえないでしょう。

現時点では、科学的なデータがないのですから、「分からない」と答えるのがもっとも誠実なのです。

だから、私は低線量被曝を恐怖するあまりにゼロベクレル信奉者になった人たちに、「論争しても無駄です。科学的データがないことを議論しても神学論争になります」、とだけ言うことにしています。

ゼロベクレル信奉者は、東日本全体が「チェルノブイリ以上に」汚染されていると考えており、農産物、海産物、一切合切に発ガンリスクがあると考えています。

現在の日本では昨年と違い、ありとあらゆる流通や行政、生産団体が、各種の農産物や環境のデータをネットで出しています。あえて私が出す必要もないほど大量に採取することができます。

しかし北九州市の瓦礫事件でも明らかなように、彼らは自分にとって都合の悪い情報は「信用できない」と切って捨てるのですから、いた仕方ありません。

ですから、いくら正しい情報があろうとなかろうと、悪質な煽動家である武田邦彦氏などは、「日本全国住めなくなる」とまで言う始末です。こうなると、もはや論評する値打ちもありません。カルトそのものです。

このように考える人たちになにを言っても無駄です。いかなるデータを出そうと、ゼロベクレルでなければだめだとするならば、基準値もなにもあったものではありません。

基準値すら認めないならば、議論が入り込む余地はありません。

たとえば私が、農産物は2bqでしたから安全ですと言っても、「もともとゼロだったのだから倍になった、いや無限倍に脅威が膨らんだ」と言い返された時には、正直仰天しました。

それ以降私は、彼らを説得することを放棄しました。これが私が3.11から続く放射能の長いシリーズにいったん終止符を打った理由です。

私は南半球の食品しか食べないという人には、「そうですか。それはあなたの選択の自由です。ただし、寂しい食卓となりますね」と言うことにしています。

モンスターペアレント的な人に育てられた子供は大変気の毒だと思いますが、私には個人の家庭事情にはなすすべがありません。

学校給食などで具体的にそのような人たちが現れたら、地域の食の問題として対応しますが、それ以上なにもなしようがありません。

瓦礫問題は、あまりに目に余る非人間的行為でしたので取り上げざるをえませんでした。

初めに戻りますが、私が今始めているのは地域での定点観測のようなことです。さきほど述べた放射能汚染の科学的データを採取・蓄積することです。

これはいわば議論のベースを作ることで、もし、ECRRのいうように低線量被曝こそが発ガンリスクを高めるというならば、わが地域は低線量被曝地そのものですから、2014年から15年にかけて子供を中心とするガンの有意な増加が見られるはずです

測定・分析にあたっては公正を期するために、精密機器をもちいて国立大学の研究者の助言をもらい大学施設で行います。

価値判断を抜いた実測と分析作業です。ですから、自分の価値判断しか信じないような方々とはお話しても無駄だと思います。

私は3.11から1年3か月たった今、冷静な落ち着きを取り戻そうとする大多数の人間と、いっそう凝り固まってファナティクになっていく少数の人たちに分かれていくのかもしれないと思っています。

この両者には養老先生の言う「バカの壁」が立ちはだかっており、混じり合うことはありません。

そして私が、大事に思っていることは観念的議論をすることではなく、客観的データの集積という実践なのです。

関連過去ログhttp://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-e738.html
          http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-943f.html

■写真 北浦湖岸の水神様の鳥居。3.11で倒壊してしまって、今はありません。手
前はハス田です。

2012年6月 3日 (日)

魚介類の放射能汚染は、食物連鎖に従っている

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大震災で東北と茨城の漁港のすべてが破壊されました。例外なくすべてです。今、震災瓦礫瓦礫を不条理にも拒否されている石巻もそのひとつです。

漁港が被災すると、私たち農業と較べて問題がいっそう複雑になります。
その理由は
➊政府の怠慢により復興予算が十分にとれない
❷老齢化が進んでおり、復興したとしても未来を描けない
❸加工場、冷凍・冷蔵庫の破損がひどく、せっかく水揚げしても魚に値段がつかない
➍震災後1年間で、非被災地域の漁港にシェアを奪われてしまって、震災前と同じ価格、品質では対抗できない

このように山積する問題で苦しんでいる石巻市の瓦礫処分を拒否する北九州市の運動は、人間の仕業とも思えません。

何度も書いてきていますが、宮城県、岩手県は被曝していません。(*一関を除く)

被曝したのは、福島県とわが茨城県が中心です。私たちは逃げも隠れもしないが、無関係な被災地いじめはやめなさい。あなた方は、過激派に踊らされて人間として恥ずべき行為をしていることに気がつかないのか。

おっと、またテーマからはずれてしまうところだった(苦笑)。

本題に戻します。昨日に続いて、海の放射能汚染を追跡することにします。漁業が農業より複雑なのは海中で食物連鎖が起きることです。

農業がそれを無視できるのに対して、漁業は食物連鎖のシステムの中で漁獲を挙げているだけに深刻な問題です。

海水中に放出された海底の放射性物質は、まずプランクトンと海草類に取り込まれ、食物連鎖の階段を登ってより高次の捕食者に移行していきます。

最初に北茨城港で放射性物質が検出されたのはコウナゴでした。これはシラスのような小さな魚ですから、代謝が早く、吸収するのも早い魚です。

このような小さな魚は、海の食物連鎖のもっとも底辺にいる魚ですから、ここが汚染されたということは、時間の問題でより大きな魚にも放射性物質が移行していく可能性がある、ということになります。

ここで問題になるのは、魚介類には農産物がそうであるように、独自の移行係数が存在することです。

下図にその魚介類の移行係数をみます。魚介類の場合は、農産物と違って「濃縮係数」という概念を使うようです。

これは海水に1bqの放射性物質があるとして、それを何倍に濃縮してしまうのかを調べたものです。(欄外資料参照)

魚介類の放射性セシウムの濃縮係数(単位・倍)

・緑藻類            ・・・16倍
・棘皮類・ウニ、ヒトデなど  ・・・11
・甲殻類・カニ、エビなど   ・・・9.7
・貝類・二枚貝        ・・・12
・頭足類・イカ、タコなど   ・・・8.9
・原索類・ホヤなど      ・・・3.0
・魚類             ・・・46

これを見ると、魚類の濃縮係数が高いことがわかります。セシウムは、藻類⇒棘皮類⇒甲殻類⇒貝⇒頭足類⇒原索類⇒魚類という食物連鎖の移行を通して濃縮しているからです。

また、生態系における濃縮係数には別なデータも存在しています。これを見ると、食物連鎖の階段を登るにしたがって、イカ、タコを除き体内濃縮が進むことが分かります。
(欄外資料2参照)

私としては正直に言ってややショッキングな数値で、掲載するのをためらったほどです。私たち農業の移行係数が、たとえば米0.026などと100分の1、1000分の1の単位なのに対して、魚類は実に100倍です。

大きな魚になるほど体内蓄積される時間がかかるので、短期的にこの濃度になるわけではありません。初めはあくまでも藻類、やタコ、イカから始まり、小魚に至り、小型魚類、中型、大型と濃縮していきます

すると、とうぜんのこととして、コウナコなどの小魚はすぐに検出が見られますが、中型魚に検出が見られるのはやや後ということになります。

その時差は、半年から数年の幅があります。これはチェルノブイリのデータが残されていますが、それについては次回とします。

■写真 霞ヶ浦の夕暮れ。実にロマンチックです。

            ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

■資料1 魚介類の放射性物質の濃縮係数(「勝川俊雄 「日本の魚は大丈夫か」による)

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■資料2 生態系におけるセシウムの濃縮係数(同 IAEAによる)

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2012年6月 2日 (土)

放射能の海洋汚染は「犬吠埼の壁」で食い止められた

005 

先日、霞ヶ浦湖畔の水田や湖岸を歩き回りました。いやなに、放射能測定でです。われながら野暮なことではあると苦笑します。

私は霞ヶ浦の環境保全運動に、微力ですが関わってきました。それが一変したのは、やはりあの悪夢のような3.11からです。

あそこから、すべてが変わってしまったような気さえします。放射能に較べれば、富栄養やブラックバスなど可愛いものです。

さて、今回の原発事故は、3月12日から16日の間に大量の放射性物質を放出しました。それはかなりの部分が東への風に乗り、海洋に拡散していったとされています。

またその後に4月1日から5月11日にかけて3回にわたり、計1万2千トンもの汚染水が放出されました。
(*関連過去ログ http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-9a31.html

これによって、陸地の汚染は減少した反面、海洋汚染を拡げました。欄外図は5月31日時点の海洋拡散シミュレーションです。(「勝川俊雄 「日本の魚は大丈夫か」より) 

これは海洋開発機構が、5月1日から31日までに、セシウム137がどのように拡散していったのかを、当時の潮流に乗せて予想したものです。これを見ると

●上段図・5月1日の時点では、事故後約1か月弱にもかかわらず拡散は福島沖に限定されていて、沿岸部にとどまっています。

●中央図・5月15日を見ると、福島県沖は減少し、茨城県沖、千葉県沖方向に向かっているのがわかります。

●下段図・5月31日には汚染水の南下は犬吠埼付近で止まり、東方向の概要へと更に拡散し希釈されて検出限界以下になっています。

当時の検出限界はたぶん30ベクレルていどでしょうが、汚染面積が拡がり、線量は低下しています。どうも「犬吠埼の壁」のような境界があるようです。

これは事故当初いったん福島沖に流れだした汚染水の流れが、北から来る寒流の親潮に乗って南下し、逆に三陸沖まで北上する暖流の黒潮に阻まれる形で南下をブロックされます。

そして汚染水はそれ以上南下できずに、犬吠埼手前で外洋方向に押し流されていきました。したがって、犬吠埼以南の海域では汚染は皆無ではないものの、非常リスクが少ないことになったのです。

この外洋型拡散は短期的であり、いいか悪いかは別にして、広域の海洋に薄く広く拡散されるために環境への影響は比較的少ないと考えられています。

もっとも、未だ外洋の放射能汚染の調査は不十分であり、今後どのようなことが起きるかは未知数ではあります。

一方、外洋に出ずに、沿岸に対流する汚染水は、ゆるやかな沿岸流に乗って、海岸沿いに進みました。

沿岸流は地形によって複雑で入り組んだ流れをしているために、決定的な情報が不足しています。しかし、水深が浅いために海底の泥に放射性物質が吸着されやすいために、長期間残留する可能性があります。(下図参照 同)

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1980年代に、長期間放射能を垂れ流し続けた英国・セラフィールド核燃料再処理施設沖の例では、投棄が終了した90年代以降もなお放射性物質が検出され続けています。

また、陸上の汚染が河川から流れ込む河口付近の海底では、放射性物質が長期に渡って残留する可能性があります。結論的には

外洋に流れ出した汚染水は、当座のリスクは少ないでしょう。そして千葉県犬吠埼以南もまた、比較的リスクは少ないと思われます。昨日の私のカテゴリーでは2の減少タイプになります。

●一方、外洋に出ずに沿岸流に取り込まれた汚染水は、沿岸に沿って南北にゆっくりと拡散し、海底の泥や砂に吸着されて残留します。この影響は中長期的に続くと考えられています。これはカテゴリー4の漸増タイプです。

では、この放射能汚染が、どのように海洋生物に影響するのかが次の問題になるのですが、それは長くなりましたので次回に見ることにします。

■写真 霞ヶ浦の夕焼け。放射能のことなど考えずに、この風景に包み込まれたいですね。

             ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

■ セシウム137の海洋拡散シミュレーション図
(「勝川俊雄 「日本の魚は大丈夫か」より)

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2012年6月 1日 (金)

地域の定点で中長期的な測定活動が始まりました    リアルに放射能と向き合おう

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ありもしない放射能の幻影に怯えて瓦礫搬入反対を叫ぶ人たちと違って私たち「被曝地」農業者は、この1年有余、日常的に放射能と向き合ってきました。

彼らと違って、「あるかもしれない」ではなく、私たちの場合は間違いなく「ある」からです。だから、いやでも向き合わざるをえなかったのです。

瓦礫反対を叫ぶ人たちで一体何人が、自分の生きる土地に責任をもって、どれだけ汚染されたのか、あるいはされていないのかを「見える化」したのでしょうか。

瓦礫が怖いと大騒動を起こしながら、彼らの中で自ら宮城や岩手に赴き、汗をかいて震災瓦礫を測定をした人が何人いますか。

その上に立って発言している反対論者は、私が知る限り一名もいません。被害者づらして、噂と想像にだけに頼って被災地の人々を平気で傷つけているだけです。

あげくはデモ隊に妊婦がいるにもかかわらず、警官隊と激突するような行為を働き、「妊婦を襲う警官隊」といったキャンペーンを張るのですから、正気を疑います。

彼らに言いたいことは、調査なくして発言なし。想像の放射能に怯えるのではなく、現実を直視しろ、ということです。。

おっといけない、今日は瓦礫反対運動がテーマじゃなかった(笑)。

さて、昨日私たちは茨城大学と共同して、霞ヶ浦流域の畑、水田、ハス田と自然植生帯の測定会を行いました。

これは5年間、10年間のスパンでひとつの定まった地点で、定期的に測定をし、放射能汚染がどのように変化していくのかを調べる調査活動です。

これにはいくつかの目的があります。

まず第1に、放射能とリアルに向き合うために正確な放射能汚染数値の推移をデータベース化することです。

そして第2に、そのデータの集積の上に立って放射性物質の移行が少ない農法や、除染の方法を確立することです。

よく誤解されるのですが、今年から始められた測定活動は、去年段階のように農家が「農産物は安全です」とアピールするためにやることではありません

農産物の測定も未だ継続されていますが、1年たった今、更に地域の各所に定点を設けて、それを中長期的に継続的測定をすることの必要性がでてきました。

チェルノブイリ以降、欧州の広範な地域が汚染されましたが、その影響は長く残りました。

畑や果樹園は、比較的早く除染作業の効果が現れて放射線量は着実に減少しますが、耕さない山林は現状維持、湖底、あるいは海底には放射性物質が蓄積され続けて、年を経てむしろ増大する可能性があります

南ドイツでの知見では、約5年間、放射性物質の検出は続き、山林では初期被曝時のままでの状態が続き、湖沼などではむしろ累積し蓄積するために放射線量は増大することが知られています。

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      (図表 茨城大学農学部フィールドサイエンス教育研究センター・小松崎将一准教授による)

現実の例を撮って放射性物質の推移のパターンをカテゴリー分けしてましょう。グラフは千葉県におけるミカン山と一般の畑、そして冬季に水を溜めて耕耘しない水田の三箇所を比較したものです。数値より分布パターンに注目してください

一番表土から5㎝まで、5~10㎝、10~15㎝、15~30㎝という各層で計測して、放射性物質がどのような拡散分布をするのかを調べています。赤がセシウム134、青が137です。(上図参照))

カテゴリー1[山林・固着タイプ] 左端のミカン山ですが、山のために地表を耕耘できません。すると、この場合、表土下5㎝までにセシウムの大部分が蓄積されて層を作っています。これが山林に共通する特徴です。

また放射線量も比較的高めですが、これは果樹の背が高いために、空中の放射性物質をトラップしてしまうからです。これと同じ現象は、竹林のタケノコでも発生しました。

カテコリー2[平地・畑・漸減タイプ] 中央のグラフにある平地の畑の例です。先の山林と違いトラップする樹木がないために放射線量自体が少ない上に、耕すことで各層に均一に希釈化されているのがわかります。

このように畑地は耕すたびに、粘土質や腐植物質、あるいは地虫や植物に吸着されて線量は減少の一途を辿ります。

カテゴリー3[平地・未耕起・固着タイプ] 右端の耕していない平地の水田ですが、未耕耘なためにミカン山と一緒で地表下5㎝にがっちりしたセシウム層ができてしまっていて、線量は低下しにくい構造になっています。

耕耘しないとこのセシウム層は壊れないのです。未耕起の平地の多くがこの状態だと推測されます。ただしこの場合は、平地のために放射線量は比較的少なめです。

ここにはありませんが、耕さない水田と違い耕した水田は2番目の畑と同様の均一化された放射線量分布になります。

カテゴリー4[湖底・沿岸海底・漸増タイプ] 湖底や海底はバックデータが不足していますが、徐々にセシウムが堆積されて増加すると予測されています。南ドイツの例では、5年目くらいまでは増加し、以後減少していきます。

このように、放射性物質は、その場所の条件によってでまったく違う挙動をするのであって、一律に空間線量を計測して、増えた減ったと言ってみても仕方がないのです。

測定器材は下のようなものを使用します。(同)Photo_2

左に見える筒がコア・ボーリングといって地下にポールをねじ込み、その中に溜まった土を採取して、105度で乾燥させて粉末化し、右のゲルマニウム半導体計測器でカウントします。

あたりまえですが、オモチャのようなガイガーカウンターとは精度がまるで違います。

扉写真で小松崎先生が後ろ向きで水田にねじ込んでいるのがこのコアというポールです。水田は楽ですが、畑や、耕耘していない土地は堅くて大変でした。ほんとうにご苦労さまでした。

このように、私たちは「放射能があること」と真正面から向き合ってきました。

「あるものをない」と言うのではなく、また逆に「ないものをある」というでもなく、リアルに放射能とつきあっています。

それが私たち農業者の作法だからです。

■写真 コアと格闘する小松崎先生。向こうにアイガモが見えます。

追記 アップ後に、セシウムの推移のカテゴリーわけを加筆しました。

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