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「名護西海岸の市長」になってしまった稲嶺氏には、一部返還を拒否できなかった

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「那覇市民」さん、コメント欄は狭いので、こちらで答えさせていただきます。そちらは梅雨が開けましたか。いよいよ本気の夏ですね。

沖縄は四季があるようなないような所ですが、梅雨が本土より早々と上がり、あの熱帯特有の豪快な入道雲が東シナ海に盛り上がると、夏が来たなぁと感じたものです。

那覇の農連市場からガーブ川沿いを、アンマーを冷やかしながら散歩したいもんです。

さて、おおよその沖縄認識で一致したとのこと、嬉しく思いました。本土の人は沖縄を知りません。笑えるくらいに知りません。

沖縄・「悲劇の島」というイメージで見るか、あるいはアムロちゃんが生れたクールな亜熱帯の島(亜熱帯にクールはヘンですね)と思うか、チュラさんの島か、私としてはそれもありかな・・・って感じです。ただ非常にワジワジとはします。

観光にとってイメージは大事な資源ですから置くとして、復帰40周年だというと本土のテレビの連中が取材するのが、国体で日の丸を焼いた読谷のあの人と、沖教祖の女性活動家では、この人たちはなにを沖縄に期待しているのかな、と思ってしまいます。

これでは本土の反戦イデオロギーの投影対象に過ぎないじゃないですか。反戦思想がいい悪いというのではなく、現実の沖縄現地に無関心で、鳩山さんよろしく自分たちの「想い」を押しつけています。沖縄にとってはいい迷惑です。

私は、このような勝手な本土の人間の思い込みがイヤなのです。自分の思想によって沖縄を切り取って一色に染め上げて悦に入っています。形を変えた「沖縄差別」じゃないかとたまに思うほどです。

あたりまえですが、生身の島の人間はもう少し複雑で、見た目ほど単純ではありません(失礼)。

そこで私は、「基地」というキイワードで沖縄を見てみようと考えて、このシリーズを書き始めました。

あなたは、キャンプ・ハンセンの一部返還問題についてこう書いています。

鍋を借りて帰った隣人が、フタだけ返しに来たって話でしょ。
そして、フタ相当分の賃料を値引けって理屈ですよね。
で、貸した方は、鍋もフタも揃えて持ってこいと言ってると。」

なるほど、キャンプ・ハンセンの返還予定地162ヘクタールは山林です。しかも使用するのが困難な土地です。

農業者っぽく言えば、耕作放棄すらされなかった耕作困難地域だというわけです。だから、こんな場所を返されても困る、というわけですね。

私が参考にしたのは、あなたの想像したような保守系のブログではなく(私は保守系ブログには関心がありませんので、あしからず)、芥川賞作家の目取真俊氏のブログ「海鳴りの底から」(11年10月23日))を読んだからです。

彼はこう書きます。少し長いですが引用します。

「米軍基地に反対しているのに、返還しようとすると今度は反対する。沖縄の反対派はおかしい。細切れに返還を利用してそのような声が出ることを防衛省・沖縄貿易局は狙っている。」

「特に国道や県道に沿った自治体にとって利用しやすい優良地は、地主、自治体にとっても第1に返還を望むところである。そういう場所は返還せずに、山の傾斜地や再利用しにくい場所を細切れに返還する。沖縄県民への嫌がらせに等しいやり方に反発が出るのは当然である。」

「それが基地建設と絡めておこなわれるとき、政府・沖縄防衛局の悪質さは更に増す。」

これが「那覇市民」さんのいう「鍋の蓋」・細切れ返還論ですね。「鍋」を返せと言っているのに鍋の蓋のポッチくらいしか返さないで、嫌がらせだろう」というわけです。

これにも一理あります。目取真さんが書くように「嫌がらせ」というのもわからないではありません。

ところで、私は意外に思われるかも知れませんが、稲嶺市長をかなり高く評価している部分があるのです。

彼が北部振興予算を蹴った時には心から拍手をしました。こりゃあ勇敢な人が現れたものだと感嘆したものです。私はヤンバルの奥地に住んでいたので、北部振興予算の重さが身に沁みてわかるからです。

北部のまだまだ遅れているインフラや生活環境の整備に、北部振興予算は威力を発揮してきました。恩恵に預かったひとりとして、これを拒否するという決断には凄味すら感じたものです。

稲嶺氏の出身は旧久志村(*)です。つまり、辺野古と同じ地域です。彼は東海岸で生きることの大変さを生活実感で分かっているはずです。そしてまた、地元の辺野古3地区が揃って移設容認なことは重々分かっているはずです

にもかかわらず、出身地に背を向けて東海岸の利害を潰したわけですから、いかなる地縁、血縁にも縛られない強い意思をもった人だと思いました。

同じ「反戦市長」と言っても、宜野湾の伊波前市長には薄っぺらなイデオロギー臭しか感じませんが、稲嶺氏には北部地域を背負った苦しみとその重みに好感をもったものです。

ですから私は、ハンセン返還予定地の4回目の延長はいかなる理由があろうとしないだろうと思っていました。それが、実にあっさりと延長要請となった時には、あれあれと脱力したものです。

先日の記事にも書きましたが、あの返還予定地からの地代1億3千万円は、市所有地ですからいったん市に入った後に、地元の東海岸の地域に2千~3千万円ずつ分配されます。

これは「分収金」といって、用途を制限されない金、いわゆる領収書がいらない金です。

だいたいが豊年祭りか、運動会、あるいは盆と正月のボーナスとして戸別配布します。都会の人間が聞いたらおいおいでしょうが、元来は入会地(*村の共有地)だったのでしょうから、地元は入会地からの恵みが転がり込んだ程度の意識なはずです。

私は稲嶺市長が、最後はこの地縁に足を取られたと思いました。筋からいえばこれもまた蹴るべきでした。細切れだろうと、未利用だろうと返してもらえばいいのです。「東海岸の市長」であることを拒否し、島と本土の革新勢力の応援を得て「反戦市長」となった以上、それしかないはずです

「那覇市民」さんが言うように「鍋全体」、つまり名護市の基地すべてが返還交渉の対象であると稲嶺氏が主張したことがあったでしょうか。

氏がキャンプ・ハンセン、辺野古弾薬庫、キャンプ・シュアブ、八重岳通信所などが返ってくると本気で考えていたら、あなたの言うことはそのとおりです。

もちろん、考えるまでもなくありえません。そんなことを夢想している首長がいたら行政官失格です。ましてや市の行政マン一本槍で教育長まで務めた稲嶺氏が、「鍋全体」の返還などあり得ぬことだと分かっているはずです。

私は稲嶺さんが移設反対を決断する時に、名護西海岸の利害代表者の立場に立ったと思いました。西海岸には基地の影響はまったくありません。仮に辺野古が移設されたとしても、基地の影響は「山の向こうで騒音がする」ていどのはずです。

にぎやかな繁華街を持つ平坦な西海岸は、北部振興予算すらなければ基地と無縁でいたかったと思います。北部振興予算の恩恵に預かっているからこそ、容認に傾いていました。

これを一瞬でひっくり返したのは本土政府の前原氏でした。彼は当時の民主党の党利党略に沿って、「北部振興予算は基地移設とバーターではない」と切り離し宣言をしました。

もちろんウソです。北部振興予算が基地移設と別なはずがない。しかしこれで名護市民、特に西海岸の有権者はグラッときました。

「そうか、関係ないなら基地はいやだ」、この本土政府の最後のひと突きの応援で稲嶺氏は島袋現職市長に辛勝したのです。

この名護市長選は西海岸と東海岸の溝を深めました。この溝は長きに渡って修復不可能でしょう

東海岸の貧しい地域は、繁栄する西海岸の「わがまま」を許しません。このような地域対立は、稲嶺氏以前にも隠然とあったものの、このような明瞭な形では現れてはいませんでした。

稲嶺市長は勇気ある政治家であると同時に、名護市分断の実行者となってしまったのです

だからこそ、市長はこの時期に東海岸の「基地という資産」を奪うことはできなかったのです

東海岸出身の西海岸市長となった稲嶺市長の背中にはかつて岸本市長に貼られたレッテルが貼られたかもしれません。それは「ユダ」という札です。

「那覇市民」様。名護は私の第2のふるさとです。だからこそ、複雑な想いで辺野古移設問題をながめざるを得ないのです。

普天間移設問題を反戦・反基地の視点で切ることはたやすいことです。しかし、いちどその地に足を踏み込めば、それが島の南北問題であり、更に北部の東西問題ですらあることに気がつくでしょう。

私は基地がこの地域対立に溝を拡げたことを憎みます。同時に、それを知ろうともせずにパンドラの箱を開けてしまった愚かな友愛の為政者も憎みます。

最後になりましたが、沖縄戦終結67周年の今日、戦没者の方々に黙祷を捧げます。

*久志村(くしそん) 現在の名護市東部。現在は久志地域(名護市久志支所管内)として名護市の一地域。1970年に名護町、屋部村、羽地村、屋我地村と合併して名護市。

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■写真 ギモクセイが満開です。すごく臭い、もとい言い香りです。蜂が沢山来ました。 

       ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

左翼系論説誌「週刊金曜日」の記事を載せます。典型的ともいえる内容です。

週刊金曜日 3月9日号

普天間飛行場の辺野古移設実現に固執する日本政府に対し、一貫して拒否の姿勢を貫いている名護市の稲嶺進市長は二月二七日、名護市主催の訪米報告会の場で、あらためて「辺野古基地建設反対」を訴えた。

 会場の市民会館大ホールには名護市民や県内各地から駆けつけた人々が、稲嶺市長および同行した玉城デニー衆院議員(民主)の報告に聞き入った。

 稲嶺市長らは二月六日~一〇日、米国ワシントンを訪問。国務省、国防総省、米国連邦議会(上・下院)議員や関係者(軍事委員会、歳出委員会、財務委員会、外務委員会)、シンクタンク等、計二〇人と会談し、講演会や記者会見などを行なった。

 稲嶺氏は「地元の市長が来たということで関心は高かった。(普天間移設問題は)日本国内の問題ではないか、という声もあったが、それに対しては、一六〇九年の薩摩侵攻以来の沖縄の歴史を話し、沖縄を犠牲にすることで繁栄を享受してきた日本による構造的差別が今もずっと続いている、と話した」「米国では『抑止力』とか『沖縄の地理的優位性』とかは問題になっておらず、財政問題が大きな比重を占めていることがわかった。抑止力論もパッケージ論も根拠を失っていることを実感した」などと報告。

 会場の県内大学生から「日本と米国の認識の違いはどこからくるのか」という質問が出ると、稲嶺氏は「日本には軍事専門家がいないと言われた。五年の間に首相が六~七人、防衛大臣が九~一〇人も替わるような国とはまともに話ができない、ということだ。日本は米国に対して情報提供していない。私たちは米国に対しても本土に対しても、正確な情報を提供していくことが必要だ」と回答。

 また「市民に約束した『海にも陸にも基地を造らせない』意思を貫き通してきたが、日米両政府は改めて辺野古へのV字案を確認。たくさんの大臣が『理解を得る』として沖縄入りしたが、名護まで来た人は一人もいない。嘉手納あたりに大きなバリアがあるらしい」と皮肉り、笑いを誘った。

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沖縄問題」カテゴリの記事

コメント

(1Q)
同じ「反戦市長」と言っても、宜野湾の伊波前市長には軽薄なイデオロギー臭しか感じませんが、稲嶺氏には北部地域を背負った苦しみとその重みに好感をもったものです。

(1A)
記事の冒頭からここまでの記載内容には、まったく同感です。

(2Q)
ですから私は、ハンセン返還予定地の4回目の延長はいかなる理由があろうとしないだろうと思っていました。それが、実にあっさりと延長要請となった時には、あれあれと脱力したものです。

先日の記事にも書きましたが、あの返還予定地からの地代1億3千万円は、市所有地ですからいったん市に入った後に、地元の東海岸の地域に2千~3千万円ずつ分配されます。

これは「分収金」といって、酔うとを制限されない金です。いわゆる領収書がいらない金です。

だいたいが豊年祭りか、運動会、あるいは盆と正月のボーナスとして戸別配布します。都会の人間が聞いたらおいおいでしょうが、元来は入会地(*村の共有地)だったのでしょうから、地元は入会地からの恵みが転がり込んだ程度の意識なはずです。

私は稲嶺市長が、最後はこの地縁に足を取られたと思いました。筋からいえばこれもまた蹴るべきでした。細切れだろうと、未利用だろうと返してもらえばいいのです。「東海岸の市長」であることを拒否し、島と本土の革新勢力の応援を得て「反戦市長」となった以上、それがしかないはずです。

(2A)
私は、稲嶺市長が一部返還を当然断る。更に言えば、防衛局の提案を無視すると考えていました。

市有地が元々入会地であったことを理由に、その地代を東海岸に分配するルールがあるのなら、それは悪しき慣習と言うしかありませんね。

それは、返還の諾否とは、本来関係の無い話でしょう。


(3Q)
「那覇市民」さんが言うように「鍋全体」、つまり名護市の基地すべてが返還交渉の対象であると稲嶺氏が主張したことがあったでしょうか。

氏がキャンプ・ハンセン、辺野古弾薬庫、キャンプ・シュアブ、八重岳通信所などが返ってくると本気で考えていたら、あなたの言うことはそのとおりです。

もちろん、考えるまでもなくありえません。そんなことを夢想している首長がいたら行政官失格です。ましてや市の行政マン一本槍で教育長まで務めた稲嶺氏が、「鍋全体」の返還などあり得ぬことだと分かっているはずです。

(3A)
その通り。
鍋が返還されることがあり得ないので、蓋のネジだけを返すことはできないのです。
それを承知の上で、蓋のネジを持ってくる防衛局は、稲嶺市長に対するいやがらせを意図してるということになりますね。

(4Q)
私は稲嶺さんが移設反対を決断する時に、名護西海岸の利害代表者の立場に立ったと思いました。西海岸には基地の影響はまったくありません。仮に辺野古が移設されたとしても、基地の影響は「山の向こうで騒音がする」ていどのはずです。

にぎやかな繁華街を持つ平坦な西海岸は、北部振興予算すらなければ基地と無縁でいたかったと思います。北部振興予算の恩恵に預かっているからこそ、容認に傾いていました。

これを一瞬でひっくり返したのは本土政府の前原氏でした。彼は当時の民主党の党利党略に沿って、「北部振興予算は基地移設とバーターではない」と切り離し宣言をしました。

もちろんウソです。北部振興予算が基地移設と別なはずがない。しかしこれで名護市民、特に西海岸の有権者はグラッときました。

「そうか、関係ないなら基地はいやだ」、この本土政府の最後のひと突きの応援で稲嶺氏は島袋現職市長に辛勝したのです。

この名護市長選は西海岸と東海岸の溝を深めました。この溝は長きに渡って修復不可能でしょう。

東海岸の貧しい地域は、繁栄する西海岸の「わがまま」を許しません。このような地域対立は、稲嶺氏以前にも隠然とあったものの、このような明瞭な形では現れてはいませんでした。

稲嶺市長は勇気ある政治家であると同時に、名護市分断の実行者となってしまったのです。

だからこそ、市長はこの時期に東海岸の「基地という資産」を奪うことはできなかったのです。

東海岸出身の西海岸市長となった稲嶺市長の背中はかつて岸本市長に貼られたレッテルが貼られたかもしれません。それは「ユダ」という札です。

(4Q)
これはつまり、稲嶺市長が一部返還に応じなかった理由ってことですか?
だとすれば、私の考えは(2A)に同じです。

(そもそも)
6月17日の記事に対する私のコメントは、単に、下記のロジックがおかしいと言ってるに過ぎません。

『もともと利用価値がないならば、経済的価値は限りなくゼロであり、収入はゼロであったのが、米軍が利用することで年間1億3千万の収益を生み出したわけです。利用価値ゼロの土地が、再びゼロに戻るだけにすぎません。』

賃貸マンションをの店子が、「ベランダの一部を使わないから、家賃を下げろ」と言って、大家が拒否したのです。

そこで店子が上記のロジックを百回唱えても、大家が納得するはずがないってことが、私の言い分です。

(追加)
管理人さんもご存知の通り、沖縄は、本土では想像できない矛盾を抱えたまま、自立への道を探らなければならない。
現在の名護の苦悩に、近い将来、沖縄全体が直面することになりそうです。その次は日本全体かもしれない。

山形さんのコメントに以下のような記載がありました。
『基地が沖縄にあること自体を否定される方々は、ただの無知とつまらないイデオロギーありきですよね。』

何と言われようが勝手ですが、沖縄の問題を論ずるのなら、その気持ちの奥に、沖縄に対する愛情が必要なのです。
それが無い、切って捨てるだけの議論からは何も生まれないと思いますね。

管理人さんの、「蓋のネジを受け取れ」とするロジックもまた、同様です。

投稿: 那覇市民 | 2012年6月23日 (土) 11時17分

山形さんへの質問には、山形さんから返答いただけるのですか?

投稿: 那覇市民 | 2012年6月23日 (土) 11時23分

まずはお詫び。
名前欄で「那覇市民さん。」と書き間違えました。

さて、那覇市民さん。
私から直接返答いただけるのかとのことですが、もちろん私が見ていて答えようと思えば可能です。

私にも言葉足らずな所が多かったので、一度丁寧に説明しようかと思いましたが、ここは大手掲示板などと違い個人様のブログですので書いてから投稿前に消去しました。あなたと争う気はありませんから。

いちいち「貴方は?」とおっしゃりますが、私には答える義務も無いことを押し付けられても困ります。
質問に質問で返す典型ですよ。
ケビン・メア発言のことなど、言い掛かりも甚だしい。貴方とほぼ同じ考えであることだと貴方が言ってることじゃないですか。それこそ重箱の隅をつついて逆に攻撃的になってるのは貴方です。
むしろ歩み寄れる点でしょう?

「そのままお返しします」なんて、光栄です!
私は以前、地勢学的に基地は沖縄以外にありえないと言って「ネトウヨ」呼ばわりされたことはありますが、「プロ市民」と言われたのは初めてです。

そのしつこさと粘着質には驚きとともに敬服致します。

答えになっていないと思われるかもしれませんが、ここは闘技場ではありませんし、ブログ主にも迷惑になりますから、この辺でやめます。ご容赦を。

投稿: 山形 | 2012年6月23日 (土) 12時10分

山形さん

最初に噛み付いてきたのは貴方じゃないですか。で、私の悪口言い放って終わりですか。

いいですね、お気楽で。

投稿: 那覇市民 | 2012年6月23日 (土) 12時29分

私たちは米国に対しても本土に対しても、正確な情報を提供していくことが必要だ」と回答>>>>

これは、強く感じます。大体、本土で生活していて、観光でさえ、北部のへのこ辺りまで、行くことは、日程的にも、難しいのです。ジュゴンが見たいなど、潜水観光ダイビングマニアさん達くらいでしょうね。

安いパック旅行も、チュラウミ水族館止まりで、北部地区まで行って、ダイビングや釣をする本土人は、少ないでしょうね。

那覇からのお勧め観光コースも、南部地域の沖縄戦関係の観光ルートや、グルメ系のものが、多いです。

つまり、相当な旅行費用と日程を持って、観光ガイドによる沖縄PRではない、現実の沖縄を、教えてくださる方には、なかなかめぐり合うチャンスがないのです。

最近の北朝鮮事情の報道より、少ない沖縄情報しか、持ち得ていない本土人に、基地問題は、日本国全体の問題なので、もっと同じ日本人として、本土人は、認識すべきだと、言っても、沖縄専門の大臣が居たって、正確な情報は、北朝鮮情報より少ないのが、現状だと思います。

もっと、お互いきちんとしたコミュニケーションと正しい情報の下で、どういう沖縄になっていくべきかの議論前の現状認識にいたる情報すら本土人は、持っていません。

観光客数から考えても、離島の石垣島や西表島より、本島北部への観光客は、少ないでしょうから、まあ、東京だけ見て、北海道から沖縄まで想像するのと、同じ状態に、近いと思います。

日本国の防衛抑止力に対する沖縄の立地条件は、対中国に対しても、非常に、重要な立地ですし、昔は、台湾は、中国本土とは、違う国際地域との認識でしたが、国連で、台湾の国家としての認知が、なされなくなった今、沖縄から、米軍が撤退したら、フィリピン同様に、政情が不安定になる可能性が、高いと思えます。

米国が、経済的事情なのか、解りませんが、2地域同時紛争対応型軍備から、1地域のみの体制にしてしまったので、安易に、米国駐留を拒否することは、本土どころか、沖縄も含め、大問題であるとは、思いますが。。

今の若い人の、米国人に対する考え方は、多分、戦争体験者時代とは、変わってきているのでしょうね。民間米国人と世界覇権を目指す米国国家とは、異質なものと、私は、思ってます。中華思想とどこか似ていると思います。

投稿: りぼん。 | 2012年6月23日 (土) 12時56分

那覇市民さん。

ですから、ここは闘技場でも大手掲示板でもありませんよ。

悪口?言い逃げ?
確かに私が最初に貴方に「プロ市民ですか?」と言ったのは礼を失してました。その点はお詫びしましたが、今まで激しくしつこく噛み付いて騒ぎたてたのは貴方のほうですよ。事実でしょう?

いま一度言います。私は貴方を悪人だなどとは思っていませんし、歩み寄れることがあると思います。
そして、ここは大手掲示板ではなく、農家さん個人のブログです。
今日のエントリーを読んでもわかりませんか…。

逃げるのか?
はい。残念ながらこの場ではバトルは基本的に許されておりません。
すでに強制退場レベルのやりとりなんですよ。
あなたはそれをご存知無いか、空気を読めない。

私の母方の祖父(近年死去)は、最後は沖縄で終戦を迎えて生き残りました。
当時多大な迷惑を掛けた兵隊です。
いつも明るく万能な山オヤジでしたが、戦時のことは一切語らずに逝きました。
ですから沖縄戦には並々ならぬ複雑な気持ちがあり、ついでに子供時代からの戦記オタクです。

那覇市民さんは、気に入らないことを言われると噛みつかれたとなるのですか?生活で苦労なさらないことを祈ります。今日は祈りの日ですし…。

それでは。

投稿: 山形 | 2012年6月23日 (土) 13時04分

那覇市民さん。

ですから、ここは闘技場でも大手掲示板でもありませんよ。

悪口?言い逃げ?
確かに私が最初に貴方に「プロ市民ですか?」と言ったのは礼を失してました。その点はお詫びしましたが、今まで激しくしつこく噛み付いて騒ぎたてたのは貴方のほうですよ。事実でしょう?

いま一度言います。私は貴方を悪人だなどとは思っていませんし、歩み寄れることがあると思います。
そして、ここは大手掲示板ではなく、農家さん個人のブログです。
今日のエントリーを読んでもわかりませんか…。

逃げるのか?
はい。残念ながらこの場ではバトルは基本的に許されておりません。
すでに強制退場レベルのやりとりなんですよ。
あなたはそれをご存知無いか、空気を読めない。

私の母方の祖父(近年死去)は、最後は沖縄で終戦を迎えて生き残りました。
当時多大な迷惑を掛けた兵隊です。
いつも明るく万能な山オヤジでしたが、戦時のことは一切語らずに逝きました。
ですから沖縄戦には並々ならぬ複雑な気持ちがあり、ついでに子供時代からの戦記オタクです。

那覇市民さんは、気に入らないことを言われると噛みつかれたとなるのですか?生活で苦労なさらないことを祈ります。今日は祈りの日ですし…。

それでは。

投稿: 山形 | 2012年6月23日 (土) 13時06分

山形さん

この記事は17日の記事の延長ですよ。22日の記事のコメントの続きなら、そこに書かないと。

他の読者が混乱されると思いますよ。

投稿: 那覇市民 | 2012年6月23日 (土) 13時19分

那覇市民さん。

今度は振り回して過去ログにコメントですか。なかなかしたたかですね。
6月17日の記事の延長?いやシリーズではあるものの、それを決めるのは少なくとも貴方ではなくブログ主です。(そんなことも解らないのですか…)

オスプレイの事故率と他のヘリコプターとの事故率比較や、普天間から辺野古に移設した場合の飛行ルートなど、私に噛みつく前にそれくらい自分で調べなさいよ(苦笑)

部分的にでも分かり合えると思っていましたが、
もう、相手にできませんわ。
私にも自分の生活と生活習慣がありますからね。

投稿: 山形 | 2012年6月23日 (土) 14時06分

那覇市民さん。

>お気楽でいいですね。
全く意味不明。


また、日付云々で混乱させてるのは貴方であり、貴方の撹乱にすぎませんね。
言葉は丁寧ながら、まるで大手掲示板のバカみたいな振る舞いですね。

お相手しかねます。

投稿: 山形 | 2012年6月23日 (土) 14時12分

山形さん

17日の記事に、管理人さんから、コメントする代わりに23日に記事にするとコメントがありました。

今日の記事の冒頭でも、管理人さんが、再度、念押しされてますよ。

投稿: 那覇市民 | 2012年6月23日 (土) 14時15分

もう…
那覇市民さん。

コメント欄での補足と予告ですね。
それを人に言うのだったら、ここまでの貴方のコメントこそ無駄の極みでしょう。さんざん混ぜ返しておいて、とんでもない矛盾ですね。

そして、今日のエントリーは、大変丁寧に貴方に答えた内容だと思いますが、貴方は私への個人攻撃一辺倒ですね。
だから、相手してらんねーっての。
また「逃げるのか」とか言われても、こちらの事情もありますし。

勝手に勝利宣言なさるならご勝手にどうぞ、としか言えません。

投稿: 山形 | 2012年6月23日 (土) 14時40分

もうお互いにお止めなさい。

投稿: 管理人 | 2012年6月23日 (土) 14時58分

管理人さん

山形さんの了解が得られるのなら、記事に無関係なコメントを消されたらいかがですか。私に異存はありません。

投稿: 那覇市民 | 2012年6月23日 (土) 15時04分

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