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2012年7月 8日 (日)

国会事故調報告書その2 緊急対応の遅れは、事業者と政府の責任の所在と境界が明確ではなかったことにあった

012

国会事故調は、福島第1原発事故の緊急対応についてこう述べています。
(以下引用は国会事故調報告書による)

http://naiic.go.jp/pdf/naiic_digest.pdf

       いったん事故が発災した後の緊急時対応について、官
       邸、規制当局、東電経営陣には、その準備も心構えもなく、
      その結果、被害拡大を防ぐことはできなかった。

このような緊急対応の初動からの崩壊は、もはや必然の結果というべきでしょう。

なぜなら、事業者である東電と規制当局であるはずの保安院には、持ちつ持たれつの隠微な癒着構造があり、地震や津波によって重大事故が起きる可能性を熟知しながらも、その対策を先送りし続けてきたのです。

国会事故調はこれを「東電の組織的な問題であると認識する」と結論づけています。すなわち、まがうことなき国民への背信行為です。

しかし幸運にも、多重防護が一気に破られて全電源喪失する中で現場を死守した作業員たちの奮闘といくつかの偶然の賜物により、2-3号機は重大事態になることが避けられました。

これを事故調はこう記しています。

      多重防護が一気に破られ、同時に 4 基の原子炉の電
     源が喪失するという中で、2 号機の原子炉隔離時冷却系
     (RCIC)が長時間稼働したこと、2 号機のブローアウト
     パネルが脱落したこと、協力会社の決死のがれき処理が
     思った以上に進んだことなど、偶然というべき状況がなけ
     れば、2、3 号機はさらに厳しい状況に陥ったとも考えら
     れる。シビアアクシデント対策がない状態で、直流電源も
     含めた全電源喪失状況を作り出してしまったことで、既に
     その後の結果は避けられなかったと判断した。

各々の責任部署について、東電はいうに及ばず、保安院、官邸まで混乱の極にあり、そのなすべきことすら満足にできなかったことも記されています。

    官邸、規制当局、東電経営陣には、その準備も心構えもなく、
    その結果、被害拡大を防ぐことはできなかった。保安院は、
    原子力災害対策本部の事務局としての役割を果たすこと
    が期待されたが、過去の事故の規模を超える災害への備
    えはなく、本来の機能を果たすことはできなかった。

保安院は、政府側の事故対応事務局として、東電・事業者側と、官邸・政府中枢を結ぶ連絡センターでありながらその機能を早々と喪失していました。

そのために東電から伝達される情報に滞りや歪みがあり、それが官邸側に「東電信じるに足りず」という誤解を招いてしまいました

そのために官邸は即時に出すべきであった緊急事態宣言を出さず、以後、菅首相の異常な行動にふりまわされていくとになります。

      官邸は東電の本店及び現場に直接的な指示
      を出し、そのことによって現場の指揮命令系統
      が混乱した。さらに、15 日に東電本店内に設置
      された統合対策本部も法的な根拠はなかった。

事故対応の最初の切り札であったドライベントの遅れに付いて、報告書はこう書きます。

     1 号機のベントの必要性については、官邸、規制当局
     あるいは東電とも一致していたが、官邸はベントがいつ
     までも実施されないことから東電に疑念、不信を持った。
     東電は平時の連絡先である保安院にはベントの作業中
     である旨を伝えていたが、それが経産省のトップ、そして
     官邸に伝えられていたという事実は認められない。

ドライベントの実施は、東電から官邸に伝達されていたにもかかわらず、(*一説、東電側が放射性物質が避難民の頭上に降りかかることを恐れたためだという説もあります)、実施が遅れました。

このベント実施の遅れが菅首相の東電直接乗り込み事件と、その後の官邸の事故現場への直接介入という異常事態を招来しました。

    保安院の機能不全、東電本店の情報不足は結果として官
    邸と東電の間の不信を募らせ、その後、総理が発電所の
    現場に直接乗り込み指示を行う事態になった。その後も続
    いた官邸による発電所の現場への直接的な介入は、現場
    対応の重要な時間を無駄にするというだけでなく、指揮命令
    系統の混乱を拡大する結果となった。

言うまでもないことですが、このような緊急対応において、専門分野に無知な政府トップは、事故対応の政治的責任だけを取る立場にあり、事故現場の直接指揮などは厳に戒められるべきです。

ところが、専門的知見も訓練も受けていない政治家が危機管理現場の指揮権をいったん奪ってしまえば、一介の素人が原発事故現場の指揮を執るという、考えるだに恐ろしい事態が引き起こされます。これが現実になりました。

この事故において混乱の象徴とされる菅首相の東電本社乗り込み事件について、国会事故調はいくつかの証拠を挙げて全面否定しました。

菅首相は退任後も、この東電乗り込みを最大の自分の成果としていまだに触れ回っていますが、今後はやめていただきたいものです。

     ①発電所の現場は全面退避を一切考えていなかったこと、
     ②東電本店においても退避基準の検討は進められていた
     が、全面退避が決定された形跡はなく、清水水社長が官
     邸に呼ばれる前に確定した退避計画も緊急対応メンバー
     を残して退避するといった内容であったこと、
     ③当時、清水社長から連絡を受けた保安院長は全面退避
     の相談とは受け止めなかったこと、
     ④テレビ会議システムでつながっていたオフサイトセンター
     においても全面退避が議論されているという認識がなかっ
     たこと等から判断して、総理によって東電の全員撤退が阻
     止されたと理解することはできない。

この本店乗り込み事件によって引き起こされた事態は、東電本店の屈伏です。東電本店は官邸の下僕と化してしまい、その時点で東電本店がなすべき最重要事項であるはずの現場への技術的支援をおざなりにしました。

もはや東電本店には事故処理の当事者としての責任意識すら消え失せ、「官邸の意向を現場に伝えるだけの役割状態」に堕っしてしまったのです。 

    東電本店は、的確な情報を官邸に伝えるとともに、発
    電所の現場の技術的支援という重要な役割を果たす
    べきであったが、官邸の顔色をうかがいながら、むし
    ろ官邸の意向を現場に伝える役割だけの状態に陥っ
    た。

最後に事故調は事故対応についてこう結論づけます。

    当委員会は、事故の進展を止められなかった、あるいは
    被害を最小化できなかった最大の原因は「官邸及び規制
    当局を含めた危機管理体制が機能しなかったこと」、そして
   「緊急時対応において事業者の責任、政府の責任の境界が
    曖昧であったこと
」にあると結論付けた。

    重要なのは時の総理の個人の能力、判断に依存するの
    ではなく、国民の安全を守ることのできる危機管理の仕
    組みを構築することである。

原子力行政の構造的欠陥と体質により引き起こされたこの重大事故は、危機管理体制の混乱を招きながら、一気に首都圏壊滅という「最悪シナリオ」コースに入っていったのでした。

■写真。北浦の朝。北浦には渡り鳥が沢山きます。早朝のこの時間の湖を支配するのは、静寂ではなくにぎやかな鳥たちの囀りと、水を切り羽ばたく彼らの生きる音です。
北浦にはバードウォッチングするポストもあり、近距離から静かに観察したり、撮影する事ができます。親しい人と共に静かに湖の朝を楽しまれるのもいいでしょう。

           ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

■「明らかに人災」国会事故調 菅元首相による混乱も指摘
産経新聞 2012.7.5 17:02

東京電力福島第1原発事故を受け、国会が設置した事故調査委員会(黒川清委員長)は5日、「事故は自然災害ではなく明らかに人災だった。政府、規制当局、東電は人々の命と社会を守るという責任感が欠如していた」と厳しく批判する報告書をまとめた。事故当時、菅直人首相らが現場に直接指示を出したことも「現場対応の重要な時間を無駄にしただけでなく、指揮命令系統の混乱を拡大させた」と断罪した。 報告書は約640ページ。事故調は5日の会合で最終的に取りまとめ、衆参両院議長に提出した。

 報告書では、東電の清水正孝社長(当時)が第1原発からの全面撤退を申し出て菅氏が阻止したとされる問題に関しては「東電で全面撤退が議論された形跡はない。菅氏が阻止したと理解することはできない」と結論づけた。その上で「重要なのは首相の能力、判断に依存するのではなく、国民の安全を守ることのできる危機管理の仕組みの構築である」とした。

 東電側の対応についても「官邸の顔色をうかがい、官邸の意向を現場に伝えるだけの状態に陥った」と批判。「緊急時対応での事業者の責任、政府の責任の境界が曖昧だった」とした。

一方、事故の背景として「第1原発は地震にも津波にも耐えられる保証がない脆弱(ぜいじゃく)な状態だったと推定される」と指摘。「東電や原子力安全委員会などは地震や津波による被災の可能性、シビアアクシデントへの対策、住民の安全保護など当然の備えをしていなかった」と批判した。

 根源的な原因として「規制する立場と規制される立場が逆転し、原子力安全についての監視機能の崩壊が起きた」と認定。「規制当局の防災対策への怠慢と、官邸の危機管理意識の低さが、住民避難の混乱の根底にある」と結論付けた。

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コメント

http://www.nisa.meti.go.jp/genshiryoku/doukou/taishin_backcheck.html

保安院自身も、地下活断層の有無にかかわらず、耐震性に問題がある炉があると認めているのに、なぜ、一律に、第2次ストレステストもやらないうちに、再稼動できるのか?
科学的な見解を、未だ、保安院が出さないことに、怒りを覚えます。

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