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2012年7月 4日 (水)

アジサイ

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アジサイが村のそこここで満開だ。アジサイの花言葉は気の毒だ。
移り気、変節だそうである。

アジサイは、その時期と土質によって色を変える。淡く清楚なブルーから、ためらったような紅色、そして落ち着いたいわゆるアジサイ色にまで姿を変える。

アジサイには責任がない。アジサイはただ生きて、その命をまっとうさせているたけだ。

彼女を変えたのは土であり、季節だ。彼女はほんとうは変わっていないのだと思う。

淡い青であろうとも、紅色であろうとも、そして落ち着いたアジサイ色であろうとも、アジサイはアジサイなのだ。

そう言えば、アジサイにはもうひとつの花言葉があったことを思い出した。
「辛抱強い愛情」。

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コメント

紫陽花。こちらも満開です。
強くて美しく長持ち、干からびる真夏でも花が残るしぶとさ。
葉っぱは弱毒性。

なんだかちょっと複雑ですが、「生命力」の塊のような花です。私も大好きです。


子供の頃に婆ちゃんが庭の紫陽花を「もっと綺麗な青にできないかなあ」と…。
たまたま「リトマス試験紙の逆で、酸性土壌で青くなる」とのニワカ知識で台所から酢を持ち出して撒いてみたら…見事に失敗でした(笑)。
周りの野草は枯れてしまいましたが(怒られたー!)、紫陽花は今も全く変わらず元気です。

とは言いながら、ボーボーに蔓延るわけでもなく、なんだか人生観のような話が詰め込まれた不思議な花です。

紫陽花と言えば、「鎌倉」の紫陽花寺を思い出します。
山一面紫陽花だらけ・・・見事でした。
ただ私も含めて観光客が多く、根が傷まないかな??
と、ついつい考えてしまいます。職業病かな(笑)

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