正直申し上げて、あまり気が進みませんが、「元茨城人」さんにお答えしておきます。
今回、丁寧な語り口に好感を持ちました。いままでよくここまで面識のない人を蔑むことができるのだと呆れ返った人が多かったもので、こちらもつい構えてしまいます。
さて、あなたの趣旨はこのようなことでしょうか。とりあえず三つのパーツに切り分けてみました。
①「原発事故以来の一連の騒動にについて鑑みるに、生産者の方々が、茨城県産の商品の購入を求めるのであれば、もう少し消費者に寄り添った認識に基づく言動が必要なのではないかと思い、再三主張しております。」
②「茨城福島の農業生産者が、自ら販売する商品の安全性を担保して、つまり、うちの商品を買って将来健康被害を受けた場合にはその責任を負います、と公言するならば私も茨城福島の商品を買いますし、家族にもそれらを食べさせられます。」
③「しかしながら、「生産者責任」は食品だけでなく、現代の商取引においては当然の責務だと認識しているのですが、どういうわけか、農畜漁行従事者においては、あたかも免責を受られるような風潮が見受けられるような気がします。」
まずは「消費者に寄り添った認識」についてですが、私は30年の間、産直提携をしてきました。
市場に出荷してお終いではなく、ひとりひとりの消費者と膝を交えて話をする中で「畑と顔が見える関係」を作ってきた自信があります。
ところが、3.11で「畑と顔が見える関係」が二つに別れました。私にとって初めての経験でした。
ある消費者グループのリーダーは、茨城が「被曝」したことにたじろぎ、交流会にECRR(*)の関係者を呼ぶようなまねをしました。たちまち不安心理は他の会員にも拡がっていき、消費は激減しました。
別の消費者グループは、食べることで支えようと話合い、多額のカンパまで頂戴しました。生産者の苦難に対しては消費者と一緒になって闘おうという気持ちは涙が出るほどありがたいことでした。
このように同じ産直運動をしてきたふたつの消費者グループが真逆な行動をとったわけです。どちらに対して私たちはあなたが言う「消費者に寄り添った認識」を持つべき対象なのでしょうか?
たぶん両方ともそうです。3.11という今まで日本人が経験したことのない苦難に際して、一方は我が身と家族を守るために闘い、一方は我が身と家族を守るために更に苦難をなめている人たちと手を繋ごうとした、その差があるだけです。
こう書くと、倫理的に後者が正しいと思われがちですが、私は前者もまたあるであろうひとつの対応だと思っています。
ただし、前者の視野の狭さは覆い難くあります。消費者主権主義とでも言ったらいいのでしょうか、あるいは平たく「消費者は神様」意識とでも呼んだらいいのでしょうか。
食べものを買う消費者は「知る権利」があるが故に、一切の情報を開示されてなければならず、「将来健康被害を受けた場合にはその責任を負います」という農産物にもいわば工業製品と同じ「製造物責任」(PL)があるとする考えかたです。
もちろんPLに似た概念のJAS有機認証は存在します。私たちグループはそれを取得ていますが、認証項目にひとつでも違反が発覚すれば、認証取り消しという社会的制裁が待っています。
ただし、こんなものは単なる紙切れでしかありません。第一、JAS有機には放射能の一項は存在しません。
仮にあったとしても、3.11当時私たち農業者が「一切の情報」を提供できる立場にあったのでしょうか。
私たち生産者のみならず、事故調が指摘するように国が情報隠匿に走り、地方行政は尻込みするばかりだったからです。
このような状況の中で正確な放射性物質の拡散状況を知ることすらできませんでした。だから、私たちは自力で文字通り地を這うようにして農地や湖を測定して回ったのです。
そしてとうぜんのこととして農産物の日常的測定もしていきました。そして1年5か月たった今は、それを中長期的定点観測体制に切り換えようとしています。
さて、「元茨城人」さんは3.11の状況に対してPL的製造物責任の発想がないと私たち農業者を批判しておられます。
ないものねだりだと私は思います。そもそも、農産物とは自然条件によって大きく左右されるために、そのような工業製品的尺度を適用するのは困難だと言うことが前提としてあります。
今回の3.11の状況は、この「自然条件」そのものが降ってきた放射能という存在でした。しかも東電をして法的には「無主」であり、環境庁をして「汚染物質ではない」(!)と言わしめる物質でした。
このような国家の不作為の中で、どうして私たち農民だけが突出してあなたが言うようにPLを引き受け、「うちの商品を買って将来健康被害を受けた場合にはその責任を負いますと公言」できるのでしょうか。
そのように「公言」することが、放射能との闘いの中でなんならかの前進ならばやぶさかではありませんが、買ってららうためだけならば意味があるようには思えません。
意味があるとすれば、国や東電が放射能汚染すべてに対して包括的に責任を負い、清浄な土地に戻すことを約束させる取り組みの中でならあるでしょう。
このような「被曝地」全体に対するトータルな浄化を含む支援なきところで、私たち生産者のみがPLの責任を負うことは、加害者と被害者を混同し、全面的に被害者である農業者の背に無用な重荷を乗せるものでしかありません。
私たちにできるのは空疎に「安全宣言」を出すことではなく、自らの責任で計測した測定数値を記録し、保管し、開示を誠実に準備することだけです。あるいは遅ればせで出揃いつつある行政各機関の測定値を知らせることです。
それでもなお、もし私たちの農産物が安全か危険なのかと問われるのならば、私たちは自らの測定値を示し、「国の100BQよりはるかに下回っている数値であり、国はこの食品摂取基準に対して責任を持ち、私たち生産者はそれを遵守する関係にあります」とまでしか言えません。
また、元茨城人さんの「免責」という文脈で言うならば、国が定めた食品基準値以下で正当な流通をしている食品に関しては「免責」されるべきだと考えます。もしされないのであれば、国が食品基準値を作った意味がそもそもありません。
欄外に食品由来の放射線量のもっともリアルな食卓の数値である日本生協連の測定データを出しておきます。
最後に沖縄に茨城の農産物がないということでしたが、残念ですが私がとやかく言えることではありませんし、逆にあなたの主張を裏付ける証拠というわけでもないと思います。
ただ、沖縄に大量移住している放射能避難者の皆さんがどのような情報発信をして、それがどのように沖縄社会の中で広まっているかは少々心配ではあります。
「元茨城人」さん、これでお答えになったでしょうか。茨城は爽快なまでに暑いですよ。お盆に帰ってきませんか?
■関連記事 http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-fb6f.html
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*ECRR ・・・ヨーロッパ放射線リスク委員会・ヨーロッパの急進的脱原発団体。3.11に際してクリス・バズビー氏が来日し、各地で「福島で40万人がガンになる」と講演して回った。
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