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2012年11月 1日 (木)

「ドイツ人の不安」はヨーロッパの中でどのように見られているのか

Dsc_2007
よく「脱原発は世界の流れ」と安易に言う人がいますが、私はそのような台詞を聞くたびに内心違うだろうと思っています。 

去年、ドイツが脱原発政策に転換するまでに、ヨーロッパでは三つの脱原発のケースがありました。共に1980年に始まったスウェーデンとスイス、そして2002年のドイツ第1次脱原発政策です。 

これはヨーロッパ脱原発第1波とでもいうべき波で、チェルノブイリ以前のスリーマイル事故をきっかけとして生まれています。 

前二者の「脱原発」政策は、厳密には「原発フェードアウト政策」とでも言うべきもので、新規の原発の建設を中止し、稼働年限が来た原発は廃炉にしていこうとするものです。

まぁ、日本流に言えば「減原発」、あるいは「原発随時停止」といったところです。ですから、実際には稼働中の原発の運転は停止していませんあくまで寿命がきた原発のみを止めるということです。 

これならばわが国でも大いに可能でしょう。わが国でも私の計算で16基が30年から40年稼働しており、とうに減価償却しているはずです。

これと福島第1原発と同型の欠陥機マークⅠ型11基と合わせて26基は即時停止すべきです。ただし、廃炉処分問題は残り続けますが。(欄外資料1参照) 

このような二国の「減原発」政策は現実主義的な政策で、むしろこれを脱原発の範疇に入れていいのかという疑問が残るほどです。

しかし両国とも、いきなりすべての原発を止めるとどのような経済的社会的影響が出るのかシミュレーションし尽くしてからモラトリアム期間に入っています。 

そして随時停止までの期間も10年と長くとって、その凍結期間(モラトリアム)に代替方法を論議しようとしました。 

そしてその10年の期間が過ぎてどうなったでしょうか。

スウェーデンでは2006年に原発モラトリアムを撤回して、脱「脱原発」に戻りました。スイスでは1999年にモラトリアムが失効し、2005年には新規の原発建設が始まっています 

私がちょと意外に思ったのはスウェーデンですね。ヨーロッパ最大級の水力発電能力を持っている電力純輸出国じ、しかもヨーロッパには国際的系統送電網という安全ベルトまてあるわけですから、いかに脱原発が難しい選択だったのか分かります。 

ですから、福島事故まではヨーロッパは「脱原発」の流れがいったん止まって、原発が徐々に勢いを増す流れだったとみてよいでしょう。大西洋を超えて米国もオバマ政権が明確に原発の復活を宣言しました。

これは地球温暖化対策のエネルギーの決め手が原子力だと考えられていたからです。このあたりの事情はわが国とまったく同様です。 

そして福島事故が起きたわけですが、この「逆流」の流れに変化が出たのでしょうか?結論からいえは出ませんでした。ただし、新たにイタリアが一国が加わりました。

さて、福島事故時のヨーロッパ諸国の反応を見ると、後の政策決定をそのまま象徴しています 

後にドイツに追随して脱原発に転換したイタリアでは、「渋谷では放射能で死んだ死体が山積みになっている」という見てきたようなトンデモ報道で煽りまくりました。

またドイツも、TDZという放送局がわざわざ福島県まで来て「人類史上最悪の惨事」の歪曲報道をして現地の人たちからひんしゅくを買っています。
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-0a22.html 

どちらの国にも共通なのは東日本大震災の報道より、福島原発事故報道のほうが圧倒的に多く、震災に立ち向かう被災者への共感が乏しい反面、禍々しい煽り報道が主体だったことです。 

これに対して英仏は被災者にの勇気に対する賛辞と冷静な事故報道をしています。

日本人の中にも英仏人の落ち着きぶりを見て、かえってパニックになっている自分が恥ずかしくなったという人もいるほどです。

一方ドイツ人の在留者のほとんどは放射能に恐怖して慌てて帰国したそうで、日本人妻を残したまま「残留放射能」を恐れていまだに再来日しない人もいるそうです。

ちなみに「ニューズ・ウィーク」(10月30日)によれば、今でもドイツでは福島事故で日本人が数千人死んだということをまともに信じている人が大勢いるそうです(苦笑)。

英米仏は在日の民間人に退避勧告は出しませんでした。(※)この点も対照的です。 

そして事故後、この二国は脱原発に急ハンドルを切りました。特にドイツは2002年に継ぐ2回目の脱原発路線なだけに、ヨーロッパ諸国は驚きの眼で迎えました。
※関連記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-fdbd.html 

この二国は、福島事故後に脱原発に走りましたが、かつて脱原発を唱えたスウェーデンは今回は同調しませんでした。※  

手放しでドイツを絶賛したのは、世界でもわが国のマスコミくらいなものです。ヨーロッパでは、またぞろドイツ人がかつてのナチスがやったような足並みを揃えておかしな方向に走り始めたと受け取られました。 

「脱原発を決めたドイツの挑戦」の著者で、NHK特派員だった熊谷徹氏はこのようなドイツ人のメンタリティが「ジャーマン・アングスト」(ドイツ人の不安)と呼ばれていることを紹介しています。 

ドイツ人は環境保護や自然愛好の精神が高いことで有名ですが、それが故に環境や健康を保護することに過度に敏感という側面も持っています。 

熊谷氏によれば、ドイツ人は子供の頃から新しい技術に対する猜疑心を持つように育てられるそうです。ですから、「これは自分の健康や自然に悪影響をもたらさないだろうか」と考える心理構造を持つのだそうです。 

これが嵩じると、「リスクを最小限にするために極端な行動に走りがちである」ことになります。 かつては世界不況、そして今は放射能というわけです。

他のヨーロッパ人が比較衡量的(※)に原発のリスクと原発を完全に失くしてしまった場合のリスクを比較して、いくつもの選択肢を考えて決定するのに対して、ドイツ人は原発のリスクが「不明なほど大きい」として絶対的に廃棄するしかないとする考え方に突っ走ってしまいます。 

つまり、「子供の命と未来を守る」という普遍的な命題を立てた場合、ドイツ人は「完全な原子力の廃絶」となりますが、他のヨーロッパの国民の多くは「原子力の危険性」と「後の世代を貧しくしない方法」を天秤にかけながら国の進路を決めているわけです。 

わが国では今のところドイツ流脱原発政策しか報道されず、「脱原発=ドイツに学べ」といった風潮が支配的です。

私はこれをミスリードだと考えて、ドイツのFITの現状やフランスの原子力安全政策を具体的に見てきました。

原子力からの離脱といってもいくつもの道があり、ドイツの政策はヨーロッパにおいてもイタリア、スイス以外に追随する国がないのです。

※在日米軍は家族の一部に帰国措置をとりました。
※スイスは脱原発政策に復帰しました。
比較衡量・対象を比較し、その軽重を判断し公平な評価・決断をすること。リスク評価はこのリスクの軽重のバランスを考えて決定される。

■写真 秋の霞ヶ浦大橋を遠望する。

            ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

■資料1 
30年から40年以上稼働している原発

敦賀1・・・41年
美浜1・・・40
美浜2・・・38
島根1・・・37(markⅠ型)
高浜1・・・36
玄海1・・・35
高浜2・・・35
美浜3・・・34
伊方1・・・33
大飯1・・・33
福島1-5・・32(markⅠ型)
東海2・・・32
福島1-6・・・31
大飯2・・・31
玄海2・・・30
計  ・・・15基・・・①

福島第1原発と同型の欠陥機であるmarkⅠ型

敦賀1
島根1
福島1-5
女川1
女川2
女川3
島根2
浜岡3
浜岡4
志賀1
東通1
計   ・・・11基・・・②

①+②=26基(ただし重複2基で24基)

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原発を真面目に終りにする方法」カテゴリの記事

コメント

いくつか原発関連の投稿を拝見しました。
具体的に真面目に考えられていて、感嘆しました。

「入口ではなく出口の問題」など、なるほど〜、と思うところも沢山ありますが、ただ一つ、「ヨーロッパと日本の違いは地震の多さだと思うので、一概に比べられないと思います。」
という意見だけお伝えしたく、コメントさせてもらいましたm(_ _)m

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