脱原発運動・こうなってほしくはない三つの将来
やはり「未来の党」ついて書いておくべきでしょう。私は衆院選での最大の敗者は民主党ではなく、「未来の党」などの脱原発派だったと思っています。
民主党の敗北は、あの衆院選がこの3年3カ月の彼らの愚行に対しての審判だとするなら、ある意味当然すぎるほど当然の結果でした。
私が意外な感をぬぐえなかったのは、「未来の党」のあまりの惨敗ぶりでした。あれだけの盛り上がりを示した脱原発運動を背景にして、なぜこのような結果になるのか、私なりに分析しようと思いました。
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私がこのような分析をしようと思ったのは、脱原発運動内部で内在的原因についての総括がなされなかったからでした。
事実上の代表者である嘉田氏などは、「景気問題に押されて、脱原発問題が浸透しなかった」というようなことを言っていましたが、これなどつまりは、「自分たちの高尚な考えを愚かな有権者は理解していないから負けた」と言っているわけで、こういう目線がある限りまた負け続けるだろうな、と私は思いました。
そもそも「卒原発」(なんたるネーミング)以外、旧小沢民主党のマニフェストを丸呑みしたわけで、あのようなシロモノに二度だまされるほど国民は甘くはありません。
そのことを問わず、選挙民に責任を転化するような言い方からは、この人が真の政治家ではないことが分かります。
選挙制度が悪いと言うのも一緒で、小選挙区制度に欠陥あるのは明白ですが、だからと言って中選挙区にしたら解決するのかといえば、中選挙区制度で半世紀政権を維持しつづけたのが自民党だったことを都合よく忘れています。
このようなことを言う人に限って、前回の民主党が大勝した衆院選の時には「中選挙区に戻せ」などと一言も言っていないわけで、要するに結果が気に食わない、選挙民がバカだと言いたいだけなのです。
もう一度言いますが、このような内在的な敗因分析をせずに、国民を愚民視した選挙総括をしているかぎり、脱原発運動には長い退潮の季節が待っているだけです。
私はあの記事の中で、「未来の党」は「小沢ミニ政党」に収縮して終わるだろうと書きましたが、その後にこうまで幼稚な「成田離婚」劇を見せられるとは思っていませんでした。
嘉田由紀子、飯田哲也、阿部知子の三氏は、小沢一郎氏を「使いこなす」どころか、党を乗っ取られて、金を全部もっていかれた挙げ句、寒空の下に放りだされたわけです。
政治の素人があの男と組めば、利用するだけ利用されてこうなるのは目に見えていたわけで、嘉田氏たちに対してというより、脱原発運動にとって残念なことです。
小選挙区で299万票、比例区で342万票の得票から得られるはずだった4億7千万円の政党交付金は、阿部氏分以外はすべて小沢「生活」党に渡りました。 彼らはやり手男の「結婚詐欺」にあったようなものです。
嘉田氏に残ったのは、「未来の党」という泥にまみれたどうでもいいような看板のみです。無思想の小沢氏はこんな看板は欲しくもないでしょうし、脱原発の幟も遠からずひっそりと降ろすはずです。
小沢氏がこのような行動に出ることは、嘉田氏が鳩山氏にでも電話をすればすぐにわかったはずで、いまさらなにをやっているんだかというのが、多くの国民の思いでしょう。
小沢氏の蓄財は、新進党、自由党と新党を作っては潰し、作っては潰し、そのつど解党時に党の金庫を持ち去ることによって作られました。
そのためには解党ではなく、「分党」という形にする必要が法的にあり、年内に彼女たちを切り捨てる必要があったわけです。
すべては、小沢一郎氏ひとりが生き残るための延命術にすぎません。と言っても、小沢氏の長い政治人生にも終末が見えてきたようですが。
野田前首相が、この押し迫った時期に解散したのも、年を越すと小沢党に政治資金が渡ってしまう危機感がありました。大敗したとはいえ、野田氏のこの読みは的確で,小沢氏は地団駄踏んだはずです。
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さて、このような脱原発運動の今後ですが、私はこのままでは政党による囲い込みと硬直化、そして内部抗争の激化が進むだろうと思います。
「政党」とは、衆院選後に金曜デモで大きく前面に出はじめた日本で最も由緒ある左翼政党や、市民運動の仮面を被った某過激セクトです。
老獪な彼らはしっかりとした党組織と方針を持ち、飯田氏ら「未来の党」の失速を奇貨として、今後運動の主導権を握っていくことでしょう。
それに連れて、左翼運動につきものの内部抗争が常態化します。
そして脱原発運動は、反安保、護憲、反自民の政治運動の亜種となります。
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一方「硬直化」というのは、いっそう脱原発運動が硬直した「再稼働絶対反対」を先鋭に唱えるようになることです。
このような「絶対安全」を掲げて反対運動をすると、それを受ける側もまた「安全です」と言わざるを得なくなるというパラドックスが生まれてしまいます。
これは福島事故以前にもあったことで、原発安全神話なるものは「危険だと言うと。反対派につけ込まれる」という電力会社側の心理があったのは事実です。(欄外参照)
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「安全神話」は、電力会社が一方的に主張した結果出来上がったというより、当事者とそれに反対する側が一緒になって作り出してしまっている側面があるのです。
具体的に、どこが危険だという具体論を巡っての議論をせずに、「絶対反対」というイデオロギーで脱原発運動が走れば、解決はかえって遠のきます。
よく東京新聞あたりは「脱原発が6割の民意だ」と言いますが、それは正確ではありません。アンケートの仕方に「原発ゼロ」と「原発容認」の中間項が設定されていなかったから、このような脱原発6割などという結果が出たのです。
その中間項とは、「化石燃料依存から脱却し、社会に十分なエネルギーを再生可能エネルギーで生産できるようになるにつれて徐々に原発廃止」というような、1980年にスウェーデンでなされた国民投票の選択肢です。
ちなみに、スウェーデンの国民投票結果は以下です。
①反原発開発、10年以内の原発全廃止・・・39.7%
②化石燃料依存から脱却し、社会に十分なエネルギーを再生可能エネルギーで生産できるようになるにつれて徐々に原発廃止 ・・・58%
③無記入 ・・・3.3%
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我が国でもし現時点で世論調査するなら、このスウェーデンの結果とよく似た②の中間派が多数を占める結果が出ると予想できます。
今、原子力でなされなければならないことは、100%脱原発を実現せよという神のような要求ではなく、ひとつひとつ危険因子を取り除いていく地道な努力です。
それは「原子力には大きなリスクがある」ということを大前提にして、危険度の高い原子炉から随時廃炉にしていき、その間に代替エネルギーを社会のエネルギー基盤の一翼を担えるまで成長させることです。
その置き換わっていくスピードに合わせて原子炉を永久に停止させていくべきで、その間に廃炉や使用済み核燃料の処分についてもいいアイデアが生まれてくるでしょう。
そしてそれには時間がかかるということを覚悟して下さい。
それが待ちきれず、立場が違う人を直ぐに「粉砕」してしまわねば気が済まない人たちだけに脱原発運動が支配されてほしくないものです。
そのようなことをすればするほど、脱原発派は少数派に転落していくからです。放射能禍の折の、一部の脱原発派の人たちの常識はずれの所業を直接に知っているだけに不安があります。
以上、あまりよくない予想をあえてしましたが、このようなことにならず、生き生きとした国民のうねりのまま成長していくことを願っています。
最後になりましたが、今年もご支援ありがとうございました。皆様に励まされながら、今年も年納めの日を迎えることかできました。本当にありがとうございました。
皆様にとってよい新年でありますように、心より祈念しております。
■写真 霞ヶ浦の日の出。印象派風(笑)。
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「とんでもない。日本で(事故の可能性を少しでも示すような)そんなことをしたら原発は一基もできません。事故ゼロと言って周辺住民を説得し、納得してもらっているのだから」。(ソース・産経新聞山口昌子パリ支局局長)
このフランス人原子力技術者がのけぞったのは言うまでもありません。これで分るのは、わが国には原子力の危機管理そのものが完全に意識もろともなかったという衝撃的事実です。たぶん「危機管理」と書かれたペーパーが後生大事に経済産業省の金庫に眠っているだけなのでしょう。
日本原子力技術協会の前最高顧問石川迪夫氏がこんな話を述べています。
1992年、IAEA(国際原子力機関)で原子力事故に備えて指針を改定し避難経路を策定すべきという提案があった時、それを持ち帰った石川氏に対して日本の原子力関係者の反応はこうでした。
「そんな弱気でどうする。原子力屋なら絶対に放射能が出ない原子炉を作れ。」
とりようによっては強い安全への決意と取れないではありませんが、石川氏自身も認めるようにここには「安全」という言葉の影に隠れて「万が一に備える」という視点がすっぽりと抜け落ちています。(ソース「産経新聞10月8日)
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