船橋洋一「カウントダウン・メルトダウン」を読む その1 原発事故における日米関係の真実
福島原発事故独立検証委員会、通称「民間事故調」の設立者であり、プログラムディレクターをつとめた船橋洋一氏(元朝日新聞社主筆)による、福島第1原発事故の大著「カウントダウン・メルトダウン」(文芸春秋)が出されました。
この本は、上巻の事故の状況と同時に、今までの類書になかった米国政府、軍内部のやりとりが重層的に書かれて思わず引き込まれます。
閉鎖的な艦船という性格から、いかなる被曝も認めないある種の「ゼロリスク」論に立つ米海軍、日本との同盟関係を重視する国務省・大使館、原子力のプロとして冷徹に事故を分析し、対策を練るNRC(米国原子力規制委員会)が、三者三様の立場でぶつかり合いながら進むというやりとりなどは、日本で初めて公にされるものです。
事故発生直後、横須賀基地からの全面撤退を主張する米海軍とNRCは相当に違う分析と対策をたてます。
米海軍は米国の世界戦略の基本である空母をいかなる形でも汚染させるこはできないと判断しました。
もし、いったん汚染されれば、世界のどこにでも自由に航海し、寄港できなくなるからです。そうなれば作戦に重大な支障をまねきかねない、と米海軍は判断しました。
そして海軍は横須賀基地の中で放射能が測定された段階で原子力空母ジョージ・ワシントンの緊急出航を決意します。
また横須賀に近づいていた原子力空母ロナルド・レーガンも急遽寄港を取りやめて遠ざかっていきました。
しかし、この決定は在日米国人を混乱に陥れます。その時のことを著者は「情緒的メルトダウン」と評しています。
そして米海軍が突出して米海軍軍人とその家族に「室内避難」をするように米軍放送で放送したために、大使館や在日米国人は混乱の真っ只中に投げ込まれます。
「われわれはなにもしなくていいのか。海軍が逃げているのに東京にいて大丈夫なのか」。
ルース大使は悩んだ結果、「館員家族は自主的外国退避を認める」と苦肉の承認を与えました。
一方、ホワイトハウス高官は、「もしあの時、在日米軍が日本から撤退したら、日米同盟は終わっていただろう」と述べています。
この危機意識は、ホワイトハウスと国務省の担当官は共有していました。在日大使館も同様の立場でした。
そして彼らは米海軍の提案する200マイル(320㎞)避難案を「身体を張って」阻止したのです。
もしこの海軍「200マイル退避案」が採用されたのなら、米大使館の移転、東京からの米国市民の全面退避、横須賀基地からの全面撤退は不可避だったでしょう。この瞬間、日米安保は事実上終了していたかもしれません。
こうして米国は、他国のほとんどの大使館と職員が逃げ出した中で、最後まで日本に留まり、NRC(米国原子力規制委員会)のプロ中のプロを派遣し、放射線モニタリング、事故のシミュレーション、分析、対応策、物資の提供などを行ったのです。
一方、大統領科学技術担当補佐官のジョン・ホルドレン(原子力の専門家)は、米エネルギー省と共に「最悪シナリオ」を作成していました。
たとえば、拡散シミュレーションを作る場合においても、機械的にデータを入れればいいのではなく、プラントを操作する人間の判断と決断が重要な要素です。
もし福島第1原発が撤退となると、「最悪シナリオ」は一気に最大値にまではね上がるわけです。
ホルドレンは、前提として「日本人が事故を途中で投げ出すとはとても考えられない。日本人はそのようなことはしない」という認識に立っていました。
これは、吉田昌郎所長以下いわゆる「フクシマ・フィフティ」(実際は69人)の戦いを海を越えて予測したものでした。
その結果フルドレンが作った「最悪シナリオ」はこのようになりました。
・米環境保護局の基準を越えるプルーム(原子力雲)は東京から75~100マイル(120~160㎞)までは届かない。
・横須賀の放射線量は海軍の予測の5%にすぎない。
・放射性物質のうちヨウ素は、海軍の予測の1~2%に留まる。
・したがって、東京、横須賀、横田が放射能汚染の危険にさらされるリスクは当面、考慮する必要はない。
この予測が正しかったことは後に証明されます。この新たなフルドレン・シミュレーションで米国は日本の支援体制を組んでいくことになります。
米国は事故直後から、「米海軍原子炉機関」(NR)による福島、栃木、茨城の放射線モニタリングや、無人偵察機グローバルホークを使った空中からのデータ収拾を行いました。
福島県いわき市、茨城県石岡市、栃木県宇都宮市・・・指示された地点の放射線量を15分おきに24時間、大型のバンで測定し、それは1カ月間継続されました。
我が国はこの段階ではモニタリングポストによる計測のみでしかなく、それは福島、茨城に限定されていました。文科省、環境省が、このような広域の放射線量実測をするのははるかに後のことです。
しかし、その米国情報を受け取る官邸中枢では、「なんでも言ってくれ。全面的に協力する」という米国側の申し出に対して、対米依存と対米排除のアンビバレンツな心理が同時に吹き出ました。
それは民主党政権が持つ反米的体質と、反面の米国への甘えに似た依存体質が、危機のピークにおいて一気に吹き出したものでした。
官邸中枢は、原子炉が制御不能になるなかで、一気に米国に依存心が高まっていくのと同時に、そうなった場合の米国の介入の重苦しさと政治的自負心の間で大きく動揺していたのです。
菅首相や細野氏は、「自分たちでかたづけないと米国に占領されるのだ」と真剣に思っていたそうてす。
ところが米国はそんな「日本占領シナリオ」などはまったく考慮していませんでした。
「東電が撤退し、日本政府がお手上げになった場合、米国はどうするのか」の一点に問題は絞られていました。
「最大限の支援はするが、一体で動くわけではない」というのが米国の基本姿勢であり、その「最後の砦」は自衛隊であって米軍ではないと考えていました。
だから日本政府の重度の情報隠匿体質は、米国をして「日本側が原子炉や4号炉燃料プールの状況を本当に知らないのか、知っていてなんらかの理由でわれわれと共有しないのか、それがわからなかった」という摩擦につながっていきます。
また日本側の「指揮所」が見えず、原発事故のような巨大科学の反乱に対して、官邸のだれが科学的知見を持っているのかもつかめませんでした。
米政府高官はこう述べています。
「通常は外務省を通じてすりあわせるが、外務省は原発事故では脇役でしかない。ホワイトハウスは、強力でたしかなカウンターパートを探したが、そういう相談相手はいなかった。官邸がその役割を果たすべきなのだろうが、官邸は科学的知見の取り込み方が十分でなかった。」
米国側はこの対策を立てている日本側の責任者と直接に意見交換したいと願いましたがかないませんでした。
そして米国が恐れたのは、実は既に日本政府が統治能力を欠いているのではないかという不安だったのです。
長くなりましたので、次回に続けます。
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コメント
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新聞やテレビより詳しく非常に良いです。
これからもチョコチョコ読まさせて戴きます。
本業は農家なんですか?頑張ってください。
投稿: う~んいいですね | 2013年2月23日 (土) 13時09分