福島第1原発・ベント前に放射性物質が10キロ圏に拡散していた
毎日新聞(2月22日)が、福島第1原発事故の極初期の放射性物質の拡散について、新事実の報道がありましたので紹介します。
報道によれば、福島県は
「昨年9月下旬までに20基の蓄積データを回収し解析。県のホームページに解析結果を掲載し、関係自治体に連絡した。しかし、ベント前に放射性物質が拡散していたことは周知されておらず、国会と政府の原発事故調査委員会も把握していなかった」(資料2参照 毎日新聞2月22日)。
また、
「11年3月12日に1号機格納容器の水蒸気を外部に放出する「ベント」を始める約5時間前から、放射性物質が約10キロ圏に拡散していたことがわかった。福島県の放射線モニタリングポストに蓄積されていた観測データの解析で判明した。放射線量が通常の700倍超に達していた地点もあり、避難前の住民が高線量にさらされていた実態が初めて裏づけられた。」(同上)
●原子炉の当時の状況
・1号機が1日夜から12日未明にかけて、全電源喪失により炉心溶融(メルトダウン)が発生。圧力容器などが損傷し、放射性物質が外部に漏出。
●ベント
・第1回目のベント ・・・3月12日午前10時17分
・第4回目のベント・・・同日午後2時半頃
●周辺地区の放射線量の上昇(欄外資料1図参照)
・双葉町郡山地区・・・山田地区(西5.5キロ)・上羽鳥地区・新山地区の4地点で放射線量が初回ベント前午前9時頃から急上昇し、ベント直前の同10時に32.47マイクロシーベルト(通常の約720倍)に達した。
・上羽鳥地区(原発の北西6キロ)・・・4回目のベントの約30分後には、で線量が1591マイクロシーベルトに急上昇
・郡山地区(原発の北2.5キロ)・・・3月12日午前5時0.48マイクロシーベルト、同6時に2.94マイクロシーベルトに上昇。ベント開始約1時間前9時には7.8マイクロシーベルトに達した。
●住民への避難指示
・県が11日午後8時50分に2キロ圏
・国が同9時23分に3キロ圏
・ベントを前提に国が12日午前5時44分に10キロ圏に拡大。
●実際の避難開始時刻
・10キロ圏内の住民(約5万人)の多くが圏外へ避難を始めた時刻・・・12日午前8時頃
●国からの情報提供や避難指示がなく、各自治体の自主判断に任されていたために、てんでんバラバラの避難をして、いっそうひどい汚染地域に避難した人たちも多かった。(欄外資料3図参照)
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■資料1
(図・毎日新聞3月22日から参考の為に転載いたしました。ありがとうございます。)
■資料2 <福島第1原発>ベント前 放射性物質が10キロ圏に拡散
毎日新聞 2月22日
東日本大震災による東京電力福島第1原発事故で、11年3月12日に1号機格納容器の水蒸気を外部に放出する「ベント」を始める約5時間前から、放射性物質が約10キロ圏に拡散していたことがわかった。福島県の放射線モニタリングポストに蓄積されていた観測データの解析で判明した。放射線量が通常の700倍超に達していた地点もあり、避難前の住民が高線量にさらされていた実態が初めて裏づけられた。
【発見されたデータは】福島第1原発ベント前 放射性物質の拡散 データは放置
県が原発周辺に設置していたモニタリングポストは25基。5基が津波で流され、20基は地震による電源喪失でデータ送信できず、事故当時、住民の避難に活用することはできなかった。県は昨年9月下旬までに20基の蓄積データを回収し解析。県のホームページに解析結果を掲載し、関係自治体に連絡した。しかし、ベント前に放射性物質が拡散していたことは周知されておらず、国会と政府の原発事故調査委員会も把握していなかった。
最初のベントは3月12日午前10時17分に試みられ、4回目の同日午後2時半ごろに「成功した」とされる。しかし、観測データによると、主に双葉町の▽郡山地区▽山田地区▽上羽鳥地区▽新山地区--の4地点でベント前に放射線量が上昇していた。震災前の線量は毎時0.04~0.05マイクロシーベルトだったが、原発の北2.5キロの郡山地区では3月12日午前5時に0.48マイクロシーベルト、同6時に2.94マイクロシーベルトと上昇。さらにベント開始約1時間前の同9時には7.8マイクロシーベルトになった。西5.5キロの山田地区ではベント直前の同10時に32.47マイクロシーベルトと通常の約720倍を記録した。
国の平時の被ばく許容線量は毎時に換算すると0.23マイクロシーベルトで、各地で瞬間的に上回ったことになる。数値の変動は風向きの変化によるとみられる。国会事故調の最終報告書などによると、1号機では11日夜から12日未明にかけて、全電源喪失を原因として炉心溶融(メルトダウン)が発生。圧力容器などが損傷し、放射性物質が外部に漏出したと推定されている。
当時、住民への避難指示は、県が11日午後8時50分に2キロ圏▽国が同9時23分に3キロ圏▽ベントを前提に国が12日午前5時44分に10キロ圏--に拡大。だが10キロ圏内の住民(約5万人)の多くが圏外へ避難を始めたのは12日午前8時ごろとされ、放射性物質が広範囲に拡散し始めたのは、4回目のベントとその後の同日午後3時36分の原子炉建屋の水素爆発によるものとみられていた。4回目のベントの約30分後には、原発の北西6キロの上羽鳥地区で線量が1591マイクロシーベルトに急上昇している。
ベント前に観測された線量は、1時間浴びたとしても胸部X線検診1回分を下回る。放射線防護に詳しい野口邦和・日大歯学部准教授は「ただちに健康に影響する線量ではない」としながらも、「どのように放射性物質が拡散し、住民がどのくらいの線量を浴びたのかは検証されなければならない」と指摘した。【神保圭作、栗田慎一】
◇避難指示が出る前に放射性物質の拡散が始まる
東京電力福島第1原発事故で、国の10キロ圏避難指示が出る前に放射性物質の拡散が始まっていたことが県の解析データで判明したが、当時、周辺で暮らしていた住民はその事実を知らず、避難もしていなかった。東日本大震災で福島第1原発周辺のモニタリングポストが電源を失い、機能不全に陥っていたためだ。これは住民放射線防護の根幹に関わる重大な問題だ。
福島第1原発事故ではモニタリングポストのほか、事故対応に当たるオフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)やSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測システム)も活用できなかった。これらの事実は、従来の備えでは深刻な原発事故に対処できないことを示している。
モニタリングに関しては、国の原子力規制委員会で事業者や自治体を交えた議論が進む。その会議に参加した福島県の担当者は積極的な発言はせず、司会者から促されて、事故時にモニタリングポストが使えなかったことなどを伝えるだけだった。
だが、観測データを住民避難に生かせなかった失敗を福島県が重く受け止めているのであれば、モニタリングポストの電源や通信手段の多重化を図るよう、原発のある他の自治体に提言することもできるはずだ。
「同じ事故を二度と起こしてはならない」と主張する福島県は、自らの事故対応を再検証し、国が新たに作る「原子力災害対策指針」策定の中心となり改善を求めていくべきだ。【神保圭作】
★放射線モニタリングポスト 空気中の放射性物質の濃度を自動観測する装置。全国の原発周辺地域に設置されている。1時間ごとの平均線量を監視施設などにリアルタイムでデータ送信し、避難指示などに活用する。電源喪失で送信できなくなっても、非常用バッテリーで観測データを機器内に蓄積し続けることができる。
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