公害大陸・中国その1 公害研究創始者、宇井純先生の「予言」
今から35年以上前になりますが、私は宇井純先生の「公害原論」の自主講座に参加していたことかあります。
今にして思えば、この後に沖縄で住民運動に関わり、有機農業へ飛び込むきっかけを与えていただいたのが、宇井先生でした。
まだ40歳になったばかりの宇井先生は、当時ようやく研究の端緒についたばかりの「公害」、今の言葉でいえば環境問題を専門とする日本で最初の研究者でした。
いまでこそ環境問題は金になるようですが、当時は異端の学問でした。いや不遇なんてものじゃなく、従来の学問に楯突く奴と見なされて「永久助手」のままでした。
ことに先生は助手時代に実名で新潟水俣病を告発したために、後に国連環境計画から「グローバル500賞」を授与されるほどの業績を上げているにもかかわらず、東大でやらされているのは教授の実験の手伝いだったようです。
このあたりは、今でも助教(助手)のままで自転車で通い、電気のない家に住む小出裕章氏によく似ています。
ただし、小出氏のように時代の上昇気流に押し上げられることなく、74歳でお亡くなりになるまで世間的にはほとんど知られていない存在だったかもしれません。
先生は、日本ゼオンの技術者として勤務していた時に、塩化ビニール工場の製造工程で使用した水銀の廃棄に疑問をもち、水俣病に関わるようになっていきます。
そして一貫して公害患者の立場に身を置き、新潟水俣病では手弁当で弁護人補佐を努めて、水俣病の解明と患者救済のために尽くしました。
さて宇井先生が、招かれて中国を訪問した直後に私たち自主ゼミのメンバーに言った言葉を今でも忘れられません。
先生は重慶を中心に視察したのですが、その有り様をこうおっしゃっていました。
「君たち、中国で今後膨大な数の水俣病が生まれるかもしれない。いや、もう多数の患者がいるはずだ。ありとあらゆる化学廃液が野放図に川に捨てられている。有機水銀、カドミウム、六価クロム、鉛・・・。
市当局に忠告したが、まったく聞いてもらえなかった。今、中国は公害を止めないと大変なことになる。」
この先生の35年前の「予言」は、先生の想像をはるかに越える形で現実のものになりつつあります。
北京での都市機能が麻痺するほどのPM2.5汚染の凄まじさによって、中国の環境汚染が行くところまで行き着いてしまっている現状が、やっと我が国にも知られてきました。
当然のことですが、都市部の汚染が発覚する時は、農村部は既に汚染で覆い尽くされています。
環境汚染は、まず農村部や沿岸部で最初に現れます。
それは都市部の食料供給基地である農業や漁業が、工場の廃液が大量に流れ込んだ水質汚染の最初の被害者だからです。
我が国でも、1950年代後半から始まったチッソ水俣工場からの有機水銀(メチル水銀)廃液による水俣病、60年代初頭の新潟水俣病、岐阜県三井金属工業の神岡鉱山の鉱滓(こうさい)から出たカドミウム汚染によるイタイイタイ病など多くの公害病は、農漁村部から始まっています。 (下図参照)
図 環境省環境白書平成18年版
http://www.env.go.jp/policy/hakusyo/hakusyo.php3?kid=225
熊本県水俣病の場合は、チッソ水俣工場が製造していたアセトアルデヒドの製造工程に用いた水銀が、工場排水として自然界に流され、それが有機水銀(メチル水銀)となり、生物濃縮を繰り返すなかで、魚介類の体内で高濃度に濃縮されました。(欄外図参照)
これを食べた多くの人から、感覚障害、運動失調、視野狭窄、聴力障害などが発症し、重度の場合は脳障害や、死に至るケースも多発しました。
また母親が妊娠中に水銀汚染の魚介類を食べた場合、胎児水俣病が発症することがあり、障害をもって生まれた子供が誕生しました。
熊本水俣病は、1956年頃が発生のピークであるといわれていますが、国が認定したのは1968年と、遅れること8年後のことでした。
熊本大学医学部水俣病研究班は、1959年に原因物質を究明してチッソ水俣工場の水銀廃液であることを突き止めていましたが、この研究は直ちに生かされることはありませんでした。
この国の認定の遅れが、次の新潟水俣病を防げなかった原因につながっていきます。
新潟県昭和電工の公害廃液は、阿賀野川を汚染し、1965年頃をピークとして多数の患者を発生させています。
政府の認定の遅れが、既に新潟で同様の病気が出ていたにもかかわらずそれを阻止することができず、悲劇を全国で再生産させ続けてきたのです。
この我が国の公害病の歴史から学べるものは、公害は初期に国が責任をもって解決しない限り蔓延し、再現なく連鎖していくものだという苦い教訓です。
もう一度、上の地図の公害患者発生マップを御覧ください。黄色の部分が患者が発生した地域です。
熊本水俣病の場合、河口から水俣湾沿岸部の長島、下島、御所浦、厨子島などで患者を拡げています。
また新潟水俣病は、阿賀野川流域から、河口部にかけて患者を拡げています。
これは多くの工場が排水を容易にするために河川や沿岸部に工場を設置するからで、そのために公害病の多くは水系周辺から発生します。
これで分かることは、公害病は、発生点の工場周辺のみならず、水系をたどって、河川流域、河口、あるいは湖や沿岸まで広く展開していきます。
したがって、工場周辺のみにとらわれていては実態がわからないので、その地域の水系や公害物質が残留しやすい地形などを大きくエリアとして見て、その水質分析、土壌分析、大気分析などをする必要があります。
次に、公害はダイレクトに生体に障害を与える場合もありますが、その多くはなにかしらの伝播する媒介をもっています。
たとえば、水俣病の場合は魚介類でした。水中の食物連鎖により高濃度の汚染が魚介類の体内に生じます。 イタイイタイ病の原因物質はカドミウムは米でした。
それを食物連鎖最上位の人間が食べることで、濃縮されて高濃度になった重金属を食べてしまうことになります。
宇井先生の「予言」から30数年後、中国を訪れた日本の農業関係者は、中国に流れる七色の川や、どす黒い湖、白い泡で沸き立っている池、シロアリ駆除剤を撒かれた野菜などを目撃することになります。
彼らは、この現象の奥でなにが進行しているのか、農民の直感で感じ取ったのです。これはおれたちが高度成長期に体験した「複合汚染」なんて生易しいものじゃないぞ、と。
あるいは、中国内部から細々と報じられる環境汚染や公害報道から判断して、中国公害病の現状は、日本の「4大公害病」を遥かにしのぐと想像されていました。
今週は、人類が遭遇した最大、最悪の中国の環境汚染を取り上げていきます。
※「4大公害病」 日本の高度成長期の1950年代後半から1970年代にかけて発生した公害によって発症した公害病のうち、特に被害が甚大なものを称する。
①有機水銀による水質汚染を原因とする「水俣病(熊本県)」
②「新潟水俣病(第2水俣病)・新潟県」
③亜硫酸ガスによる大気汚染を原因とする「四日市ぜんそ・三重県」
④カドミウムによる水質汚染を原因とする「イタイイタイ病・富山県」
日本の厚生省によって最初に認定された公害病は1968年5月の「イタイイタイ病」であった。
■写真 なにやらファンタジーな写真ですが、ただの農業用水であります(笑)。
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図 環境省環境白書平成18年版より
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http://homepage3.nifty.com/yoiidea/environment/pollution&education.htm
自分が高校生のころ、硫化水素ろ紙吸着法と言う、軒先にろ紙を24時間、ぶらさげておいて、サンプリングすると言う方法で、Aセロファン工場と公害問題で、対決して、結果、工場は、移転、廃業となりました。
ここで、助かったのは、日本では、どのプラントで、どんな工業薬品をもちいて、何を製造しているのか、行政を通じて、だれでも、わかることだと思います。
中国では、工場で、何を製造しているか、解らず。また、排水経路も解りにくいでしょう。
日本は、高校生でも、大気汚染についての、発生源調査が、しやすいということです。
特に、夜間操業においての大気汚染分析は、気象データーと、多くの汚染データーが必要ですが、プラントの内容や気象データーが、わかれば、かなり証明しやすいですね。
さて、秘密主義の中国で、PM2.5を解決することは、かなり難しいでしょうね。
中国でも民生製造工場の内部情報が、解れば、個別対応は、しやすくなるのでしょうが、冬場は、証明が難しいでしょうね。
家庭での床暖房が、石炭などが多いので、相当な規制を徹底的にかけないと、対応できないかもしれませんね。
投稿: りぼん。 | 2013年2月19日 (火) 11時58分