他県より長寿を実現した「ヒロシマ」の事実
投下直後に亡くなった方を除いて、大部分の被爆者(被曝者)はいわゆる「入市者」という被爆直後に救援のために市に戻った人たち、家族、知人の安否を求めて帰った人々、そして映画にもあった「黒い雨」という煤煙を含んだプルーム(放射能雲)からの雨を浴びた2キロ圏内の人々です。
図表3グラフの外縁の-●-が「入市者」という先ほど述べた被爆直後に救援や捜索で市内に戻った人たちのその後です。
女性、男性の平均寿命(左側)ともに、一目でお分かりのように、全国平均を上回っています。三大疾病、つまりガン、心筋梗塞も全国平均より下です。
そして広島市の病床数、病院従事者数は全国を上回っています。広島市の平均寿命は女性で全国一です。日本一ということは世界一ということです。
世界一の長寿の県、これが「60年間草木も生えない」と言わしめた広島の現在の姿です。
これは、被爆に対する日本政府がとった対策が正しかったことによります。この核心となったのが被爆者手帳の存在です。
さて、原爆生存者のうち、1950年から2000年までに白血病とがんで死亡した人の数の統計も合わせて見てみましょう。(図表1、2参照)
これを見ると、白血病では200ミリシーベルト(mSv)以上で死亡、がんでは100mSv以下の水準の被曝では放射線の増加による健康被害は観察できません。
この結果は、一般的に低線量被曝における健康被害の可能性が少ないことを示すと理解されています。
被曝のしきい値(※それを境にしてある現象が増える数値)は100mSv程度と推定されることの証拠として、各国の政策決定者、医療関係者はこれをゴールドスタンダード(黄金律)としています。
ちなみに福島第一原発事故では、事故の被曝によって一人の人も100mSv以上の被曝を受けた報告はありません。
原発構内で戦っていた作業員の被曝値は吉田所長が70mSvです。
民主党政府時に作られた「低線量被曝のリスク管理にかんするWG報告書」のうち、広島原爆被害の部分のみ抜粋します。
私は、福島の被曝を軽く見る気は毛頭ありません。国連科学委員会最終報告書はガンの出る可能性を否定しましたが、かつての広島被爆者手帳のように未だ長い期間のモニタリングが必要なことには変わりありません。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-091c.html
しかし、一方でセシウムが大半を占めた福島事故に対して、プルトニウム、ウラン、ストロンチウムが核種である広島原爆は、はるかにシビアな状況であったことは確かです。
にもかかわらず、「ヒロシマ」はたくましく復興し、全国有数の健康優良県となった事実を私たちは忘れてはならないでしょう。
広島の「その後」は、福島事故の「その後」にとって忘れてはならない道標なのではないでしょうか。
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[1]内閣府「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ報告書」(P13-16)
2011・12・22 http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/info/twg/111222a.pdf
広島、長崎の被爆者の医療調査は、各国の医療、放射能対策の政策に利用されている。これは50年にわたり約28万人の調査を行った。
■調査の背景
放射線衛生研究所の調査によって、次のような事実が把握されている。原爆が投下されたときに、広島と長崎の人口は合計42万9000人だった。熱と放射線の影響で、即座に10万3000人以上が死亡した。爆発直後の情報は欠落が多いが、1950年以降は生存者28万3000人の医療記録が存在している。
記録で判明した人のうち1950年から2000年までにがんで亡くなったのは原爆投下時の全人口比7.9%、がん死亡者の中で放射線由来のがんで亡くなったと推定される人は0.4%とされている。これは、以前に考えられていたものよりも、かなり低い割合だ。RERFは約8万7000人の被曝量を推定している。行動データ、その後の検査などから、推計した。
またRERFはLNT仮説と被曝しなかった日本人の死亡データを参考に放射線の被爆線量による、白血病、固形がんの発症予測も行っている。LNT仮説(しきい値なし直線(Linear No Threshold:LNT)仮説)とは、「放射線はたとえ僅かな線量であっても有害であり、がんにかかりやすくなる度合いは、浴びた放射線量に比例して高くなる」というものだ。
■被爆者の調査結果
原爆生存者のうち、1950年から2000年までに白血病とがんで死亡した人の数だ。白血病では200ミリシーベルト(mSv)、がんでは100mSv以上で死亡者数は予想値よりも実際の数の方が多い。それ以下の水準の被曝では放射線の増加による健康被害は観察できない。
この結果を低線量被曝における健康被害の可能性が少ないこと、被曝のしきい値(それを境にしてある現象が増える数値)は100mSv程度と推定されることの参考情報として、各国の政策決定者、医療関係者は受け止めている。またこの結果は、LNT仮説が低線量被曝で成立しない例証としても、取り上げられている。
被爆線量のレンジ(mSv) | 生存者数(人) | 死亡者数(実際) | (予測) |
---|---|---|---|
5未満 | 37403 | 92 | 84.9 |
5-100 | 30387 | 69 | 72.1 |
100-200 | 5841 | 14 | 14.5 |
200-500 | 6304 | 27 | 15.6 |
500-1000 | 3963 | 20 | 9.5 |
1000-2000 | 1972 | 39 | 4.9 |
2000超 | 737 | 25 | 1.6 |
合計 | 86955 | 296 | 203 |
被爆線量のレンジ(mSv) | 生存者数(人) | 死亡者数(実際) | (予測) |
---|---|---|---|
5未満 | 38507 | 4270 | 4282 |
5-100 | 29960 | 3387 | 3313 |
100-200 | 5949 | 732 | 691 |
200-500 | 6380 | 815 | 736 |
500-1000 | 3426 | 483 | 378 |
1000-2000 | 1764 | 326 | 191 |
2000超 | 625 | 114 | 56 |
合計 | 86611 | 10127 | 9647 |
図表1、2 アリソン「放射能と理性」などからGEPR作成より引用 |
http://city.youth-service.com/01publication/0301BlackRain2010.pdf#search='%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%8E%9F%E7%88%86%E5%BE%8C%EF%BC%91%E5%B9%B4%E5%86%99%E7%9C%9F'
※下図は、統計母集団は約20万人。期間はその人の終生、約40年間です。
これほどまでに長期・大量の統計データは世界に存在しません。いや、今後永久にこのような記録をとることを起こしてはなりませんが。
これらの人々は誘導放射能(*原爆から出た放射能が土壌に当たってはねかえて出る放射線)やフォールアウト(*放射性降下)によって被爆しました。
その数は、被爆直後に亡くなった人々より多い37万2千人(昭和55年度)にも及びます。
広島・長崎と福島と安易に同列に扱うことは憚られますが、しかし初期における劇症の外部被爆を除けば、あるていどの時間がたった後の土壌や食品、水などを介しての間接的な内部被爆という構図は一緒だと思われます。
言うまでもなく、広島・長崎のほうが福島よりはるかに大きな放射線量を日常的に浴びていたり、吸収していたと言っていいでしょう。
投下から2か月たった広島市内には相当量の放射線が残留していたと思われます。当時の土壌放射線量のデータが見つかりませんが、現在の福島県避難地域以上の線量であったことは確かです。
このような過酷な状況下での「その後」の記録だということを念頭において御覧ください。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/cowbo.html
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