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2013年6月17日 (月)

ブログ開始6年目のご挨拶

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忘れていたのですが、実はこのブログは先月5月22日で6年目に入っておりました。(笑) 

そうか6月だと思っていたんだがと、あいかわらず寝ぼけたことよ。 

まさか5年も続くとは思っていませんでした。しかも、初め3年間は無休です。我ながらたいしたものというか、まぁ暇だったんでしょうな。 

書いた記事が1993本、頂戴しましたコメントが6364本です。そうか、あと7本記事書けば2千本安打じゃなかった、2千本記事なんだ(涙)。 

コメントも6千もいただいているのかと思うと胸が熱くなります。皆様のご支援、ご批判に篤くお礼申し上げます。 

さて当初は下の発掘された幕開け記事からみても、私は沖縄や村のエッセイを綴るブログていどに構えていたようです。

ところが、宮崎口蹄疫を百数十回追及し、その後、原発と放射能問題という巨大テーマにぶつかってしまって、今のこのブログの基本スタイルが決まってしまったようです。 

当時、と言ってもわずか1年前ですが、世間には根拠なき放射能に対する風聞、証拠なき言葉の暴力が溢れていました。 そしてわが農場は風評被害で半ば潰れかかっていました。

風評被害を意識的に煽る「学者」や自称「ジャーナリスト」がおり、いかにその流言が被災地の無辜の人々を傷つけるのか肌身で知りました。私もその論争の戦場の片隅に身を置いていました。

その荒波の中で、私は 統計数を言うならその母集団の数を、科学論文を挙げるなら査読を経ているかの客観的科学性を、証言を採るならクロスチェックを、というように放射能問題で教えられた「語る作法」は大きかったと思います。 

たとえば、有名な100ミリシーベルト以下の被曝に関して発がん性の有無はわかっていません。「ない」とも言えないし、「ある」とも言えない。 

数ベクレルの低線量被曝の食品を食べつづけた結果、いかなることになるのか、ガンが発症するのか、それとも日常的な健康リスクに紛れ込んでしまうのか、それはその受けとる人それぞれの「立場」なのです。 

ですから私は100ミリシーベルト以下の被曝に関しては、「わからない」と正直に言います。そうとしか言えないからです。

しかし、それをバズビー氏のように「福島では40万人がガンになる」というデマを飛ばされれば否定するしかありません。 

科学にはここまで「科学」、ここからは「文学」という境目があるような気がします。その客観と主観の境目を意識して語らないと、デマゴーグになってしまうでしょう。 

今後もできる限り、この「語る作法」を大事にしていきたいと思っています。 

さて、初期の頃からの読者の方には、たまにはエッセイもやってくれませんか、と声をかけられるのですが、なんでか最近やらないですね。 

エッセイ書く気分にならないのでしょうね。6年目となって、もう少し硬軟あってもいいかとも思っていますので、たまにはいいかなと。 

また、テーマも今まで禁欲してきた社会-政治テーマもチビチビとやろうかなとも考えております。 

ただこの政治、社会テーマはいったん首を突っ込むと泥沼になるのでほどほどということになるかもしれません。 

沖縄問題と中国問題、そして元来の私のホームベースである農業問題はライフワークですので、継続してやることになるでしょう。 

中国問題はさることながら、沖縄と農業のテーマは「実際にそこで暮らしている人」の実感を大事にしていきたいと思っています。 

私のブログがあまりに無名なのを哀れんで、ランキングに入ったらというアドバイスもいただいているのですが、どのジャンルに入るんでしょうね。 

強いて言えば「社会経済」でしょうが、イデオロギー対立の修羅場のようなアソコはご勘弁下さい。私、こう見えてもけっこう神経細いですから。 

第一、この私、右の方から見れば左、左の方から見れば右のようで、このことは原発・放射能問題の時にしみじみ分かりました。 

脱原発の人から見れば、私は東電容認、再生可能エネルギー懐疑派ということのようですし、原発推進派からすれば、けしからん脱原発派の一味ということになります。 

要するに、私は「私」なのです。今後も自分というバランスを持ったブログでいこうと思っております。 

あ、そうそう写真ですが、好きですね。下手の横好きの見本ですが、やはりブログにアップできるのが励みになっています。 

皆様、6年たってもあいもかわらずショボイ「ありんくりん」ですが、今後ともよろしくおつきあいください。

 

           ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。 

 

このブログは沖縄の山の中で百姓修行をして、はからずも20余年もお百姓をしてしまったフリムン(沖縄語でアホウ)の日記だ。

体験した沖縄噺や、自分の百姓体験、村の噺、はたまたその時に思うことなどを書いていこうと思う。ズボラな性格なので毎日更新はないかもしれない。

にとぞ、ご愛読下さい。コメントをいただければ、これにすぐる喜びはない。  

私は街から週末農業や縁農に来る方と感性的にほとんど同じだ。

私のDNAは街っ子だからあたりまえ。うちの農場の今時の季節に来ると10人が10人、「すてき~、いいわぁ。自然に抱かれて生活するのって」とおっしゃる。た

だ、私はこのところ歳のせいかややイジワルになっていて、「雨の時か台風にいらっしゃい。力一杯自然から抱きしめてもらえるよぉ」などと言う。  

先日の嵐では、力一杯、自然から「抱きしめて」いただいて涙が出た。私の師のひとりの村の種屋のオヤジが私の農場を見て、開口一番。「ハマタヌさん、あんた天気がいい日にこの土地を買っちまったね」。 

そうなのだ。大雨だと緩斜面で肥料が留まらない。

種も流される。畑のど真ん中に水路ができてしまったりもする。こういうドジをさんざんしながら、だんだん街の人から村の人に私はなったようだ

 

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コメント

私が貴ブログにたどり着いたのが、口蹄疫について検索していて見つける事ができました。
様々な現地の情報等が細かく記載されていて、目からウロコの状況でした。
貴ブログから、様々な情報や考え方等々教わりました。
ブログ開始から満6年と言う事は、私が知ってからは3年ですので、約半分の期間勉強させてもらった事になります。
本当にお疲れ様です。
つい最近までは毎日の更新ですから、言葉にできないくらい御苦労されたと思います。
じっくりマイペースで無理をしないようにして下さい。

私は先週誕生日を過ぎ、職場の消費期限が一年となりました。(私の職場は誕生月の月末で定年です)
最後の一年燃え尽きようと日々奮闘しております。
今後ともよろしくお願いします。


ブログ6周年、おめでとうございます。
私も宮崎口蹄疫の際に、こちらのブログで大変貴重な勉強をさせていただきました。
最近は、なかなかコメントできませんが、毎日、拝見させていただいております。

今後も、深遠な考察を楽しみにしております。
お体ご自愛の上、益々の発展を祈念いたしております。

青空です。

六周年おめでとうございます。
口蹄疫の際から拝読させていただいておりますね。

深い見識と地に足が着いた考察、検証、内容、
分析の多角さ、答えありきではない検証、模索の過程を示す論の進め方。
また、対話を基とした進め方は相当に気合いと信念、
進めるにあたってのストレスを想像しないではいられません。感服しております。

到底一ブログ、一人の所行とは思えないほどの
量と質。情熱にはいつも驚かさられています。

コメントは中々できないでいますが、
小生のテーマと重なる部分も多くいつも楽しみに拝読させていただいております。

管理人様や集われるコメントされる皆様の存在が、
この上ない楽しみになっています。
これからも末永くよろしくお願いします。

ご挨拶、大変、遅くなりました。ブログ6周年、おめでとうございます。
小生も、上記コメント投稿者方々と同様、2010年の口蹄疫の記事に関することからでした。もう、3年も前のことになりますね。
最近、思うのです。ブログというものが、自分の生きていた証のような気がしてなりません。
物や作品を残す芸術家、本を残す作家などと同列ではありませんが、個人の考えやそれにまつわる意見を述べ合うコメント投稿者とで作り上げる、こう何と言うか織物のような気がしてきました。
これからも、小生も続けていけたらと思いますし、管理人さんが続けていかれることを希望します。

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