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2013年7月11日 (木)

吉田前福島第1原発所長死す

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吉田昌郎前所長がお亡くなりになりました。食道ガンでした。享年58歳、早すぎる逝去でした。 

ガンがこの原子力事故と関連があるのかどうかはわかりません。その因果関係が明らかになるのはもう少し後のことでしょう。 

私は吉田昌郎というひとりの男が日本を、地獄の奈落へと滑り落ちて行こうとするわが祖国を救ったと思っています。 

彼が注水停止を官邸の言うがままに実行していれば、今私はここにいないはずです。東日本全体は深刻な長期間続く放射能汚染の地になったことは間違いありません。 

吉田は、事故が起きた時に関連会社の作業員の退去を命じます。それは、この福島第1原発に「残る」ということが、すなわち死を意味することを原子力の専門家として熟知していたからです。 

福島第2原発所長は、扉を閉めて退去させないようにと命じたそうです。それも正しい判断でした。 

原子力事故とは、米国NRCのャールズ・カストーも言うように長丁場になり、延べ数千人が交替で行うものだからです。 

しかしこの時、吉田を動かしていたのは「論理」ではなかったはずです。いわば「魂」でした。 

言い換えれば、原子力技術者としての合理性ではなく、このような事故を起こしてしまったことに対する原発所長としての慙愧の念でした。

だから、彼は責任を取るのは自分とわずかの死を覚悟したメンバーでいいと考えたはずです。かなうことなら、ほんとうは彼一人で立ち向かいたかったのではないでしょうか。 

彼はホワイトボードに残ることを選んだメンバーの名を書いていくように言いました。それは上司としての命令ではなかったはずです。 

彼が語るようにまさに墓標でした。墓標に共に自らの名を刻む仲間に語りかけたのです。 

「最後まで残って戦ったのはこんな人間だぞ」、と。 

吉田が病を得て、現場を去るに当たって残した言葉残っています。その言葉は、最後涙声に変わって途切れがちでした。 

「皆さんここに2週間かなり夜も廊下で寝るというような劣悪な状況の中で、またこの場所の(放射)線量も高いというような中でご辛抱いただいております。本当に申し訳ございません」  

「皆さんにこれを言うと非常に申し訳ないんだけれども、私は肉体的にもかなりガタがきているという状態になってます。一度、東京に帰らせていただく。非常に忸怩(じくじ)たる思いですけれども、本日、東京に帰ってリセットする。またここに戻ってきて、皆さんと一緒に仕事をしたいと思います。申し訳ないんだけど。本当に申し訳ないんだけど…」 

そして彼は簡単な診察を受けると、わずか4日後に現場に復帰します。
「大丈夫だったか」と残していった所員に明るい声をかけてまわる吉田の姿がありました。
 

「どうも、すいません。皆さん、しばらくの間、ご迷惑掛けました。今から復帰しますのでよろしくお願いします」

しかし、その明るくふるまう彼の身体には既にガン細胞が増殖していました。

吉田が戻ったのは単なる「現場」ではなく、放射能を封じ込めるために戦う戦場でした。

吉田から私たちは「責任」と「献身」、そして「自己犠牲」を教えてもらいました。 吉田の死は、原子力との戦いのさなかにおける「戦死」だと思います。

そして吉田が封じ込めようとして半ば失敗し、半ば押さえ込んだ原子力との戦いは、私たちが継続します。

吉田さん、あなたは私にとって真の英雄でした。
ありがとうございました。

心からご冥福をお祈り申し上げます。
あなたの霊前に一輪の野菊をたむけさせて頂きます。
安らかにお眠りください。

 

.※本稿は6月13日記事に加筆したものです。

               。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

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東電 吉田昌郎元所長が死去
NHK
7月9日

東京電力福島第一原子力発電所の事故で現場で指揮を執った吉田昌郎元所長が、9日午前、東京都内の病院で食道がんのため亡くなりました。
58歳でした。
 

吉田元所長は、3年前の6月に福島第一原子力発電所の所長に就任し、おととし3月11日の事故発生から現場のトップとして事故対応の指揮を執りました。
すべての電源が失われる中で、吉田元所長は、福島第一原発の複数の原子炉で同時に起きた事故の対応に当たりましたが、結果として1号機から3号機でメルトダウンが起きて被害を防ぐことはできませんでした。
 

吉田元所長は、その後、病気療養のため交代するおととしの11月末までおよそ9か月間にわたって福島第一原発の所長を務め、事故の収束作業にも当たりました。
おととし12月に食道がんと診断されて所長を退任しその後、去年7月には脳出血の緊急手術を受け療養生活を続けていました。
 

吉田元所長は、所長在任中のおととし11月、福島第一原発の事故現場が報道関係者に初めて公開された際にインタビューに応じ、「事故直後の1週間は死ぬだろうと思ったことが数度あった。1号機や3号機が水素爆発したときや2号機に注水ができないときは終わりかなと思った」と当時の思いを語っていました。 

また、去年8月に長野県の出版社が福島市で開いたシンポジウムで公開されたインタビュー映像では福島第一原発の今後について「日本だけでなく、世界の知見を集めてより安定化させることがいちばん求められていると思う。それが地元の人たちにとって改善したと実感してもらえることだ。私自身も体力が戻ったら現場で力を出したい」と述べ、復帰への意欲をのぞかせていました。 

東京電力によりますと、事故発生から退任までに吉田元所長が浴びた放射線量はおよそ70ミリシーベルトで、東京電力はこれまで、「被ばくが原因で食道がんを発症するまでには少なくとも5年かかるので、事故による被ばくが影響した可能性は極めて低い」と説明しています。
吉田元所長は、9日午前11時32分に東京都内の病院で食道がんのため亡くなりました。
東京電力の廣瀬社長は「吉田さんは再び私どもと一緒に福島の復興に尽くしたいとの強い
気持ちを聞いておりました。持ち前の明るい大きな声で陣頭指揮を執る姿に出会えることを心待ちにしておりましたが、東京電力の再生に向け共に働くことができず無念でなりません」というコメントを発表しました。 

双葉町長「町民を代表して感謝」 

東京電力福島第一原子力発電所の事故で現場で指揮を執った吉田昌郎元所長が亡くなったことについて、福島第一原発が立地する福島県双葉町の伊澤史朗町長は「原発事故からの収束に命懸けで取り組んでこられたことに町民を代表して感謝するとともに、ご冥福をお祈りします」とコメントしています。
また、同じく福島第一原発が立地する福島県大熊町の渡辺利綱町長は「体調が回復してもう一度現場に戻ってきてくれると思っていただけに、本当に残念です。事故のあと直接会ってはいませんが、事故の直後には電話で『事故が起きてしまって申し訳ない』と話していて、責任感の強い人でした」と話していました。
 

強いリーダーシップで対応 

東京電力福島第一原子力発電所の所長を平成9年から3年間務め、吉田元所長の大学院の先輩でもある二見常夫さんは、「東京電力や日本全体を試すように、次から次へと起こった問題を強い統率力とリーダーシップで対応してくれた。現場のスタッフに命の危険をおかして対応してもらった彼のリーダーシップは感謝してあまりある。『彼がいなかったらどうなっていたんだろう』、『東京電力の中で最適な人間がそこにいたんだ』とつくづく思う。『本当によくやってくれた、ありがとう』ということに尽きる」と話していました。 

そのうえで、「事故のあと、直接、ことばを交わすことはなかったが、2、3度メールをやり取りした。その中で、吉田元所長が、『自分の体験したことを後世に残したい』という強い意志を記していて、私もぜひ書いてくれと伝えた。その直後に、食道がんだと公表され、結果的にその記録が完成しなかったのは非常に残念だ」と話していました。

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原発を真面目に終りにする方法」カテゴリの記事

コメント

 吉田所長が福島原発事故の放射能のせいで亡くなったかどうかわかりませんが、かなりの影響はあっただろうと推察できます。また、事故後長期間に渡って困難な作業を先頭に立って行ったことに敬服いたします。

 今や吉田所長が日本を救ったとの英雄とされていますが、それに異論を唱える方がいます。原発反対運動を昔からされている槌田敦さんです。この方は、多くの場所で原発事故についての解説・講演をされていますが、Youtubeで見てみると、吉田所長は多くの判断ミスをしており、英雄視するのはおかしい、と述べています。些細な判断ミスを指摘しているのではなく、原子力発電所の責任者又は当事者なら当然すべきことをしなかった罪を指摘しています。
 最大のものは、ECCS高圧注水系を全く重視しなかったこと、スリーマイル原発事故の教訓は「ECCS高圧注水系は切ってはいけない」というものだそうですが、これを使おうとせず、海水注水にこだわったこと。また高圧注水系の電源は消失していたのですが、自動車用蓄電池で補充が可能なはずなのに、対応しなかった。東電本社は1000個の蓄電池を陸送したそうですが、間に合わなかった。ヘリで運べばすぐに間に合ったものを、海水注水にこだわったためにヘリ要望を怠った。また、海水注水を消防ポンプで行うには、原子炉の圧力を下げないと入らないため、炉内水蒸気を逃し弁から逃がしたため、炉内圧力が急速に低下し、中の水が激しく蒸発し、炉心を破壊してしまった。海水注水をして吉田氏を英雄視しているようですが、槌田氏に言わせれば、海水注水自体か過酷事故を促進してしまった。それは原発の構造や事故対策について吉田氏が無知であったから、と指摘しています。
 亡くなった方にむち打つことはよくないことですが、事故の真実を知ることのほうが今後の教訓になると思います。ぜひ、ありんくりんさんも槌田氏の講演をYoutubeで見ていただけるとありがたいと思います。

鏡の国さん。

http://www.aesj.or.jp/~safety/H240508seminorsiryou3.pdf
http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/backdrop/pdf/04-accident.pdf

非常用直流電源盤が津波をかぶってしまったのは痛いです。
配線をたどるのは慣れてないと至難の技ですよ。
被害の状況にもよりますが、専門職(この場合は電設関係)の方がいないと簡易復旧も難しいでしょうね。(水洗乾燥という荒技。)

それと、はじめは防火水槽内の淡水の注入から始まったようですよ。
1回の注水が1立米(1,000L)という事から、1立米タンク搭載の消防車で防火水槽と注入口を往復したようですね。
中継に次ぐ中継で注水するという手があますが、訓練したことが無い方が操作すると圧力変動に対処できず消防ホースを破裂させる事があります。もし、何台も用意できても津波の後の瓦礫のやヘドロの中でのホース展長は至難だったでしょうね。何台も消防車を用意できても操作員が確保できたかどうか。
因みに消防団など化学消化剤吸引ホースが付いた筒先で泡消化剤散布する場合は最低6kg/cm2の水圧が必要です。消防団が使うようなポンプ車でも10kg/cm2は簡単にでます。

ところで、時系列違っていませんか? それと耐圧限界を無視したほうがよかったかったのでしょうか?

 まず食です。今食糧自給率は4割しかありません。中国、インド、アフリカ、中東、南米など人口が急増して、食糧危機が予測されています。それなのに自民党は減反政策でのん気に農耕地を減らしてきた為に自給率が減少しているのです。これからTPPでさらに2割に食糧自給率が減ると予測されています。自給率を上げて食糧供給の安全を計る時代に突入してきているのに、これでは政策が反対です。大変危険な事態に陥る可能性があります。減反政策をやめて、食糧自給率を増やす様に国内農業を支援しましょう。

 次に人です。小泉竹中改革の市場原理主義の導入で、正規社員の首が切られ、労働者の3人に1人が正規社員で無くなりました。あれからさらに増えて、今なんと4割の人が正規社員で無いとの統計が出ました。つまり容易に首が切られ、退職金も年金も少ない人が労働者の4割にまで増えているのです。これは生活不安の元となり、さらに社会不安をまねく事が危惧されます。会社が労働環境に責任を持つ様に、正規社員が増える様に労働法を治しましょう。

 今中国や北朝鮮との緊張が高まっています。中国の暴動では、日本企業が何百億円もの被害を受けました。しかし、また大東和戦争の様に、中国と戦争するのでしょうか、そして破壊をして甚大な被害を受けるのでしょうか。どこかでよく聞く様に歴史は繰り返すといいますので、そうなりかねません。原水爆のある今日、もう戦争はできないのです。ならば近隣の国々との交流と外交と交易を盛んにして、話し合いで危険の種を取り除いておきましょう。

 そしてエネルギーです。原発で吉田所長が2年でガンで亡くなりました。チェルノブイリでは司法取引で死刑囚が働かせられて多くは3年でなくなりました。3マイル島事故から34年以上経つのに、強い放射線下で誤作動無く動くロボットは開発されておらず、福島第一原発の事故でもロボットの投入はできませんでした。放射能に強いロボットは無理なのかもしれません。事故が起きると福島原発事故ではもう手が付けられずに4つも原発がたて続けに爆発したり燃えたりしました。これでは原発事故処理作業員はていの良い死刑囚です。チェルノブイリ事故の最大ガン発生年月は14年でした。ウクライナでは5100万人いた人口が4600万人まで1割近くも減少しています。周囲の国家に与えた損害は非常に大きなものとなっています。

 参院選はどこに入れるとより良いのでしょうか。人が生きるには生活の安定が必要ですが、雇用、人材、食糧、エネルギー、安全は欠かせません。古い考え方を改めて、新しい方法を導入する必要があります。新たな太陽電池や風力発電や地熱発電、高温岩盤発電、小水力発電、潮力発電、波力発電、海洋温度差発電、ボトリオコッカス燃料、オーランチオキトリウム燃料、アポロ・ポセイドン計画、ニューオーシャン計画、ラピュタ計画、鉄理論、ミドリムシ燃料、ミドリムシ食品、ハイポニカ農法、フィルム農法、iPS細胞による創薬や再生医療、抗ガン幹細胞創薬、老朽化したインフラの改修、など新たな方法で、雇用、人材、食糧、エネルギー、安全の確保を行って行く必要があります。これらを推進するのは、どこの党でしょうね。

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