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2013年8月20日 (火)

「終戦記念日」と広島原爆碑文に見るわが国の自己欺瞞

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さて、今年はなにを考えているのか分からない韓国の議員団が押しかけたりして、ひときわうるさい「敗戦記念日」でした。あ、私「終戦」なんて表現、嫌いですから。

私たち日本人はこの大戦において明確に敗北し、国をいったん滅ぼしたのです。

それは「戦が終わった日」という他人事のような出来事ではなく、わが国の軍事的、政治的、経済的、社会的な完全敗北でした。

そしてそれと同時に、圧倒的な戦力で怒濤のように侵攻する米軍に対して、最後まで死闘を繰り広げて講和条件(いわゆるポツダム宣言)を引き出した日でもあったのです。

さて私は似たような広島の原爆記念碑の、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」という表現には昔から引っかかっていました。 

日本語独特の主語の意図的欠落によって、曖昧などうとでも取れる表現になっています。 

主語は私たち日本人でしょうか。それとも原爆を35万人の非戦闘員の頭上で炸裂させた当事国である米国に対してでしょうか。

それとも大量破壊兵器として使用されることを知りながら、今に至るも禍根を残し続けている「究極の兵器」を生み出してしまったユダヤ人科学者グループでしょうか。

たぶんそれらすべてが正しいでしょう。

ですから、私は米国人とユダヤ人だけには原爆について、「侵略行為の報いだ」などという聞いたふうなことを絶対に言われたくはありません。(※1欄外参照)

記念碑を建てる計画が始まった1949年は、米軍の軍事占領下にありました。それに対していかにも日本人らしい「はばかり」があったかもしれません。

建立と共に、「あの主語はなんなのだ。過ちはさせませんの間違いではないのか」という議論が起きたのは当然です。

当時から、そして今も公式見解は、「人類全体」(当時の浜井広島市長)であるとされています。

しかし「人類全体」にまで引き延ばしてしまえば、ほとんどあの痛苦に満ちた言葉は拡散し、意味のない嘆き節となってしまうでしょう。

この広島市長発言は一見崇高な人類の戦争の惨禍からの解放を謳いながらも、実は名指さなかったことで米国を免罪しているのです。

それは米国の「本土決戦をすれば100万人の犠牲が出ると予想されたので、予防的に使用に踏み切った」という公式見解に対応した、ある意味非常に従属的な政治的発言です。

当時の米国という占領国に対するへつらい、そしてその後は「保護国」となった現状を見たくない弱さ、それがあの碑文に込められています

私はこの情緒的な「優しさ」に満ちた碑文に耐えがたいものを感じます。この曖昧さは、日本人が敗戦とその後の「戦後」をどこかで直視することをこばんでいる心理と一対になって いる気がします。

もし極論を言うならば、戦後の日本人がほんとうに「この(被爆という)過ちを繰り返したくない」ならば、フランスのような自立した報復核戦力をもつべきでした。もちろん、敗戦国のわが国にそれが許されるはずもありませんが。(※2参照)

そしてそれを取らないのなら、せめて各都市に全住民が収容できる核シェルターを備えるべきでした。

もう一方の敗戦国ドイツは、驚かれるかも知れませんが、「核武装」しています。NATOの集団安全保障体制という枠内で、ニュークリア・シェアリングというシステムをもっています。

これは「核兵器に関する政策に対して決定力をもち、核兵器搭載可能な軍用機などの技術・装備を保持し、核兵器を自国領土内に備蓄するもの」で、有事における核兵器の提供を米国から受けることができます。(※3参照)

わが国はそのいずれも取らず、米国の核の傘に1億3千万人の生命を預け、世界で唯一と称する「平和憲法」と、「軍隊」ではないと称する「実力組織」を持ってきたのでした。

わが民族の、言葉の言い換えで現実を糊塗する悪い癖が「戦後」を覆っていたのです。つまり私たちは「決断をしないという決断」をしてきたにすぎません。

原爆投下の加害者の核の傘の下で守られておきながら、その下で毎年の「終戦」記念日で「不戦」を誓うという私たちの自己欺瞞はいつまで続くのでしょうか。

                 。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

■※1 原爆追悼式典「うんざりだ」
NHK
8月15日
 

広島と長崎に投下された原爆について、イスラエル政府の高官が、「日本による侵略行為の報いだ。独り善がりの追悼式典はうんざりだ」などとインターネット上に書き込んでいたことがわかり、現地の日本大使館が、イスラエル外務省に抗議しました。 

これは、イスラエル政府の高官で、近く首相府のインターネットを使った広報戦略の責任者に就任する予定だったダニエル・シーマン氏が、みずからのフェイスブックに書き込んでいたものです。
この中でシーマン氏は、今月6日に広島で行われた原爆の犠牲者を追悼する平和記念式典について、「独り善がりの追悼式典にはうんざりだ。広島と長崎での原爆投下は、日本が侵略行為の報いを受けただけだ。日本が追悼すべきは帝国主義や大量虐殺で犠牲となった中国人や韓国人だ」と書いていました。
この書き込みは、現在、削除されていますが、現地の日本大使館は、イスラエル外務省に抗議しました。
一方、首相府は、NHKの取材に対し、「書き込みは政府の立場を代表するものではない」と釈明し、シーマン氏は停職処分になっています。
シーマン氏は、過去に外国メディアを担当していた際に、イスラエルに批判的な記事を書いた記者を、事実上の国外追放にしたこともあり、物議を醸していました。

■※2 日本は核兵器開発能力は技術的には持っていると国際的には評価されています。ただし、現実に核兵器を作るためには、核爆発の程度を知るために核実験をせねばなりません。
しないでやるコンピュータ・シミュレーションの方法もありますが、そのソフトは核保有国しか持っておらず、渡してくれるはずかありません。
また投射手段も軍事目的用のミサイルを保有していません。最大のネックは原子力の平和目的を定めたIAEAの国際協定を破らねばならないことと、我が国内部の核アレルギーです。

したがって、「技術は一定程度あるが、北朝鮮やイランのようになる覚悟がない以上、ほとんど不可能」というのが現実です。
ですから現状では、石原慎太郎氏などの核武装論者が言うほど簡単ではないのです。

※3 ニュークリア・シェアリング・ NATOが核兵器を行使する際、独自の核兵器をもたない加盟国が計画に参加すること、および、特に、加盟国が自国内において核兵器を使用するために自国の軍隊を提供することが含まれている。
ニュークリア・シェアリングの参加国は、核兵器に関する政策に対して決定力をもち、核兵器搭載可能な軍用機などの技術・装備を保持し、核兵器を自国領土内に備蓄するものとされる。
NATO内の核保有国である三カ国(
フランスイギリスアメリカ)のなかで唯一アメリカだけがニュークリア・シェアリングのための核兵器を提供している。現在ニュークリアシェアリングを受けている国は、ベルギードイツイタリアオランダである。(Wikipedia)

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コメント

まったくです。
敗戦を終戦とかねえ。
但し、今時の若者に指摘しても全く響きません。見事な平和ボケっぷりです。

United Nationsも「国連」や「国際連合」と教科書に書かれますが、どうみても「旧連合軍」ですね。
自衛隊は全て国連参加舞台にすべきだなんていうO沢1郎なんて、かつての有力政治家がいましたが…。

あの総会は未だに戦勝国の利益を守る会議で、敗戦国からの搾取と途上国のガス抜きだけでほとんど意味をもちません。

あくまで核クラブである安保理が牛耳ってます。

被爆国として、常任理事国改革を目指した小泉さんは、無謀ではありましたが勇気ある行為でした。

中国の裏工作と、良好だったアメリカも見方に付けられなかったのが敗因でしたね。

すいません、度々。前にネットで昭和天皇が「広島への原爆投下はしょうがない」という趣旨のご発言をされていた動画がアップされ反天皇主義者がこれを理由に天皇制の廃止を主張していますがこれについてはどう思われますか?

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