広島原爆の日 安らかであれ、そして原爆と原子力が廃絶される日まで見守っていて下さい
本日は広島原爆の日です。1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、米軍によって投下された原爆は、広島市上空500メートルで炸裂しました。
実戦で使われた世界最初の核兵器であり、失われた非武装の市民の生命は、当時の広島市の人口35万人(推定)、うち9万から16万6千人が被爆から2~4カ月以内に死亡しました。
生き残った市民からも厖大な被爆者が生まれ、長きに渡って苦しみました。
原爆投下後に、人は70年間住めないと言った物理学の権威がいたそうです。というと、2015年まで住めないというわけですから、今も広島は無人の荒野というわけです。
もちろん私たちはこの間違いを知っています。今の広島は、つい最近も葬式で行ってきましたが、中国地方一の大都市です。
広島は、原爆投下から2カ月後の10月には既に仮設住宅が立ち始めています。
同じく10月には市電が運行を再開しました。あの広島名物のゴトゴト走る可愛い路面電車です。
11月に恵比寿神社が再建されて復興祈願祭が執り行われ、人々の気持ちを明るくさせました。
翌46年1月には、広島復興局が開設され、行政と一丸となった復興が本格化します。原爆投下からわずか5カ月後のことです。
そして4月には復興都市計画が策定されました。ものすごい速度で復興を果たしていたのがわかります。ほんとうに広島の人たちはエネルギッシュです。
同じ4月には都市ガスが再開しました。都市インフラの復旧がすごい勢いですすんでいることが分かります。
46年の水道の復旧率が、なんと7割です。人口は46年末のデータで、15万人にも達しました。
人類史上最悪の核攻撃からわずか1年半たらずで、広島市は蘇ったのです。これを広島市民と私たち日本人は誇りに思うべきです。
私たち日本人は原爆に打ちのめされ、しかし勝ったのです。
この勝利は、広島市民の復興へのエネルギーと、それを支援した国民の力でした。
合掌。安らかであれ、広島で亡くなられた同胞の魂。
そして、原爆と原子力が廃絶される日まで見守っていて下さい。
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