オバマ中東戦略の蹉跌その2 パックス・アメリカーナの終り
ロシアと中国が反対するのは想定内だったでしょうが、よもや英国がコケ、シリアの旧宗主国・フランスまでもが危ないという最悪の事態は彼に衝撃を与えたと思われます。
そこで、オバマは議会の承認という正面突破の奇策に打って出ました。このあたりのしぶとさはたいしたものです。いきなりふられた共和党議会は仰天したのではないでしょうか。
米国政界は昨年までのわが国のように大統領と議会がねじれていますから、議会は大統領に抵抗し続けてきました。
連邦政府債務の限度額の引き上げ、赤字額の削減方法などで真っ正面から対立を繰り返してきたのにかかわらず、この賭に出たのはオバマに勝算があったからでしょう。
そもそもこのシリア攻撃は、リベラル国際協調路線のオバマが共和党のお株を奪ったものなのですから。
といっても、シリア政府による毒ガス使用の決定的物証を示さない限り、国際社会はウンといわないはずです。
というわけで、オバマの苦境は少しも変わらないということになります。
さてオバマ大統領は、わが国の「あの」鳩山由紀夫にやや似ています。もちろん、あそこまで異次元ではありませんが、その自画像と現実は一光年の開きがあります。
お互いにあまりにもデビューが鮮烈だったために、オバマ自身舞い上がってしまい、万能感をもってしまったようです。
まぁ、考えてみれば、就任当初は初の黒人大統領という胸に輝く金の星をぶら下げて、ベルリンに行けば若者を中心とした万余の聴衆が熱く彼の演説を聞きに押し寄せ、さしたるアテもなく唱えた核軍縮では、小指一本動かさないうちにノーベル平和賞を貰えるというもてはやされブリでした。
すっかりメッキがはがれて、陰気になった今のオバマとは別人のようです。もう100年前のようですね。彼はこの初期の思わぬ大成功に、自らをリンカーンの再来と思ってしまったようです。
スピルバークに、2期目のオバマは「次回作はオバマで決まりだ。なぜなら彼は既に死んでいるから」と皮肉を込めて笑い飛ばされる始末です。
ハリウッド・リベラルの熱狂的ですらあった支持は今や影も形もありません。彼が2期目を得たのは、共和党候補があまりにもトンマだったからです。
オバマは、イラク・アフガンのドツボにはまったブッシュ型を否定して、リベラルな民主党型中東政策をしたかったようです。(下マンガ ニューズウィーク9.10)
ですから就任して直ぐにしたことは、イスラエルへの入植地の凍結要請でしたが、イスラエルは提案を一蹴しました。
イスラエルは、東エルサレムとガザ地区に建国の予定のパレスチナ国家とのバファゾーン(緩衝地帯)が必須だと思っており、それを凍結する気などさらさらなかったからです。
このために和平会議は停滞し、中東情勢はかえって混沌としてしまいました。
また、中東イスラム世界という迷宮に無知だったにもかかわらず、彼が支持を与えたのはイスラム原理主義穏健派でした。
彼の目論見は、「アラブの春」で誕生したエジプトのムハマンド・モルシ大統領と、既にいち早く民主化(イスラム俗化)をなし遂げていたトルコのエルドアン首相を支持し、イスラム原理主義穏健派によって中東秩序を安定させることでした。
またオバマは、アルジャジーラ放送を擁するカタールにも肩入れしました。アルジャジーラは、中東随一の国際放送局であり、その発信力は群を抜いていたからです。アルジャジーラこそが、「アラブの春」の演出者でした。
しかし、このオバマの新中東政策は、イスラム教聖地の護持者・サウジアラビアを激怒させました。
サウジは、穏健派まで含めてイスラム原理主義を毛虫のように嫌っており、また中東の外交のイニシャチブをカタールごときニューウェーブに奪われるのは許しがたいことでした。
また、オスマン帝国の再興を企むトルコのエルドアン首相に対しても、サウジは警戒感を隠しませんでした。
そしてアルジャジーラが「アラブの春」とエジプト、トルコを支援し、それをあたかもアラブ世界の声のように外部に報道したことも、伝統的守旧派であるサウジの勘にさわったようです。
かくしてオバマは、従来の米国の既定方針だった、イスラエル-エジプト-サウジというラインからはずれて、エジプト-トルコ-カタールというはなはだ危うい馬券で勝負をかけることになったわけです。
そしてご承知のように、エジプトでは一年もたたずにモルシは無能がゆえに転覆され、しかもクーデターで転覆したのは、いままで米国自身が最精鋭のM1戦車を大量に与えて育成してきたエジプト軍だというのですから、泣くに泣けません。
トルコも同様に民主化を訴える市民デモで市街戦となり、エルドアン首相はエジプト政変を見て原理主義の地金丸出しで、「イスラエルが裏にいる」と叫ぶ始末です。
この裏では、サウジはエジプト軍と手を組み、同胞団-トルコと対峠しました。
かくして中東世界にはイスラム原理主義(穏健派も含む)vsサウジ-エジプト軍-イスラエル枢軸とでもいうべき勢力図ができあがったことになります。
オバマは、鳩山氏と同じように、空想でこれら原理主義穏健派を理解していたようです。
残念ながら、現実の彼らはオバマの思いとはまったく別物だったのです。まるで、オバマにルーピーと言われた鳩山のように。
(続く)
昨日に続いて、ウォールストリート・ジャーナルのミード氏の論考を転載致します。改行、太字は引用者です。
. 。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.
■失敗に終わった米国の中東大戦略(中) ウォルター ミード
ウォール・ストリート・ジャーナル8月26日
イスラエルとの断絶は早々にやってきた。オバマ大統領が新たなリンカーンやルースベルトとしてメディアに歓迎されていた忘れがたき初期の時代に、ホワイトハウスはパレスチナとの交渉を再開させるためにイスラエルに入植の完全凍結を宣言させることができると信じていた。
結果は、オバマ大統領の外交政策上の最初の大失敗となった。この失敗は最後のものとはならなかった(過去数年間、政権はイスラエルとの関係修復に努めてきた。その1つの結果として、米国が優れた手腕を発揮していれば2009年に始まっていたはずの和平協議が現在、進行中である)。
サウジアラビアと不和になったのはその後のことである。これにもホワイトハウスは驚いたようだ。ホワイトハウスはトルコやモルシ大統領が統治するエジプトと手を結ぶことで、サウジの中東政策を台無しにし、サウジから外交の主導権を奪おうとするカタールの企てを支持した。
多くの米国人はサウジが同胞団やトルコのイスラム主義者をどれほど嫌っているかを理解していない。イスラム主義者全員が一致しているわけではない。サウジは長い間、ムスリム同胞団をスンニ派の世界の中での危険なライバルとみなしてきた。
スンニ派の中心がイスタンブールにあった輝かしいオスマン帝国時代を復活させたいと願うエルドアン首相のあからさまな熱望はサウジの優位性を直接の脅かすものである。
カタールとカタール政府が経営するメディア「アルジャジーラ」が資金や外交、広報活動でトルコやエジプトを熱心に支援したことがさらにサウジを怒らせた。
米国がこれらの国を支援する一方で、イランやシリアについてのサウジの警告に注意を払わずにいたため、サウジ政府は米国の外交を支援するよりはむしろ損なわせたいと考えた。
弱体化するモルシ政権と対峙(たいじ)するエジプト軍と手を組むことは、サウジにとってカタール、同胞団、トルコ、そして米国を驚かせる魅力的な機会だった。
※ミード氏はバード大学の外交・人文分野のジェイムズ・クラーク・チェイス教授で、「アメリカン・インタレスト」誌の編集委員。
« オバマ中東戦略の蹉跌その1 実はオバマの面子作戦? | トップページ | 週末写真館 夏の終わり »
ソ連崩壊後の20年にも渡って『唯一の超大国・俺たちゃ世界の警察だ!』と謳歌してきたのが張りぼてだったのがよく分かる流れです。
レーガン,パパブッシュからクリントン(2期)と続いても変わらず…ブッシュJr.で爆発。
リーマンショック直後に「CHANGE」を旗印にしたオバマをわたしは大感激しまいましたよ。
しかし いまやなんだこりゃ!
しかも任期はあと3年もあるぞ。
むしろ分かりやすい共和党のマケインのほうがマシじゃねーのかと。
安部さんは、あまり早くアメリカ支持に回らないで!
長年中東(イラン・イラク戦を経ても)なんとか友好関係を保ってきた(三井物産のIJPC放棄は勿体なかったけど)、絶妙な中東関係にはしっかりとした配慮を頂きたいです。
それこそが『国益』ですよ。
パックス・アメリカーナ、今となってはなんだか懐かしい言葉ですね。
WWⅠやWWⅡですら、モンロー主義をベースにしてなかなか本格参戦せずに、お茶を濁してうながら、真珠湾攻撃からマスコミ全力利用ですからね。
原爆投下人体実験までしておきながら、朝鮮の泥沼にベトナムでしたから、ニクソンのドルショックと共に実質パックス・アメリカーナは壊滅していました。
それでもしがみつく政治家と軍人の多いことときたら…もう笑うしか無いです。
投稿: 山形 | 2013年9月 6日 (金) 11時51分