• 20250115-143858
  • 20250113-081014
  • 20250114-011659
  • 20250113-133232
  • 20250113-134354
  • 20250113-134844
  • 20250113-135719
  • 20250114-062849
  • 20250112-044948
  • 20250112-050804

« 小泉元首相の勘違い脱原発論その2 暫定保管という知恵 | トップページ | ドイツ型脱原発政策の落とし穴 »

2013年10月23日 (水)

小泉元首相の勘違い脱原発論その3 再生可能エネルギーは国家的代替エネルギーにはなれない

092
小泉さんの脱原発論は、私も脱原発は支持していますから悪いとはいいませんが、その方法論が「通俗的」脱原発論の域を抜けていないのはどうしたことでしょうか。 

小泉さんはこう言っています。

「今こそ原発をゼロにするという方針を政府・自民党が出せば一気に雰囲気は盛り上がる。そうすると、官民共同で世界に例のない、原発に依存しない、自然を資源にした循環型社会をつくる夢に向かって、この国は結束できる。 」(ハフィントンポスト 10月2日

私が「通俗的」と評したのは、セットメニューよろしく、「脱原発」を達成するためには、再生可能エネルギーと電力自由化がまるで常識のように方法論として語られているからです。 

実はこの三つは本来、なんの関係もない別次元のテーマなのです。 

再生可能エネルギーは、もっとも古典的なエネルギー源として古くからありました。 

中世にはほぼ今の原型を完成させていますが、産業革命で大部分はすたれつつも、地域にしぶとくしがみついて生き抜いてきました。 

それが改めて再注目されたのは、1979年のスリーマイル島事故以後の脱原発運動の盛り上がりからです。 

当時は反原発運動といっていましたが、若き日の私もその一翼を担っていました。 

この中で再生可能エネルギー、当時の言い方では「市民エネルギー」という言い方を好んで使っていましたっけね。 

その言葉のニュアンスどおり市民が、「裏庭で自分の家のエネルギーくらいは作ってみせる。その分原発はいらないんだぜ」という気持ちが込められていました。 

飯田哲也氏の初期の本には、1986年のチェルノブイリ原発事故以後のスウェーデンで同じような、地域で市民が知恵と金を出し合って風車を建てていくエネルギー・デモクラシーの様子が描かれています。 

世界中で私たちのように、市民が日曜大工で怪しげな「エネルギー発生装置」を作ったり、市民ファンドで風車を作っていたのです。 

さて、言うまでもなくこのようなある意味牧歌的な再生可能エネルギーは、今では「神代の時代」の昔語りにすぎません。 

なぜなら、今や脱原発運動は、裏庭どころか再生可能エネルギーを社会全体の代替エネルギーと位置づけてしまったからです。 

結論から言いましょう。私はそれは不可能だと思います。

再生可能エネルギーは元々そのような近代工業国家規模のエネルギー源ではなく、地域の生活や生産に密着した「もうひとつのエネルギー源」でしかないからです。

発電規模が違う再生可能エネルギーを「飛躍」させようとすれば、必ず別の矛盾を引き起こします。

それは反原発運動の意識の延長で国家規模の、しかも世界で屈指の工業技術国の代替エネルギーを再生可能エネルギーに据えてしまったドイツの経験が物語っています。 

ドイツではいくら優遇策であるFIT(全量・固定価格買い上げ制度)に厖大な金をつぎ込んでも再生可能エネルギーは07年時点で最大で16%にしか伸びませんでした。 (下図参照)

ちなみにその内訳は、風力発電が4割、バイオマスが3割、水力が2割、太陽光が1割未満です。

驚かされるのは、太陽光は再生可能エネルギーの代表選手のように思われているものの、実は全エネルギー源の0.2~0.4%(2010年現在)にすぎないことです。Photo_2

一方、ドイツは原発を暫時停止(完全停止していません)することによって低品質の硫黄酸化物の多い国内石炭火力発電が49%にも増えてしまいました。 

皮肉なことには脱原発政策によって化石燃料シフトが起きてしまったのです。 これによってドイツの炭酸ガス排出量は一挙に増えています。

特に2008年からの2年間の二酸化炭素の排出量の増加は危険視されています。脱原発よって環境が確実に悪化したのです。 

2009年の国連気象変動サミットにおいて、鳩山元首相が国際公約してしまった1990年比で2020年までに25%温室効果ガスを削減するという目標には、あと8年しかありませんが、原子力発電なくしてどのようにするのかはまったく不透明です。
(*CO2削減率問題については過去ログをご覧ください。)
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-a3c7.html

それ以前の1990年に8%削減という政府目標を立てた時ですら、そのために原発を9基増設し、当時60%台だった稼働率を一挙に81%にまで引き上げ、太陽光も20倍にする、と試算されていました。

また、2009年時点で、政府は電力に占める原子力の割合を当時の30%から2030年には50%にまで引き上げる計画を立てていました。

とうぜんのこととして、それらの計画は3.11以後、完全に白紙になりました。

ここで、ではどうやったら原子力なしでCO2削減ができるのか、という問題に直面せねばならなくなったわけです。

当座の間、新エネルギーで現実的に供給体制に入っているものはありません。存在するのは、唯一化石燃料のみです。

実際、止まっている原発の代わりとなる電力は、今まで稼働を止めていた旧型火力発電所を再稼働したものによって補われています。

発送電実績をみればそれは明瞭です。事故前の2010年11月時点で原発は230億キロワット時を発電し、電力需要の30%を超えて供給していました。

それが事故後の2011年11月には70億キロワット時と3分の1以下に減少し、10%を切りました。それが現在2012年5月時点ではゼロです。

では、火力発電の増加ぶりを見ましょう。2011年11月時点で、363億キロワット時であったものが、493億キロワット時と35%増大し、今や電気供給量の実に68%を占めるまでになっています。

脱原発の世論の流れによって、皮肉にも日本は今や約7割を化石燃料に依存するCO2大国に生まれ変わってしまったと言っていいでしょう。

この状況が続くのならば、1990年比25%削減など夢のまた夢であって、大量の排出権購入を考えない限り、わが国は外国に排出権購入で膨大な富をむしりとられ続けることになります。

つまり、原子力をゼロにする環境問題解決を実現すれば、片方の地球温暖化阻止というもうひとつの環境問題を犠牲にせざるをえないパラドックスが現実のものとなったわけです。

では、この原発停止分を再生可能エネルギーで補完できるのでしょうか。

残念ながら、再生可能エネルギーには、その力はありません。たとえば、世界で最大のメガソーラー発電所はどこか知っていますか?

それは米国のモハベ砂漠で計画されている40万キロワットなのですが、この稼働率は砂漠なのにもかかわらず2割ていどなので実質10万キロワット程度の発電能力しかありません。

これは通常サイズの天然ガス・コンバインドサイクル火力発電所1系列の4分の1ていどでしかありません。

原発と比較するのは気が進まないのですが、あえてしておけば超巨大メガソーラーとて新鋭火力発電所1基の10分の1ていどの能力しかないのです。

これではジャンボジェットのエンジン1基分も出力できません。しかもそれは瞬間最大出力時であり、朝や夕方、曇りや雨ではほとんど発電しません 

そして太陽光は既に発電転換率の理論的限界値まで達してしまっているため、今後の伸び白がありません。 

つまり、太陽光発電はいかに脆弱な電源かと言うことです。私は太陽光は原発の代替ネルギーとしてはもっとも不適格だと思っています。

今脱原発運動の中で、過剰な太陽光発電へのムード的期待が作られていますが、私はほどほどにしておいたほうがいいと老婆心ながら思います。

このような再生可能エネルギーの宿命的欠陥を見ずに、それが拡大しないのはみんな社会制度が悪いんや、という逆切れをした人がいました。飯田哲也氏です。

この飯田氏が提唱したのは、発送電分離でした。長くなりましたので発送電分離問題は別の機会にします。 

■写真 広島原爆ドーム 。原子力の最悪の使用は、このドーム上空500メートルで炸裂しました。

« 小泉元首相の勘違い脱原発論その2 暫定保管という知恵 | トップページ | ドイツ型脱原発政策の落とし穴 »

原発を真面目に終りにする方法」カテゴリの記事

コメント

 
 
勘違いはあなたの方ですよ。

小泉元総理は、国民の反対を押しきって再稼働を進めても、せいぜい数基しか出来ないだろう、その程度なら、充分他の電力で代替できる、という話。

>金をつぎ込んでも再生可能エネルギーは最大で16%にしか伸びませんでした。

これも間違い。
既に今年前半のドイツの再生エネ比率は25%。
昨年でも22%。

それに世界全体で見ても、再生エネは圧倒的に伸びている。

もちろんすぐに火力の代替にはならないが、原発分なら余裕で超えるとIEAも報告を出している。

再生可能エネルギー:発電量が16年に原発の倍に−−IEA見通し
http://mainichi.jp/feature/news/20130719ddm013020006000c.html
 

再エネ伸ばしてどのような社会矛盾が生じたか、ドイツやスペイン見てから言いなさい。
FITみたいな悪法作って、多額の負担を社会におしつけたあげく伸びて何になります?
少し頭を冷やして勉強しなさい。

管理人として警告。IPアドレス111.188.31.3
4連投はするな。常識だろう。
HNはつけろ。常識だろう。
無名の投稿は全削除した。
だいたい他人様のブログに来て、「いいかげんにしろ」はないだろう。バカか。
いいかげんにしろと言いたいのは、こっちだ。
錯乱しているようなので、もう二度と来るな。

私はこのような執拗に絡んでくる自称「脱原発派」に心底うんざりしています。
私が「被曝地」の人間として、たぶんこの男の何倍も苦しみながら、いわゆる「脱原発派」になれない理由は、こういう類の者が多いからだと思います。

外部ブログからの導きにより、拝見させていただいています。

自分の知る学術において、管理人様の代換エネルギーの実用性の分析、かなり正確であると思います。

現実を知る事が、良い選択につながると、おおまかに置いて同意します。

(個人的には弱い補助エネルギーの使い方も役立てたらと願いますが)

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 小泉元首相の勘違い脱原発論その2 暫定保管という知恵 | トップページ | ドイツ型脱原発政策の落とし穴 »