アナザー・サイド・オブ・オキナワその3 島でひとり「本土並」となった公務員
身も蓋もない沖縄を知るために、沖縄に一体どのくらい国民の税金が投入されているのかを見てみます。
下図は、「内閣府沖縄総合事務局」という霞が関統合出張所が出した統計です。
ここは、経済産業省、農水省、国交省など各種官庁の出先を統合した国家機関で、ここを通じて沖縄県には予算が配分されます。
ちなみに、こんな出張所は沖縄にしかありませんから、これだけでいかに沖縄が他県とは違った「特別な」存在なのか理解できるはずです。
普通なら、政府機関は各々の政策に応じて、自治体に配分するのですが、その枠を超えて「他県とは違う基準で手当てする特別な予算枠」(内閣府)が沖縄県にはあります。
国が「他県とは違う基準で手当する」のは、言うまでもなく米軍基地かあるからです。
単に面積的なら北海道や神奈川も負けたものではないのですが、その戦略的位置が違います。
沖縄は太平洋、東シナ海、南シナ海、インド洋までにらんだ「要石」の位置にあるからです。
その上、昨今中国の膨張政策により国境の島としての重みもぐっと増しています。
これは他県をもっては替えがたい沖縄の宿命的特殊性です。
それゆえ、国はふんだんに予算を投じてきました。原発立地自治体を10倍にして10乗したような場所が沖縄なのです。
これが島人(シマンチュー)にとって幸福だったのか、それとも悲劇だったのか、私はずっとわからないでいます。
あるいは難しく考えず、「明日あさってをしぶとく生き抜いていくさ」というのが、案外沖縄流なのかもしれません。
下図をご覧ください。
このグラフは沖縄振興事業予算の推移を表しています。面白いことに気がつきます。
グラフ中央部の平成10年(1998年)が4713億円とピークとなって、徐々に減ってきており、現在は2000億~3000億円規模になってきています。
20013年度予算で、仲井真知事が3001億円と1億だけ3千億の大台を突破したことを考えると、この4713億というのは凄まじい額だと実感できます。
この黄金のピーク時の1998年時に沖縄県知事の椅子に座っていたのは、一時はその権勢を「琉球王」とまで呼ばれた太田昌秀氏でした。
抵抗型革新首長の典型のような人で、山内徳信読谷元村長や、伊波洋一前宜野湾市長、そして今の稲嶺進名護市長などの「手本」になりました。
鉄血勤皇隊という旧制中学の学徒組の生き残りで、沖縄戦を丹念に調査してまとめ上げた研究者でした。
いい意味でも、悪い意味でも、その濃厚な存在感を持つ知事は見たことがありません。一度島酒を酌み交わしてみたいと思わす座談の名手だと聞きます。
酒といえば、磊落な酒豪としても有名で、県外交で行った米国では高級ホテルでヘベレケだったという逸話が残されています。
この県外交とは、国を勝手に無視して米国に乗り込み要人と会見して基地撤去を直訴するというものです。
こられた米国はいい迷惑だったでしょうし、自治体首長がこのような国の専管事項である外交に首を突っ込むこと自体に問題があるのですが、県民からは「やってるな、太田サン!」という合いの手が聞こえてきそうな県内向けパーフォーマンスでした。
さて、この太田知事を強く推して、選挙マシーンとなったのが官公労の自治労沖縄と沖教組であったのはいうまでもありません。
さすが今は都市部では少なくなっていますが、今でも地方に行くと、北海道や山梨のように官公労の選挙運動は根強く残っていて、非常に強力な力を持っています。
さて、太田知事の「存在感」は、彼の脂の乗った濃厚な押し出しだけではなく、本土政府への全面抵抗路線でした。
軍用地の代理署名拒否から始まり、普天間移設容認を求める当時の岸本名護市長や官邸とも会談を拒否し続けました。
そしてもうひとつこの存在感の背景にあったのが、財政力、つまりいかに本土政府からカネをもぎ取ってくるのかというエゲツないパワーにもありました。
だから、彼は本土政府に徹底抗戦する姿を県民に見せて支持率を伸ばし、それをバーゲニングパワー(交渉力)にしていたふしがあります。
その成果は、上図の太田知事在任中がもっとも巨額の本土からのお金が流れ込んでいのことをみれば、多少はおわかりいただけるでしょう。
反基地を掲げて当選しておきながら、臆面もなく基地の見返りの振興予算を貰う矛盾の底には、「本土からの振興予算は賠償金のようなものだ」という、強烈な被害者意識に根ざす「沖縄差別論」的発想があるようです。
そして、それを常に加害者であることを本土政府に忘れさせないために、沖縄地上戦や戦後の異民族支配、米軍基地が蒸し返されます。
このイデオローグ(※)が、他ならぬ太田昌秀氏でした。
「沖縄差別」という概念もそのときに言い出されたもので、沖縄県民たちは被差別者で本土人は皆差別者なのだということになります。
私が沖縄にいた30年前にはこんな表現はありませんでした。しかし、今や国会議員すら公然と使っています。
そこから自分たちは、「差別されているのだからカネを貰ってあたりまえだ」という歪な考えが常態化していくことになります。
しかし、現実には、本土政府はこの振興予算を基地の見返りとして交付しているのであって、ゼニを貰えば貰うほど基地は恒常化することになります。
県知事参与の比嘉吉彦氏はこう述べています。 (日経新聞那覇支局大久保潤氏による)
「本来、沖縄の保守と革新の間にはイデオロギー対立はありませんでした。どこが違うのかというと、革新は理想論を主張し、保守が現実論を言う。」
「そして沖縄全体で政府から振興策を引き出す役割分担が続きました。1,972年の本土復帰も、運動を指導したのは教員ら官公労です。」
「『本土並』を求めて公務員の給与は、ほぼ本土並になりました。復帰でいちばん恵まれたのは公務員だったのです。公務員は勝ち組となり、同時に革新勢力の担い手となりました。」
昨日みたような公務員と民間の処遇の著しい格差は、本来は沖縄革新、つまりは沖縄左翼の恥だったはずです。
しかし、復帰後の長い年月で固定化されてしまった安楽な指定席だったことは間違いありません。
この本土政府と米軍に抵抗してさえいれば、島全体の賃金や経済を底上げしないでも自らの島の特権が守られるかのようなぬるま湯が沖縄革新をダメにしていきました。
方や保守勢力も、本土からもたらされる湯水のような振興予算を使って、やくたいもない建造物をニョキニョキと島内に作り続けてきたのですから、革新のことをとやかく言えた義理ではないかもしれませんが。
※イデオローグ イデオロギーの創始者
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沖縄はかなり特殊な例でしょうが、疲弊した田舎なんか酷いもんです。
学校給食センターはすでに民営化してたので、東日本震災被災地へ使えるもので全力で弁当を届けたりしました。
パートのオバチャン、残業ありで月20万ですよ。
大手コンビニの弁当工場並みです。
今時、そんなのがまかり通ってたとこがあるのね!
ああ、一宮崎県人と同じ気持ちになりますよ。
給食のオバチャンや清掃員で、雇って欲しいですよ。
根本には公務員の「特権意識」ばかりで、彼らの多くが『税金で食わせてもらってる』意識が、あまりにも希薄なことです。
山形のようなド田舎ですら、そんなもんです。
2年の特別減給終わったら、県も市も通常に戻すそうです(県知事&山形市長)から。
理由は「元の給料で自宅新築やクルマのローンで、職員のワークライフバランスが」
ですって。
寝言は寝ていうもんでしょうに。
沖縄なんか、酷いもんでしょうねえ。まさに特権階級。
マスコミにはこの辺を掘り下げて欲しいもんです。
あちらのメディアでは無理でしょうから、本当は報道特集とかの『本土のメディア』で。
JR北の杜撰管理なんていうと、すぐに飛び付くのに、沖縄となると「基地被害」一辺倒で全くですね。
投稿: 山形 | 2013年10月11日 (金) 10時58分