ドイツの脱原発は隣の家の青い芝(4) 前ドイツ送電網管理責任者は語る
原発ゼロと一口で言ってもドイツとわが国では条件が違いました。
ドイツは
①停止させた原発は7基(後8基)で、17%の電源は原子力から供給されていた。
②再生可能エネルギーの拡大政策で、16%を依存していた。
一方日本は
①原発は規制委員会の審査終了まで2基で、事実上原発からの供給は途絶えていた。
②再生可能エネルギーは3%程度だった。
両国の条件はまさに互い違いで対照的ですね。
ではこのような条件で、原発(半数)停止後のドイツの電力供給はどのようなことになっていったのでしょうか。
結論から言えば、まるで薄氷の上を歩くようだと評されています。
2001年から11年間も連邦ネットワーク庁(BNA)長官をしてきたマティス・クルト氏(下写真)は、メルケル政権の脱原発政策のいわば大道具監督だったような人です。
連邦ネットワーク庁(BNA)とは、インターネットとは関係なく送電網のコントロールをしている官庁で、まさメルケル氏の原発停止後の最前線を担った部署です。
彼は原子炉が一挙に7基止まった時のことをこう述懐しています。
「送電網の状態が不安定になり、大規模停電の危険性が以前に較べて高まりました」。
この時は一気に約7ギガワットも消滅したのですからハンパではありません。
このBNAは非常に強い権限をもっており、送電系統にトラブルが起きそうな場合、地方政府の許可なしで発電所を再稼働したり、逆に止めたりすることができます。
また再生可能エネルギーに対しても同等に強い権限を持っており、たとえば強風により風力発電量が異常に多い場合、その送電をカットすることもできます。
過剰な電流をそのまま流すと、送電ケーブルに負荷がかかりすぎて故障の原因になるからです。
2011年にBNAがこのような送電網への強制介入をした回数は、実に308日間で1000回に登りました。
これは脱原発政策以前の2003年にはたった3回にすぎなかったことを考えると、実に330倍です。
いかにFIT(固定全量買い取制度)で激増した再生可能エネルギーと、停止した7基の原子炉が大きな負担を送電網にかけているのかお分かりになると思います。
さて当時、経済活動の中心地であったドイツ南部のバイエルン市とバーデン・ヴュルテンベルク州は、原子炉が電力需要の半分を供給していましたから、これが一気にゼロとなるとその分をよそから引っ張ってこなければならなくなったわけです。
この時に両州の電力が枯渇状況となり、ドイツ南部の送電網は大混乱をきたしました。
ドイツ南部地帯は、ドイツ産業の心臓部で、日本で言えば、京浜工業地帯への送電が混乱したようなものです。
ここで停電でも起きようものなら天文学的損害が出るわけで、送電網の責任者であるクト氏は毎日生きた心地がしなかったでしょう。
そしてこの「原子炉一気止め」の後に来たのが、再生可能エネルギーの不安定さでした。
それまでは、確かに再生可能エネルギーは増え続けて来ましたが、原子力と火力の安定供給で電力供給に支障が出ることはありませんでした。
しかしその片翼だった原発が半身不随になってしまったわけです。
今まで淡々と供給されてきた電気が、毎日、いや毎時刻みに刻々と変化をするのですから送電網管理者の側はたまったものではありません。
この恐怖を味わったBNAは対策を考えざるをえなくなりました。それは日本の夏場対策と対照的に、厳しいドイツの冬場対策でした。
2011年8月、冬を前にしてBNAはコールド・リザーブ(予備発電所)を用意したことを発表しました。
これは今までCO2問題で稼働を止めていた老朽石炭火力発電所を8基稼働させることにしたのです。
ドイツ南部とオーストリアで再稼働させることで、なんとか厳しい冬を乗り切ろうとしたわけです。
クルト元長官は、もっとも厳しいシミュレーションに基づいて供給を予測したと述べています。
つまり、毎日曇天が続き、おまけに風も吹かないという天気です。このような最悪シナリオを描かずに、原発をゼロにすることは自殺行為だからです。
このバックアップ用コールド・リザーブは作っておいてよかったのがすぐに証明されました。
12月8日には送電業者のテネット社がオーストリアの火力発電所からさっそく電気を購入して穴埋めをしています。
実はこの時、ドイツ北部では電気はやや余っており、おまけに強風で風車はブンブン回っていました。
しかし、かんじんのドイツ南部工業地帯への送電網の拡充が遅れていたために余っているのに送れないという悲喜劇のようなことが起きたのです。
翌年2012年は記録的な大寒波がヨーロッパ全域を襲いました。まさにBNAが予想していた「最悪シナリオ」です。
寒波により電力需要は毎日ピークを更新する反面、太陽光パネルは曇天と雨でまったく電気を作らず、風車も回らないという事態が現実のものとなったのでした。
この時のことをクルト元長官はこう述べています。
「一部の地域で電力需要が予測を上回ったためにコールド・リザーブを投入しました。この時に送電網のどこかが故障していたら停電が発生していたでしょう。」
結局この2012年の大寒波は、在来型の石炭、褐炭、原子力が電力供給を支えきり、再生可能エネルギーの不安定さが改めて再認識された結果になりました。
よく太陽光発電の転換効率が高いという論者の中には、米国エネルギー省エネルギー情報局((DOE・EIA)の数値を引き合いに出す人がいます。
しかし、これは一年中雨の降らないネバダ州の砂漠地帯での数値だったりします。
現実にはこのドイツBNAのように「最悪シナリオ」を想定して現実の脱原発施策を考える必要があります。
昨日書いたように、北ドイツから南ドイツへ巨額の投資をして送電網を増設している最中ですが、なかなか建設用地が確保できず苦労しているようです。
現在ドイツは送電業者が電力停止をした場合に、損害を受けた企業は送電業者から年に最高6万ユーロ(600万円)の補償を受けられる制度を作っています。
これにより送電業者は年間1億ユーロ(100億円)ていどの追加資金が必要となり、これも電気料金に上乗せされていくことになります。
このような「脱原発大国ドイツ」の裏側を知り尽くしているクルト氏がやや皮肉に、自ら「早すぎる喝采」と言うのはなんとなく分る気がします。
ドイツはこの時原発を全面停止したわけではなく、6分の1の電源は原発が供給していました。
にもかかわらず、このような薄氷の事態か生まれたのです。
今、わが国は完全停止の状況ですが、この状況を永遠に固定化するために「原発ゼロだ。再生可能エネルギーで代替できる」という小泉氏のような人がいます。
これらの人は、11年の夏にドイツ以上の電力崩壊を乗り切った「日本のクルト氏」が大勢いたことを忘れています。
わが国の幸運は、原発停止の時点で、再生可能エネルギーの供給量が低かったことにより、崩壊と不安定が同時に襲ってこなかったことです。
このドイツと日本の経験から言えることは、原発の停止と、再生可能エネルギーの大規模導入を同時にやっては絶対にならないという教訓です。
■参考文献 主要国のエネルギー政策 - 資源エネルギー庁http://www.enecho.meti.go.jp/topics/hakusho/2011energyhtml/1-2-2.html
■関連過去ログhttp://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-6147.html
※アップ後に改題いたしました。
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■BNA元長官マティス・クルト氏インタビュー
「エネルギーシフトにのぞむにあたり、ドイツはここまでとてもよく対処しています。しかし、だから大丈夫と考えるのは早計です。厳しい冬を乗り越えた今だからこそ油断大敵で、気を引き締めてかからなければなければなりません。
エネルギーシフトの成功を喜ぶのは少し早すぎます。まだドイツの電力のおよそ6分の1は原発によるものです。エネルギーシフトの本当の試練は、これらの原発を稼働停止しはじめてから始まるのです。われわれは、今後10年かけて大変な問題に取り組んでいかなくてはなりません。
自然エネルギー施設の拡充方針に反対する人はいません。しかし問題は建設地の確保で、特に南ドイツでは不足しています。現在建設中の発電所では不十分なのです。すべての関係者には、この冬の経験を通じて新規建設の必要性を認識して欲しいと思います。
今多くの人は、ドイツが数週間フランスに電力を輸出したと喜んでいます。しかし2011年全体でみれば、ドイツはフランスに対してかつての電力輸出国から輸入国へと転落しています。都合のいい数字ばかりではなく、事実を見つめるべきです。
極度の寒波とガス輸送の停滞により、予想を超えた困難に直面しました。…非常に逼迫した状況で、数日間は予備電力に頼らねばなりませんでした。万が一の場合もう後がないわけで、極めて異例な措置でした。」
(フランクフルター・アルゲマイネ紙)
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