仲井真沖縄県知事の苦悩と決断その2 普天間問題解決が最優先に決まっているだろう!
今年最後の記事となります。今年もご支援有り難うございました。
我ながらへそ曲がりなブログですが、来年もいっそう偏屈に磨きをかけてがんばっていきたいと思っております(笑)。
皆様がよき新年を迎えられますように、心より祈念しております。
明日新年のご挨拶の後、4日土曜の週末写真館まで正月休みとさせていただきます。来週6日から通常どおりに戻ります。
さて、昨日からの続きです。仲井真氏が言いたかったことはなんでしょうか。仲井真氏はなにを危惧しているのでしょうか。
マスコミの皆さんや野党はここがわからないで、仲井真バッシングに走るのはやめたほうがいいと思います。
それは煎じ詰めるとひとつです。
このまま手をこまねいていれば、都市開発が進んで副都心になりつつある宜野湾市のど真ん中に普天間基地が残ることになります。
おそらく、今回の仲井真知事と政府の合意が流れた場合、再び先行きは見えなくなり、相当高い確率で普天間基地の永久固定化になることでしょう。
それはもっともまずいことではありませんか。現実を見て下さい。
昨日私は、反対派やマスコミは相互に矛盾している三つのことを同時に主張していると書きました。
もう一度書けば
①普天間は「世界一危険な基地」だから撤去せよ
②辺野古埋め立て反対
③県外に移設しろ
この3つには相互に矛盾があり、それを解決するような魔法はこの世にないと昨日書きました。理由は昨日の記事をお読みください。
骨がある現実主義者の仲井真氏にはこの三つの矛盾が、放置すればするほど解けない糸玉のようになって、普天間永久固定化につながることを恐れていました。
ならば彼が残り少ない任期のうちにせねばならないのは、普天間撤去に道筋をつけることでした。
すなわら、解決するためにはなにから先行するのかという価値判断の軽重をつけることです。
すべて同時に解決しろというのは、なにもするな、なにもしないままでこのままでいいという無責任と一緒なのです。
そのように順序立てると、①の普天間の永久固定化をしないことが最優先であることは自明ではないでしょうか。
よく新たな基地を作って、これ以上の基地負担を増やすのかという人がいますが、まったく勘違いです。
今回の辺野古に作る「新たな基地」部分、既存の陸上部のキャンプ・シュアブとつながっています。
つまり、まったく新たに基地を作るように報じられがちですが、実態はキャンプ・シュアブの増設にすぎません。
(下図参照「週刊オブイェクト」より転載いたしました。ありがとうございます)
しかも普天間と違って、滑走路の進入路が市街地にかからないようにあえてV字型に設計されていて安全性にも配慮されています。
もし、安全性に配慮しないならば、もっと少ない埋め立て面積でよかったはずです。
その結果、普天間基地が存続する辺野古に3分の1に縮小して移転するので基地は減りこそすれ、増えるわけではありません。
●[普天間基地と辺野古新規増設の面積比較]
・普天間基地面積 ・・・480h
・辺野古新規建設部分 ・・・160h
辺野古だけで320h基地面積は減少することになります。
また米軍基地は、既に1996年12月に日米合意した沖縄に関する特別行動委員会(SACO)でこのような縮小計画が決まっています。
(沖縄県 「SACO最終報告による米軍施設・区域の返還案」)http://www.pref.okinawa.lg.jp/site/chijiko/kichitai/documents/2sho.pdf
●[在沖米軍基地縮小計画]
・那覇港湾施設 ・・・60h
・牧港補給地域・・・270h
・普天間基地 ・・・480h
・キャンプ瑞慶覧・・・157h
・キャンプ桑江 ・・・70h
・北部訓練場・・・4000h
・縮小面積計 ・・・5037h
これらの基地の返還がなされれば、沖縄にとって大きなメリットが生まれます。大きく2点です。
・航空機事故などの危険性排除
・跡地の再開発による経済活性化
牧港補給地区(浦添市)は、沖縄の大動脈である国道58号と海に挟まれた地域にあり、今まで補給地区を縫うように交通していた国道58号の大幅な改善が期待されています。
普天間基地などは、那覇に隣接し商業用一等地として、あるいは県や国行政機能の一部移転なども可能となり、那覇に次ぐ副都心に成長することは間違いありません。
那覇軍港は那覇市中心部と那覇空港の中間地点に位置し、物流の拠点として跡地を活用する案が検討されてきました。
北部訓練区域は、面積が大きいだけでなく、今後のヤンバル観光のフロンティアに成長するでしょう。
これにより沖縄県内の米軍基地の約4分の1が大幅に縮小され、沖縄の過重な基地負担は間違いなく軽減されます。
今までこの返還が合意しても実現が遅れてきたのは、この中でもっとも重要な普天間基地の代替が決らなかったからです。
あるいは稲嶺名護市長のように反基地を掲げながら、基地返還を拒否するという本音と建前を使い分けるご都合主義の政治家がいたからです。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-10ca.html
この普天間基地の代替探しに実に自民党時代だけで14年、そしてそれを攪乱させた民主党時代だけで不毛な3年間という17年もの時間が経過してしまいました。
その間知事も認めるように、沖縄をめぐる外部状況が一変しました。
移設案が検討開始された頃にはなかった中国の膨張軍拡政策と、石垣市尖閣諸島への侵犯が頻繁になされるようになり、このような「決まらない」状態をいつまでも放置できる状況ではなくなりました。
外部状況の危機が強まる中での基地縮小という厳しい条件となったのです。
したがってもつれた糸玉の最初のつまづきが普天間にある以上、これを解決しない限り沖縄の米軍基地縮小は実現しないことになります。
このように普天間基地移設問題に突破口ができれば、単なる一飛行場の移転にとどまらず、大幅な沖縄における米軍基地縮小の流れを作るものです。
また、仲井真知事の決断の背中を最後に押したのは、政府の日米地位協定の改定交渉に対する交渉開始意志でした。
※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-37d6.html
現行協定では、米軍人の「柵の外」、つまりわが国主権内で起きた犯罪に対しても、わが国では米兵に限ってわが国の司法がこれを裁くことが出来ません。
裁判自体はできますが、まず最初に裁判する権利は、米兵に限ってまず米軍が裁く権利を有します。
これを「1次裁判権」といいますが、これを日本はこと米兵にだけは持ちません。また被疑者の身柄の確保も現行犯で警察が逮捕しない限り出来ません。
ですから、いったん「柵の中」に逃げ込まれたら、身柄の返還は米軍が裁いた後に「返してもらえるかもしれない」ことになります。
この地位協定によってどれだけ沖縄が悔しい思いをしてきたことか。この日米地位協定の改定はいわば沖縄の悲願だったのです。
単なる基地移設だけではなく、このような踏み込んだ政府の取り組みに仲井真氏は心打たれたようです。
移設容認ばかりが取り上げられ、この画期的とも言える日米地位協定交渉開始について触れた報道はまったくなされませんでした。
もし責任論の揚げ足をとられない率直な議論の場であるなら、仲井真氏はこう言いたかったのでしょう。
「あくまで県外を望むのは沖縄人として当然だが、それが不可能な以上、次善の県内移設をすることで基地面積の縮小と危険性の除去をするしかないではないか。他に具体的代案があるなら言ってくれ」
次善なき政治は政治ではありません。少ない選択肢を突きつけられた者が、県民を背負ってとりうる道は屈伏か反乱だけではないのです。
病んだ仲井真氏が車椅子の上から叩きつけるように発した怒りは、金平氏たちのような愚劣なマスコミに対してだけではなく、いつまでも空論にふけって現状に安住する人たちに対してだったのかもしれません。
今年はこれでお終いです。年の最後に、私が尊敬して止まない骨のある現実政治家・仲井真弘多氏の最後の闘いに拍手を送って、今年を締めくくります。
■写真 霞ヶ浦の渡し跡の日の出直前です。まだ三日月が出ています。
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