不機嫌な太陽その2 地球温暖化説の怪しい出生
地球はほんとうに温暖化しているのか?それとも正反対に寒冷化に向っているのか?
実はこのことに対して、科学界はふたつに分かれているといったほうか公平でしょう。
主流はいうまでもなくIPCC(気候変動に関する政府間パネル)を中心とする温暖化派で、それに反対する人たちは懐疑派と呼ばれています。
簡単に温暖化説を誕生のいきさつをおさらいすると、 1970年代後半からそれまでの寒冷化説に代わって人為的CO2の増加が温暖化の原因だとする学説が生まれました。
88年には、NASA・ゴダード宇宙研究所のハンセン前所長の炭酸ガスの増加が地球温暖化を引き起こしているという爆弾証言があり、一挙に世界中で話題となりました。
これは金星がぶ厚いガスに覆われていて、その雲の下は温室効果で焦熱地獄に違いないという考え方から来ています。
それに歩調を合わせるように、9年後に有名なマイクル・マンのホッケースティック曲線が世に出て、米国政府まで動かすようになります。(下図参照Wikipediaより)
これがホッケースティク曲線と呼ばれるのは、20世紀に入るやいなや炭酸ガスと気温が45度でドーンっと同調して上昇するという分かりやすいグラフだったからです。
この図はIPCCの「気象変化2001」にデカデカと掲載されました。マンは若手の古気象学者で、主に気象代替指標といって年輪などを使って1000年~1980年代までの気象変化を調べていた人でした。
このホッケースティック曲線は、マン自身もIPCCの執筆者のひとりで加わっていた2001年のIPCC第3次報告書に公式文書に登場するやいなや、大騒動に発展しました。
まず、米国のクリントン大統領(というよりゴア副大統領)が、いわば米国政権の公認の学説となりました。
当時、米国海洋・気象諮問評議会副委員長をしていたS・フレッド・シンガーは、これに対して苦々しげに「クリントン政権と、IPCCが気象変動に関してほしがっていたお手軽な答え」と評しています。
つまり当時、石油資本の後ろ楯のある共和党政権から一線を画して新たなエネルギー政策を取りたかった米国民主党政権と、気候問題というマイナーな分野に多額の予算を欲しがっていたIPCCなどの気候マフィアが手を組んでこのマンのホッケースティック曲線を政治的に利用したというわけです。
もちろんIPCCも一枚岩で温暖化を信じていたわけではなく、すぐに有名なホッケースティック論争が開始されます。
というのも、多くの気象学者が関わったマンの発表の3年前95年にIPCC「気象変動1995-図22」としてこのような気象変動グラフが掲載されているからです。
ここにはマンが意図的に無視した中世の農業発展を支えたといわれる中世温暖期と、その後にやって来るテムズ河も凍ったマウンダー極小期による小氷河期がしっかりと記されています。
ちなみに上図で分かるように中世温暖期に至っては、現代より温度が高いのですが、当時にハンセンやマンが言うような「地球気候を変動させるような人為的炭酸ガスの排出」がなかったのはいうまでもありません。
このような多くの批判を受けて2004年にマン自身も訂正に応じて、現在はこのようななんと11種類の曲線があるグラフに訂正されています。(下図参照Wikipediaより)
ここには批判があったマウンダー極小期が小氷河期としてでてきます。(ただし、マンは訂正しても間違ってはいないと主張し続けています。)
このように一見不動のように見える地球温暖化説は、多数の間違いやスキャンダルを引き起しながらも本質的にはまったく変更を加えられることなく現代に至っています。これについては後の回で触れる予定です。
IPCC第5次評価報告書は、2013年9月26日から部分発表があり、最終報告書は2014年3月の横浜総会で出る予定です。゛
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