不機嫌な太陽 その14 海流の心臓は冷えていた
北極周辺の猛烈な寒気が流れ込んだものと思われています。この寒気が寒冷化と関係あるのかどうかわかりませんが、夏と冬の気温差が激しくなり、冬がいっそう寒冷化しているように思えます。
さて何度か書いていますが、地球の気候は、自然環境の変動と、それを打ち消そうとする人為的攪乱要因との綱引きです。
1940年代から70年代にかけて気候は、寒冷化していました。団塊の世代前後までなら覚えているでしょうが、当時は「氷河期がやってくる」ということをさんざん聞かされたものです。 ドラマ「おしん」などで描かれている飢饉の原因は寒冷化でした。
終戦の年もひどく寒い夏だったことが記録されおり、当時の農業関係者はいかに冷夏と戦うのかが大きなテーマだったのです。
海洋研究開発機構・中村元隆氏は、NOAA(米国海洋大気庁)や英国気象庁などの過去の観測データを分析しました。
その結果、1980年ころに温暖化の転機があったことが分かりました。
中村氏が着目したのは79年2月から3月にかけて、北極に近いグリーンランド海の表面水温です。
グリーンランド近海の海流の温度は前回述べたように、世界の海流の「起点」です。比喩的にいえば「世界の海流の心臓」にあたります。
この「心臓」の温度が上昇するか、低下するかで世界の海流の気温や、それに連動する大気温度までが変化していきます。
(図 海洋研究開発機構プレスリリースhttp://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20130629/)
上図には74年からの海水温が記録されていますが、79年から一気に上昇に転じているのが分かります。
このグリーンランド海域の海水温が一気に2度も上昇した結果、周辺の大気の流れに影響が及んで、温暖化へと変化していきます。
「この1979年の変化が、1940年代から1970年代にかけての北半球寒冷化から1980年代以降の温暖化に変わる大きな転換点となった」(海洋研究開発機構プレスリリース)
北大西洋では、海面水温が約70(±10)年周期で、ほぼ35年ごとの上昇、下降を繰り返し、北半球全体の気候に影響を及ぼす「大西洋数十年規模振動」という現象が知られています。
この「大西洋数十年規模振動」というのは、グリーンランド近海のフラム海峡経由で北極に還流し、「過去1000年以上にわたって約70年周期で北半球に長周期気候変動をもたらしてきた」(同)と見られています。
ですから、フラム海峡付近のグリーンランド海域の海水温の変化・変動を調べることで、今世界が寒冷化に向っているのか、温暖化に向っているのかの判定ができるというわけです。
北極の寒気で冷やされた低温・高塩分の海水は、重くなって沈み込み、深層流となって北極海から大西洋に南下します。
この流れに連動して、暖かい熱帯域の海水が北大西洋の表層を北上するので膨大な熱量が運ばれて、大気温度に強く影響を与えます。
中村氏は、気候変動シミュレーションの高精度化のための数理モデルに、グリーンランド海を舞台とする変化のプロセスを加えて正確に表現することに勤めました。
70年当時は、既に二酸化炭素の排出が増えていましたが、「大西洋数十年規模振動」が下降期だったので、温室効果の影響は相殺された形になりました。
しかし、80年代からは、「振動」が上昇期に転じ、二酸化炭素の温暖化効果も加わっていっそう気温上昇という結果にてりました。
IPCCは、このうち二酸化炭素ガスだけを原因として捉えて単純化してしまいました。
この強引な政治的とすら言える二酸化炭素悪玉説により、排出量取引が金融商品化されたり、南北が激しく排出権で争う国際問題にまで発展しました。
この10年ほど、世界の平均気温上昇は停止し、中村氏によればこの気温の上昇停止は、大西洋数十年規模振動が上昇期から下降期に転じるカーブの頂点にあり、以降は寒冷化に向うためだとしています。
「グリーンランド海と大西洋数十年規模振動の関係に基づいて推測すると、2015年前後にグリーンランド海において1979年に起こったのとは逆の現象が起こると考えられます。」(同)
「79年に起きたことと逆な現象」、すなわち寒冷化が始まる可能性が出てきているのです。
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独立行政法人海洋研究開発機構 プレスリリース
中村元隆「北半球の気候変動要因の解明 グリーンランド海の急激な変化がもたらした北半球の気候変化」より一部転載
4成果
気候変化・変動では、平均値がどの程度変わるのかが注目されがちですが、実は平均からのズレがどう変わるのかも人間社会や生態系にとっては非常に重要です(※10)。
例えば日本付近では、1979年以降、8月平均気温の平年値からのブレが大きくなっています(図7)。つまり、毎年8月に期待される「平年並み」の気温から外れる度合いが大きくなり、猛暑や冷夏が起こりやすくなったというわけです。
これらの変化が顕著なのは北緯45度から北ですが、北緯30度付近でもある程度の変化が見られます。また、このグリーンランド海の急激な水温上昇とほぼ同時に、オホーツク海の海面水温が、冬季に限ってではありますが、基本値が大きく下がったことも分かりました。
これはグリーンランド海の通年変化とは違い、大西洋数十年規模振動に伴う季節風の変化による大気主導の変化であると考えられます。
4.2 考察
この1979年のグリーンランド海の変化によって大気循環場は北大西洋北部周辺で特に大きく変わり、大気と海洋による北極圏への熱輸送が増加し、北極海から大西洋への海氷輸送は減らされる傾向に変わりました。
この地域・海域では、北向きの海洋熱輸送と北向きの大気熱輸送・風力強制がポジティブのフィードバックを形成しており(※11)、変化が始まると急激に進行する可能性があります。
実際、北大西洋振動は1970年代中盤冬季に北向きの海洋熱輸送と大気熱・風力強制が強まる正の状態になる頻度が高まっており、これが上記のフィードバックを通じて1979年の急激なグリーンランド海の変化をもたらしたと考えられます。
さらに、この1979年の変化がアイス・アルベド (氷・雪と太陽光線の反射率)フィードバックの助けをかりて、1980年代以降の北半球の気温上昇と北極の海氷減少を引き起こしたとも考えられます(※12)。
また、同じ力学的要因が大気循環に影響を与えて冬の北半球中高緯度の平均気温に強い影響を与えていることも分かりました。このグリーンランド海の変化による大気力学要因の変化は、北半球の1940年代から1970年代にかけての寒冷化、そして1980年代から2000年代前半にかけての温暖化の気温変化の傾向とも一致しており、1980年代以降の北半球冬季温暖化は、この力学要因の変化が大きな要因となっている可能性が考えられます。
4.3 北半球長周期気候変動
また、このグリーンランド海の急激な変化は、大西洋数十年規模振動に伴う大きな変動のタイミングを決める鍵であった可能性があります。
実際、長周期GSSTIは大西洋数十年規模振動指標の変遷を10年~15年先行して同様な長周期変遷を示しています(図4)。
この10年~15年の時間差は、グリーンランド海を通過した水温変動シグナルが大西洋熱塩循環流に影響を与えて、そのシグナルが大西洋数十年規模振動シグナル(基本的に北大西洋平均水温)に現れるのに要すると推定される時間とほぼ一致しています。
このことからも、グリーンランド海は北半球の長周期気候変動・気候変化に重要な役割を果たしていると推測できます。
4.4 総論
本研究で見出されたグリーンランド海と大西洋数十年規模振動の関係に基づいて推測すると、2015年前後にグリーンランド海において1979年に起こったのとは逆の現象が起こると考えられます。
最近10年ほどの地球温暖化停滞の傾向は、大西洋数十年規模振動の周期から推測される傾向と一致しており、北大西洋振動が強い負の状態になる頻度が高くなると、上記のフィードバックが働いて数年間で北半球寒冷化へ移行する可能性もあり、今後は北大西洋近辺の変動を注意深く観察する必要があります。
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コメント
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記事を読みながら改めて子供のころを振り返ってみると、思い当たる事が多いです。
1954年生れの私の小中学生のころは、冷害との戦いでした。
両親が毎年冷害の心配をしていた事を思い出します。
その中で、よく子育てをしたものだとつくづく昔の人たちの逞しさと強さを感じざるを得ません。
獲れて当たり前の最近の傾向とはまったく違いますし、その頃両親の口から「国が悪い・政治が悪い」なんて言葉を聞いた事がありません。
何でも他人のせいにする現代人とは比べようがありませんが・・・
投稿: 北海道 | 2014年1月 7日 (火) 12時08分
76年、81年と冷害がありました。
一方で国策による減反政策にも翻弄され、ブランド化したコシヒカリに対抗するササニシキに代わる対冷害対応品種こそが山形では「はえぬき」「どまんなか」宮城の「ひとめぼれ」秋田の「あきたこまち」でした。
そこに93年大冷害が東北を襲いました。「はえぬき」は耐えましたが、他は惨憺たるものでしたが「ブランド」戦略に失敗。県内栽培に拘りすぎました。
その夢を繋ぐ切り札が「つや姫」ですが、過去の失敗に懲りて「ブランド戦略室」まで立ち上げて頑張ってますが、このところのTPPや西日本や北海道との競争で後手に回って苦戦しているのが現状です。
暑さにも寒さにも強い究極の美味い米なんですが…。
投稿: 山形 | 2014年1月 7日 (火) 14時32分