名護市長選 稲嶺現職が勝利 これで普天間固定化の道が半分まで来てしまった
稲嶺氏陣営が夏前から体制を固めていたのに対して、自民党県連の混乱のために、候補者一本化が選挙戦寸前になるなど大きく出遅れた上に、公明党県連が稲嶺支持に回ったことが響いたようです。
今回の移設容認派の敗北原因は、翁長政俊自民党県連前会長と、翁長雄志那覇市長にあると言っても言い過ぎではありません。
このふたりは、鳩山氏が作り出した「国外・最低でも県外」移設の幻想を使って、執拗な移設反対姿勢を取り続けてきました。
ダブル翁長は平和の崇高な理念があるわけではなく、自分たちが県知事と与党県連会長となり、革新までウイングを伸ばした強大な権勢を構築したいという野望をもっていたからです。
そのために、自民党執行部が沖縄に対して強くでられないと足元を見るや、先の参院選でも自民党の公約とはかけ離れた県独自路線を突っ走ってきました。
翁長那覇市長は、自民党中央の公約に背いて擬似的な「オール沖縄」勢力を作った主役となり、今回の名護市市長選においても末松支援に回るどころか、稲嶺支援に多くの自民党那覇市議を送り込んですらいます。
それに対して稲嶺候補は夏前に選挙準備が出来ており、共産、社民、社会大衆、そして本来政権与党である公明党県連への根回しも済んでおり、翁長市長を使って自民党の分断にも成功していました。
末松候補側は翁長市長のサボタージュのために秋まで出馬表明が遅れた上に、自民党県連の玉虫色の姿勢に怒った元市長の島袋氏が立候補を表明し、あわや保守分裂選挙の様相すら呈していました。
自民党中央のギリギリの介入でなんとか末松一本化できたものの、あまりにもドタバタが長すぎ、そして遅すぎました。
統一候補も翁長市長の息のかかった末松県議ではなく、名護市長としての実績と知名度もある島袋氏にするべきでした。
自民党は、昨年末になって振興予算の上積みや振興策を立て続けに出しましたが、それもこのような流れができてしまえば、むしろ札束で頬を叩くように受け取られても仕方がありません。
このような事態を引き起こした石破幹事長の指導責任は、重く問われるべきです。
政府は既に菅官房長官が「粛々と進める」と明言している以上、名護市の「抵抗」を排除して進むことになります。
予想される名護市の「抵抗」は、具体的にはこのようなものになると見られています。
「稲嶺市長は具体的な権限内容は示さなかったが、辺野古沿岸部の埋め立て工事や、基地建設工事における道路や港湾の使用許可などを念頭に、漁港漁場整備法に基づく砂浜への工作物設置申請や、補助金適正化法に基づく辺野古漁港の防波堤・護岸の財産処分などで市長の権限が及ぶことを示唆したものとみられる。」(琉球新報1月10日)
かつての三里塚闘争のようになるという人がいますが、私はならないと思います。
というのは、現地反対同盟に相当するものがなく、辺野古3地区、漁協は完全に容認派が占めている以上、現地建設反対闘争は起こりようがないからです。
稲嶺氏は「民意」の錦の御旗を手にしたものの、稲嶺市政と長年対立を続けてきた現地との溝はいっそうに深まり、再編交付金なとの拒否による市経済の疲弊はいっそう加速していくものとみられます。
稲嶺氏が東海岸地域の活性化の具体的政策を持っていないのはこの4年間で明らかですが、公約である「基地に頼らない地域経済」が今後どのように具体化されていくのかが注目されます。
今後、仲井真知事は「辺野古の申請認可は変わらない」として辞任する考えもないことを示しました。
しかし、もはや問題は仲井真知事以後です。
おそらく11月の知事選挙は、移設反対「オール沖縄」候補と、移設容認候補の一騎討ちになると思われます。
今の流れが続けば、再び移設反対派が勝利し、かくして普天間永久固定化が決定されることになります。
ほんとうにそれでよいのか、私は沖縄の皆さんに何度もお聞きしたいのです。
※本記事は名護市長選の結果を受けて全面的に書き換えました。
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