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2014年2月 7日 (金)

ニューズウィーク誌に建設的議論がないと言われた脱原発運動

014

昨日からの続きです。 

「ニューズウィーク」誌(2月11日)のインタビューで、小出裕章氏はかつての「反原発運動」を簡単に振り返ってこう述べています。

小出は長年、愛媛県の伊方原発の反対運動に参加していた。チェルノブイリ事故以降、そこにも『恐怖に駆られた』人々が押しかけたが、最後は古くからの活動家と軋轢を起こし、しばらくするといなくなった」(同)

私も小出氏と同時期に、この光景を見ています。氏とは面識こそありませんでしたが、誠実な科学者として長年尊敬していました。

氏の福島事故時の発言は許しがたいものですが、その反面、福島農業への優しい心配りをした数少ない脱原発運動家だったことも事実です。

彼の「私は福島の野菜を食べる」というひと言は、「東北の野菜を食べたら死にます」とテレビでニヤニヤしながら言い放った武田邦彦氏と同次元で扱うわけにはいきません。

このように書くとお分かりになると思いますが、若き日の私は、スリーマイル島事故の頃から反原発運動に関わっていました。

チェルノブイリ原発事故後、参加者は数十倍に膨れ上がりましたが続かずに、やがてそれぞれの狭い「島」に閉じこもるようにして分散して、熱を失っていきました。 

かつての私もその流れの中で、有機農業を志して今に至っています。

さて、今回の福島事故は、私自身が「被曝地」の農民だったために、当事者としての現実的対応に追われました。

情報蒐集-測定-除染-風評被害対策などやるべきことは山積みされていました。

当時、幾度となくかつての反原発運動当時の友人たちから集会やデモに誘われましたが、気が進まないので一度も出かけませんでした。

口で「原発はいらない」といくら叫ぼうが、首相官邸に押しかけようが、私たちの土壌に降下した放射能はなくなるわけではありませんから。

東京でデモをするより、地元の地域で共同で放射能と戦う仲間作りをする方が、私には遥に意味があると思えたのです。

長期に渡る畑地や里山の観測体制作りと、現実的な原発をなくすための議論を原子力やエネルギー専門家の意見を聞きながら深めていくべきだと考えていました。

この時、私の前に立ちはだかったのは、皮肉にも東電でもなければ自民党でもなく、小出氏流にいえば「恐怖に駆られた」都市の住民たちの脱原発運動でした。 

武田邦彦氏のような悪質な煽動家たちがばらまいたデマに踊らされた人々のむき出しの憎悪は、私たち農民に向けられていたのです。

彼らは口を揃えて、福島や茨城、宮城の農民をあたかも「敵」のように見立てて口汚く罵り、「農業をやめろ」「東日本は住めない」とさえ叫びました。

住めないですって?ならば、私たち土地の上で生きる民はどうしろと言うのですか?

彼らは「福島の子供を救え」と言いながら、実はそれは土地から離れて疎開し無人化しろという主張でした。

脱原発運動(の一部)は、あくまでその地を浄化して生き抜こうとする現地農民や漁民を敵にしてしまいました

私は決定的に脱原発派と自称する人達と一緒にやれないと感じたのはこの時です。

脱原発運動と称するものは、単に都市住民だけが安全ならばいいというエゴイスティックな心情が肥大化しただけのものなのです。

これは後に続く震災瓦礫反対運動でいっそうはっきりした形を現します。

もちろん、福島の農民に対して支援をした団体、個人は多かったのですが、それは脱原発運動とは無関係な個人としての良心に基づいたものです。

「(反対運動の新規参加者は)原子力に反対なのではない。と小出は言う。自分のところに火の粉が降りかかるのを恐れているだけだ」(同)

福島第1原発事故は 原発をめぐって理性的で建設的な議論を行うチャンスを日本に与えた。
地震国である日本で原発を立地するリスクは必ずある。100%の絶対的安全は存在しない。もちろん100%の絶対的危険もありえない。(略)しかしこの3年間、議論はまったく成熟してこなかった
」)同)

私は、いくどとなく原発をなくすための具体的議論を呼びかけましたが、かつての友人たちはデモに忙しいようで反応はありませんでした。 

むしろ放射能汚染した農産物探しに忙しいとみえて、私の土壌や水の除染の技術、あるいは5年先、10年先のエネルギーのあり方などの「暇な議論」になどつきあってはいられない風情だったようです。 

こうして私は、徐々に今まで関わってきた脱原発から決別していきました。離れるに連れて、傲慢なようですが、私には彼らの行き先が見えるようになってきました。

一時的に燃え上がり大勢の人が参加するが、肝心な脱原発の具体策の議論がないままに内部抗争とセクト化の道をたどって孤立化し分裂していくだろうという暗い未来です。 

そして孤立化した少数派は、いっそう閉鎖的になり、立場の違う人達の意見を排除しようとします。結果、さらに孤立化が深まり過激化していきます。

残念ながら、この私の脱原発運動に対する予想は、今の時点でおおよそ当ってしまったようです。 

この人達は、脱原発の行程が極めて長いものであり、その過程で過渡的に規制委員会の安全審査をパスした原発を動かす選択肢もありえるということに頑として耳を貸しませんでした。

いつまでも、「再稼働反対」と叫んでこの場所に座り込んでさえいれば運動になるかのような判断停止、知的怠惰です。

このような姿勢からは山本太郎氏のようなピュアで先鋭にしてバイアスがかかった人物は生まれるでしょうが、ほんとうに現実が変わることはありません。

私は、小泉氏が突如として舞台に駆け上ったとき、あるいはなんらかの具体案のデッサンでもあるのかと期待しました。 

彼が最初にオンカロと口走った時には、一瞬おお、と思ったものです。フインランド方式は私が温めているもっとも有力なプランだったからです。
※関連記事
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-26ea.html
       http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-1f72.html
       http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-bc12.html

もし、粗削りでもそれがあるなら、今の硬直化して左翼運動の亜種に堕っしてしまった脱原発運動にいい刺激になるたろうと思ったのです。 

ところが、やはり小泉氏は歳ふりても小泉氏でした。あいかわらず天才的漫談師ですが、中身はなにもないのです。

オンカロも真逆にねじ曲げて解釈しているのですから、むしろたちが悪いようなものです。 

小泉氏が「目覚めた」オンカロについてニューズウィーク誌はこう書いています。

脱原発で語られることの多いオンカロだが、フィンランドの経験から読み解くべきなのは、エネルギー政策に対するコンセンサスを導き出した国民の建設的な議論だ」。(同)

「(オンカロの街の住民は)原発のメリットとデメリットを冷静にとらえた上で、最終的に処分場を受け入れる判断をしている」

「(小泉の)「独善」はフィンランドの国民的議論の対局にある」(同)

小泉-細川陣営は、ムード的脱原発を叫び、宇都宮陣営はよくある「放射能怖い」を叫ぶだけという不毛な構図こそが、事故から3年たとうとしている脱原発運動のただ今現在の位置なのです。

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原発を真面目に終りにする方法」カテゴリの記事

コメント

はじめまして
やはり、比較的古くから反原発運動にかかわっていたものとして、憤りについては理解できる面も少なくありません。

しかし、「脱原発運動と称するものは、単に都市住民だけが安全ならばいいというエゴイスティックな心情が肥大化しただけのもの」というのもまた、一部を肥大化させた解釈ではないかと思わざるを得ません。

福島の農業に思いをよせながら、脱原発をかかげている友人も少なくないからです。

つるたまさひでさん。理解できます。私もそうではない人々を個人的に多く知っています。しかし、そのような人達の声は少数派であるようにみえます。
それが残念です。

科学者というのは総じてこの程度なんでしょう。脱原発の科学者だけが無責任な事を言うような言い方は不公平です。

原発は絶対安全だ、つってた科学者への責任は問うているのでしょうか?

日本の原発で、水素爆発は「絶対に」起こらないと言っていた原発推進の東大の先生がいましたが、そういう科学者は無責任ではないのでしょうか?

それともあなたのブログは公平性など無関係に噛みつきたい人に噛みつくのならそう断って脱原発の科学者に噛みついてください。

武田邦彦が人間のくずだったとしても、
武田邦彦の言ったことのすべてが間違えとは限りません。
福島原発200km圏の安全宣言をするのは、
3号機の燃料プール内の瓦礫の下を見てからでも遅くはないと思います。
そこにある筈の使用済燃料棒の何割かがごっそり無くなっていたら
(2011年爆発時に溶けて大気中にばら撒かれていたら)どうするのですか?
少なくとも、
2011年3号機爆発による鉄骨グニャグニャや黒い煙の一瞬大量発生の原因も
すべてガス爆発(水素ガス)によるものだとする発表は、
文系的な都合で作られた全く創作で、根拠ゼロです。

http://www.youtube.com/watch?v=WyZDHnstm-k#t=33s
http://news.digi2.jp/
http://9123.teacup.com/uekusajiken/bbs/11858
http://9123.teacup.com/uekusajiken/bbs/11832
http://9123.teacup.com/uekusajiken/bbs/11786
http://www.asyura2.com/13/genpatu33/msg/867.html#c31
http://www.asyura2.com/13/genpatu33/msg/356.html#c8

http://blog.livedoor.jp/sakatakouei/archives/51450660.html
http://www.47news.jp/CN/200908/CN2009080701000061.html

2011年3号機爆発のあの映像を見ると、
燃料プールで、
通常発電時に原子炉で起こっている核分裂連鎖反応と同じものが始まって、
制御していないために連鎖が急激に拡大して温度が上がり過ぎて燃料棒が溶け、
同時に、上がり過ぎた温度によって周りの水も一瞬で水蒸気になって
溶けた燃料棒と水蒸気が混ざって吹き上げられている様、
に見えるのですが...
この真偽は、3号機の燃料プール内の瓦礫の下を見せれば白黒付くのです。
東電よ、瓦礫の下、早く見せろ。なぜいつまでも隠し続ける?

point_out_radiation_leak さん。アーニー・ガンダーソン氏の意見ですね。それは既に私の過去ログ2011年5月10日付けで報じてあります。ガンダーソン氏の説は私は常にチェックしています。
ただし、専門性の欠落した武田氏の煽りはほとんど論評に耐えません。

※過去ロク
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-a7de.html

それと「神奈川県民」が全員かどうかなど、常識で判断しなさい。

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