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環境テロリスト・シーシェパードの誕生その2 ジャパン・バッシングの道具

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(先週からの続きです)

グリーンピースの「オペレーション・エイハブ」は、大型ゴムボートで調査船に幅寄せするという過激なものでしたが、それが全米に放映され大反響を呼びました。

一躍、グリーンピースは凛々しい動物保護運動家のヒーローに飛び出したのです。

米国民の熱狂を見て膝を打ったのが、デトロイトやピッツバーグの財界人でした。

それまで彼らは反核運動などをしていたグリーンピースなどという「ロン毛のクソガキども」には目もくれませんでしたが、彼らの利用価値の大きさに初めて気がついたのでした。

それは、他ならぬ日本に対するバッシングの道具としてです。

彼ら米国財界人は、日本が対等な貿易国ではなく、「可愛く賢いクジラ」を食べるような非文明人として米国民にアピールしたかったのでした。

いうまでもなく、自動車輸出と捕鯨はなんの関係もありませんが、大戦の時のレトリックと同じく、「日本人はこんなに残酷な人種だからテッテイ的に叩きのめさねばならない」という世論を作り出せればオーケーなのです。

「残酷なジャップ」に捨て身で阻む勇敢なエコロジストの青年たち!おお、いい絵になるじゃありませんか!

そして80年代、ジャパン・バッシングの絵作りのために、巨額の献金が米国財界から滔々と流れ込むようになります。

いままですりきれたジーンズと、手作りの事務所で活動していた彼らは一躍リッチになったというわけです。

その米財界の期待に応えるようにして、いっそうグリーンピースは過激に「残酷なジャップ」を襲撃するようになりました。

1989年、スーパー301条という日本制裁法の交渉のために訪米した竹下首相を、グりーンピースら、捕鯨反対の大手モで出迎えます。

もちろん日米経済問題と捕鯨がなんの関係もないのは百も承知で、米国民に反日意識が刷り込めればいいのです。

同年1月には、とうとう心配された調査船との衝突事故がひき起こされましたが、米国民にとって当然悪いのは日本です。

91年12月にも同様の妨害行動が行なわれ、95年2月には調査船の第18利丸への無許可乗り込みが起きました。

また、フランスからの処理済みプルトニウム移送にも、数ある原子力利用国の中で日本だけをあえて取り出すようにして抗議行動を続けています。

これはグリーンピース本来の反核にかこつけていますが、わが国がプルトニウムを原爆製造に使用する意志などまったくないのは誰も知るところです。

にもかかわらず、わが国のみを執拗につけ狙い、まるで核武装する陰謀でもあるかのような宣伝を続けます。

ましてプルトニウム移送は核ジャックの可能性があるために、その航路すら秘密にされているのに、追跡して全世界に「ここにいますよ。ただ今抗議中」とやりまくるのですからなんとも非常識な連中です。

なぜ、彼らは日本のみを執拗にターゲットにするのでしょうか

それは今お話した日米関係を背景にして彼らの行動を見ると、一目瞭然です。

日本を叩けば金になる、身も蓋もない言い方をすれば、そういうことです。

同じ捕鯨国でも、白人国で米国に冷凍魚ていどの輸出しかないノルウエーを叩いても1セントの金にもなりません。

それどころかバイキングの末裔たちからは断固たる反撃が返ってくることがわかっているからです。

実際、シーシェパードは、ノルウェイの捕鯨船を破壊した時に、怒ったノルウェイ漁民にかえり討ちにあってデコボコにされたあげく、頭目のポール・ワトソンは牢屋に入れられたりしています(笑)。

Photo_2 (写真 シーシェパードの抗議船。なかなかのセンスだが惜しくも自沈。彼らは調査船にぶつけられたと主張。ワトソンは調査船から銃撃された主張している。鯨類研究所が銃で武装しているとは大笑い)

それに対して日本はおとなしく逃げまどうばかりです。叩けば大金になる上におとなしい「残酷なジャップ」、これこそ絶好のターゲットだったのです。

90年代に入ると、1993年の宮沢-クリントン会談から始まる「年次改善要望書」に始まる米国の意のままにわが国を変えていく「構造改革」が始まりました。

これは新会社法、新独占禁止法、新建築基準法、そして2005年の郵政改革法案の流れへと続いていきます。

これは常に日本を従属的地位につけておくためにの内政干渉まがいの介入でした。

これを可能にする国際世論l作り、米国世論操作の先兵が、グリーンピースであり、シーシェパードだったのです。

環境運動がジャパン・バッシング・ビジネスに化けたのです。

このような政治的意図を持つダーティな資金提供を得て、グリーンピースは、小さな反核グループから、いまや巨大な多国籍環境保護団体へと成り上がりました。

つまり、グリーンピースこそ、日本を標的にすることが金脈であることを発見し、それをビジネスモデル化した最初の環境保護団体なのです。

そして日本叩きを原資にして、いまや多国籍企業と化したグリーンピース本部の幹部の移動はファーストクラス、年収は数百万ドル、泊まるホテルはスイートと噂されています。

これが、1971年9月15日、すり切れたジーンズにロングヘアーを海風になびかせて、「レンボー・ウォーリア号」で、アリューシャン核実験海域にむけての航海に向かった彼らの成れの果ての姿です。

このような堕落の過程で、オリジナルのグリーンピース・メンバーはそのほとんどが失望し、去っていきました。

「グリーンピース・クロニクル」(1979年)を書いたボブ・ハンターもそのひとりでした。

そして別の意味でグリーピースを去った(というか除名された)オリジナルメンバーのひとりに、後のシーシェパードの指導者ボール・ワトソンがいました。

そのとき、ワトソンは、このグリーンピースのジャパン・バッシングというビジネスモデルをもっと過激に、もっと派手に演出できる団体の構想をもっていたのです。

それがあのシーシェパードです。彼らには理想などありません。あるのは、ギラギラした金儲けヘの欲望だけです。

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環境問題」カテゴリの記事

コメント

捕鯨がダメになったらこんどは鵜飼をたたきそうですね。自然の摂理を無視した環境団体などもはや上から目線の傲慢主義でしかありません。環境問題は自然の摂理に従って解決していくべきです。

投稿: umigarsu | 2017年9月26日 (火) 23時27分

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