東京大空襲と米国のトラウマ
今から69年前の3月10日。 東京下町は焼き払われました。
たったひと晩で約8万から10万人の非戦闘員が殺されましたが、数字が明確でないのは、戸籍を役場ごと消失したり、死体すら見つからなかったケースか多かったからです。
この夜、私の大叔母が死んでいます。家は全焼し、大叔母の骨すら見つかりませんでした。骨壺には自宅があった辺りの石が入っているそうです。
大空襲は、まさしくジェノサイドと呼ぶにふさわしい計画的的、かつ冷血なものでした。
その夜、米軍は非戦闘員の居住する人口密集地帯の風上に焼夷弾を投下し、そして時間をおいて人々が逃げる方向の風下を焼夷弾で遮断しました。
そして逃げ場を封じた上で、焼夷弾の業火で包囲し10万人余を生きながらにして焼き殺したのです。
このような所業を単純な軍事作戦と呼ぶのは当たらないでしょう。目標は民間人大量虐殺であるからです。
言い逃れようもなくこれは戦争犯罪です。
B29の下腹は、燃え盛る炎で血で赤く染まったようにてらてらと光って見えたそうです。
軍事物資を作る町工場が下町に散在していたからだと米国は言います。そのようなことは屁理屈にすぎません。
彼らは後の本土空襲において、米軍捕虜がとらわれている収容所は正確に爆撃目標から外しているからです。精密爆撃は充分可能だったのです。
一方、市民の住宅は言うに及ばず、学校、病院に至るまですべてが徹底的にみさかいない爆撃を受けています。
広島における爆撃照準点は島病院という医療施設ですらあったのです。
またこの東京においても、後の広島においても、市街地を爆撃するのに一切の事前警告は行われませんでした。
なぜ事前警告をしなかったのでしょうか。
よしんば町工場で軍需物資を作っていたとしても、工場が焼かれれば機能しないはずです。事前に大量の宣伝ビラを撒けば市民は避難可能だったはずです。
にもかかわらず、米国は執拗に日本の子供を、老人を、女性を標的にして、生きたまま焼き殺しました。
頭から粘着性を帯びた焼夷弾を浴びせると、払って払ってももつきまとうそうです。そして人は生きながらにして松明のように燃えて死ぬのです。
米国の目的は、「畏怖と衝撃」を日本人に与えることでした。
戦略爆撃の最大の目的は、軍事目標を破壊することではありません。日本人の米国に抗う精神をへし折ることです。
「畏怖と衝撃」、この言葉はイラク戦争の緒戦における米軍の空爆に付けられた作戦名でもあります。
アメリカ人は戦後もなお、本質においてなにひとつ変わっていないようです。
私は戦場の極限状況においての狂気をあるていどは許せます。人は自らの生の切所において、狂気に支配されやすいものだからです。
しかし、ある意味もっとも恐ろしいことは、人が人をボタンひとつで大量に人を殺すことができてしまう心理です。
殺戮する対象を人として見なさず、記号と統計数字で理解します。対象は照準器に写るドットの影にすぎず、もはや喜怒哀楽を伴った「人」ではないのです。
私は絶対に人として許してはならないことがあると思っています。そのひとつがこの1945年3月10日の東京です。
長崎より死亡者が多いのに比して、あまりにも知られていないのは残念です。
そして、この東京大空襲は単なる始まりでしかありませんでした。
東京を壊滅に追い込んだ米軍機の群れは、東京を破壊し尽くすと、次々と日本の大都市、そして中小都市に至るまで徹底した爆撃を加えていきます。
上位7都市は以下です。(太平洋戦争研究会による。カッコ内は死者数)
・長岡市(約1200人)
・富山市(約2300人)
・日立市(約1300人)
・千葉市(約1200人)
・川崎市(約1000人)
・静岡市(約1600人)
・浜松市(約3200人)
・福井市(約1600人)
・津市(約1600人)
・堺市(1900人)
・和歌山市(約1100人)
・明石市(約1500人)
・岡山市(約1700人)
・呉市(約2100人)
・高松市(約1300人)
・八幡市(現北九州市の一部、約1100人)
・大牟田市(約1300人)
・佐世保市(約1000人)
・鹿児島市(約2400人)
・死亡者累計50万人以上
この人間の行為とも思えない爆撃の指揮官はカーチス・ルメイといい、あろうことか戦後日本国政府は彼を「航空自衛隊の育成に貢献した」として叙勲しました。
昭和天皇は、彼の叙勲式に欠席することでご意志を示されました。戦後一貫して政治発言を拒否された陛下の唯一の戦後の「政治的発言」でした。
さて、米国はこの東京大空襲や、それに続く広島、長崎を「戦争犯罪」と呼ばれるのを極端に嫌がります。
私たち日本人がそのように米国の戦争犯罪を指摘すると、ヒステリックに「歴史修正主義」、時には「極右」扱いで葬ろうとします。
つまり、「確定した歴史認識に対してチャチャ入れるな」というわけです。
昨今の例では、作家百田尚樹さんの東京都知事選の演説が物議を醸したことが記憶に新しいところです。
この東京大空襲、そして広島・長崎は、米国にもトラウマを与えました。
広島に原爆投下をしたエノラゲイの乗員のひとりは爆撃直後こう叫んだそうです。「おお、なんてことを俺たちはやらかしちまったんだ」。
以後米国人は、日本が「唯一の被爆国」と言う度に、彼らの心の奥に鋭い針が刺さったはずです。
いわばこれが米国の原罪です。彼らはこれから逃れるために情報操作を行いました。
それが、本土空襲や原爆投下も、「核を落すことで戦争が終わった。さもなくば100万人の米国の若者と、それ以上の日本人が死んでいたはずだ」という論理です。
この論理に従うと、私たち日本人も、「戦争を終わらせてくれて、平和憲法をプレゼントしてくれたアメリカさん、ありがとう」と言わねばなりません。
実際そのように言う日本人も多いのは事実です。
ところが、当時日本にはこれ以上戦い続ける継戦能力は残っていませんでした。必死に和平の道を探っていたのが、当時の日本政府だったのです。
もちろんそれを一番よく知っていたのは米国でした。
そこで彼らは、「日本人は残虐だったから原爆を落されても仕方がない。彼らは罰を受けねばならなかったのだ」という自己正当化の論理を作り出します。
彼らはいまだに教師が子供にこう教えています。
「戦前まで日本人は残虐で、大量虐殺、強姦を繰り返した卑怯な民族でした。だから、文明国はこの野蛮国を懲罰して、民主主義国家にしてあげました。改心した日本は今はいい友人になりました」、と。
例えば、今米国のべストセラー本は、米国捕虜が終戦直後、原爆を投下された広島の中心部を汽車で通過した時を追憶する時このようなコメントを残しています。
“Nothing! It was beautiful.”(何もなかった。美しかった)
続いてその元米国捕虜はこう述べています。
“I know it’s not right to say it was beautiful, because it really wasn’t. But I believed the end probably justified the means.”
(実際には美しくはなかったので、美しいというのは正しくないと分かっていた。しかし、おそらく目的は手段を正当化すると信じた)
※http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1232?page=3
まさにすり替えてす。しかし「目的が手段を正当化」できると人間は思い込むことで人は、いくらででも自らの残虐行為を合理化できるのです。
このような情報操作によって、米国は精神的トラウマから逃れて戦後国際秩序の覇権国家になったわけです。
ここにおいて、「戦勝国」中国、あるいは笑止なことに自分を「戦勝国」と錯覚している韓国の反日と米国の利害は一致したわけです。
したがって、米中韓は日本の異議申し立てに対して「戦後秩序への挑戦」という同一の概念をシェアしているのです。
私たちが、従軍、あるいは南京大虐殺と呼ばれる戦時の冤罪に対して異議申し立てをする場合の最大の壁は中韓ではなく、米国だと思っておいたほうがいいでしょう。
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まさにルメイによる惨劇・虐殺行為です。
そして、自らの非道な行為によって「英雄」になり戦後には軍事コングロマリットとして権勢を振るった連中ですね。
1950年代の共産主義の恐怖扇動とアカ狩りキャンペーンも同じ手法でした。
アイゼンハワーがケネディに最後の引き継ぎで言って言葉が「軍人を信じるな」だったとも伝えられています。
謎のB-29。
同夜、南蔵王の不忘山で3機のB-29が稜線近い場所で墜落しています。
しかも編隊ではなく時間もバラバラに。いったい何があったのか調べても謎です。
今でもジュラルミンの残骸の一部が残っており、宮城県白石市の県道脇には「不忘の碑」というモニュメントがあります。
当時、雪の山中から残骸を運び出したのは山形県側で、プロペラ等が隣の学区の小学校の体育館で展示され、見に行った私の親父はあまりの巨大さにたまげたそうです…。
投稿: 山形 | 2014年3月10日 (月) 06時45分
大量の非戦闘員を焼き殺したのは疑うことのない非道ですが、「人口密集地帯の風上に焼夷弾を投下し、そして時間をおいて人々が逃げる方向の風下を焼夷弾で遮断しました」は事実ではないようです。私も何かの資料で周囲から包み込むように焼夷弾を投下したというのを最近まで信じていました。
投稿: | 2014年3月10日 (月) 09時02分
米国の戦争犯罪については、大戦後、今までの米国の行いをみても、
そのとおりだと思います。
でも文章の最後で突然、従軍慰安婦、南京大虐殺が
冤罪であると書かれると...
こちらが言いたかったんでしょうか?
投稿: 我田引水 | 2014年3月10日 (月) 10時42分
我田引水さん。いわゆる従軍慰安婦と南京大虐殺とされることを書こうとした記事ではないので、このような末尾での付け足しの形になりました。
このふたつについては私は冤罪説に立ちます。従軍慰安婦問題はほぼ完全な捏造です。これについては、既に河野談話についてだけ書きましたが、そのうち詳述する予定です。
南京事件に関しては「なかった」いうことではなく、数千から数万人規模の非戦闘員の殺傷はありえたと思っています。
しかし中国側が主張する30万人説などはありえないという立場です。これについては書く予定はありませんでしたが、勉強はしております。
さて、私が今日言いたかったことは、橋下氏のように米国とわが国の戦争犯罪をバーターにして、互いにやったじゃないかというようなことではありません。
米国が作った戦後世界秩序の構築の陰で、完全に埋没しかけている史実を忘れるな、ということです。
そしてこれを米国に認めさせることは極めて至難なことであって、それに関して米中韓は共同の利害を持つという事実を指摘しました。
また、民間においての歴史認識の議論と、政府がするものとは別次元であって、政府が覚悟と戦略なき見直しなどすれば、最悪の国際関係になると予想しています。
その意味で、私は安倍政権の靖国参拝以降のオーバーランには批判的です。
ご理解いただけたら幸いです。
投稿: 管理人 | 2014年3月10日 (月) 11時07分
大変丁寧な御返事で恐縮です。
記事の意図は了解しました。
安倍さんは外交は自身ありげでしたが、どんどん悪い方向に進んでいくような気がして不安です。
従軍慰安婦と南京大虐殺については議論できるような知識を持ち合わせていませんが、何となく、当時の日本(軍)ならやりそうだ、と思っています。
日本人の多数派?ですね(笑)。
個人のブログですから義務も必要性もありませんが「そのうち詳述」された時には、読ませていただきます。
投稿: 我田引水 | 2014年3月10日 (月) 13時32分
我田引水さん。
南京虐殺の件ですが、あなたの意見が日本国内での多数派だとは思えませんよ。
そりゃ非道な行為はあったでしょうし、それは許される行為ではありませんが、ブログ主のコメントの通りで現中華人民共和国が主張する30万人なんてのはありえないのです。
当時南京に進駐した日本軍の人数と、戦災から逃れて城外に避難した一般人の数。
日本軍の兵担(弾薬)からして、いくら極悪非道でも無理です。
私もレイプ犯罪はあったであろうし、市民(多くは便衣兵)に対して殺戮行為はあったとは思っていますが、
やはり、数千~万人程度がせいぜいのはずです。
〇〇大尉は100人切ったとか、××大尉も負けずに100人切り殺した英雄!
などと記事でもてはやして煽ったのは当時の朝日新聞です。
日本の軍刀(日本刀)で、そんなに切れますかっていう。
そんなんだったら日本陸軍は無敵ですがな。
もちろん、戦争犯罪を肯定する気などサラサラありませんが、中国におけるエスカレートと対外ロビー活動は、目に余るものです。
投稿: 山形 | 2014年3月11日 (火) 09時37分
家には、親父が、将校として、持っていった軍刀など、日本刀は、3本残ってますが、(もちろん、文部科学省の美術刀としての許可証は、持ってますので、銃刀法違反にはなりません。
ただ、山形さんのおっしゃるように、この刀で、100人を切ることは、物理的に、不可能と思いますね。
体力的にも、困難でしょう。
ただ、日本刀は、よく切れますので、たんぽで、手入れしているうちに、自分の指が、切れていたことは、ありますね。
包丁よりは、切れ味は、抜群に良いです。
中国軍は、ゲリラ化して、夜襲が多かったので、師団長は、夜は、おちおち寝てられなかったようですよ。
馬があるので、誰が、士官かは、ばれますのでね。。
物流が無かったので、すべて現地調達命令がでていたので、民間人を、残念ながら、殺してしまったことは、多分あるのではと、思いますが、30万人となると、その遺体は、どこに消えたのかが、解りません。
少なくとも、おやじは、蒋介石の命令による日本帰国命令で、帰ってこられたのは、本当だと思ってます。
投稿: りぼん。 | 2014年3月11日 (火) 18時54分
リボンさん、お帰りなさい。なんか、すごくうれしい。古い友人に再会したようだ。またよろしくお願いします。
投稿: 管理人 | 2014年3月11日 (火) 19時13分
管理人さま。
おひさしぶりですね。
従軍慰安婦問題は、慰安婦と言うものが、存在したとは、思ってますが、日本が、朝鮮半島を、管理していた時期は、日本の領土と思って、たくさんの投資をしていた時期もあり、商業慰安婦に混在して、何がしかの日本軍の関与のある慰安婦が、ゼロであったとの証明は、いまのところ、難しいと思いますが、20万人が、日本軍により、強制連行され、無償で、性奴隷にされたと、慰安婦像の看板に、書かれている、20万人の根拠は、非常に、薄いと思ってます。
日本人でさえ、赤線、青線と言う、風俗業が、あった時代に、韓国人のみを、特に選んで、20万人と言う根拠のはっきりしない数字を、韓国政府が、主導して、米国の韓国大使館前などに、設置する行為は、ブーメランのごとく、ベトナム戦争時の韓国軍の悪行の暴露として、韓国政府に、戻っていくでしょうし、ベトナム戦争で、起こした米国の非道も、オープンにせざるをえなくなりますよね。
ホーチミンのシーズー病院や地下3階まである「クチ」という、地下生活トンネル、当時使われた、銃の実弾発砲など、現地で、経験しましたし、ソウルの馬鹿でかい、プロパガンダの塊のような戦争博物館も、見てきましたが、今のハングル文字も、日本語のひらがな50音と、構成は、まったく同じですし、よくも悪くも、中国、韓国、日本の文化は、永年の歴史によって、基本的には、似ているものなんですよね。
韓国政府も、あまり根拠がないことや、根拠の薄いことを、政府見解として、PRすることは、オーバーに広報すればするほど、日本どころか、韓国自身が、墓穴を掘ることになりかねないと思わないと言う事が、ありますので、賢明とは、思えませんね。
安倍総理の発言が、賢明かどうかも、日本より、ひどいことを、世界で、行ってきている米国が、積極的に、米国の悪行に触れないようにしていることで、解るように、あまり本質に、真正直に、踏み込んで、現職総理が、発言することは、外交的には、まずいと思うのですがね~。
投稿: りぼん。 | 2014年3月11日 (火) 23時25分