「河野談話」誕生秘話 石原元副官房長・慙愧の証言
韓国が激烈なジャパン・ディスカウント(日本の地位低下運動)をしていることは、日本人で今や知らない人もいなくなりました。
韓国の定番テーマは、わが国が「従軍」、韓国が世界に発信している表現を使えば「sex slave」(性奴隷)として、戦時中に20万人もの韓国女性を韓国から強制連行したということのようです。
当時の朝鮮の人口は約2000万人、女性が約半分として1000万人、そのうち30歳以下人口は約3割として300万人ですから、日本は若い女性の実に7%も娼婦として強制連行したことになります。
真実なら大変なことです。
これは今や歴史的事実として国際的に定着し、これに異を唱える者は「極右の歴史修正主義者」という扱いを受けます。
私は今、安倍政権がこのテーマを取り上げるのは、時宜にかなっていないと思っていますし、やるべきではないと思いますが、国民は政府とは別に事実は事実として押えておくべきでしょう。
あらかじめ言っておきますが、私は韓国を好きでも嫌いでもありません。私が知りたいのは「事実」です。
さてこの韓国側の主張の根拠となっているのは、主要に三つです。
時系列順で並べれば、ひとつめは1983年に出版された吉田清治なる人物の『私の戦争犯罪』なる「証言」、二つ目は1991年の朝日新聞による「軍が女子挺身隊としてを強制連行した」とする報道、今ひとつは1993年に出された「河野談話」です。
流れとしては、吉田清治氏の「証言」により「従軍」の問題化が始まり、朝日新聞の記事がそれを一気に日韓国際問題にまで拡大させ、それを日本政府として追認し、謝罪した公式見解が「河野談話」ということになります。
このうちもっとも重要なものは、日本政府による謝罪にまで至った「河野談話」です。
「河野談話」により、この問題は日本政府がお墨付きを与えたということで国際社会に流通しているわけです。
この「河野談話」については、当時官房副長官(事務方トップ)で、この元聞き取り調査の談話のまとめ役をした石原信雄氏の2月20日の国会証言と2月24日の講演が出ており、その他にも産経新聞のスクープ記事が出て、その内幕が徐々に明らかになりつつあります。
日本政府は調査にあたって、韓国政府との信頼関係を前提として始めています。
今の冷えきった日韓関係では考えられませんが、当時の日韓関係では、宮沢訪韓を控えて、なんとか事態を鎮静化させたいという両国間の暗黙の了解が存在したようです。
特に日本側には、「強制連行は認められないが、一定の強制性を認める」という妥協策をあらかじめ考えていたようです。
そしてそれによって「日本の善意」を韓国に感じてもらい、この問題の幕引きをしたいと考えていました。
それは当時の金泳三大統領が、「強制性を日本が認めればこれ以上追求しない。終りにしよう」という言葉を、うかつにも信じてしまったからです。
だから自分には非がないと思っていても、とりあえず頭を下げて融和を図ることが美徳とされる日本人らしい発想です。しかし、それはあまりに日本的解決方法でした。
韓国政府の人選は、日本側の期待を裏切って明らかに意図的な操作がされていました。
①韓国での元16人の聞き取り調査対象となった元はわずか16名。
②日本政府は韓国政府に「客観的に過去の事実を話せる人を選んでほしい」という要請し、韓国側は「反日運動をやっていた人や、バイアス(偏り)のかかった人は排除して、真実を語る人を選ぶということで人選を(韓国政府に)任せた」。
③産経新聞(2013年10月16日)が入手した聞き取り調査報告書によると元16
人中
・氏名すら明確でない者が3人。
・生年月日が記載されているのは半数の8人。
・その生年月日すら、別の調査やインタビューには全く違うことを述べている者もいる。
・朝鮮半島で重視される出身地についても大半の13人が不明・不詳。
・ 大阪、熊本、台湾など慰安所がなかった地域で働いたという証言もある。
・日本で賠償訴訟を起こした原告が5人含まれる。
まずこの調査母集団がわずか16名ということに驚かされます。
結果論になりますが、これだけ大きな歴史的後遺症を残し、わが国の原罪のように糾弾されている案件の調査対象がたったの16名とは!
少なくとも、従軍が20万人いたと韓国政府は言うのですから、その当時相当数が存命だったはずです。
名乗り出るのが恥ずかしいというのはわからないではないですが、後に団体の訴訟では、補償が取れるということで大量の名乗り出た者が原告になりました。
このような国家が関与したことについては最低でも数百名の調査を下敷きにすべきなのは言うまでもないことで、いかに政治的動機によって拙速な調査だったのかが分かります。
次に氏名が確定しない者、出生地があいまいな者がほぼ全員だったことです。
当時の朝鮮は日本統治時代であり、戸籍制度は国内と同一ですので、姓名、出生地がわからないことは考えられません。
特にこの出生地は、「強制連行」された場所になるわけですから、のちに追加調査をする上で決定的な事項です。
これが欠落した証言をそのまま採用した理由を知りたいところです。
またこの中には、日本側が拒否した賠償請求運動関係者が3分の1も占めています。
彼女たちはあらかじめ補償を要求して、日本側の支援団体と一体の動きをしている人達であって、その証言の中立性に疑いが出ます。
その上、この訴訟の原告側弁護士までが調査団の聞き取りに立ち会ってしています。その弁護士の名は福島瑞穂氏といいます。
これが彼女のデビューで、これで一躍彼女は有名人になり、のち社民党党首にまでなったのはご存じの通りです。
証言の中味を見ると、慰安所が存在しなかった大阪、熊本に強制連行されたという明らかな虚偽もあります。
この時の聞き取りと、のちに同一人物が賠償訴訟した内容には大きな差があり、しかも二転三転していることが指摘されています。
石原信雄氏が講演で、「(韓国側に信頼して任せた人選の)前提条件に問題ありとなれば、何をか言わんやだ」と言っているのは、いかに韓国政府の寄こした「証人」がいい加減なものであったかを物語っています。
調査が行われた会場は、日本大使館、あるいは韓国政府の公館ではなく、訴訟の大元である「太平洋戦争犠牲者遺族会」という民間団体の事務所でした。
この「太平洋戦争犠牲者遺族会」の常任理事だった梁順任氏は、のちに裁判で多額の補償金がとれると金を集めて着服したことにより詐欺罪で逮捕されます。(欄外資料4参照)
この会長の娘婿が、朝日新聞韓国特派員だった植村隆記者です。
記事内容は別にして、一方の利害関係者の情報提供によるインサイダー記事な上に、一方の当事者と利害を共有する人物の記事だったわけです。
バイアスがどうのという以前の報道倫理の次元の問題です。
この朝日新聞1991年8月11日付け記事『元朝鮮人従軍 戦後半世紀重い口開く』(欄外資料3参照)は、当時大きな反響を国内外に呼びました。
この記事の直後には問題のシンボル的な人物となった金学順氏などがソウルで記者会見し、一気に日韓の国際問題に拡大していきます。
ここに、現在まで拡大再生産しながら続く「従軍」問題の原型が出来上がりました。
これについて当時の事情をもっともよく知る立場にいた元官房副長官の石原信雄氏の証言を読むと、氏の忸怩たる気持ちが痛いほど伝わってきます。
なお、当時日本側の最高責任者だった宮沢喜一氏は死去、この案件の責任者だった河野一郎氏は沈黙を守っています。
この宮沢-河野両氏の、「相手が怒っているんだからともかく謝っておこう。強制の証拠はないが、広い意味でなら認めよう」という悪い意味で日本的なぁなぁ,まぁまぁ対応が、後々までわが国を苦しめ続けているわけです。
~~~~~~~~~~
●石原信雄氏国会証言
「裏付け調査はしていない」
「聞き取り調査が終わった7月30日夜、ソウルで田中耕太郎・内閣外政審議室審議官は「(元の)記憶があいまいな部分もあり、証言の内容をいちいち詳細には詰めない。自然体でまるごと受けとめる」(朝日新聞1993年年8月5日)
●石原信雄氏証言
「いかなる意味でも、日本政府の指揮命令系統のもとに強制したことを認めたわけではない」(オーラルヒストリー アジア女性基金」。女性のためのアジア平和国民基金、2007年)
●1997年、東良信内閣外政審議室審議官(当時)の自民党の勉強会での発言
「(強制性認定の)明確な根拠として使えるものではなかった」
●2013年10月、石原信雄官房副長官(当時)の発言
「私は報告書は見ておらず、担当官の報告を聞いて判断したが、談話の大前提である証言内容がずさんで真実性、信憑性を疑わせるとなると大変な問題だ。人選したのは韓国側であり、信頼関係が揺らいでくる」(産経新聞13年10月16日)
●談話作成の過程で韓国側とすり合わせをしたことに関しての石原信雄氏の国会証言、「私は承知していないが、この種のものをまとめる段階で、何らかの事務的なすり合わせはあったのかもしれない。作成過程で意見のすり合わせは当然行われたと推定される
●石原信雄氏2007年民主党の会合での発言
「事実判断ではなく、政治判断だった」
●「政府はこれまでの姿勢を転換し強制連行の事実を認める方向で検討に入っているが、その証拠となる資料が発見されないことから対応に苦慮している」(読売新聞1993年3月4日)
「韓国政府は(略)金銭的支援は独自にやるので日本は強制連行を認めればよいという姿勢が鮮明になってきた」「このため政府は強制連行を認めないままでは事態の打開は困難と判断(略)認める方向で検討に入っている」(同)
「『日本軍がの強制連行を行なっていた』とする公文書類資料は発見されなかった。河野は「組織として強制連行を行っていても、無理にでも連れてこいという命令書や無理に連れてきましたという報告書は作成されることはないだろう」という見方を示し、強制を認めた根拠として『募集・移送・管理等の過程全体をみてであり、自由行動の制限があったこと』を挙げている」(同)
●談話作成に関与した谷野作太郎内閣外政審議室長(当時)1993年3月23日、参院予算委員会での証言
「単に物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、畏怖させて本人の意思に反してある種の行為をさせた場合も含む」
●石原信雄氏国会証言
「かなり(強制の定義を)広げた。宮沢首相や河野洋平官房長官は、日韓関係を将来良くしようと考えたら、彼らの言い分をある程度もう認めざるを得ないという気持ちがあった」
「(談話発表後も韓国が問題を繰り返していることに対して)日本政府の善意が生かされていない。非常に残念だ」
「われわれはあの(河野)談話によって、国家賠償の問題が出てくるとは全く想定していなかった。 当然、当時の韓国側も、あの談話をもとに政府として要求するということはまったくありえなかった。問題はすべて強制だとか、日本政府として強制したことを認めたとか、 誇大に宣伝して使われるのはまことに苦々しくて仕方ない。もちろん、こういうものをいったん出すと悪用される危険はある。 外交関係とはそういうものだから。だけど、あまりにもひどいと思う」
。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.
■資料1 河野談話全文
「関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」
いわゆる従軍問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くのが存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及びの移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
なお、戦地に移送されたの出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。(1993年8月4日、外務省ウェブサイトより)
■資料2 産経新聞2013年10月16日http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131016/plc13101608380010-n1.htm
●資料3 朝日新聞1991年8月11日
従軍問題の火付け役となった植村隆記者記事
「日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺(てい)身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。
尹代表らによると、この女性は六十八歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。(中略)女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされてにされた。ニ、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられた。一番年上の女性が日本語を話し、将校の相手をしていた。残りの四人が一般の兵士ニ、三百人を受け持ち、毎日三、四人の相手をさせられたという。「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた」という。また週に一回は軍医の検診があった。数ヶ月働かされたが、逃げることができ、戦後になってソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている。」
■資料4 「日本から補償金」3万人だます 韓国の団体幹部ら摘発
産経新聞 2011年.5月.9日
「ソウル市警察当局はこのほど、 日本統治時代の戦時動員被害者に対し、日本政府などから 補償金を受け取ってやるといって弁護士費用などの名目で 会費15億ウォン(約1億2千万円)をだまし取っていた 団体幹部など39人を、詐欺の疑いで摘発したと発表した。
被害者は3万人に上る。
摘発されたのは「太平洋戦争犠牲者遺族会」「民間請求権訴訟団」など対日要求や反日集会・デモを展開してきた団体。 古くからの活動家で日本でも知られる梁順任・遺族会会長(67)にも 容疑が向けられており、 対日補償要求運動にブレーキがかかりそうだ。
発表によると、梁会長らは遺族会や訴訟団など各種団体を組織して 会員を募集。その際
「動員犠牲者でなくても 当時を生きた者なら 誰でも補償を受け取れる」などと嘘を言った例もあり、 会員を集めると手当を支払っていたという。 警察発表では、梁会長らはソウルでの日韓親善サッカーの試合の スタンドに約500人の会員を動員し、日本政府に謝罪と補償を要求する横断幕を掲げる“偽装活動”をしてきたとしている。」 3
●資料5 「公文書と呼ぶにはお粗末だ」現代史家の秦郁彦氏
産経新聞2013.10.16
河野談話の主な根拠が、元16人の証言だったことは、河野洋平氏が自認しているところだが、日本政府は調査団がソウルで実施した聞き取り調査報告書の公開を拒んできた。
20年ぶりに陽の目を見たこの報告メモに目を通し、理由が分かったような気がする。身の上、氏名、年齢さえあやふやなが多く、公文書と呼ぶには恥ずかしいほどお粗末なものだったからである。
この半年前に安秉直ソウル大教授と韓国挺身隊問題対策協議会が2年がかりで聞き取り調査した40人余のうち、信頼性の低い21人分は切り捨て、19人分の結果を刊行していた。ところが、日本政府のヒアリングに韓国政府が差し向けたのは、切り捨て組の面々だったと思われる。
すでに強制性を認め謝罪に徹する気になっていた河野氏にとって、聞き取り調査は国民向けの形式行事にすぎなかった。それを知りつつ韓国側の非礼、非協力に堪えた調査団の屈辱を思えば、責める気も萎えてくる。
« ウクライナに善玉、悪玉はいるのか? | トップページ | キャロライン・ケネディ大使閣下に見る白人リベラルの傲慢とは »
コメント
« ウクライナに善玉、悪玉はいるのか? | トップページ | キャロライン・ケネディ大使閣下に見る白人リベラルの傲慢とは »
「反日」が国民の意思統一の為の手段として使っている現状では、本日の記事をいくら説明しても、「捏造」としか言わないのでしょうね。
一応先進国として位置づけられている韓国は、何が目的で、どこへ向かおうとしているのか?
中・韓・米・露(ウクライナでバタバタしていますが)大きくはEU含めて、日本包囲網かな?とも思います。イジメの集団の様なイメージですね。
それで、自国にどんなメリットや得があるのかさえわかりません。もっと深い意味があるのかな?
中国とは違って、はっきりした目的、目標が見えてこないのが韓国の印象です。
そんなことより、自国民の為に経済立て直しが優先ではないでしょうか?
投稿: 北海道 | 2014年3月 5日 (水) 11時59分