ウクライナ紛争その8 西欧はクリミアを差し出し、ロシアと融和した
どうやら欧州側とプーチンとの間で、暗黙の「合意」が成立したようです。
フランスAFP(4月1日)がウクライナの「事態が緩和に向かいつつある新たな徴候」を配信しています。
「ドイツのアンゲラ・メルケル首相府も、31日にロシアのウラジーミル・プーチン統領からメルケル氏に電話があり、軍撤退について個人的に連絡を受けたと発表している。ただしそれ以外の詳細については明かしていない。
フランクワルター・シュタインマイヤー独外相は、ロシア軍の一部撤退を「事態の緊張が緩和しつつあることを表す小さな兆候」とする見方を示した。」
またウクライナ東部に展開していたロシア軍の一部が、撤退を開始したようです。
「ウクライナ国防省参謀部の報道官はAFPの電話取材に対し、「ここ数日、ロシア軍が徐々に国境付近から撤退しつつある」と伝えた。同報道官は、撤退した兵士の数や国境地帯に引き続き駐留している部隊の規模については確認できていないとしている。米国と欧州連合(EU)は先に、ロシアの突然の増派で3万~4万人の部隊が同域に展開していると推定していた。」(同)
また、プーチンはAFPによれば28日にオバマに電話会談を申し入れたそうです。
どのようなことを話合ったのかは判明していませんが、おそらくメルケルに伝えたと同様のことを言ったと想像できます。
AFPは、20日ほど前に「クリミア差し出しウクライナ救うか」(3月11日)という記事を掲載しています。
http://www.afpbb.com/articles/-/3010152
この記事には何人かの欧米専門家の予測が出ていますが、冒頭に結論としてこのような、ある意味衝撃的な予測が述べられています。
「世界の指導者たちが、決して認めはしないが、嫌々受け入れざるを得ないかもしれない、ウクライナ危機の醜悪な解決策──それは、ウラジーミル・プーチン露大統領にクリミアを差し出すことで、ソ連崩壊後のロシアの力を復興させた全能の指導者として覚えられたいというプーチン氏の野望を十分に満たし、残りのウクライナ領土に手を出さないことを願う、という方法だ。
このような宥和政策は、バラク・オバマ大統領に対する米国内の批判勢力にとっても、プーチン氏の好戦的姿勢を目の当たりにし自国の安全を懸念する東欧の旧ソ連構成諸国にとっても、受け入れられるものではないだろう。」
「英ロンドンにある王立国際問題研究所(チャタムハウス、のジェームズ・ニクシー氏は「プーチン大統領がこれ以上、進むことはない」と反論する。「その可能性は非常に低い。彼(プーチン)はすでに欲しかったものを手に入れたからだ」。米経済専門テレビ(CNBC)に出演したニクシー氏は「クリミアは失われた」と語った。クリミアは落ちた」
メルケルやオバマは、電話会談においてプーチンに対して立場上原則的なことを述べるにとどまったでしょう。
すなわち、「実力による現状変更は認めない」「ウクライナの住民投票及びロシア編入は無効である」という虚しい言葉です。(下図ロイター3月22日)
プーチンはウクライナ国境線に5万の軍を進めることで、いつでも国境から東ウクライナ全域の線(上図赤線)まで進攻可能であることを事実として示しました。
そしてこれを阻むには、もはやNATOの軍事力の全面行使しか選択肢がなく、それは史上初めてのNATO軍とロシア軍との局地的戦闘となり、その趨勢しだいではウクライナにおける戦術核の応酬になるという決意です。
その決意が欧米の指導者のただひとりもないのを見抜いた上で、プーチンが示したブラフ、恫喝です。
プーチンは、オバマやメルケルにこう言ったのです。
「俺はかまわない。最後のカードをめくってみようか」
欧米側の歯ぎしが、フランスAFPの行間から透けて見えるようです。
「ウラジーミル・プーチン露大統領にクリミアを差し出すことで、ソ連崩壊後のロシアの力を復興させた全能の指導者として覚えられたいというプーチン氏の野望を十分に満たし、残りのウクライナ領土に手を出さないことを願う、という方法だ。」(同)
プーチンは、「クリミアをもらう代わりに、ウクライナ領土には手を出さない」という見返りに、今の暫定政府を暗黙で認め、次の5月のウクライナ大統領選を注視するでしょう。
もちろんプーチンのことですから「注視」するだけではなく、ウクライナ国内の「ロシア統一党」グループをあらゆる方法で応援し、東ウクライナ全域で確固たる「ロシアの影」を見せつけようとします。
そしてその後は東ウクライナ住民による連邦制要求へと歩を進めることでしょう。そこまでくれば、その先はクリミアの再演が始まるだけです。
すべてがプーチンの思惑通りです。欧米は一敗地にまみれたのです。
プーチンは、冷戦の敗者として平和が、戦争という言葉の裏書きがあって初めて成立することを知っており、それに対して欧米のかつての勝者たちは、その教訓をあっさりと忘れてしまっただけなのです。
観念的核軍縮を唱え、パシィフィズム(平和主義)に酔って、ノーベル平和賞を取った男は、実に高い代償を払わされたのでした。
このクリミア「割譲」は後世の歴史教科書に乗る事件となることでしょう。
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火種の元は、
ソ連時代の冷戦緊迫期に、フルシチョフが気前良く「クリミヤをウクライナに」併合させちゃったことでしょう。
当時のことですから、「大ソ連邦」としては大したことでもなく、ウクライナとも一心同体だったでしょうけど。。。
まさか60年も経って、こんな騒ぎになるとは、当時は誰も思わなかったことでしょうね。
悲劇です。
投稿: 山形 | 2014年4月 2日 (水) 10時21分
山形さん、単なる「騒ぎ」というよりも、歴史的なパラダイム・シフトが起きてしまったのだと思います。
日本人はまだウクライナ紛争の世界史的地殻変動の意味が分かっていない気がします。この私も含めてですが。
投稿: 管理人 | 2014年4月 2日 (水) 10時38分