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2014年5月 6日 (火)

改憲?今じゃないでしょう

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昨日は憲法記念日は、ちょうど集団的自衛権論議の真っ最中だったせいか、反対派集会が多く報道されていました。

反対派は一様に、朝日新聞の巨大「殺すな」広告みたいに、集団的自衛権を使用可能にすれば戦争がすぐにでも始まってしまうような口調でした。

第9条にノーベル平和賞を、というのは初めはジョークかと思ったのですが、本気なようで、まぁがんばって下さい。

平和賞委員会はその時の政治的思惑で賞を出しますから、日中浪高しとなったら、案外ホントにくれるかもしれませんよ(笑)。

このような安全保障問題をモラルと道徳にしてしまう「憲法原理主義」がある一方、なんでもかんでも改憲を急げと主張する人たちもいます。

ところが、この人たちはなぜ「今」なのかということを言いません。今、改憲して自衛隊を「国軍」化するより先に考えねばならいことは山積しているはずです。

現在3日のNHKニュースで世論調査の結果、改憲派が激減して、護憲派より少し多いだけにまでなったと報じられていました。

護憲派の大学教授は鬼の首でもとったように、「集団的自衛権を進める安倍政権に戦争の不安を感じているからだ」という解説をしていましたが、たぶん違います。

その世論調査は3択で、改憲に「賛成」、「反対」、「わからない」でしたが、もうひとつ入れてほしかったですね。

将来改憲するとしても今ではない」。おそらくこう考える国民が一番多いのではないでしょうか。

この間の集団的自衛権論議で、国民は集団的自衛権のような現実的課題に対して、いちいち憲法改正をしなくとも済んでしまうことを分かってしまいました。

現行憲法は、問題視されている9条に今回のようなリペアを重ねていけば、その手間と要する厖大な時間を考えたら当分は使用可能だからです。

出来がイマイチの70年前のアメ車に、修理しながら乗っている奇特な国民が日本人なのです。

右派の人達は改憲、改憲と叫ぶことで、ハードルを高く吊り上げるだけで、結局は現実に対処していないのです。

新憲法制定時の最大の争点は第1条天皇の位置づけでした。

天皇を政治的権限を持つ元首と遇するのか、あるいは、ソ連から出ていた天皇を廃位させるのかという選択を、新憲法は「象徴」という含みのある表現で落ち着かせました。

これに昭和天皇ご自身がなんの不満も持たなかったのは、このようなあり方が、天皇の古代よりの本来のあり方だったからです。

むしろ帝政憲法のほうが、無理矢理に天皇に軍服を着せてしまったようなものだったのかもしれません。

このように第1条の納まりがいいために、たった2週間で外国人が作った即席憲法が70年ちかく続いてしまったのでした。

その意味で、主権国家であることを放棄したともとれる第9条2項を除けば、よくできた憲法だったともいえます。

しかしそれすらも、日本人は伝統芸の「読み替え」で凌いでおり、既に事実上「日本国憲法修正版」をやってしまっているともいえます。

もうどうにもこの「読み替え」が効かなくなるような煮詰まった状況になったら、国民ももっと真剣に考えるでしょう。

「第9条を守れ」と同じように、「改憲」も今のところただのスローガンにすぎないと国民は考えているのです。

ただ問題なのは、今回の集団的自衛権のようにその中味を深めずに、「従来の政府憲法解釈と整合性がないからダメ」というような民主党や公明党のような思考停止が起きることです。

それでは政党として何も言ったことにはならないのですが、憲法がその言い訳のネタにされてしまっています。

集団的自衛権とはそんなに憲法の精神である「平和」に抵触するものなのか、明日はそこらを考えてみることにします。

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