安保条約第5条を読む その2 憲法解釈を官僚に任せるな
日米安保条約の核心部分である第5条を読んでいます。
私はこの条項こそが日米同盟を組んだ以上、その「共同対処」の担保部分といえると思います。
このような条項を持ちながら、法制局は「集団的自衛権はあるが憲法上使えない」という奇怪な法制局見解を後生大事に持っていました。
よしんば法制局が「あるがない」というような禅問答のような答えをしたからと言って、それはあくまでも国内問題にすぎません。
日米安全保障条約は外国との条約な以上、国内的解釈、時には国内法そのものすら超越します。
ですから、かねてから尖閣が日米安保の範囲内だと米国に明言してほしい日本は、それを言う都度、米国から、「うちの国は第5条を遵守しますよ。ではおたくの国はどうなんです。集団的自衛権も使えないようでは同盟とはいえません」と言われ続けてきたのです。
こんなことが許容されたのは、日本に対する攻撃は現実にはないだろうという冷戦期特有のぬるま湯的状況認識を当時の自民党政府が持っていたからにすぎません。
それが今になって、現実の切迫した尖閣での危機に直面して、長き眠りから醒めたというだけのことにすぎず、この集団的自衛権は50年前の締結時に条約とセットであらかじめ規定しておくべきでした。
さてそれに続く条文は、日米「共同対処」を条件づけしている部分で、いわば歯止めに相当します。
「自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動する」とありますから、日米両国が憲法上の制約を受けるということを規定しています。
ここがおそらく、「集団的自衛権はあるが持てない」という法制局の法的根拠の部分です。
法制局に言わせれば、憲法は個別的自衛権しか認めていないから、集団的自衛権は違憲だということのようです。
しかしその前に、そもそも法制局はただの内閣府一部局にすぎないのに、いつから政府の上にそびえ立つ機関になったのでしょうか?
それができるのは国民の付託を受けた国会と、そこから選ばれる内閣だけにあるはずです。
内閣法制局は内閣府の官僚組織に過ぎず、マスコミの一部が言うような「憲法の番人」ではありません。
各省庁は法案の国会提出の前に法案提出の数か月前から法制局の審査を受けます。法制局の役割は、既存の各種法律との整合性や重複の排除です。
ひとつ不整合が見つかると他の法律の改正に連動し、他の官庁の同意が必要になるからです。
憲法解釈も慣習上、この範囲に含まれました。そのために本来は裁判所が決めるべき違憲判断を、一官僚組織にすぎない法制局が代行するようになってしまっています。
するとどうなるでしょうか。立法は大部分官僚が作成しています、政治家には法律の細部まで作成する能力がないからです。
行政はあの民主党政権の時でもしっかりと機能していました。なぜなら「優秀な」官僚がいたからです。
そして憲法解釈まで法制局の専管事項とするなら、なんのことはない、わが国は立法、行政、司法解釈まですべて官僚が一元的に行なっていることになりはしませんか。
こういう悪しき慣例ができたのは、自民党政権が立法を官僚に丸投げしてきたからで、その弊害が目立ったので、かつて民主党は官僚支配打破を掲げていたはずです。
たしかに一理ありますが、ならば、なぜ今頃になって、法制局の従来の判断と異なった判断を示した政府の「政治主導」を批判するのでしょうか。不思議です。
違憲立法審査権を持つのは唯一最高裁判所のみです。
ですから、集団的自衛権が違憲と思うなら、法制局官僚の判断に任せないで、違憲裁判を起されることをお勧めします。
この条約が作られた1960年(昭和35年)は冷戦の真っ盛りですが、当時仮想敵国はソ連であって、この時期の毛沢東期の中国は今のような膨張政策どころか鎖国していました。
ところで、中国が突如、尖閣の領有権を主張しだすのは70年代からで、尖閣のセの字もこの世に認識されていかった時代です。
しかし、中国が軍拡と膨張を開始してアジア情勢は一変しました。
わが国を取り囲む状況が大きく変化しているのに、条文解釈だけ変わらないということはありえません。時代に則して変えるべき部分は変えていく必要があります。
なお、後段で国連安保理への報告と、「(国連が)必要な措置が執った場合は終了する」とありますが、相手国・中国が拒否権を持つ安保理常任理事国な以上、「国連が必要な措置を執る」可能性はまったくありえません。
国連は、紛争が常任理事国の利害に関わらない希少なケースのみに多少機能するていどの組織にすぎません。
現にウクライナでは完全な機能不全の姿をさらしました。尖閣でも同様だと考えておくべきでしょう。
このように考えると、米国が今回の訪日に際して望んだのは、単に相互に安保条約の誠実な履行をするということにすぎません。
もちろん、集団的自衛権を非公式にわが国に求めたのは米国に決まっています。今回、あっさりと集団的自衛権を容認したのは、なんのことはない勧進元が米国だったからです。
ですから実は、オバマがなにかを言ってくれるのを期待したのは筋違いで、逆に日本が第5条を誠実に履行して集団的自衛権を持てるようにしろと言われていたのです。
そしてその内容は既に50年前作られた条約第5条にシンプルに述べられており、それを国内の政治の解釈で恣意的に変えてきた時代が終わったにすぎないのではないでしょうか。
一方、米国側にも条約締結時になかった米国の「憲法上、手続きの制約」が生じています。
米国側の事情については次回に続けます。こんなに長くなるとは思わなかった(汗)。
■写真を差し替えました。
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■日米安全保障条約 第五条
「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。 前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない。 」
ARTICLE V
Each Party recognizes that an armed attack against either Party in the territories under the administration of Japan would be dangerous to its own peace and safety and declares that it would act to meet the common danger in accordance with its constitutional provisions and processes. Any such armed attack and all measures taken as a result thereof shall be immediately reported to the Security Council of the United Nations in accordance with the provisions of Article 51 of the Charter. Such measures shall be terminated when the Security Council has taken the measures necessary to restore and maintain international peace and security.
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