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2014年5月16日 (金)

「美味しんぼ」と穢れ差別

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荒木田岳福島大准教授は、「美味しんぼ」の中で、森林汚染を取り上げて「除染しても放射性物質が山などから流れ込んで来て、すぐに数値が戻るんです。」「だから福島は住めない」と主張しています。

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 (美味しんぼ」24号 右側が「福島は除染しても住めない」と主張する荒木田準教授)

今回は、荒木田準教授の言説に対する前に(※それについては来週します)、こういう放射能に対する「穢れ」(けがれ)について考えてみたいと思います。

3年前、放射能に対する過敏な反応は、福島県民に止まらず東北全体への社会的差別事件にまで発展しました。、

福島避難児童に対する保育園入園差別事件、福島県避難者宿泊拒否事件、青森の雪拒否事件、福島ショップ出店拒否事件、福島女性婚約廃棄事件、そしてもっとも大規模だったのが全国で繰り広げられた瓦礫拒否運動でした。

ようやくこれらの狂騒が収まろうとしていた今になって、反骨の正義漢を気どる雁屋哲氏によって、またもや「放射能の穢れ」を根拠とする火が再燃しようとしています。

この「放射能の穢れ忌避」の流れは、この人たちにとって放射能ゼロまで閾値なしと考える以上、カルト的により隠微になって温存される性格を持っています。

さて、昔子供だった時「エンガチョ」ということをしませんでしたか?

たとえば、道路に落ちていた犬の糞を踏んでしまった子供は、別な子供にエンガチョを移さないとたいへんです。

逃げ回る友達たちを追いかけて、泣きながらさエンガチョを移すわけです。このエンガチョは民俗学で「穢れ」といいます。

網野善彦氏はこれを「縁をちょん切る」が語源だと述べていました。また民族学者の石川 公彌子氏は「穢れ」をこう説明しています。

「穢れ」とは神道や仏教における観念であり、清浄ではなく汚れて悪しき状態を指す。とくに死、疫病、出産、月経や犯罪によって身体に付着するものであり、個人のみならず共同体の秩序を乱し災いをもたらすと考えられたため、穢れた状態の人は祭事などに関われずに共同体から除外された」

これを今の3.11以降の状況に置き換えてみましょう。放射能という「清浄ではなく汚れて悪しき状態」にまつわるすべてが「穢れ」なのです。農産物も、車も、雪も、瓦礫も、そして人すらも。

放射能とは疫病や死のシンボルであり、それを持ち込もうとする者は、清浄な共同体の秩序を保つために排除されたのです

しかし、前近代的な「穢れ」に対する恐怖であるが故に、いくら福島県が「まったく検出されていない」と言おうが言うまいが、一切耳を貸さない根深く理屈抜きな部分からの恐怖なのでしょう。

このようなある意味、前近代的な「闇」の心理を引きずっているためにいつまでたっても「穢れ」を排除し、差別する事件が後を断たないようです。

一見、科学によって装われていますが、「美味しんぼ」がかき立てたのは、穢れを嫌う村八部という恐ろしく古い日本人の暗部なのです。

かつて広島において「ピカがうつる」と被爆者を差別した時代に、SNSがなくてよかったとしみじみ思います。

あの時代にそれがあったら、福島どころの騒ぎでは収まらず、広島の復興は10年以上遅れていたことでしょう。

当時の人から人への噂話が、いまや20万部の大雑誌とネットがバラまくだけに変化しただけで、なにも変わっていないのかもしれません。

ただ今回、「穢れ」差別を呼び起こしたのが、日本的社会を嫌って、「多元的価値社会」のオースラリアに住む日本嫌いの老人だったというのは皮肉なことです。

この稿続けます。

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コメント

 お久しぶりです。
 村八分の誤変換では?
そうだとしたら「二分(葬儀と火災)を残して他の”家同士としての”付き合いを断つ」という意味で排除をまで含むものではないのですけれどね。これは意見の対立によるものが多く、穢れ概念とは違います。当町内には、大正年間に耕地整理問題で村八分になりながら、祭りの当番組長であり続けた家もあります。

 連投すみません。読み直してみたら足りないところがあると思いまして。
 村八分とは、現代の感覚でいうと「町を2分して首長選挙をやったあと、勝ったほうが負けたほうに冷や飯をくわせる」に近いものがあると思います。それなりに実力があるものじゃないと村八分になるほど戦えないわけですよ。当町内の場合も祭祀にもっとも詳しいものであったために、外しようがなかったらしいです。
 きだみのる 流の都会目線で田舎を分析する者たちが流布した認識にすぎないと思います。
放射能問題とは関係ありませんが、問題のとらえ方に似た部分があると思いましてコメントさせていただきます。

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